イスラエル建国の礎となったシオニズム運動を提唱したテオドール・ヘルツェルが眠るエルサレム西部の「ヘルツェルの丘」。歩道に「エルサレムは自由だ」と落書きされていた。黒装束の超正統派ユダヤ教徒、ダビド・リンデルさん(45)がスプレーで塗りつぶしながら、不満そうに言った。「一体、何が『不自由』なのか」。落書きは超正統派の厳しい戒律へのけん制だった。
近くの住宅街。低家賃で若者や移民が多い世俗的な地区に最近、超正統派が次々と移り住んでいる。隣接地でも同様の現象が起き、元々いた住民が流出した。「自由」のあらがいは、ユダヤ人とパレスチナ人の「聖都」を巡る対立でなく、ユダヤ人同士の「世俗対宗教」の摩擦なのだ。
超正統派は金曜の日没から土曜の日没までの「安息日」を重視する。この間、労働は一切禁止。車の運転や料理も労働とみなされる。安息日を単なる「休日」ととらえる世俗派にとって、超正統派との「同居」は窮屈以外の何ものでもない。
デザイナーのイダン・アミールさん(32)は6年前、故郷エルサレムを離れて地中海岸の商業都市テルアビブに移った。「政治的、宗教的に緊張するエルサレムでの生活は重苦しい。帰郷するつもりはない」と言う。
エルサレムの人口は現在約76万人(東エルサレムを含む)。ここ数年、転出数が転入数を上回っているが、人口は年数%ずつ増加している。人口の約3割を占める超正統派の「自然増」のためだ。イスラエル人女性の合計特殊出生率(一生に産む子供の数)は2・9だが、エルサレムの超正統派女性のそれは7・7に上る。
だが、人口増は都市の活性化につながっていない。統計によると、エルサレムの社会経済指標は10段階の「4」と低い。ガザ地区からロケット弾攻撃を受けてきた南部の町スデロトと同値だ。ユダヤ教の律法を学ぶ超正統派は職に就かず、政府の援助などで生計を立てているため、「働き手」である世俗派の流出は、エルサレムの財源を先細りさせている。
エルサレム当局は将来の人口を最大100万人と見積もる。「エルサレムでは今、100万人までの『余白』を巡り、世俗派と超正統派、そしてアラブ系(パレスチナ人)の勢力争いが起きている」。世俗派のヨセフ・アラロ市議が解説した。【エルサレム前田英司】
毎日新聞 2010年2月28日 東京朝刊