1本のレモンの木が民家の塀越しに頭をのぞかせている。この時期、いつもなら緑の新芽が春の訪れを告げるのだが、今年は立ち枯れしてしまった。「家主を失い、悲しんでいるのさ」。この家で生まれ育ったパレスチナ人のマヘル・ハヌーンさん(51)が、通りから寂しそうに見つめた。屋上では、新しい「家主」が掲げたイスラエル国旗が、風に小さく揺れていた。
東エルサレムの一角、シェイクジャラ地区。昨年8月、ハヌーンさんの一家17人は半世紀にわたって暮らしたその家から、イスラエル当局に強制退去させられた。「ユダヤ人の所有地に不当に住み続けた」との理由だった。家財道具もろとも放り出され、家はすぐ、若いユダヤ人入植者に「占拠」された。
もとは北部ハイファの出身。イスラエル建国に伴う48年の第1次中東戦争で故郷を追われて難民となり、56年、東エルサレムを支配していたヨルダンと、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の許可を得て、シェイクジャラ地区に移り住んだ。3年後にヨルダン政府から土地の所有権を譲り受ける約束だったが、履行されないまま、67年の第3次戦争で東エルサレムはイスラエルに占領・併合されてしまった。
シェイクジャラ地区には古いユダヤ教聖職者の墓がある。エルサレムの地歩を固めたいユダヤ人には重要な「聖地」だ。70年代に入り、ユダヤ人団体がハヌーンさん方の所有権を主張した。ヨルダンとの合意書を盾に反論すると、19世紀のオスマン・トルコ時代の借地権を突きつけられた。結局、イスラエルの裁判所は団体側の「証拠」を認めた。
イスラエルの人権団体によると、この一帯には新たなユダヤ人向け住宅地の建設構想があるという。
取材中、警官が急行する現場に出くわした。ユダヤ人入植者が鉄片を投げ付けられ、腕をけがしていた。「暴力に訴えるのはいつもパレスチナ人だ」。負傷した入植者がいきり立った。そばにいたハヌーンさんは「『故郷』を奪う入植者と共存できるはずがない」とはき捨てるように言った。
昨年11月以降、シェイクジャラ地区では毎週金曜日に、左派系のユダヤ人グループが強制退去に抗議する集会を繰り返し開いている。「私は再び『難民』になったが、イスラエルにも理解者はいる。我が家を取り戻す希望は捨てていない」。ハヌーンさんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。【シェイクジャラ(東エルサレム)前田英司】
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ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレム。政治・宗教のシンボル故に問題は複雑に絡み合う。「聖都」の今を追った。
毎日新聞 2010年2月26日 東京朝刊