2月24日放送
■123回記念!女は強いぜスペシャル!
ほんこん プレゼン

『アンナ・アヤラ』
全米震撼!衝撃の結末!恐怖の指入りスープを飲んだおばさん

2005年3月22日。アメリカ・サンノゼにある、大手ファーストフード店。アンナが飲んだチリスープの中に、思いもよらぬ物が入っていた!それは、なんと人間の指!この、ミステリアスな「指入りスープ事件」は、テレビでも取り上げられ、全米を巻き込む騒動に発展。そんな中、ある事実が明らかに!指は指紋が残っているほど状態の良いものだった。混入された指には加熱された形跡はない。サンノゼ市警スタン・フォルウェッター警部補は、アンナと一緒に現場にいた親戚二人から、もう一度、発生時の事を聞いた。その証言から、スタンは一つの答えを導き出した。この事件は、アンナの自作自演!被害者としてテレビに出演し、全米にショックを訴えていたアンナ・アヤラこそ事件を起こした張本人だと、スタンは睨んだ!そして、アンナの驚きの過去が発覚する!実はアンナは、言いがかりをつけては賠償金もせしめる、悪質な、クレーマー女だったのだ!!指の持ち主さえ見つかれば…。すると、捜査本部に一本の電話が!事故で指を無くした作業員がいるという。DNA鑑定の結果、指は間違いなく、その作業員、ブライアンという男のものと判明!切断された指は、借金の肩代わりとして、同僚に売ってしまったという。その同僚とは、なんと、アンナの夫。前代未聞の指入りチリスープ事件は、スタンが睨んだとおり、全てこの女が企てた自作自演、賠償金目当ての犯行だった。実行犯のアンナは、禁固9年。夫、ジェイミーも同様に禁固刑を言い渡された。さらに、二人は、ファーストフード店に与えた損害など、24億円もの賠償金の支払いを命じられた!だがアンナは、法廷で不敵な笑みを浮かべ、テレビカメラに向かって「アイ ラブ ユー」とささやく。最後まで罪の意識など全くない、とんでもない悪女だった。

『アンナ・アヤラ』
▲『アンナ・アヤラ』
飯沼誠司 プレゼン

『ワリス・ディリー』
どん底からの脱出。華麗なる転身をとげた、伝説のスーパーモデル

身長175センチ。当時、まだ珍しかった、黒人モデルのパイオニアとして、美のトップに君臨。『ヴォーグ』など、一流ファッション誌の表紙を、何度となく飾り、世界にその名を馳せたスーパーモデル。だが、彼女は13歳まで、人間としての尊厳すら認めてもらえないアフリカの貧民だった。女性の人権など、かけらもない。生まれながらに、不幸な運命がのしかかっていた。ある夜、母の願いとともに、ワリスは街に逃げ出す決意をする。だが、その道のりは、想像を絶する過酷なものだった。ようやく、砂漠を抜け、叔母の家にたどりつく。命懸けでつかんだ新天地。だが、そこで、彼女を待っていたのは、またしても過酷な労働の日々だった。そんなある日、叔母を訪ねてきたムハンマドという男が、近々、ロンドンに旅立つという話を聞き、ワリスは、一緒に行きたいと頼み込む。そして、ワリスは、ムハンマドとともに、ロンドンへ旅立った。そこには、信じられない光景が広がっていた。女性が、男性に大切に扱われること。しかも、ただ働きなどない。働けば、報酬が約束される。ワリスはロンドンで、一人の女性として、生きる決意をする。そんな、ある日、ある男からモデルになってほしいと声をかけられる。もらった住所を、訪ねてみると、そこは、本物の撮影スタジオ。実は、このカメラマン、『ヴォーグ』や、『エル』といった一流ファッション誌の写真を撮るイギリスきっての巨匠テレンス・ドノヴァンだった。以来、ワリスは、一流ファッション誌の表紙を飾り、当時、まだ数少なかった黒人のトップモデルとして君臨。女性としての人生を、見事に切り開いたのだ。だが、1997年。彼女は、32歳で、スーパーモデルから、突然、引退。なんと、国連親善大使に就任し、自分と同じ苦しみを持つ、アフリカの女性を救うために、財団を設立した。女性が、女性として、生き生きとした人生を過ごせるアフリカを目指し、彼女は今、多くの人々の未来を切り開いている。

『ワリス・ディリー』
▲『ワリス・ディリー』
鎌苅健太 プレゼン

『鎌田茜』
余命3ヶ月!愛する息子に命のメッセージを遺した母

ガンに冒された身体で、女性として人生の岐路に向き合った。結婚、妊娠。自分の命よりも、我が子の命を守る。産まれてくる我が子の為、ガンの治療を拒み、出産。2人で付けた名前は『憩(かい)』。憩くんの誕生日から茜さんが付け始めた、直筆の日記は、生まれて来た我が子への想いが綴られている。そして、出産からわずか6日後、茜さんは、ガンの摘出手術を行った。手術から1年がたった、クリスマス。ガンが13個、肺に転移していた。残された命はわずか。余命3ヶ月、自分の姿を憩くんの思い出として残したい。茜さんはそう決心した。カメラに映る茜さんは、いつも笑顔。さらに、少しでも母としての自分を遺しておきたい。そして、余命宣告から1年が経過。見る事ができないと諦めていた、息子2歳の姿…。それから3ヶ月。茜さん永眠 享年29歳。余命宣告から1年と2ヶ月、精一杯生き抜いた。それから1年。茜さんの死を理解しないまま、憩くんは父、守さんと暮らしている。彼女が憩くんに遺したビデオ。それは死が迫っている中、ベッドに横になり、たった一人で息子のために撮った最後のメッセージビデオだという。4分ほどのメッセージ。そこには、最後の瞬間まで息子を想い続けた母の愛が込められていた。メッセージは家族の宝物となった。母として、そして妻として、ガンと闘いながら、力の限り愛を注ぎ続けた茜さん。その姿は、2人の中でずっと生き続けている。

『鎌田茜』
▲『鎌田茜』
ほっしゃん。 プレゼン

『ヴェロニカ・ゲリン』
脅迫!暴行!銃撃!命がけでマフィアと戦った女性ジャーナリスト

アイルランドの新聞社、「サンデー・インディペンデント」の、犯罪報道記者。入社、わずか9ヵ月で、9本ものスクープ記事をものにする。ヴェロニカが、最も心を痛めていたこと、それは、麻薬。1990年代、アイルランドの首都ダブリンでは、ヘロインが蔓延。背後でマフィアが麻薬を売りさばき、巨万の富を築いていた。マスコミも、警察も、マフィアの報復を恐れていたが、ヴェロニカは、見て見ぬふりなど出来なかった。強い思いの理由、それは、家族。夫・グレアムと、最愛の息子・カハル。彼女は、息子の為に、国の未来を守りたかった。取材は想像以上に難しかったが、ヴェロニカは、一歩もひるまない。そして、一筋縄では行かない裏社会の男に、取り引きを持ちかけた。そして、彼女は、裏社会に独自の情報網を築いた。ヴェロニカは、麻薬の製造、密売から、武装強盗まで、マフィアの悪事を徹底的に暴き、記事にした。そして、高級乗馬クラブのオーナー、ジョン・ギリガンこそ、麻薬組織の黒幕に違いないと確信したヴェロニカ。取材は、確実に、ギリガンの足元に迫っていた。元会計士の目で、過去、何年にも渡り、金の流れや記録を徹底的に調べ、証拠を握ったヴェロニカは、再びギリガンの下を訪れる。ギリガンに暴行を受けながらも、ヴェロニカは、取材をやめなかった。彼女は、ジャーナリストとして、国を良くするため、その後も、マフィアを追い続けた。しかし、ある日、ヴェロニカは銃撃され、即死。享年37。葬儀には、彼女の死を惜しむ、多くの人が駆けつけた。そして、彼女の死は、奇跡を起こす。市民が、麻薬撲滅に立ち上がったのだ。更に、アイルランド警察も、動いた。かつてない規模の一斉摘発で、150人以上もの、マフィアを逮捕。組織を壊滅状態に追い込む。ギリガンにも、禁固28年が言い渡された。最愛の夫と息子に支えられ、敢然と、巨悪に挑み、国を変えた一人の女性。ヴェロニカ・ゲリンの名前は、今も、アイルランドで語り継がれている。
『ヴェロニカ・ゲリン』
▲『ヴェロニカ・ゲリン』