ラフマニノフの『鐘』。
正確には『前奏曲 Op.3−2』というピアノ曲で、実は私の十八番だったりする。
そして、私の修士論文のテーマは
『ラフマーニノフの音楽における「鐘」のモティーフについて
〜幻想小曲集Op.3を中心に〜』
というもので、この前奏曲『鐘』は、幻想小曲集の中の第二曲目であり、ロシアにまで行って研究、勉強した思い入れのある曲だ。
なのに、このオリンピックに関連してテレビで本当〜にいい加減な曲の解説がされていて、今日、とある番組で
「もともとは女性の愛をテーマにした曲だそうです」
という解説を聞いたときには、顎がはずれそうになってしまった。
正直、オリンピックで真央ちゃんがこの曲を使うと知ったときは
「なぜわざわざこの曲を・・・!?」
と、心配に感じた。
理由は後述するが、ガーシュウィンのピアノ協奏曲とは違って、確実にスケートを滑るには難しい曲だからだ。
↑昨日のテレビではガーシュウィンについて「全く知られていない曲をオーサーコーチが見つけ出した」という解説がされていて、これまた顎がはずれそうになった(泣)
全然、無名の曲じゃないですから…。
でも、今日の真央ちゃんの演技を見て、音楽家としての私は「よくぞこの曲をここまで…」と驚嘆してしまった。
まずはじめに、赤い衣装を着ると金メダルを取れないというジンクスがあって、青い衣装にしないのかという話題があったが、この曲で演技をするなら絶対に「青」は考えられない。
なぜなら、この曲の鐘のテーマは「警鐘」なのだ。
具体的には火事の。
彼女の演技は、炎のような強さ、逃げ惑う人々の苦悩、怒り、恐怖、そしてそれらを乗り越えていく人間のたくましさを表現していた。
この曲は人々に危険が迫っていることを知らせる「警鐘」をモチーフにした曲なので、聴く人に緊張、不安、焦りのような感情を引き起こす効果がある。
演者(選手)にしてみれば、普通の曲を使用するよりもはるかに緊張度が高まるはずなので、この曲でジャンプが飛びにくい理由は容易に想像ができてしまう。
オリジナルのピアノ演奏では、今回のオーケストラ編曲版よりもリズムがはっきりしていて音の流れや勢いを感じやすいのだが、あえてオーケストラ版を使ったのは、その'緊張感’をより一層引き出す効果を狙ってのことなんだと思う。
聴衆も曲から緊張感をあおられているので、演技が成功したときの効果がより高まるという計算だったと思われるが、競技者のほうが聴衆よりも繊細なはずなので、受ける影響も大変なものだったと思う。
タラソワコーチが「鐘は誰にでも滑れる曲ではない。」と発言しているが、まさにその通りだろう。
今回の選曲についての是非は置いておくとして、私はこの曲を与えられた真央ちゃんに尊敬と賞賛の気持ちを贈りたい。
ロシア人にとっての「鐘」という存在(曲のことではない)は、我々外国人が想像するよりもはるかに深く民族に根付いた歴史の一部である。
もしコーチ陣がこの曲の持つ音楽的効果を知らなかったとしても、ロシア人である以上はこの曲の音楽的背景について絶対的に理解しており、まさにロシアそのものといえる壮大なテーマを真央ちゃんに与えているのだ。
(↑この内容について興味のある方は武蔵野音楽大学の図書館にて私の論文を参照してください)
上手な例えが見つからないが、日本人コーチが外国人選手に「君が代」や「さくらさくら」を選曲したと想定すると、その裏にあるさまざまな感情を想像することができるのではないだろうか。
ロシア音楽を研究してきた私には、タラソワコーチが真央ちゃんに託した情熱、信頼、誇り、金メダルへの並々ならぬ思い入れが感じられ、本当に本気の唯一無二のプログラムだったのだと思えてならない。
ただ、構成点において今回のように「振り付け・構成」や「音楽の解釈」について採点されるのは、いかがなものかと思ってしまう。
そもそも、どの選手もオリジナルの音楽をそのまま使用しているわけではない。
時間制限があるので、その選手の演技内容に合わせて上手に編曲がなされている。
何曲かある候補の中から選手が選んだと言っても、どういう編曲がなされるのか、またはなされた状態であることを知っている選手はほぼ皆無なのではないだろうか。
誰かが選手のために作ったサンプル音源の中からチョイスしているだけの話で、これは選手の技術や芸術性ではない。
今回の審判の中で、私のように「鐘」のテーマを知っている、感じられる人はどのくらいいるのだろうか。
現在の採点方法が継続するのであれば、全員同じ曲、同じ衣装で滑ったほうが公平だろうと思う。
追記:この曲にはもともと「鐘」という題名は付けられていません。ロシア人にとっては、この曲の鐘のモティーフがすぐに理解できるゆえに「鐘」という通称がついているのです。
正確には『前奏曲 Op.3−2』というピアノ曲で、実は私の十八番だったりする。
そして、私の修士論文のテーマは
『ラフマーニノフの音楽における「鐘」のモティーフについて
〜幻想小曲集Op.3を中心に〜』
というもので、この前奏曲『鐘』は、幻想小曲集の中の第二曲目であり、ロシアにまで行って研究、勉強した思い入れのある曲だ。
なのに、このオリンピックに関連してテレビで本当〜にいい加減な曲の解説がされていて、今日、とある番組で
「もともとは女性の愛をテーマにした曲だそうです」
という解説を聞いたときには、顎がはずれそうになってしまった。
正直、オリンピックで真央ちゃんがこの曲を使うと知ったときは
「なぜわざわざこの曲を・・・!?」
と、心配に感じた。
理由は後述するが、ガーシュウィンのピアノ協奏曲とは違って、確実にスケートを滑るには難しい曲だからだ。
↑昨日のテレビではガーシュウィンについて「全く知られていない曲をオーサーコーチが見つけ出した」という解説がされていて、これまた顎がはずれそうになった(泣)
全然、無名の曲じゃないですから…。
でも、今日の真央ちゃんの演技を見て、音楽家としての私は「よくぞこの曲をここまで…」と驚嘆してしまった。
まずはじめに、赤い衣装を着ると金メダルを取れないというジンクスがあって、青い衣装にしないのかという話題があったが、この曲で演技をするなら絶対に「青」は考えられない。
なぜなら、この曲の鐘のテーマは「警鐘」なのだ。
具体的には火事の。
彼女の演技は、炎のような強さ、逃げ惑う人々の苦悩、怒り、恐怖、そしてそれらを乗り越えていく人間のたくましさを表現していた。
この曲は人々に危険が迫っていることを知らせる「警鐘」をモチーフにした曲なので、聴く人に緊張、不安、焦りのような感情を引き起こす効果がある。
演者(選手)にしてみれば、普通の曲を使用するよりもはるかに緊張度が高まるはずなので、この曲でジャンプが飛びにくい理由は容易に想像ができてしまう。
オリジナルのピアノ演奏では、今回のオーケストラ編曲版よりもリズムがはっきりしていて音の流れや勢いを感じやすいのだが、あえてオーケストラ版を使ったのは、その'緊張感’をより一層引き出す効果を狙ってのことなんだと思う。
聴衆も曲から緊張感をあおられているので、演技が成功したときの効果がより高まるという計算だったと思われるが、競技者のほうが聴衆よりも繊細なはずなので、受ける影響も大変なものだったと思う。
タラソワコーチが「鐘は誰にでも滑れる曲ではない。」と発言しているが、まさにその通りだろう。
今回の選曲についての是非は置いておくとして、私はこの曲を与えられた真央ちゃんに尊敬と賞賛の気持ちを贈りたい。
ロシア人にとっての「鐘」という存在(曲のことではない)は、我々外国人が想像するよりもはるかに深く民族に根付いた歴史の一部である。
もしコーチ陣がこの曲の持つ音楽的効果を知らなかったとしても、ロシア人である以上はこの曲の音楽的背景について絶対的に理解しており、まさにロシアそのものといえる壮大なテーマを真央ちゃんに与えているのだ。
(↑この内容について興味のある方は武蔵野音楽大学の図書館にて私の論文を参照してください)
上手な例えが見つからないが、日本人コーチが外国人選手に「君が代」や「さくらさくら」を選曲したと想定すると、その裏にあるさまざまな感情を想像することができるのではないだろうか。
ロシア音楽を研究してきた私には、タラソワコーチが真央ちゃんに託した情熱、信頼、誇り、金メダルへの並々ならぬ思い入れが感じられ、本当に本気の唯一無二のプログラムだったのだと思えてならない。
ただ、構成点において今回のように「振り付け・構成」や「音楽の解釈」について採点されるのは、いかがなものかと思ってしまう。
そもそも、どの選手もオリジナルの音楽をそのまま使用しているわけではない。
時間制限があるので、その選手の演技内容に合わせて上手に編曲がなされている。
何曲かある候補の中から選手が選んだと言っても、どういう編曲がなされるのか、またはなされた状態であることを知っている選手はほぼ皆無なのではないだろうか。
誰かが選手のために作ったサンプル音源の中からチョイスしているだけの話で、これは選手の技術や芸術性ではない。
今回の審判の中で、私のように「鐘」のテーマを知っている、感じられる人はどのくらいいるのだろうか。
現在の採点方法が継続するのであれば、全員同じ曲、同じ衣装で滑ったほうが公平だろうと思う。
追記:この曲にはもともと「鐘」という題名は付けられていません。ロシア人にとっては、この曲の鐘のモティーフがすぐに理解できるゆえに「鐘」という通称がついているのです。