私の職業が塾講師ということで、やはりこのニュースには触れないわけにはいかなくなりました。
京都・宇治市小6女児殺害 容疑者の学習塾講師、
自宅から包丁やハンマー持ち込む
(クリックしてご覧ください)
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00081896.html
まず、私ごとから申し上げましょう。
私は、よく生徒に「キレやすい」などと評価されます。プリントを配ったのに教室がざわついていたり、職員室で騒ぐ連中がいると、すぐ怒るからでしょう。
昨日など、用事が済んだのに下らない話をしてくる生徒(女)が何人かいたので、ムカムカして「帰れと行ったら帰れ!」と怒鳴ってしまい、隣の先生に「あれはやりすぎですよ」と珍しくたしなめられてしまいました。
ムカムカしたのは理由があります。生徒が、私のことを名字で呼び捨てにしたからです。
親しみがあっていいなどという大人は、教育というのを「仲良くなること」だと誤解していると思います。困ったとき、「こうしろ」とはっきりした方向を示すためには、権威が絶対に必要です。
ふだん仲良くしていて、いざというときにはちゃんと言うことを聞く、そういう信頼関係を築かなければ行けない。子どもは対等な人格なのだから、大人が教え導くのではなく共に学ぶ姿勢が大切だ・・・いかにも日教組が言いそうな妄言ですが、こういうありえない理想を、先生という人間に求めてはいけません。そんなことができる神様のような人格者が、全国に何100万といる教職員にどれほどいるか、考えてみればわかると思うのですが・・・。
基本的に、教師というのは威張っていてもいい職業です。この「威張る」というのは、「私のやっていることは基本的に正しい」と思うことです。そうでなければ、人に知識や考えを伝授することはできません。
その上で、自分の考えからそれてしまうようなら、叱るというのは当たり前のことです。柔らかい物腰で言ってもだめなときがあります(というか、ほとんどダメです)から、強い口調で言うのもやむを得ないでしょう。
ただ、上のような図式が成り立つためには、絶対に満たさなくてはならない条件があります。
それは、知識面、精神面で教える側が子どもに負けてはならないということです。
特に言えるのは、隙を見せるようなナヨナヨした授業などやっていてはいけないということです。多少ハッタリでもいいのです。教壇の上では完成した「商品」を売るという姿勢で臨まなくてはいけないのです。
残念なことですが、以前いた職場でも生徒が他の先生のことを「わかりにくい」「つまらない」などと私に言ってくるケースが何度かありました。もしかしたら、私も言われているかも知れません。しかし、上司に親がクレームを付けたり、私のクラスから「脱走」した生徒がいたとか、顕在化したことがないので、うまくやれているのでしょう。
そこで、上の京都の事件に戻ります。
この容疑者には同情の余地は0.1%もありません。しかし、それで終わってしまってはブログがつまらないので、少し突っ込んでみたいと思います。自分で言うのも何ですが、ちょっと意地が悪いですね。
適宜、記事から引用させていただきます。
>紗也乃さんは12月に入り、萩野容疑者の授業が嫌だと、
授業を受けるのをやめていた。紗也乃さんの同級生は
「あんまりよくわからへんとか言って。国語の勉強が、
萩野先生の授業がわからへんって言ってたから」と話した。
業界のことが分からない方のために言うと、この程度のことはよくあります。私も、滑り出しの頃にこういう反応をされたことがありました。
しかし、こういうことがあったら、まず現場の責任者に文句を言うべきですね。そうすれば、今回の殺害に至るまでのどこかで、容疑者にチェックが入っていた(場合によっては首になっていた)かもしれません。
12歳の子どもに「わからない」と言われてしまうのは、はっきり言って恥ずかしいです。そのくらい、何とかごまかせないのでしょうか。容疑者は、大人の世界でも影でいろいろ言われているかもしれません。
>さらに萩野容疑者は、紗也乃さんにすり寄って拒絶
>されたのを逆恨みして、紗也乃さんに冷たくあたる
>ようになったという。
「すり寄って」って何ですかね?本当に情けない。典型的な、子どもになめられる大人です。以前●信じられないような事件の記事を書きましたが、ここに出てくる「小遣いをくれるから好きなお父さん」と同じですね。
大人の世界同様、中身で勝負できないから、ご機嫌伺いに走るのです。ご機嫌伺いも全くしなくていいというのではありませんが、教職や親の役割という「本業」をしっかり勤め上げずに子どもの気を引こうとするのは、明らかに本末転倒です。そういう連中は、10代の女の子相手に買春している馬鹿同様、結局軽蔑される運命にあります。
確かに、弱いところを見せるのはつらい、というのはあるでしょうが、そこで開き直って、自分を鍛え上げられないのなら教える仕事には向かないのです。そうやって私も成長してきましたし、多分これからも自分のやり方を修正しなければならないでしょう。結局人生というのはそういう微調整の繰り返しなのではないかと思います。
もっとも、容疑者の場合、やや特殊な事情があるようです。
>萩野容疑者は、現役の同志社大学法学部の4年生で、
>2年前に大学の図書館で、財布を盗もうとしたのをとがめた
>警備員を殴って逮捕され、停学処分になっていた。
>また、萩野容疑者の近所の人には、家庭内暴力を振るう
>姿を目撃されている。
容疑者は、大学生にもなって、何をやっていいか悪いかという区別(規範意識)が全くないということがわかります。親に対して暴力を振るうなどというのは、動物以下です。ストレスがどうだの、幼児期のトラウマがどうだの、自称知識人による下らない意味づけなど要りません。立派な反社会行為です。
親を畏敬(あえて「尊敬」とは言わない)できないから、社会一般に対しても「おそれおおい」という態度が採れなくなってしまうわけです。そういう方には、少年院や刑務所と言うところで「勉強してもらう」しかありません。それができないとうなら、社会に出てこなくて結構です。
それにしても、容疑者の家の父親は何をやっているんでしょうね?母親が救急車で運ばれたこともあるそうですから、親父が息子に何かアクションを起こしてもいいのではないでしょうか。私なら半殺しにします。大切な伴侶を傷つけたわけですから、そのくらいは覚悟してほしいです。
みなさんはきっと、「塾は人間を見て採用していないのか?」と言いたいかも知れませんが、こういう人間は表面を取り繕うだけは上手だということが多い(だから、同志社大学という難関大学に入る「学力」は付けられた)ので、塾の側にそこまで求めるのは無理です。
しかし、被害者のような不満は、決して一人の生徒だけが持っていたわけではないと思います。だから、良くない点が見えたら、現場責任者が積極的に介入することで、こういう事件になるまでの関係の歪みは防げたでしょう。そういう対処は、同時に品質を向上させて生徒をやめさせないことにもつながるわけです。だから、気の利いた塾ならしっかり責任者のチェックが入っているでしょう。それが出来なかった点は、多少なりとも塾側に責任があるということもできます。
>家から包丁とハンマーを持ち込んでいるほか、教室内
>にある監視モニターの電源が切られていたことから、
>警察では、計画的な犯行の疑いもあるとみて、容疑を
>殺人に切り替えて追及する方針
こういうところに気を回すなら、授業をしっかりやれるように計画を立てろよ!と言ってやりたいです。
私が憂鬱なのは、これから生徒に会う度に、「俺はハンマーとか包丁は持っていない」と明言しなくてはならないことです(笑)。まあ、それは単なる冗談ですが、親御さんの心配の種が塾の行き帰りだけではなくなったというのは残念です。
塾が怖いところだという先入観が、出来上がってしまわないことを祈ります。そうなると、ちょっと授業のやり方が分からなくなると、「殺されたくないから辞める」という考えに行き着いてしまいかねません。それでなくても、塾の先生というのはまともな仕事が出来ないからやってるとかロリコンが多いとか、よくない印象を持たれることがままある職業なので・・・。
私ももう少し大声で叱る回数を減らさないといけないかもしれませんね(笑)。
京都・宇治市小6女児殺害 容疑者の学習塾講師、
自宅から包丁やハンマー持ち込む
(クリックしてご覧ください)
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00081896.html
まず、私ごとから申し上げましょう。
私は、よく生徒に「キレやすい」などと評価されます。プリントを配ったのに教室がざわついていたり、職員室で騒ぐ連中がいると、すぐ怒るからでしょう。
昨日など、用事が済んだのに下らない話をしてくる生徒(女)が何人かいたので、ムカムカして「帰れと行ったら帰れ!」と怒鳴ってしまい、隣の先生に「あれはやりすぎですよ」と珍しくたしなめられてしまいました。
ムカムカしたのは理由があります。生徒が、私のことを名字で呼び捨てにしたからです。
親しみがあっていいなどという大人は、教育というのを「仲良くなること」だと誤解していると思います。困ったとき、「こうしろ」とはっきりした方向を示すためには、権威が絶対に必要です。
ふだん仲良くしていて、いざというときにはちゃんと言うことを聞く、そういう信頼関係を築かなければ行けない。子どもは対等な人格なのだから、大人が教え導くのではなく共に学ぶ姿勢が大切だ・・・いかにも日教組が言いそうな妄言ですが、こういうありえない理想を、先生という人間に求めてはいけません。そんなことができる神様のような人格者が、全国に何100万といる教職員にどれほどいるか、考えてみればわかると思うのですが・・・。
基本的に、教師というのは威張っていてもいい職業です。この「威張る」というのは、「私のやっていることは基本的に正しい」と思うことです。そうでなければ、人に知識や考えを伝授することはできません。
その上で、自分の考えからそれてしまうようなら、叱るというのは当たり前のことです。柔らかい物腰で言ってもだめなときがあります(というか、ほとんどダメです)から、強い口調で言うのもやむを得ないでしょう。
ただ、上のような図式が成り立つためには、絶対に満たさなくてはならない条件があります。
それは、知識面、精神面で教える側が子どもに負けてはならないということです。
特に言えるのは、隙を見せるようなナヨナヨした授業などやっていてはいけないということです。多少ハッタリでもいいのです。教壇の上では完成した「商品」を売るという姿勢で臨まなくてはいけないのです。
残念なことですが、以前いた職場でも生徒が他の先生のことを「わかりにくい」「つまらない」などと私に言ってくるケースが何度かありました。もしかしたら、私も言われているかも知れません。しかし、上司に親がクレームを付けたり、私のクラスから「脱走」した生徒がいたとか、顕在化したことがないので、うまくやれているのでしょう。
そこで、上の京都の事件に戻ります。
この容疑者には同情の余地は0.1%もありません。しかし、それで終わってしまってはブログがつまらないので、少し突っ込んでみたいと思います。自分で言うのも何ですが、ちょっと意地が悪いですね。
適宜、記事から引用させていただきます。
>紗也乃さんは12月に入り、萩野容疑者の授業が嫌だと、
授業を受けるのをやめていた。紗也乃さんの同級生は
「あんまりよくわからへんとか言って。国語の勉強が、
萩野先生の授業がわからへんって言ってたから」と話した。
業界のことが分からない方のために言うと、この程度のことはよくあります。私も、滑り出しの頃にこういう反応をされたことがありました。
しかし、こういうことがあったら、まず現場の責任者に文句を言うべきですね。そうすれば、今回の殺害に至るまでのどこかで、容疑者にチェックが入っていた(場合によっては首になっていた)かもしれません。
12歳の子どもに「わからない」と言われてしまうのは、はっきり言って恥ずかしいです。そのくらい、何とかごまかせないのでしょうか。容疑者は、大人の世界でも影でいろいろ言われているかもしれません。
>さらに萩野容疑者は、紗也乃さんにすり寄って拒絶
>されたのを逆恨みして、紗也乃さんに冷たくあたる
>ようになったという。
「すり寄って」って何ですかね?本当に情けない。典型的な、子どもになめられる大人です。以前●信じられないような事件の記事を書きましたが、ここに出てくる「小遣いをくれるから好きなお父さん」と同じですね。
大人の世界同様、中身で勝負できないから、ご機嫌伺いに走るのです。ご機嫌伺いも全くしなくていいというのではありませんが、教職や親の役割という「本業」をしっかり勤め上げずに子どもの気を引こうとするのは、明らかに本末転倒です。そういう連中は、10代の女の子相手に買春している馬鹿同様、結局軽蔑される運命にあります。
確かに、弱いところを見せるのはつらい、というのはあるでしょうが、そこで開き直って、自分を鍛え上げられないのなら教える仕事には向かないのです。そうやって私も成長してきましたし、多分これからも自分のやり方を修正しなければならないでしょう。結局人生というのはそういう微調整の繰り返しなのではないかと思います。
もっとも、容疑者の場合、やや特殊な事情があるようです。
>萩野容疑者は、現役の同志社大学法学部の4年生で、
>2年前に大学の図書館で、財布を盗もうとしたのをとがめた
>警備員を殴って逮捕され、停学処分になっていた。
>また、萩野容疑者の近所の人には、家庭内暴力を振るう
>姿を目撃されている。
容疑者は、大学生にもなって、何をやっていいか悪いかという区別(規範意識)が全くないということがわかります。親に対して暴力を振るうなどというのは、動物以下です。ストレスがどうだの、幼児期のトラウマがどうだの、自称知識人による下らない意味づけなど要りません。立派な反社会行為です。
親を畏敬(あえて「尊敬」とは言わない)できないから、社会一般に対しても「おそれおおい」という態度が採れなくなってしまうわけです。そういう方には、少年院や刑務所と言うところで「勉強してもらう」しかありません。それができないとうなら、社会に出てこなくて結構です。
それにしても、容疑者の家の父親は何をやっているんでしょうね?母親が救急車で運ばれたこともあるそうですから、親父が息子に何かアクションを起こしてもいいのではないでしょうか。私なら半殺しにします。大切な伴侶を傷つけたわけですから、そのくらいは覚悟してほしいです。
みなさんはきっと、「塾は人間を見て採用していないのか?」と言いたいかも知れませんが、こういう人間は表面を取り繕うだけは上手だということが多い(だから、同志社大学という難関大学に入る「学力」は付けられた)ので、塾の側にそこまで求めるのは無理です。
しかし、被害者のような不満は、決して一人の生徒だけが持っていたわけではないと思います。だから、良くない点が見えたら、現場責任者が積極的に介入することで、こういう事件になるまでの関係の歪みは防げたでしょう。そういう対処は、同時に品質を向上させて生徒をやめさせないことにもつながるわけです。だから、気の利いた塾ならしっかり責任者のチェックが入っているでしょう。それが出来なかった点は、多少なりとも塾側に責任があるということもできます。
>家から包丁とハンマーを持ち込んでいるほか、教室内
>にある監視モニターの電源が切られていたことから、
>警察では、計画的な犯行の疑いもあるとみて、容疑を
>殺人に切り替えて追及する方針
こういうところに気を回すなら、授業をしっかりやれるように計画を立てろよ!と言ってやりたいです。
私が憂鬱なのは、これから生徒に会う度に、「俺はハンマーとか包丁は持っていない」と明言しなくてはならないことです(笑)。まあ、それは単なる冗談ですが、親御さんの心配の種が塾の行き帰りだけではなくなったというのは残念です。
塾が怖いところだという先入観が、出来上がってしまわないことを祈ります。そうなると、ちょっと授業のやり方が分からなくなると、「殺されたくないから辞める」という考えに行き着いてしまいかねません。それでなくても、塾の先生というのはまともな仕事が出来ないからやってるとかロリコンが多いとか、よくない印象を持たれることがままある職業なので・・・。
私ももう少し大声で叱る回数を減らさないといけないかもしれませんね(笑)。
なぜ、自分で「女の子」を刺したと通報したんですかねえ。
普通、犯罪計画に関しては犯罪の隠匿を目的にするはずなんですがねえ。
結論から言いますと。
多分、強姦しようとしたんじゃないですかね。
監視カメラのスイッチを切ったのもその犯罪を隠匿するためというのなら納得できますし、包丁やハンマーも「脅す」目的でなら
利用するのに説明がつきます。
「殺人は計算外の出来事」なんじゃないでしょうか。
ちょっと懲らしめようとやった行為が取り返しのつかないことになってしまった。
なので自分で通報した。
まー憶測好きですね(笑)
コメントありがとうございます。
できれば今後ともよろしく。
私の学校でも、生徒の立場に立ってとか、生徒のためにとか言って生徒の機嫌を取る先生がいます。
生徒にラーメンをおごってやったり、おやつを与えながら補習をしたりする先生がいます。
そうでもしないと生徒が言うことを聞いてくれないようです。
そんな先生がいざというときに生徒に厳しいことを言うことができるのか?
心配です。教師の適正を審査するにはそのような面も重視しないといい教育はできないと思います。
>ちょっと懲らしめようとやった行為が
>取り返しのつかないことになってしまった。
もう少し明るい復讐ができないんですかねぇ・・・。
かっとなってやったのだと思いますが、おそらく
身体に触ろうとして「キモイ!」とか言われたん
でしょう。で、逆上したと。
こんな講師に当たってしまうとは、地震にあって
生き埋めになったと思うしかありませんね。
>まらどーなさん
>生徒にラーメンをおごってやったり、おやつを
>与えながら補習をしたりする先生がいます。
>そうでもしないと生徒が言うことを聞いて
>くれないようです。
ちゃんとやっている大人から見ると、本当に迷惑
極まりないです。
やっていることが、援助交際と同レベルだということ
に気づかないのか・・・まあ、日教組教育で
「先生と生徒は対等な人格」って教わっていたら
無理でしょうね。
きっと、容疑者もそういう大人に囲まれて育った
んでしょう。同志社なんてよい大学に入れたのに
もったいないことを・・・。
今までと違った先生には戸惑いと疑心が生まれます。
泰然として変わらぬ姿を貫くことです。
ところで、小生の子育て原稿の一部を書かせて頂きます。いずれブログにも掲載するつもりです。
最近、「子供に殺された」「孫に殺された」との事件が頻発しています。
これらに共通するのは、「他人を殺した犯人たちは、不遇な教育環境が大半」とされるのとは違って、「犯人たちが、何不自由なく、大切に、甘やかされて育てられている」ことです。
一例を挙げれば、大阪府で大学2年生の長男が、携帯電話の料金が高額だと母親にうるさく言われたことに腹を立て母親を刺し殺す事件が起きました。
大変気の毒とは思いますが、この親は、基本的な「1.我慢をする、2.簡単に腹を立てない、3.人を傷つけたり殺したりしない」ことを教えることを怠った上に、わざわざ苦労をしてまで、行かせてはいけない「4.大学に進学させ」て、持たせてはいけない「5.携帯電話を持たせ」るなど甘やかして育てています。
さらに、このように育てられわがままで聞く耳を持たなくなって仕舞っている人間(もはや、その子は自分が子供であるとの自覚はなくなっているのです。)に対し、「6.充分な注意を払うことなく常識的な小言を言う」間違いを、念を押したように犯しています。
この中のたった一つでも欠けていたなら、この事件は起きなかったに違いありません。
この不幸な事件は、「適正な子育てを行わなければ、親の苦労が何の役にも立たないばかりか、かえって子供を不幸にするのみならず、親自身さえも身を危険に曝す」ことになりかねないことを教えてくれています。
私の役割として、今までどおりやっていきたいと思います。恣意性が混じらないかしっかり検証すればよいのですね。スタイル自体はかえる必要はない、と。
人生の先輩からのご教示、有り難いです。自信を持ってやっていきたいと思います。どうぞまたご鞭撻くださいね。
異常に体罰とか文句言うのもどうかと思います。
馬鹿が増えすぎたから、こんな展開になる。
親が(2〜30年前から)しっかりしなかったのも響いているのかと。
はぁ。日本も腐ったな。
大人の世界同様、中身で勝負できないから、ご機嫌伺いに走るのです
>
政治や外交も同じですね。中・韓が日本を批判すると一部の政治家が訪中・訪韓することと似ています。
自信が無いからでしょうね、彼らも。
本来「義務教育期間」は社会へ出るための最低限必要な人間を育てる期間だと思います。(実際には高校、大学へ進むわけですが)その間を受け持つ教育者には授業技術よりも一定水準以上の人間としての資質が必要で、その資質が有ってこそ生徒や父兄からも尊敬されるとおもいます。
しかし、現実ではマニュアル以外のことを毅然と教えられる教師が少ない。通念であって事実と違うことにも保身の為に安易に安全な論調を選択したり、謝罪したりする。教師自身が自信が無いのだと思います。
こんなことを言っていると現実離れした理想論だと笑われるでしょうか、うーん...うまく文をまとめれないw失礼しました
こちらにたどり着きました。塾講師のように
教える立場の方の貴重な意見が聞けてすごく
為になります。教育問題も外交問題も相手を
甘やかすから、擦り寄るからそのままずるずる
と今のような犯罪多発、日本の資源、領土、
家庭崩壊などおかしくなったのだなと改めて
実感いたしました。これからもがんばって
ブログを続けてください。
親がしっかりしていないということですが、
やはりそれはどうしても「団塊の世代」という人々に
行き着く問題だと思います
何度もコメントで書かせてもらっていますが、私が
このブログでやっていることというのは、団塊の世代が
何となく許容してきてしまった歪み・過ちに対する
戦い(笑)だという気がしています。
真面目に生きていると、噴飯やるかたなき事が
多くて困りますね。
>マスコミが伝えない韓国さん
>保身の為に安易に安全な論調を選択したり、
>謝罪したりする。
子ども相手に、いったい何を保身したいんでしょう
かね(笑)。安定した身分か?
そういう意味で、今回の同志社大学の姿勢は情け
ないですね。「個人の問題」と言えばいいものを。
再発防止策など取りようがないのです。体面だけの
ために謝罪するのは言語道断です。
象牙の塔としての矜持を見せてほしかった。
サッカーなどで明らかに誤審だと分かるような
場面でも、「微妙ですね」とかいう解説者が多いの
です。誰も傷つけないようにという「日本的」な
配慮なのでしょうが、そこには価値観というものが
ない、ただ面倒を避けるためだけの打算的行為なの
です。
2002年のW杯韓国戦では、もう確信犯でしたから
ねえ。テレビや新聞は、一体何を怖がっているんだ
という感じでしたよ。(笑)韓国=褒め称えなくては
ならない国、みたいな。
>あきさん
どうも初めまして!!!
>相手を甘やかすから、擦り寄るからそのまま
>ずるずると・・・おかしくなった
その通りです。
愛ではなくて、自己保身があるだけなのです。
長い目で見れば、自分の種を滅ぼすようなことを
やれてしまうのは、それだけおかしな思想に立脚した教育が効果を現しているからです。
山谷議員、わたしも大好きです。私は自民党支持者
ではありませんが、次の参院選挙の比例は絶対に
山谷さんの名前を書いて投票します。
ライブドア新参者です。ブログで見聞を広げていきたいと思っています。
相互リンクお願いしてもいいですか^^
よろしくお願いします。
小学生や中学生は、まだ人格形成のまっただ中にあり基本的に未形成であるという事が忘れ去られているようですね。人格が形成の途中であるからこそ、少年法など種々の法律で保護される対象なのであって、対等な人格だとすればこれらの法律は根底から間違っていることになります。
また、人格という物は一生かかって徐々に形作られる物で、そのために多くの人から教えられ影響を受ける物だと考えます。
ただし、成人するまでには、一般社会で生きていくために必要最低限の物は形成されなくてはいけない。この人格形成に置いて、今の親や教師が全くと言っていいほど責任を果たしていない。
また、中途半端な状態で社会に出た若者を教育すべき会社が、その能力を失ってきている。
すべては悪しき「人権」と言う名の虚構から発している物でしょうね。
どうも始めまして!
当ブログの方針ですが、ブックマークの数も
有限な上、特徴のあるブログ・サイト
(例えば特定の国を扱ったもの)を優先して
出させていただきたいと思っています。
実は他にも私が日参させていただいている
ブログがあるのですが、そちらも、いわゆる
「一般的なブログ」については、原則として
ブックマークしないこととしております。
申し訳ありませんが、関連がある記事が
あった場合、TBしていただくという
ことではいけませんでしょうか?
>少年法など種々の法律で保護される
>対象なのであって、対等な人格だと
>すればこれらの法律は根底から間違って
>いることになります。
そうですね。容疑者となったら実名で公表するのは
少年法61条で「自粛」しているようですが、
これを廃止しろといったら、一番先に頭に
血が昇るのは日教組や社民党なんでしょうね。
こいつらは、他人にだけフェアであることを
求める利己主義者だと言うことです。
だから、私は友達親子というのが最もよくないと
思うのです。女子生徒に聴いてみると、特に
中学生で、親御さんと結構一緒に出かける子も多い。
微笑ましいなと思っていると、それが「買い物ツアー」で、
ほしいものを買ってもらえるというのです。
言外に「ものを買ってくれるから付いていく」という
暗黙の了解があるのですね。
ものを媒介にしないとふれあう場すら持てない
というのは、かなり重症です。
これと、萩野容疑者の「擦り寄って」というのは
大差がないのです。
きっと、容疑者自身母親に「擦り寄られて」我欲を
充足するのが当然という生活を送ってきたのでしょう。
上の、いざりうおさんのコメントにもありますが、
我慢をさせるということを怠ってはいけないのが
子どもの教育の重要なポイントだと私は思います。
教育実習中、生徒に(中学生)足をふざけて踏まれました。ニコニコ愛想を振りまいて、歌のお姉さんか、絵のお姉さんかと思ってたんだと思います。
その時、上から見下ろして、
「あたしはあなたの何?言ってみなさい。
そういうことをしていいの?」
と叱ったことがあります。
生徒半泣きでした・・・・。
今になってやりすぎだったのかとか思ってましたが、
なんだかこのブログをみて少し自信がつきました。
本当に叱れなかったり大きな声出せなかったりする人
おおいですよね。
美術の場合は、就職もできなかった人達の最終的な
逃げ場所になっています。最低です。
お仕事がんばってください。
ブログ楽しみにしています。
そのくらいはやってよいと思われます。
その方が、生徒のためです。
そんなのでこちらを嫌う生徒というのは、どうせ
ろくな人間になりません。(ほとんどいないと
思いますが)
大人が、「君たちと私たちは対等の人格だ」と笑顔で
言ったら、中学生時代の私なら速攻でタメ口、悪ふざけです。
こんなので秩序や社会性など生まれるはずがありませんよね。
しかし、叱った言葉、かなり怖いですね(笑)。
天海祐希のドラマを思い出しました。
(ほとんど見ていませんが)
いやいやじっさいは方言でやんわりいいましたよ〜
(九州の女性の方言は意外とやわらかいんですよ)
声変わりもしない男の子でしたから。
叱った後フォローもしましたし。
絵画教室で小さい子相手か
受験実技対策で高校生かしか相手にしていなかったから
中学生は難しかったです(苦笑)