2010年02月26日

2月26日 見てもらうことの大切さ

今、俺は脳トレのトレーニング作業を、いちいちログとして残して、右側のメニューの「CNNニュース」とか「タイプウェル練習帳」とかに残している。

これらのページは、ただ単に俺が打ち込んだ英単語や英語の文章をそのまま掲載しているだけである。CNNニュースというのは、あくまでただのCNNニュースのホームページのニュースを俺がそのまま、打ち込んでいるだけなのである。こうやって英文の入力速度を上げたい、という意識がある。

そして、それはきっと公開を続けなければいけない。ある程度のアクセスのあるこのブログで、練習の成果を公開することは大きなモチベーションになる。んで、その一環として、小説を最近始めたわけなんだが

非常に面白いことになっている。今日も更新したんだが、自分が思った以上に、自分で読み返しても、結構面白い内容になっている。とりあえず、今日の第3回目のドラえもん小説は非常にいいデキだったので見てもらいたい。

俺自身もこれから小説がどうなっていくのか、楽しみなのである。ある程度ストーリーは決めているものの、細かいところはまだ決めてないので。

ということで、今回のテーマは見てもらうことの大切さ、というわけである。どんな物事も、誰かに見てもらうことでモチベーションになる。それは誰しもが持っている感情であろう。

が、今回のフィギュアスケートだと逆転現象が起きている。なんか、見てもらうだけでは飽き足らず、ただひたすら金色のメダルが欲しい、みたいな感じだったね。

日本人は日本人で、今回の銀メダルについて、一応評価しながらも、なんか釈然としないみたいな空気。勝ち負けばかりにこだわってないか?
浅田マオは必死に滑って、観客を魅了した。それだけの事実。あとの採点なんてオマケみたいなもんではないか。

自分にとって、浅田マオの演技が金メダルだったら、浅田マオが金メダルでいいじゃないか。あくまで、今回採点したのは、たかが世の中の数人だけなのだから。

まあ、韓国は日韓ワールドカップでは明らかに八百長したと思う。だが、今回の演技は、普通に八百長しなくても、キムヨナのほうが格段に上だったね。それを認めてあげないと。人にケチつけるだけの奴って本当醜いよね。


浅田マオは死ぬほど金持ちだよ。フィギュアスケートなんてできるぐらいのお嬢様。もう未来は約束されてる人。底辺で這いずってる俺ら見たいな人間が応援してる場合じゃないよ。

なんか、信じるものはすくわれるのは足元だけだっていう言葉って凄い上手だよな。誰が考えたんだろうと思うけど、その通りだろう。他人を賞賛する暇も、ケチつけてる暇もないでしょう。

やるならみんなを褒めてあげなさい。否定するならみんなにケチつけてあげなさい。俺は差別は大嫌いだ
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posted by kodokunikki at 19:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

2月25日 きんめだる、ぎんめだる

もういい加減にしろ!金メダルだかキンメダイだかなんだか知らんが、しかも当人じゃなくて周りのヤジウマの馬鹿どもが大騒ぎしてキムヨナだとか、浅田真央だとか、もうどっちでもいいじゃないか。どっちが金メダルを取ろうが、世界一の才能のある人間なんて決まらないぞ。

フィギュアスケートは、年間何千万もプレイするのにかかるお嬢様のスポーツだ。サッカーなどと違って、プレイ人口は極端に少ない。選ばれた金持ちがやるスポーツなのだ。そんなもんで、世界一になろうがならなまいが、関係ないだろ!

上村愛子の件もそうだったのだが、メダルをとろうがとるまいが、そんなもんで世界一も世界3位も決まらない。何も決まらない。もしモーグルが日本で物凄く盛んだったとして、プレイ人口が500万人ぐらいいたとしたら、上村なんて上位1万位にすら入れないだろう。それぐらいの競技で

世の中の恵まれない人たち、スポーツをする、しないの土俵にあがることすらできてない人たちを無視して、世界一だなんだと大騒ぎしてるんじゃねえ!まあ、本人は本人でただ一生懸命やるのは俺らが文句を言う問題ではない。

俺の手柄、みたいに他人のメダルを必死に数えるな!スポーツなんてどっちが勝てばどっちかが負ける。浅田真央の応援してるやつは、キムヨナの演技でキムヨナが転倒したら喜んでる。

スポーツは一生懸命やればいい。誰の評価も関係ない。審査員のオッサンのさじ加減ひとつで、銀色、金色、どっちかに転がるようなそんなゲーム。赤の他人の演技を、赤の他人のオッサンが評価して、その勝敗に振り回されてる場合か!

こんなことならスポーツなんてもの自体が滅びてしまえばいい。まあ、こんな感じで、このブログでもすでにたくさん書いてきたようなことをまた再度書きまくってるわけだが、オリンピックって戦争なのかね。日本という国そのものがファミリーみたいで、全員に生活保護が出て、みんな最低限の暮らしをすることができて、

そんな世の中だったらまだ仲間意識を持つこともいいのかもしれない。だが、日本という国の中だってナカヨシコヨシで来てるわけじゃない。普段のホームレスは無視、県とか市町村レベルの村社会同士で対抗して、

学校レベルだって、同じクラスの中ですら、友達のグループがそれぞれ別々の勢力が出来上がってたりする。それが当然の社会だ。俺は否定しない。そんなもんだろう。そうやって他人は他人、それぞれ個々が独立している。

それが、世界が舞台の大会となると、手の平返して、誰彼問わず日本国籍の連中を応援する。それが国民の大半、というか大多数である。俺はどうでもいい。どうでもいい、というとドライな考え方みたいだが、逆に考えれば、海外の選手が勝っても嫌に感じない。

キムヨナが、今度のフリーの演技で転倒したとしても、俺は喜ばない。だが、日本人の大半は、今度の演技でキムヨナが転倒したら大騒ぎして心の中で喜ぶ。そこまで行きたくないよな。失礼。勝敗関係なく、レベルの高い演技や競技を見せてくれた人全てに感動する俺っておかしいんだろうな。とりあえず、キムヨナがんがれ、超がんがれ。

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posted by kodokunikki at 20:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

2月24日 小説好調

第二回、ドラえもんの小説を更新した。あえて乱文にしているので、あまり細かい設定は気にしないで読んでいただきたい。やっぱ小説って面白い。まだまだ冒頭部分なので面白くない部分もあるだろうが、これから核心に入ってくる。

ノビタがとんでもないことになっていくので、これは自分でもどんな感じで文章が出来上がっていくのかが楽しみなのである。





ということで普通の日記。Seesaaブログがおかしくなってしまったので、俺もそろそろ引越ししようかなとか思う、ということはなくて。こんなブログ、たまには読みにくくて、アクセスしにくくて、イライラするぐらいで十分だろうと思っている。

まあ、他に新しいアフィリエイト目的のブログをやるんだったら、万が一でもSeesaaを選ぶことはないけどな。さすがに異常すぎるだろ。もう二日間ぐらい繋がらなかった訳だし。

つーことで、オリンピックを見ているわけだが、冷静に考えてみて思ったのだが、テレビ番組とかで、国別メダルの個数を表記してるのとか本当おかしいよな。

メダルは本人だけのものであって、国のものではないじゃん。当たり前だけど、何か俺も思考停止してたなって思った。そんなに日本日本って、お前ら外国に恨みでもあるんかって思うし

なんでそこまで必死なんだろうなって思う。浅田マオが今回滑って、銀メダルになりそうなぐらいのスコアの離され方だけど、なんかアナウンサーも気持ち悪い。

ちょっとテレビで見てたんだけど、何か自分の娘みたいな感じで実況してるもん。「金メダルに向かってジャンプ」とか、アホか。本当に自分の国の株のことしか考えてないんだな、こいつらは。

サッカーのワールドカップにしろ、どうしてこんなに国民は必死なの?岡田監督に続投「NO」とか厳しい評価してるけどさ。

勝てば官軍、みたいな感じで。少なくとも今の日本代表なんて、誰が監督になっても同じでしょ。みんな背は低いし体力も低いし、技術だけじゃ太刀打ちできない。海外じゃ使い物にならなくて、ベンチ入りすらできてない稲本とか俊介とかが中心のチームだもん。

監督に責任転嫁しても仕方ないのに、国民の声の圧倒的な大多数は、岡田監督に続投NOだって。馬鹿みたい。こんな大会に夢中になる時点で馬鹿なのに、さらに続投NOとか、監督に八つ当たりとかして、アホなの?マジでこいつらは。

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posted by kodokunikki at 22:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月24日 Seesaaよ、お前もか

記事が書けない、昨日からサーバー不調すぎるしもう駄目かもわからんね、とりあえずこれ、更新されてるのかな
posted by kodokunikki at 19:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

2月22日 マンションの鍵は大切にしよう

今日、仕事を終えて、マンションに帰ってきて、エントランスまで来てオートロックを開けようとして財布を取り出した。俺はいつも財布の小銭入れの中にオートロックの鍵を入れているのだ。そして小銭入れを探す。

だが見つからない。オートロックの鍵がないと、マンションの中に入れないのはもちろんのこと、オートロックの鍵をなくしたら洒落にならないではないか。マンションのほかの住人がいるので、とりあえず、少し待てば誰かエントランスから出入りするだろうと思っていたら、数分待たずに誰か降りてきて、俺は入れ違いにエントランスに入ることができた。

そしてそこから部屋に帰ってきて、部屋の中を探す。だが見つからない。最後に使ったのは日曜日の夕方であった。俺はそのとき、いつもはエレベーターを使って階に上がるところを、階段で上ってきて、部屋に行ったのだ。

各階の外との連絡通路には、オートロックの鍵がないと開かない作りになっている。とはいうものの、まさか俺はそのドアにオートロックの鍵を付けっぱなしなんかにしてるわけないよな、と思いながらも、念のため、昨日の夕方使った外の連絡通路のドアを調べに行った。

すると、普通にオートロックの鍵が突き刺さっていた。俺歓喜。というのは、マジでビビッていたからである。万が一、オートロックの鍵をなくした場合、他の部屋の住人の奴の鍵全てを交換しないといけないのではないか、という疑問があったので。

というのも、入り口のエントランスのオートロックの鍵は形状は固定されているわけだから、なくした場合、エントランスのシリンダーの交換費用、プラス全部屋のオートロックキーの交換、となるわけであって

俺はことの重大さに気がついたのだ。ちょっと調べてみると、あまり実例はなく、オートロックキーをなくした場合でも、自分のものだけ再発行すれば許されるケースが多いらしいが、マンションによっては全部屋交換させられるようなところもあるらしく、その場合の費用は50万円とか・・・・ありえねえ・・・俺を殺す気か・・

ということで、びびっていたのだが見つかって良かった。これを気に、鍵の管理はちゃんとしておかないといけないなと思った。みなさんも、オートロックキーの管理はちゃんとしておきましょう。




ということで普通の日記である。そういえば、この前書きかけのコラムがあるとか書いていたが、あれはやめることにした。また、機会があったら書いてみようと思っている。あまり面白くないので。

ということで日記。今日俺は仕事の派遣先の社員から、コーヒーを買ってくるように頼まれたのだ。1000円札を1枚もらって、7本買ってくるように頼まれる俺。使い走りなのは気になるが、派遣という立場上、仕方ないのであろう。俺はそのカネを受け取ると

すぐには買いにいかず、自分のテスト作業の続きを少しやってから出かけた。そして自販機に到着。ポケットの中に入れていた千円札を取り出す俺。いや、取り出そうとする俺。だが

見つからないのだ。千円札が。どこをどう探しても見つからないから、一度オフィスに戻って自分の机の周りなども探してみたのだが、やはり見つからない。ということで、どこかに紛れてなくしてしまったらしい。

かといって、なくしたことを社員の人に言っても許されるはずはないから、俺は自腹で缶コーヒーを7本買って戻ったのである。安い時給で働いてるのに俺は何やってるんだろう、と絶句してしまった。つーか、コーヒーぐらい自分の給湯室で入れればいいじゃないか。そんなに缶コーヒーのほうがいいのだろうか。

さて、昨日の更新で俺は今後更新の文章量を減らすということを書いたが、考えが変わった。ゆっくり打てば正確に打てるのだし、たくさん書いていこうと思ったのである。小説もこれからどんどん書いていこう。まだ、ノビタがサイゼリヤで食事してるシーンまでしか書いてないし。これから面白くなる(予定)

もしも俺の小説があまりに面白いと思った人で漫画家の人がいれば、原案が俺、作画が読者、という感じで漫画書きませんか?マガジンとかサンデーとかジャンプとかからそんな話が来たりしないだろうか、と思っているのである、わけない。

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posted by kodokunikki at 19:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

2月21日 初任給

今までは文章を長くし過ぎてたと思っている。これからは少し、短めに、一度の更新で400文字ぐらいにしたいと思っている。これには理由があって、長い文章を書こうとするとどうしても入力速度が上がる。ということはそれに比例してミスタイプが増える。俺はミスタイプはしたくない。

昨日の記事で、ニコニコ動画にアップした俺の動画、自分でも見てみたが、物凄い速度で入力できてると思う。が、実際あんな速度で普段入力はしていない。ていうかできない。だが、将来的に、もっと入力が上手になれば、昨日の俺の動画ぐらいの速度で入力できる日も来るかも知れない。

現在は少なくとも、俺の入力は正確とは言いがたい。タイプミスが多くて、バックスペースで戻りながら記事を書く、というのは屈辱的だ。タイピングにおいて、ミスタイプというのは論外だと思っている。そのために、正直言って最近は記事を入力するのがストレスになっている。

小説を書こうとしたのも、入力の練習にするのが事実上の目的だったが、今、俺の入力は非常にスランプというか、不正確になっている。こんな状況では正直入力はしたくない。今後、文章を上手に、正確に入力できるために今俺はタイプウェルというソフトを落として入力の練習を行っている。

そして、ある程度の速度でノーミスで打てる技術が身についたとき、また小説とか、長文更新をしてみたいと思う。その日まで、このブログではあまり長文の更新はしなくなると思う。

文章を考えながら、手元ではノーミスで打つことも考えながらの更新というのはあまりに疲労しすぎるのだ。




さて、久々に普通の日記なのであるが、派遣先から給料が振り込まれていた。手取り11万である。時給900円だからまあこんなもんかと思う。一応、サラリーマンと同様のシフトで月〜金までフルで働いてるんだけどな。

最近では仕事はサボりまくっていて、業務中に誰もいない会議室に行ってボーっとしてる時間が増えまくっている。そして出勤時間、退勤時間も大幅に悪化。

最近では歯医者があるから仕方ないのだが、18時まで働かなければいけないのに、17時ぐらいで毎日のように早退している。出勤時間も最近だとまともに9時までに出勤したことがない。だいたい1時間送れて出勤している感じだ。

んで、この前派遣の担当者から連絡があって、ちゃんとまじめに働けとか苦情があった。うむ、まじめに働かねばならないな。まあ、歯医者があるってのは事実なんだけどな。

はぁ、今回の更新でもミスタイプが多かった。だから嫌なんだよねぇ・・・・・・・・・・・・・・

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posted by kodokunikki at 20:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月20日

2月20日 悲劇の更新

今日、俺はコラムを書いたのだ。そして、もう結構書いて、あと少しで投稿ボタンを押そうと、それぐらいまで書いたところでなぜか文章が消えた。つーか、エクスプローラ自体が閉じてしまった。

それでも俺はもう一度、書き直した。そしてまた、8割ぐらい書き終えて、そろそろ投稿しようかなって感じになってきたところで、また同じ現象が起きてしまって、文章が消えてしまった。さすがにもう三回目の投稿作業をする気は起きない。

今回の幻のコラムは、明日、再度また書くことにする。

ところで、前回俺のタイピング動画をアップロードしたわけだが、あれは当然英文モードなのでちょっと遅かった。

ということで、今回は日本語モードの入力動画。分かる人はわかるかも知れない、Eタイピングの元気が出る言葉、である。

ミスが多かったのでスコアは良くないけど速度は


自 己 新 記 録 で す よ、奥 さ ん !!

ということでうpするので見てほしいわけ。記事が消えてテンション下がってたけど一気にテンション上がったわ。




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posted by kodokunikki at 23:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月19日

2月19日 権力に媚びる馬鹿

最近知ったんだが、阪神大震災で暴力団の山口組が、被災地で復興活動を行ったらしい。被災者に向けて炊き出しを行ったり、救助活動を行ったとか?なんか、よく分からないんだけど、ポジティブな活動をしたらしくて、その光景を見て一部住民からは「警察より頼りになる」「警察よりも対応が早かった」とかナントカ、賞賛の声、というか警察への厭味みたいな声があがったらしい。

このニュースを最近になって知って呆れてしまった。もう一般論でも知られてるかも知れないけど、普段行いの悪い不良が、たまにいいことをやると、物凄い評価されて絶賛される、みたいなのとまったく同じ情景じゃん。

ドラえもんでいうなら、ジャイアンがたまに真面目に活動をして、みんなから絶賛される、みたいな。普段不良の奴が、たまにまじめな活動をすると一気に評価があがって、上がるだけじゃなくて、普通の奴を抜き去ってしまう、みたいな。この不公平感。

ちなみに俺は、警察を擁護してるわけではない。というか、組織自体をどうのこうの言うつもりはない。警察の中にもクズはいるし、逆の人もいる。個人個人で判断が変わってくるので、警察はクズとかそういうことは言わない。

だが、暴力団という組織自体は完全な悪徳団体じゃないか。だが俺はこれを昔知らなくて、何か「指定暴力団」っていう言葉あるじゃん。あれが、国から指定されたインフラみたいな存在なのかなって思ってたのね。んで

一度警察試験を受けたときがあって、面接でそのことを俺は聞かれたわけ。「あなたは暴力団というものをどう思いますか?」と。俺はもちろんクズの集まりだと思っていたが、「指定暴力団」てのが国が保有してる暴力団なのかなって思ってたから

俺「国が必要とする組織なんじゃないでしょうか」とか答えたw

もちろん面接は落ちた。まあ、でも警察なんてもろ体育会系の組織だし、俺は絶対に続かなかっただろうなって思ってるから、今では落ちて良かったなと思っている。

でもたまに、暴力団員の中にも多少人間性のまだまともな組員みたいのがいて、こういう活動をすると、また権力に媚びる連中が暴力団を絶賛し始めるってわけ。でも、山口組がいい人の集まりのわけないだろ。

山口組に限らず、暴力団ってのは文字通り暴力の集団。ちょっと汚い金融商売やってるだけの組織じゃねーんだよ。暴力団員の起こす強盗事件、強姦事件、発砲事件なんて枚挙に暇がない。組自体のコンセプトはどうなってるのか俺は知らないが

現実を見てみればこんな集団である。で、阪神大震災で炊き出しを行ったとか、地域住民に金をばら撒いたとか、なんか変なニュースを見て暴力団という存在を肯定し始める馬鹿が発生するから困る。

例えば、阪神大震災で救助活動を行った組員がいたのだとしたら、それを組の活動としてではなく、個人の活動として褒めてあげればいいじゃん。なんでそこに「組」の名前が加わるわけ?

人を褒める、という行為は基本的に自分も気持ちよくなるものだ。そして、褒める行為によって相手の理解を得やすくなることもある。相乗効果が期待できる。つまり、暴力団員を褒めることによって、相手の暴力団員からも「お前、分かってるじゃねえか」と言って賞賛される。

相手を理解するということは、基本的に相互作用があるのだ。だから、こうやって暴力団を肯定するクズってのは、権威に媚びてるだけのクズヤロウに過ぎない。

みんな人間は個人の意志で動いている。それぞれ違う生き物である。組の名前を持ち出すな。と俺は思った。阪神大震災で救助活動を行った奴がいたのだとしたら、名前は俺は知らないけど、仮にここでは「山田太郎」としよう。

その場合、山田太郎が良いことをしただけの話であって、組全体の是非には無関係だ。つまり、冒頭に戻るのだが、不良がたまにいいことをすると、必死に不良を褒め称える奴がいるけど、ああいう奴ってのは相手を褒めたいんじゃなくて、権力ある人間から認めてもらいたいってだけの存在。いわば腰巾着。

真面目に生きてる人間が、クズがたまにいいことをしただけで一気に評価を逆転させられてはたまったもんじゃない。たまに何をするか、ではなく普段どういう行動をしているのか、というのを当然重視して評価というのは決まらなければいけない。

暴力団員というのは何万人、何十万人もいるそうだな。ということは、それだけ人がいれば、中には暴力団員だけど、人間性のマシな、堅気に近い人もいるんだろう。あくまで一部。一部なのか、全体なのか。それを考えること。そしてこの世の中には権力に媚へつらうクズヤロウがたくさんいる、ということ。

トンデモなく狂った世論を吐き出す糞市民には気をつけたい、と思ったのである。

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posted by kodokunikki at 19:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月18日

2月18日 小説書くことにした

小説を書くことにした。ストーリーというか登場人物だけ決まっている。擬似ドラエモンの世界である。擬似ドラエモン、ということはどういうことか、というと、簡単にいうと、ドラエモンの世界のような登場人物が出てくるが

ただひとり、ドラエモンだけはいない、という世界。ドラエモンという世界で、もしノビタがドラエモンがいなかったらどんな人間になってしまったのだろうか?というのを描いてみたい。かといって、現時点でストーリーが決まっているわけではないし

かといって、お決まりの、ノビタがただ廃人になって引き篭もりになって終わり、という物語にするつもりもない。はっきりとひとつ、現時点で分かっていることは、

あくまで小説を俺は書くが、あくまでまともな小説にしようとはまったく思っていない。ただ、文章を書きたい。大量の文章を書きたい、というブロガー特有の症状が出ているので、とにかく考えずにストーリーを書いていく。

文章力なんてあったもんじゃないから、そこも超適当。超絶の乱文になる予感がする。なんだこの小説は?というある意味ショッキングな内容になると思う。まあ、ストーリもまだどういう風になるか、俺自身まったく決めてないけど

あくまで小説なんだから自由にしたいと思っている。ノビタがどうなるのか、そんなことは知ったこっちゃない。あくまで目的は、文章を書く、ということなのだ。ボケ防止じゃないけど、自分の小説、というものを書いてみたい。ということで

手段と目的が逆転してるんだが、まあいいだろうと思っている。ちなみに、さすがにどうしようもない文章になるのは確実なので、普通の右側メニューの月別カテゴリには乗せずに、個別に小説カテゴリを作って

そこでチマチマ書いていくことにする。とにかく大いに楽しみにしていただきたいのである。

ただ、心配してる読者もいるだろうが、メインの更新もちゃんとやるつもりである。どんだけ下らない文章だろうが、ちょこちょこと世の中を斬っていくスタイルに変わりはないので、今後もよろしくお願いしたいのである。




ということで、小説をその後書いたわけだが。
右側のメニューから読めるよ。なんか凄い乱文になってしまった。まったく考えずに、指を休めずに書いた。これからの展開に期待することにする。つーか、やっぱりドラえもんを登場させることにしよう。ノビタの内面だけを描写するのでは限界がある。

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posted by kodokunikki at 20:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月17日 柔道に見る国民性

どうでもいいお知らせ。
右側のメニューにある脳トレ日記、英文モードで300点を突破したので記念にアイポッドで撮影してニコニコにうpしてみた。

300点ぐらい俺でも出せる、と思うやつは右側のメニューから英文モードでプレイしてみればいいと思うよ。




オリンピックの話題が続くわけだが、ちょっと観点を変えてみて、ここは芸能界と絡めて論じていくことにする。

オグシオ、上村愛子、あとはカーリングの本橋とか。あるいはスケートの岡崎朋美などなど・・・

なんかアイドルの追っかけなんか知らんが、メディアも国民もこぞって見た目がいい奴ばっかり追いかけてないか?別に可愛い子を追いかけたい気持ちは男として仕方ない、と思う面もあるが

奴らはスポーツ選手のわけで。見た目だけで差別しちゃ可哀想だろ。可愛い子が優遇されるっていうことは、不細工な子が冷遇されるってことだぞ。

夏季五輪とかで、日本のお家芸の柔道とかだと、女子70キロ級とか女子80キロ級とかの重い階級で、ブタゴリラみたいな女が次々出てきて、日本に毎年のように日本に金メダルをもたらす。

いちおう日本人もそのときは祝福する。でも三日も持たずに話題は移ろう。逆に、上村愛子みたいな美人がちょっと活躍すれば、メダルを取れなくても、マスコミは大騒ぎ。数字が取れるんだから仕方ないんだろうけどさ。

ヤワラちゃんこと谷涼子なんかもあまり見た目は奇麗ではないが、一応軽量の40キロ台の階級なんだよね。つまり、そういう意味では常識的な日本の女子だし、デブではないから暑苦しくもない。そして強い、という理由もあって日本人は応援する(男女分け隔てなく応援されてる)

80キロ級の柔道女子だって頑張ってる。メダルを必死に取る。それなのに、なんかどこか冷めた目線だよな。冷めてるっていうと言い方はおかしいけど、少なくとも普通の階級の女子に比べると、腫れ物に触るような雰囲気じゃん。

結局見た目、なのかねぇと思った。パラリンピックとかも開催されてるけど、奴らも障害者である。障害者だが、メダルを国にもたらしてるという事実に変わりはないが当然評価はされない。

ボクシングとかだと、階級が重くなるにつれて評価は高くなる。当然、女子柔道だって階級が重い奴のほうが評価は高くて当然だ。格闘技なのだから。

だが、重い階級で女子がブヒーブヒーいいながら汗を垂れ流して金メダルを取って「最高です!人生変わりました」とか興奮してインタビューに答えてても、「おめでとう。はい終わり」的な空気。金メダルだろうが、ダイヤモンドメダルだろうが、デブブサイク女が何をやっても、それ以降チヤホヤされることはない。テレビの仕事も舞い込まない。何これ?酷すぎね?

そういえば、水泳の田島だっけ?銀メダルとった人いたよね。それなのに、もうまったくその後、メディアに出てきていない。逆に、岩崎恭子みたいのがメダルを取ると

もう未来安泰で仕事がガンガン舞い込んで、本は出版するわ、キャスターの仕事はするわ、みたいな流れになる。アイドルのスポーツ大会かよと思った。

思い返せば、長野五輪で金メダルを取った里谷タエが乱交パーティとかしたりして、腐っていったのも分かるよな。里谷が金メダルを取った当事、もちろん国内のテレビ局は大騒ぎして、インタビューをしまくっていたのだが、

なぜか一緒に上村も呼ばれてんだよ。当事はまったく実績もなかった上村も一緒にテレビ局はオファーを出して呼ぶ。そしてそれについていく上村。あれは里谷は本当に辛かっただろうなと思う。

逆に考えてみると、仮にあの長野五輪で上村が金メダルを取ったとしたら、テレビ局は里谷も一緒に呼んで祝福したのだろうか?そんなはずはない。

繰り返すが、里谷と上村なんてただのアカの他人。チームプレイでもない個人競技なわけだし、オグシオみたいにコンビ組んでるわけでもない。

いうならば、前回のトリノ五輪だっけ?で荒川静香が金メダルを取って、一緒に浅田マオまでテレビ局に呼ばれて、一緒にインタビュー受けてるようなもんだろ。

こんなことやったら、やられたほうは死ぬほど屈辱じゃねえか?今回の上村選手は、もしかしたら里谷の呪いだったのかもしれないな。

無意識に、可愛い子は応援したくなるんだよね。今も、死ぬ死ぬ詐欺じゃないけど、心臓移植をしないと半年以内に死ぬっていう中学生の女子が、募金を募ってるけど、結構集まってるみたい。

逆に、いつのオリンピックだったか忘れたけど、柔道の重量階級で決勝に負けて銀メダルに終わった選手がいたけど、インタビューでも号泣してて、ブヒブヒーと顔をクシャクシャにしながら号泣してたけど

あんなの見ても、マスコミは全然反応しないもんね。逆に、上村の涙を見せられると、マスコミは大騒ぎ。そして一般人も、やはり美人の涙を見て「可哀想に・・・」と本気で同情してる。

馬鹿も休み休みやれよと。どんなデブサイクだろうが、悔しい気持ちに変わりはない。一生懸命とレーニングしてきたんだよ。それを、ちゃんと認めてあげなよ、と思う。不細工がやることは何をやっても滑稽かい?アンタ、いい死に方しないね、と言ってやりたい。

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posted by kodokunikki at 00:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

2月15日 結婚という制度

結婚とは何だろうか、と最近考えることが多くなった。もちろん俺に結婚する予定の相手がいる、というわけではない。だが、どうして人は誰かと恋愛した場合、ほぼ例外なく相手と結婚するという選択を取るのだろう、と考えることが多くなった。

自然界の動物全体のことは俺はよく分からないが、人類にとって見ればセックスというのは快楽を楽しむものでもあり、だからコンドームなんかも流通しているわけである。何かオリンピックの選手村にもコンドームが配布されてる、とかいう話を聞いて、お前らオリンピックの最中にもパコパコしたいんか、と思ったのだが

その話はまあいいとして

とにかく、好きな人と性行為をしたい、という思いは何だかんだいって、ノーマルな人間のノーマルな思考であろう。だがそれがイコール結婚したいかどうか、という話になるとまったく別ではないかと思うのである。

今の時代だと、民主党の「子供手当て」とかもあるから、明確なメリットもあるわけだが、少なくとも今までの時代はそういうのなかったよね。養育手当て、みたいのが会社から支給される、という会社も多かったと思うが

結局そういうのも「子作りをするため」に籍を入れる、ということである。何か話の文脈がおかしくなってきたが、続けよう。つまり俺が思うのは「結婚するってことは子供を作りたいから?」という疑問である。

そして、結婚したい相手との子供を生むことが、当たり前になってることに対して疑問を呈したい、ということだ。何で、好きな人がいたとしても、その人との子供を作らなきゃいけないんだろうと思ってしまうのだ。

子供を作ると、物凄いカネがかかってしまう。カネだけじゃなくて、育てるのも大変だ。だから、それでも本当に子供が欲しい、と思う人だけ子作りすればいい。

それが、結婚したんだから何となく子供を作るのが「当たり前」という、何かそういう固定観念だけに支配されて子供を作っちゃう馬鹿親が多いような感じがする。

いや、単純にセックスが好きで、猿みたいにセックスした結果、子供ができちゃうケースも多いんだろうけど。とにかく、好きな人がいたとして、何も考えず結婚し、何も考えず子供を作る、そういう奴が結構いるんではないかと思うのだ。


結婚という制度が、社会的なステータスを含んでいるのも分かる。未婚だと職場で肩身が狭くなる、とかそういうのもあるだろう。だからまあ、とりあえず、好きな人と親密な関係になったとして、結婚しようか、という考えになるのは、まあ理解できる。

だが、それと子作りをする、しないという話は別ではないか。目先の養育費用の算段もつかないまま、とりあえず結婚したんだから子供をひとりぐらい作るのが「当たり前」という感じで子作りしてる奴がいる。

んで、結果としてそういう親に子供ができたら、責任の擦り付けあいが始まってしまう。育児放棄したり、虐待したり、まともに教育も受けさせなかったり、カネがもったいないからって給食費を払わなかったり、子供に万引きさせたり。

そんなことをさせる親が一部いるが、ああいう親は本当に、何も考えずに生きてきて、何も考えずに子供を作っちゃったんだろうなと思ってしまう。

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2010年02月14日

2月14日 冬季五輪のつまらなさ

まったくと言っていいほど興味がないわけだが。冬季五輪ってこんなに盛り上がってないものだったっけ?でも俺は長野五輪だったかな?ジャンプ団体で金メダル取ったのあったじゃん。「ふなき〜ふなき〜〜」のオリンピック。

あれは学校休んで見てた。それぐらい、一応昔は俺も関心があったのに、まったく今回の冬季五輪は興味がわかない。まあ、日本が勝てそうな競技がないってのも当然な事ながら、俺自身がそういう国別の対抗戦みたいなものに対して興味がなくなったっていうのも大きい。

サッカーのワールドカップですら、俺は日本を応援しなくなったからね。たしか日韓ワールドカップの頃までは俺も日本を応援してたんだが。何かそれ以降、国同士の戦いって戦争以外に利得ないじゃん、て思うようになってから

一切興味なくなったわけで。んで、テレビを見てみれば母国母国で大騒ぎ・・・・イヤイヤ、国母だ、国母。でも俺は最初にニュースを見たときに、SANSPOのニュースサイトで発見したんだが、「母国」と普通に読み間違えてしまって、母国がどうのこうの・・・・とかそういうニュース記事を見て、

ん?と思ってしまった。ちょっと待て。国は発言しないぞ。みたいな。
母国は「申し訳ないことをしてしまった」とコメントしている、みたいなニュースを見て「何で国が喋るんだよ」みたいな。

んで、あれ?母国じゃなくて、国母だぞ?て気づいたのね。んで、その時点でもまだそれが苗字だとは思ってなくて、「国 よしお」みたいな人が事件起こしたんだろうなと思ったわけ。「クニ ヨシオ」というフルネームの人ねw

んで、国っていう奴の母親が出てきて、謝罪してるのかなって思ったわけ。国母っていう文字を見ても俺はマジで一瞬そう思った。まあ、こんな話はどうでもいいか。

敢えて俺がこの国母事件に対してコメントすることはないだろう。まあ、国母も国母なら、それにクレーム入れる奴も入れる奴ってところで。アホ両成敗ってところだろ。俺ははっきりいって、刺青入れてる奴も軽蔑したりすることはない、ていうぐらいの人間だが

冬季五輪って思いっきり国の税金が投入されてるんだよね。だから国母みたいな奴にそこまで必死に投資する必要あるの?みたいな気はするわけ。誰だって、「五輪出させてあげるよ」と言われればみんな出るだろうし、だから国母の責任って言うより

こういうDQNを出さざるを得ない選手層の薄さっていうか、五輪の存在意義っていうか。いろいろ考えてしまったよ。夏季五輪って言うのは凄くスポーツの祭典として盛り上がるけど、冬季五輪って、なんかスポーツって言うよりウインタースポーツっていうか。

まあ、スポーツって言うククリじゃ同じかも知れないけど。アメリカの「X-GAME」ぐらいの位置づけじゃないかと。いや、個人的には俺はX-GAMEのほうが面白いと思っている。なんか、中途半端にスポーツとして成立させてるから、余計に金メダルの価値がなくなってないか?という感じはする。

例えば、競技人口何人いるんだ?ていう感じのする「リュージュ」とか。なんか越選手って、ずっと昔からいないか?あと、スキーのジャンプにしろ岡部選手って、これもずっと昔からいないか?

アラフォーとかいうレベルじゃなくて、越選手なんてアラファイブだし。つまりそれぐらい選手が育ってないっていうか、もっとはっきりいうと、競技人口が少なすぎるって言うか。だから新しい選手が発掘されない感じがする。

スキーのモーグルにしろ、上村とか里谷とか、ずっと同じじゃん。なんか、こういう超マイナー競技でなおかつみんな片手間にやってるっていう、そういう感じのスポーツでオリンピックで代表になりました、とかいわれても、何かそこまで凄いなって思えない。個人的には空手の県大会ベスト8ぐらいと同じぐらいの位置づけ。競技人口の数が何万分の一だし。

バイアスロンっていう競技は、何か射撃しながら、スキーもやって、みたいな何かよく分からない競技。いったい競技人口何人いるんだ?ていう感じがしてしまう。もちろん、北欧の国とか雪が凄い多い国ではこういう冬のスポーツってのは日本以上に物凄く盛んなのかもしれない。
結局日本じゃ盛り上がらなくても仕方ないのか。


まあ、前置きが長くなったが、上村選手はベスト4で終わって号泣してたけど、そんなにメダルが大切かねぇって思った。まあ、打算的に考えれば、やっぱりメダリストになるっていうのは引退後の仕事とかにも関わってくるんだろうな。それぐらい、スポーツそのものには価値がないというか、あくまで売名のための手段でしかないウインタースポーツ。

荒川静香なんて、金メダルをフィギュアで取ったにも関わらず、橋本聖子以下の扱いじゃん。あんまり奇麗じゃないから、マスコミや企業も扱いにくいって所なんだろうな。逆に、美人の上村がモーグルというマイナー競技だろうが何だろうが、メダルを取れば、確かにCMの仕事とか引っ張りだこだったかもしれないな。

まあ、ハイチ地震で生活に困窮してる人たちの心配をしてる一方で、こんな道楽のウインタースポーツのメダルの数を数えたり、金メダルを取った里谷タエが干されてみんな愛子ちゃん愛子ちゃんって熱狂したり、平和だなぁと思ったのである。

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posted by kodokunikki at 19:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月14日 アホだな

昨日カジノで稼いだ108ドル、全部溶かした。もうやらない。






タフィも呆れとったわ

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posted by kodokunikki at 11:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

2月13日 カジノで奇跡

こんな深夜に更新である。凄い奇跡を体験したので更新することにする。またオンラインカジノである。前回の微妙な勝利で、俺は入金45ドルに対して65ドルまで増やして、微妙な勝利を収めることができた。

そしてこのまま、引退しようと思っていた。アカウント画面を開いて、実際に出金手続きは済ませていた。出金がされるまでは数週間かかる。なんでそんなに時間がかかるのかは分からない。プレイヤー人口が何百万人も世界中にいるらしいし、出金も小切手にして送付とかの形を取るから時間もかかるのだろう。

いや、それは表向きの理由であって、実際のところ、出金手続きを済ませたあとに、どうしてもやっぱりカジノをやりたくなって、「出金キャンセル」にしちゃう奴が多いんだろう。だからわざと出金まであんなに長く設定してある。

・・・・

ということで前置きは長くなったが、出金キャンセルしたw

そして再びオンラインカジノで勝負!である。今回俺は超セコい方法で勝負しようとした。どういう方法かというと、俺がプレイするルーレットというゲームは1〜36までの数字がある(0もあるけど)

んで、倍率が均等に決まっているわけで、赤が来るか、黒が来るかとか、奇数が来るかとか偶数が来るかとか、1〜18が来るかとか、19〜36が来るかとか

要するにいろんな賭けかたがある。そして、勝率を極限まで高めようとするにはどうすればいいのか?というと非常に単純である。
結論から言うと、俺は1〜36の数字のうち、ひとつ以外の全ての数字にベットしたw

つまり、例えば1〜35まで一枚ずつ賭ける、という方法。この遣り方の場合36、もしくは0以外の数字が来れば、プラスになるのだ。とはいっても1〜35まで全部賭けるから、合計35枚のコインをかけて、当たっても36倍だから、つまり1枚しかプラスにならない。

というしょぼい方法なのだが、高確率で少しずつ増やしていくことはできる。もちろん、失敗したらその時点で全てを失う、というリスクはある。だが、まあそんなマイナス思考は捨てて、これだけ高確率で当たるんだから、あんまりしつこくやらなければ大丈夫だろって思って

俺はこれをやってみた。結果最初の65ドルから、67ドルまで、微妙に増やすことができた。だが当然、この方法も試行回数を増やしていけば破滅する。ルーレットというゲームは試行回数との戦いなのだ。それを俺は自覚しているから、2枚稼いだところでこの方法は辞めた。

そしてそこから普通の勝負に出たのだ。今までと同様に、あんまり出てきてない数字を4〜5個選んでそこに集中的に賭ける、というやりかたである。当たる確率は低いが、当たればデカイ、というやりかたで俺はやっていった。

途中、50ドルぐらいまで減ってしまってヤバいなと思ったりしたが、そこから見事に的中させて75ドルぐらいまで戻した。その時点で俺は冷静さを欠いていた。

とりあえず、もうルーレットも10回ぐらい回しちゃったし、回しすぎると負けてしまうから、もうその時点で撤退しておけばよかったのだ。だが俺はそうしなかった。そして破滅がやって来る。

俺はそこから1〜6の小さい数字があまり来てないなっていう印象があったから、1〜6に集中的にかけまくった。外れても外れてもしつこく賭けまくった。

だが来ない。40ドル・・・30ドル・・・・

どんどんキャッシュは減っていく。顔面蒼白、オイオイ、もういよいよ破滅の時なのか?だが俺はその時点でひとつ気づいていたことがある。ルーレットっていうのは「0」の目が来ると物凄いショックなわけ。普通の人は0にはあまり賭けない。

いわばジョーカーみたいなポジション。そして「0」があるからこそ、胴元のハウスエッジとしてプレイヤーは長期的には確実に負けてしまうのだ。そして俺は気づいていた。

まだ0は来ていない・・・

その事実にはっきりと気づいていた。つまりジョーカーは引いていない。ちゃんと1〜36までの数字だけで勝負できている。つまり回収率は単純に100%のはずだ。少なくとも今までは。そうだ、弱気になる必要はないではないか、今損してるのはちょっとした確率のイタズラなのだ、と。

だが、俺のプラス思考は通用しなかった。悲劇が起こった。


俺は1〜6にずっと賭けていた。だが・・・・





直後、2回も7が来やがった!


7じゃねえんだよおおおぅぅぅうううぅ!!1〜6にかけてんだよボケナス!!!と深夜に発狂


だが悲劇はこれだけでは終わらなかった。


もうコインは残り20枚を切っていた。この時点で、もう1〜6に賭け続けて、当たったとしても爆発力がない。ルーレットは少ない試行回数で目的の金額まで到達できるようにしなければいけない。

どれだけ当たる確率が下がったとしても仕方ない。期待値の収束という自然の法則に生殺しされるぐらいならば、ここは勝負しなければいけないではないか。

そして俺は決断した。


かける数字を1〜6の中からひとつに絞る。そして俺はその最後に絞る数字に迷いはなかった。



「1」


である。なぜ「1」なのか。俺が一番が好きだから、というような小学生みたいな理由ではない。それは、昨日今日とずっとカジノをやっていて気づいていたことがある。それは


「1はまだ1回しか来ていない」ということだ。俺はなんだかんだいって、ルーレットを昨日今日で100回以上は回してるから、これは期待値としてはかなり低いほうである。

なぜこんなことを覚えていたのか、というとやっぱり「1」という数字がインパクトがあるからだろうな。一番覚えやすいし。

そしてそこから、俺は「1」に3枚かけてルーレットを回す、という作業を繰り返すことにした。

だが現実は甘くなかった。いや、残酷だった。


ルーレットを見てみると1の隣には「33」と「20」という数値が配列されている。そして、


何故か「33」に二回も来やがった!!!!



隣かよ!!!隣に来ても意味ねえよ!!


と深夜に発狂する俺。その時点で正直駄目だと思った。隣の目が出るっていうのは、いわば宝くじでひとつの番号だけ違って1等を逃すようなもの。

そしてベクトル的に考えても、近くの目が出ちゃったら、バランスの点から見てももう1に目が来る事はないな、と思っていた。この時点で俺の頭の中は完全な白旗だった。

だが俺に狙い目を変えるつもりはなかった。必ず1は来る!そろそろ来る。いい加減に来る!来い!頑張れ1、という感じで俺は1と対話していた。

だが無常にも俺の期待は外れていくことになる。そりゃそうだ、0〜36まで、合計37個ある数字の中から、俺が賭けてるのは1だけ。

37分の1でしか当たらない。

何度かかけたところで、次の1回の当たる確率が高まるわけでもない。それがランダムウォーク、というものなのだろう。そしてコインは無常にゼロに近づいていく。

9枚・・・・6枚・・・・・3枚・・・・


3枚まで減ってしまった。ルーレットには「最低掛け金枚数」というのが設定されていて、3枚以上賭けないとルーレットを回すことはできない。俺は最後の3枚を、やはり「1」にかけて回した。


頭の中では諦めていた。でもいい加減にそろそろ1が来るだろ、と思ってたから、また20ドルぐらい入金して1に賭けてみようかな、とか考えていた。

そして最後のルーレットを回す。


ルーレットの結果は、女のアナウンスで声で出球のナンバーがアナウンスされることになっている。だが俺はもはやその声を聞くこともできなくなっていた。

ヘッドフォンを外して、死の宣告を聴かないようにしていた。そして目を閉じてルーレットを回し終える。

そしてとっくにルーレットが回り終わって目に落ちた頃、ゆっくりと目を開けてみた。

ゆっくりと、ルーレット画面に目をやる。さて、どこの目にボールは落ちているのだろう?



画面は解像度が低くて、ボールが落ちていることはわかっても、落ちている箇所の番号はすぐには分からない。

だがとりあえず、赤い目にボールが落ちてることは俺の視力でもすぐに確認できた。

「1」は赤の目である。


まさか・・・・・?


目を凝らす。


よく分からない。


画面の解像度が低い。

だが、どうやらなんか一桁の数字っぽいぞ・・・・?



よーく見てみる。



ま、まさか・・・いや、間違いない。

↓↓これを見よ!!(わざわざスクショ撮ったw)


kajino1.jpg



「1」だ!!!!!!!!!!!!

残高もちょうど108ドルって表示されてるの分かる?


最後の3枚、最後のベット。所持金ゼロになった最後のベットで「1」が来たのである!!!



3枚賭けてたから、36倍×3枚 ということで合計108枚の払い戻し!つまり1ドルコインなので、俺の所持金は108ドルに増えたことになる!


今までの入金合計額が45ドル。それに対して俺の現在が108ドル。ここまで来ると、これは微妙な勝利、と言ってもいいかもしれないな、と思った。

なんか小説っぽく、盛り上がってる情景を描こうとして文章を書いてみたが、文章力なさすぎワロタw

非常にカジノには申し訳ないのだが、やはり引退する気持ちに変わりはない。とにかく、たいした金額稼いだわけではないが、最後にドラマがあって面白かった。

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posted by kodokunikki at 02:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月12日

2月12日 オンラインカジノで圧勝

何だかんだで、昨日のオンラインカジノでは5ドル負けてしまったのは事実であった。トップページには「オンラインカジノで大敗」なんてメニューを追加してしまったが、それはあくまで大袈裟に書いただけであって、俺の負けは5ドルだけ。

だがそれでいいのか?このまま負けたまま引き下がっていいのか?と俺の中で闘志が激しく燃えていた。ということで、仕事から帰ってきてすぐにオンラインカジノにログイン。再びプレイしたのである。

まず最初に20ドル入金。まだ入金ボーナスがもらえて、今度は前回よりは少なかったものの、10ドルもらうことができた。つまり合計で30ドルからのスタートである。

ところが、

ものの一瞬でその30ドルはなくなってしまった。正直、この時点で俺はアツくなっていた。もうどうにでもなれ!ということでまた20ドルを振り込む。

せこい。

20ドルづつの入金だが、カネのない俺にとっては仕方のないこと。それに俺は結構冷静で、オンラインカジノがやればやるほど胴元が儲かるようになっていて、プレイヤーはやればやるほど勝者がいなくなる、という現実は分かっているので

少し稼いだら退散しよう、と思っていたわけ。んで、今度の20ドルの入金ではもうボーナスはつかなかった。つまり20ドル、振り込んだ金額だけでの勝負になったわけ。

一見するとボーナスがつかないっていうのは不利にも見えるし、実際不利な部分はあるのだが、実際ボーナスをもらってしまうと、引き出しに制限がかかって「ボーナス金額+入金額の合計の20倍ベットしなければいけない」とかいうルールがあるわけ。

つまりオンラインカジノ側も馬鹿じゃないから、ボーナスをもらうだけもらってそのままプレイせずに引き出す奴を防止しようとしてるわけ。まあ、だから最後の20ドルの入金はもうキャンペーンの対象外で、ボーナスがつかなかったんだけど俺はそれはそれでいいかと思っていた。

とにかくちょっと増やしてすぐに逃げる。その作戦である。

んで最後の20ドル、これが壮絶な戦いになったわけ。俺はまずルーレットをやるにあたって、赤か黒か、というようなローリスクローリターンな賭け方はあまりしない。どっちかというと、ひとつの数字に1点掛け、みたいな感じで狙うのである。

そして俺はもうひとつ、ルーレットをやる場合に心がけてることがある。それは、どこに賭けるかを考えるよりも、どれだけのコインを次の勝負で賭けるか、ということである。つまり、運が向いてきたなっていう時に一気に勝負をかけて大量のコインを投入するってこと。

そしてもうひとつ心がけてることがあって、それは「負けを一気に取り返さないようにする」ってことである。アツくなってしまえばしまうほど、例えば10ドルかけて負けたら、次の勝負は15ドル、次の勝負は20ドル、って感じで増えていく人が多いと思う。少なくとも、負けてるときって掛け金を減らしにくいと思うんだ。

ちょっと前まで大量にあったコイン。減ってしまった現実を認めたくないから、すぐに元に戻そうとする。だがそれが破滅の入り口なのだ。そして、こんなことを書くといやらしいが、オンラインカジノのプログラムでも、多分そうやってムキになって、大勝負を仕掛けるときっていうのはコンピューター側が勝ちやすくなってるかもしれない、ていう疑いも俺の中では完全には拭えない。

ということで、あくまで「どこに賭けるか」じゃなくて「少なく負けて、大きく勝つ」ていうそういう勝負の流れを俺は大切にしてるわけね。まあ、何だかんだいっても独立事象で決まってるルーレットの目なわけだから

どういう賭け方をしようが、みんな期待値は同じ。ハウスエッジ(胴元の取り分)の分だけ平等に負ける。というのは分かっているのだが、ルーレットっていうのは、あくまでそんなの分かってる上が、それを承知の上で、次のルーレットの目を推理する。そして当たったり外れたりに一喜一憂するのが楽しいわけだし

ずーっと同じ目にかけてて外れ続けて、もう駄目だっていって別の目にかけたら、自分がずっと賭けてた目が来て絶句したり。そういう人間性が出てくるゲームなんだよね、ルーレットって。だから自分と向き合うっていう意味でも面白いんだよルーレットってのは。

話が大幅にずれてしまった。

んで、俺は再び20ドルの入金をして、コイン20枚からの再戦をすることになったわけ。

んで、俺は「2,4,6,8」の4つの数字がまったく出てこないことに気がついてたから、そこだけに集中してベットしたわけ。

でも全然相変わらず来ない。残り8ドルになった。もう2回しか勝負できない。いくらなんでももう駄目かなって思うと同時に、やはり目がずっと来てないわけだから、いい加減にそろそろ来るだろっていう思いもあってルーレットを回す。

そして3度目のルーレットを回す。

・・・4が来た!!

一気に36倍の払い戻しで40枚の大台を突破したわけ。

結局のところ、今日の勝負ではこの起死回生の一撃のおかげでなんとか踏みとどまったなって所であった。

その後、数字をいくつか絞ってかけて、見事に的中したりして、一時期90ドルぐらいまでコインが増えたりしいたのだが、

そこから勝負の流れを失って、次々と負ける俺。気がつけば、90枚あったコインは40枚まで再び減っていた。

20枚から始まったコインが40枚になり、90枚になり、再び40枚に逆戻り。今、俺の真の実力が試される、と思った俺は冷静になった。

たしかに負けが込んできた。それによってコインが減ってしまった。だが、ここはおそらく勝負の神様がいるのだとしたら、勝負の神様は俺にワナを仕掛けているに違いない。つまり、一気に取り返そうとしたら俺は死ぬ。

とりあえず、ちょっとずつ取り返していこう、と思ったのだ。そして俺はそこから同じベットを続ける、いわば馬鹿ベットをやめて、全体の流れを感じ取って次の目を選んだ。その結果、少ない枚数しか賭けてはいなかったが、4連勝。

もちろん、ルーレットの世界にかけ方の実力も何もあったもんじゃないから、ただの偶然だ。だが、どんなときにも冷静になれるそういう勝負の心構え、みたいのを今回久々に学んだ気がした。

最終的には、最後の入金の20ドルは65ドルまで増えた。そして俺はここでゲームを終わらせることにした。出金手続きである。やればやるほど確実に勝負には負けてしまうのがオンラインカジノ。とりあえず、元本を回収することはできたのだから、それでいいではないか、ということである。

多くの人間、おそらくオンラインカジノという世界は、プレイヤーの97%以上が損をして退場するに違いない。そんな世界で、少なくとも損をしなかった、というのは大きいのではないか。あくまで今回の勝負だけだけど。

ということで、昨日今日と、久々にオンラインカジノをプレイしたわけだが、成績を見てみると

合計の入金額が45ドル、に対して引き出し分が65ドル、ということで、損をすることは避けることができた。あまり儲けもなかったのだが、これでいいのだ。遊ばせてもらったのだから、損をしなかっただけで十分。このコラムを読んで、オンラインカジノって面白そうだなって思った人は、俺は止めるつもりはないが

決してお勧めもしない。だが、ロトシックスとかに比べれば、遥かに回収率はマシである、ということもまた事実。何億円、という当千金を目的とするのなら話は違うが、何十万円稼ぎたい、という程度の願望であれば、ルーレットをやってひとつの数字に1万円ぐらいかけてみるのもいいかもしれない。(当たれば36万円帰ってくる)。

ていうかロトシックスとか宝くじの回収率って50%程度だし、もう話にならないだろう。

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posted by kodokunikki at 19:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月11日

2月11日 オンラインカジノやってみた

久々に普通の日記を書いてみる。というのも、今、まさに今、俺はオンラインカジノ、というものをやっているのである。これは実は以前にもやったことがあって、そのときは元手1万から初めて、途中20万近くまで増えたんだが、最終的にはゼロになってしまって、

そこからムキになってしまってさらに1万投入したのだが、カスリもせずにすぐになくなってしまい、もう駄目だなと思ってそこで辞めた。というのが俺の以前のオンラインカジノをプレイしたときの状況だったわけである。

んで、今回オンラインカジノをプレイしているわけだが、これはあくまで稼ぐことを目的としているわけではない。当然カネもないし、必死に稼ぐことを目的にして何万円もチップを買うことはできないわけ。んで、まずオンラインカジノに久々にログインしてみて、まずは練習してみた。

練習モードでルーレットを遊ぶ俺。つーか、俺はルーレットしか遊び方が分からないし、ルーレットしか遊ぶ予定はない。他にはスロットとかあるけど、あれって結局回転させてるだけじゃん。だから何か自分の意思が入り込む余地がないからつまらない。だからルーレットだけで遊ぶことにしている。

んで、練習をやったわけ。練習をする場合、架空のお金みたいのが支給される。それは一切リアルマネーとは関係がない。いくら減ろうが増えようがまったく関係ないという架空のお金。俺はまずこれを減らすことを目的に練習した。

何故か?理由は単純だ。

それは練習で悪運を使い切ってしまおう、という作戦である。んで、練習で与えられた架空のマネーがゼロになるぐらい悪運を使ったら、そこからリアルマネーを実際のアカウントに入金して勝負しようと思ったわけ。練習で悪運を使えば、リアルマネーでの勝負では幸運の出番が回ってきそうじゃん。

んれ、練習してみたわけ。最初の架空のマネーは500ドル。おれはこれを減らそうと必死にプレイした。ところが、20分後・・・・

何故か1000ドルを超えていたw

減らそうと思って無茶苦茶なところにかけてるんだが、それがことごとく当たる、というわけの分からない状況。これは多分オンラインカジノ側が、練習で稼がせてその気にさせて、リアルマネーを投入させようっていう魂胆なんだろうな、と思ったりした。いや、ただの偶然かも知れないけど。

んで、この時点で練習でこんだけツキを使っちゃったらもうリアルマネーを投入して勝負したら、もうまともなツキは残ってないんじゃないかと思ったわけ。だからリアルマネーを入金するのは辞めようかなって思ったんだけど、逆に考えてみた。

俺は今回、悪運を使い果たそうとして練習した。減らすことを目的にした。ところが増えてしまった。これは自分の思惑通り行かなかったってことにもなる。ていうことは・・・?逆に考えたら、もしかしてリアルマネーでの勝負は「今度は思い通りになる」と、その順番かも知れないと思ったわけ。

まあ、いろんな要素はあるけど、ここはただ引くのはもったいない。男として勝負しなければいけない!!!


ということで、覚悟を決めて入金した。






たったの5ドルだけw





初回入金ボーナスっていうのがあって、最初に入金した金額と同額がボーナスとして支払われる(100ドルまで)というキャンペーンをやっているのだから、100ドル入金すればよさそうだが、俺にそんなカネはない!!


ということでたったの5ドルで勝負。


5ドル入金でも、初回入金ボーナスとして同額の5ドルが振り込まれていた。ということで合計10ドルからのスタートになったわけである。
んで、どうして今、俺がこんな更新をしているのか、というと、そのスタートの10ドルからとんでもない展開になってしまったのだ。


まず、俺は練習の段階で、ルーレットを回していて、大きい数字があまり出てこないなって印象を受けていた。特に30代の数字があまり出てこなかったわけ。だから、リアルマネーを投入して勝負したら、まず最初に大きい数字を狙ってルーレットを張ってみようと思っていたわけ。

んで、最初の10ドル。

ルーレットってのは0の目があって、胴元の取り分になっているから、チマチマと1ドルずつ勝負していってはその控除率にヤラれてしまう。だからある程度少ない資金を思い切って多く掛ける事にした。


まず最初の投資は3ドルである。
これを、30以上の数字にかける。そして一回目のルーレットを回す。

が、駄目だった。普通に来なかった。

次も同じ目にかけてみる。だが駄目。


2度失敗しただけで俺の残りはたったの4ドルになってしまった。だが俺は、もういい加減に30代の数字が来るだろう、と思ってまた同じ目にかけて3回目のルーレットを回す。


そして・・・・35が来た!!!!!!!!!!!!


払い戻しは14ドル(黒にも1ドルかけてたから)、つーことで、なんと初回入金5ドルが、15ドル、つまり3倍になってしまったわけだ。もちろんボーナス含むわけだが。

さて、ここからおそらく俺は負けるだろう。だがそれでもいい。途中の段階でもこれだけ一応増えたわけだし、500円払ってこれだけ楽しめて興奮してこうやってブログ更新するぐらい楽しめたんだからよしとする。

ちなみにここからの俺の戦略も決まっている。まず、ルーレットを空回りさせる。そして目の傾向を見る。そして、そろそろ来そうだなっていう目に集中的にかけていく。その作戦を取るつもりである。

このコラムは第二回に続く予定である。つーか、俺の持ち金がゼロになるまで続く。




その後。第二回のコラムを書く予定だったのだが、第二回はやってこなかった。

さっきの更新の直後、俺はあっさりと負けてしまい持ち金がゼロになってしまった。熱くなってさらに入金しようと思ったが、ゲーセンに行って遊んできたような金額負けただけだし、まあいいかと思ってこれでオンラインカジノは辞めることにする。

ブログ的にはもうちょっと儲かって、面白い展開になればよかったんだけどそう簡単にはいかないようだ。ということで、もうオンラインカジノは引退する。

ていうか、ルーレットを空転させることができないっていうのが酷すぎた。空転させられないから、目の傾向を知ることもできない。

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posted by kodokunikki at 15:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

2月10日 ご冥福を祈る

最近コラムを書いていて、バージニア工科大学銃乱射事件の奴とか加藤トモダイ君の事件とか、いろいろ書いてきた。それで思ったのだが、やっぱりこういう事件の被害者って凄く、言葉に表せないぐらい怖かっただろうなということである。俺はそんな世の中を変えたい、という思いはない。変わっていけばいい、とは思うけど、これだけ人がいたらこういう基地外も定期的に沸いてきてしまうのは事実だ。

そして俺はひたすら怖く感じている。犯罪に救いなどない、ということをみんなで認めることが大事なのではないか、と思うのだ。「冥福を祈ります」という言葉がある。冥福を祈るのは個人の自由だが、いちいちそれを公言することによって、なんか被害者が多少救われるような、成仏するというか、何かちょっとマシになるみたいなそんな幻想はないだろうか。

実際冥福を祈るって言うのは、生き残った人間の理性を保つためのものであって、やはり死んだ人間や犯罪被害者の人間は救われることはない。殺されるときの恐怖。苦しみ。その傷が刻まれたときの苦しみは永遠に事実として変えられないのである。そして、もう冥福を祈ろうが、成仏しようがその事実に変わりはない。

勝手に人を殺しておいて、成仏させるからいいだろ?みたいな基地外理論を封じるためにも、もう冥福を祈るのは辞めようではないか、と思ったのである。人が死んだときにマスコミは誰かにコメントを求める。だけどそれって本当に履き違えてないか?殺された奴のコメントこそが大事だろ。

でも当然死人に口なし、なわけであって、関係者とかのコメントで「悲しいです。ご冥福をお祈りします」とかじゃん。でも殺された奴の心情を代弁するんであれば、ひたすら怖かった、苦しかっただろ。でもそれが関係者のコメントで語られることはない。一番重要な部分が抜け落ちてしまう。そして墓を作って、祈って、犯罪者を更正させて、賠償金もらって、それで終わりにしようとしている。

なんか悲しいなと思った。それしか選択肢がないのは分かるのだが、まず事件を抑止させる努力が見えない。凶悪犯罪にハッピーエンドなんかないし、むしろ救いのかけらもないし、殺された人間の言葉をもっと反映してやらないとダメだし。殺された人間が、あの世から意見を言えるんだとしたら「加害者を殺せ、ひたすら苦しめて殺せ」だろ。多くの人間はそうじゃないか。

これもまた思考停止してんだけど、加害者を更正させることが被害者にとって救いになる、と思い込んでる人間がいて、実際そういうオメデタイ人っていうか、極度の御人好しみたいな人は、加害者に反省を望んで、経過を見るみたいな奴が居るけど俺はまったくそういう考えが理解できないんだけど

例えば俺らはホームレスを見かけてもカネを恵むことはしないじゃん。ボロボロの服を着て、凍死しかかってるホームレスを見ても毛布を買ってやることもしないじゃん。アカの他人だから当然。そこにきて、加害者と被害者の関係って、アカの他人以上に親密になるっていうそういうコンセプトがまったく理解できない。

前にもコラムで書いたけど、俺は反省しましたとかそういう手紙を加害者が勝手に被害者に送って、なおさら被害者が傷ついて訴えたとかいう事件があったけど、そんなもんじゃん。被害者側にとって、加害者っていうのは存在自体認めたくない存在だから。つまりはゴキブリみたいなもんだろ。

1億人もいる世界で、アカの他人の人生がどうなろうが知ったこっちゃないし興味を持つ暇もない。
むかつくアカの他人だったらなおさらだ。それなのに、犯罪の加害者は一部、「被害者のために更正したい」とかいうじゃん。被害者にしていいことはカネによる賠償だけ。その現実を分かっていない。まるで相手をモノかのように扱っているよね。相手の拒否権とかそういうの頭にないのであろう。自分以外の人間をモノとして扱ってきた基地外だから。

あまりに平和ボケしすぎている。「加害者の更正を見守りたい」とかコメント出す遺族側には反吐が出る。「加害者をこの手で殺したい!」でいいじゃないか。なんか優等生コメントの基準がおかしくないか?と思った。

もちろん、無残な事件が起こったことに対して残った人間がセレモニーをやったり、哀悼の意を示すことは大事である。それは生き残った人間に対するサインなのだ。でもなんか、俺はおとなしいなと思ってしまう。スポーツ選手が喪章みたいのを付けたり、なんかみんなでお祈りしたりしてそれで終わり。せめてできることはそれぐらいなのは分かるし否定はしないが

あくまで被害者は一切救われなかったっていう事実をちゃんと分かって欲しいと思う。こういう読解能力のない人間がまた事件を起こしてしまうのだから。

今日も乱文になってしまったが、必死に書いたので、応援クリックをよろしくお願いしたいところなのである。ところで何故か知らないが、今俺はブログランキングでトップ10に入っているのだ。

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posted by kodokunikki at 20:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月09日

2月9日 小沢問題を斬る

NHKを見ていると、小沢幹事長の続投とか、弁明についての納得の行く、行かないについて世論調査を行っていて、数字が出ていた。その数字を見てみると、納得行くが2割、納得いかないが8割ぐらいだっただろうか。俺はこのブログを通じて、民主党のダメさを訴えてきたわけだが、かといってどうしてここまで小沢叩きに国民は必死なのかも分からない。

自分たちで選んだ民主党ではないか。それをあっさりと手の平返して、小沢辞めろ辞めろってそれはないだろう。俺は自民に入れたから、よく分からないんだけど、自分たちで支持した政党を、よくもここまであっさりと裏切れるもんだなと思った。土地の売買代金?そんなのどうでもいいじゃん。

誰しも、ひとつやふたつ、黒い過去を持っている。それを都合よく隠して生きている、というのは先日のコラムでも書いた。もう少し謙虚になったらどうなのか、と俺は思う。そんなに人を批評できるほど偉いのか。そして、土地の売買代金の脱税だか何だか知らんが、少なくとも小沢はたくさんの所得を今まで稼いできて、

一般人の何倍も、何十倍も納税してるよね。そんな人がちょっと脱税したぐらいでここまで騒ぐ必要ないじゃん、というか騒ぐ権利ないじゃん。自分たちより遥かに国にカネを収めてきた人に対して、態度でかすぎじゃねえの?と思うわけ。

俺は犯罪というものに対しては、明確な被害者がいるのかどうか、という点を重視するから、こういう脱税とかだったらどうでもいいじゃん、と思ってしまう。

例えば、買い物してお釣りを多くもらったら、誰でもラッキーと思って教えないでしょ、そんなもんじゃないの?ちなみに俺は、一度コンビニで買い物したとき、お釣りを1万多くもらったことがある(なぜ1万も多くもらったのか思い出せないのだが)、その時はレジの子にちゃんと返してあげたよ。「多いですよ」と。

でも俺みたいなアホみたいに親切な奴って結構珍しいんだろうなと思う。このブログを始めた当初、コンビニバイトやってたじゃん。そのとき、レジに客からカネをもらうでしょ、そしてお釣りを出そうとするじゃん。そのときって、まず客からもらったカネって、すぐにレジにはしまわずに、

まずお釣りを渡してから、収納するのね。その間、レジのお金置き場みたいなスペースあるじゃん。あそこに一時的に溜めておくわけ。そしたら糞客が、自分が今払ったばかりの金を物凄い速度でサッと盗んだわけ。んで、俺もそれに気づいて

お客さんやめてくださいよって言ったら、ハハハとか言いながら返したけどさ。あれ、俺が気づいてなかったらそのまま返さなかっただろ。つまり強盗だよあれ。それぐらい、スキあらば何でもやってやろうって基地外がいるんだよな、みんなも注意してくれ。シャレで済まないんだよ、マジで。

さて、話は戻るのだが、小沢の件である。人よりもたくさん国に金を納めてきた人間が、ちょっと滞った、程度の事件じゃん。知らない顔してるから気に入らないんだろうか。たしかに法律上、悪いことは悪いことである。だからといって、別に誰が被害者ってほどの事件じゃないじゃないか。

そんなことに必死になる前に、やることあるんじゃないの?イジメじゃないけど、誰かの失態をいつまでもネチネチ絡むのって格好悪い。悪いこととはいっても、自分よりたくさん金を納めてきてる人間に対して、「もっとちゃんと収めろコラ!」ていうことでしょ?今回の事件に対する国民の声は。ヤクザじゃん。

ずっと前に、野村佐知代がコロンビア大学卒業したとかしてないとかで騒がれてたじゃん。あれと凄い似てる空気を感じてしまう。物凄いどうでもいいことで騒いでないか?今回。とにかく嘘をついてる人が気に入らない。被害者がいる、いないは関係ない。嘘をつくことは悪いことだ。それだけの理由で怒ってる。

思考停止。

自分にも他人にもたくさんの嘘をついて生きてきただろう、誰しもそんなもんだろう。いや、逆に今回みたいな下らない事件で必死に怒ってる奴に限って、偽りだらけで生きてきてる奴だろ。ちゃんと生きてるやつはこんな糞みたいなどうでもいい事件なんて、興味すら示さないもん。

自分でもたくさん嘘をついて傷つけてきたくせに、他人の嘘は許せない。そういうのって見苦しいよね。立場のある人間に噛み付いて情けない。まるで、ファミレス店員とかコンビニ店員とか、会社の名前背負ってる人に対して強気に出てる人みたい。ああいうサービス業の労働者のユニフォーム姿の人に対して異常に強気に出る人っているじゃん。

俺は逆に、コンビニ店員だろうがファミレス店員だろうが、そういう人だからこそ気を使って常に敬語だよ。出前取ったら「わざわざすいません」って謝るよ。メシぐらい本当は自分で食いに行かないといけないからね。

そういう謙虚さを大切にして欲しい。ましてや民主党ってあんたらが選んだ政党じゃん、と思うわけ。結局「良いこと」「悪いこと」に対する考え方が思考停止してんだよ。そして「悪いこと」をやった人間を叩くことで、まるで自分が正しくなったかのような幻想を、一瞬の優越感を抱くんだろうな。

世論調査といえば、最近不況の影響もあるのか知らないが、余暇時間が増えているらしい。仕事が減ってるんだろうね。んで、これもNHKで見たんだけど「生活の充実度はどうか?」というわけの分からん世論調査で「下がっている」が6割ぐらいだったかな。

生活の充実度が下がるのは国の責任なんだろうか。何か物凄いこじ付けだなと思った。基本的に、誰もが大人になったら年を取って毎年死に1年ずつ近づいていくわけだし、生活の充実度というか心の余裕なんか常に下降線に決まってるじゃないか。

まあ、それにつけても生活の充実度を臆面もなく「下がっている」と応える馬鹿も馬鹿だがな。生きてることに感謝してるの?こいつらは。ハイチ地震の報道を見るたび、食い物すらなくてつらい生活をしてる人がたくさんいるっていうのに、この国は

どうでもいい政治家の土地代金について大騒ぎしたり、生活に不満とか言ってみたり、ホント論外だよ!と俺は思ったのであった。今日も乱文になってしまったが、とりあえず労をねぎらって応援クリックをよろしくお願いしたいところなのである。

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posted by kodokunikki at 20:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

2月8日 アジアの純真

昼休みに食堂でニュースを見ていると、朝青龍のニュースをやっていた。関係者が出ていて「あの子は本当に純真で・・・」とかなんとかコメントしてた。んで思ったんだけど「純真」って何?これ、辞書で調べても出てこないよね。純心なのか純真なのか、あるいはその両方なのか。この「純真」って単語を使ってる奴って、その意味をキチンと理解してるのかなって思った。

この「純真」ってのは、昔PUFFYが「アジアの純真」っていう歌を出して、それで広まった単語ってイメージが俺にはある。でも思うんだが「純真」と「純粋」って意味同じじゃね?絶対同じだろ。でも「純真」で辞書を引くと、辞書に載ってないんだよ。ていうことは、最近できてきた単語なのか?と思った。まあそれはそれでいいとして、「純真」の意味をちゃんと定義してくれ、と思った。

純粋と純真はどう違うのか。そもそも違いはあるのかないのか。そして「純真」という単語を使ってるやつはその違いを理解しているのか、していないのか。何か煮え切らない思いになった。

つーことで今回のテーマはアジアの純真である。いよいよ来週にも始まるバンクーバーオリンピック。また当たり前のように日本人は、同じ日本人というだけで日本人選手を応援するのだろう。俺はこういうナショナリズムっていうの?こういうのが全然分からないわけ。

同じ日本人って言ったって、結局は他人じゃん。他人という意味じゃ、外国人も他の日本人も変わらないじゃん。それなのに同じ他人であっても、やはり日本人のほうが大切になるんだろうか。日本語って日本でしか使われてないんだよね。だから余計にそういう狂ったナショナリズムみたいのが根付いちゃったんだろうなと思う。

日本人にあらずんば、人にあらず、みたいなそういう流れ。これが結局日本語を日本人しか使わないという現実が余計に助長しちゃってるよね。外国人が何を言っても理解できないもん。人間なんてみんな同じじゃん。国境を越えて何が変わるというんだろうか。結局俺らは他人同士。その中に分かち合える友もいるだろう、殺人鬼もいるあろう、理解できない奴もたくさんいるだろう・・。

それだけの話じゃん。それなのに「同じ国」というだけで、思考停止して日本の選手を応援してしまう。これってどういうことなんだろうと思ってしまう。あくまで日の丸を背負うっていう現実がそこまで重いんだろうか。「同じ日本人として、恥をかかせないでくれ」とか、あるいは「同じ日本人として、日本人が強いってとこ見せ付けてくれ」てとこなんだろうか。

でも結局、よほどの知的障害者でなければ、そんなの意味がないって分かってるじゃん。スポーツの世界は黒人が最強。それは遺伝情報として手足が長くて、なおかつ筋肉がつきやすい体質なんだから仕方ない。

そこにきて、同じ日本人とかいうブランドってどういう意味があるわけ?仮に日本人が金メダルを取ったら、外国人が「日本人は凄いな」と思ってくれるんだろうか。多少はそう思ってくれる奴もいるのかもしれないな。でもホント、極一部だよ。結局人間ってのは個々人で違いがありすぎるっていう生き物だから。

殺人鬼もいるし、人を身代わりになって自分が助けて死ぬ奴もいるし、引き篭もりもいれば外を飛び回って活動してる奴もいる。勉強できるやつもいれば、落ちこぼれもいる。スポーツができる奴もいれば、できないやつもいる。才能も体格も教養も個性も何もかも違う。それが人間。

国境を超える、超えないに意味はない、ということはまともな人間なら気づいているだろう。例えば、何年前だったか、バージニア工科大学で銃を乱射した韓国人がいたけれど、あの事件があったからと言って韓国人を差別したりするのだろうか。

人種差別主義者は、最初から差別している。あの事件があろうがなかろうが、関係ない。逆に平等主義者は、やはり人それぞれ内面は違うのだから、人種だけで差別することはない。じゃあ、あの事件があって、韓国人は怖いんだって思って差別し始める奴も確かにいただろう、それは本当に何も考えずに生きてる馬鹿だね。まったく主張が見えないから。

それを言い出すと、宅間守とかはどうなる?という話にもなる。加藤トモダイくんもどうなる?という話にもなる。結局、これだけたくさんの人口がいる中で、どうしても基地外というのは一定数発生してしまう。それだけの話である。まあ、そういうのを差し置いても、韓国とか日本とか、それぞれの国によって国民性の違いという傾向は出てくるから、好きな国、嫌いな国というのを個人が意志として持つことは否定しない。

で、話は戻るけど、本当に馬鹿だよね。同じ日本人だから応援しますっていう考えが。仮に日本人を応援して、日本人が金メダル取ったところで、どうなるっていうのだろうか。自分の人生にどういう変化をもたらしてくれるというのだろうか。そこに人種の違いは必要ないではないか。好きな選手を応援すればいい。それがたまたま日本人だったという理由ならば仕方ない。だからみんなで浅田真央を応援すれば良いではないか。

まあ俺はどうでもいいけどね。まったく興味ないし。普段も口も聞いたこともない他人、そんな関係に変わりはない。どの国の選手も頑張ってるのは一緒。いや、ハングリー精神だけなら他の外国人の方が上。人間何でも「生きるための努力」が一番輝かしいものだ。それは道楽とは違う。ただ生きるためだけの努力、そういう選手がたくさんいる。オリンピックでメダルを取って、国に認められて補助金をもらって生活を豊かにしたい。子供のミルク代を稼ぎたい。そんな奴らがたくさんいる。

俺はそういうやつらこそ応援したい。

浅田真央は何?CMにも出て、豊かな生活を送って、もちろんがんばっているのは認めるけど、個人的な感情はまったく起こらない。まあ、本当を言うと、その他の選手全員どうでもいいんだけどね。他人の心配をしてる立場でもないし。でも、せめて個人的に誰か応援するんだとしたら、もっとふさわしい奴ってたくさんいると思うんだよ。

それを、メディアに洗脳された平和ボケの日本国民は「真央ちゃん真央ちゃん」って連日テレビに放映されるがままの浅田真央を応援する。思考停止。同じ国民じゃん。というだけの理由。「どうして同じ国民を応援しなければ行けないの?あんた他人でしょ?会話したこともないんでしょ」と。この現実に応えることはできない。

結局そういう奴らの頭の中はどうなっているのかというと、「日本人の株」のことしか考えてない。でも周りの外国人は日本人のことなんてまったく気にしてないのは前述したとおりだ。結局スポーツの世界では黒人が一番。あとは個人の世界。勝敗がどうなろうが、人種の評価に変化などない。

いや、仮にあったとしよう。「日本人は凄い奴が多いんだな」と認める外国人がたくさん出てきたとしよう。そういうのにすがりつくのってな情けなくないか?まあ、悪い気がしないのは認めるとしても、そこまで積極的に応援するってのはよほど暇人なんだなと思ってしまう。もう自分を諦めているからこそすがり付いてしまうのだろう。

まあ、誰でも自分を認めてもらいたいって言う欲求があるのは否定しない。それがアカの他人であっても、日の丸を背負った選手に向けられてしまうのも多少は理解できる。でもスポーツの世界だから。結局そこに人種的な評価はないんだよ。個人がいかに頑張ったか、それがただ客観的な数値として評価されるだけの世界だから。

これが芸能の世界だと多少異なってくる。例えば、歌手とか俳優とか、そういう本当の意味で、他人の理解だけで成り立っている産業だと、どう頑張っても人種の壁がある。スポーツのようにいい記録を出せばそのまま一番として認められるわけじゃない。だから同じ国民を応援したくなる、という気持ちも、多少は分かる。

そういえば、アジアの純真で思い出したのだが、パフィーってアメリカで凄い大人気だ、とかいうニュースが一時期メディアを騒がせてたよね。あれも結局、ナショナリズムっていうのか、同じ国民を持ち上げて自分のアイデンティティにしようっていう魂胆だよね。

でも、実際パフィーはアメリカで人気があったってのはカラクリがあって、あくまで「アメリカで人気があった」わけであって「アメリカ人に人気があった」というわけではなかったんだよね。そりゃそうだ、もう若くもない三十代のアジアのユニットがアメリカという巨大国家に出て、まともなプロモーションもなく売れるわけがない。

ましてや作詞作曲など他人任せのただのアイドルユニットに近いパフィーであればなおさらだ。で、現実はどうだったのかというと、アメリカの現地の日本人が騒いでただけだったらしい。アメリカでパフィーのライブがあっても、お客さんの9割以上はやっぱり現地在住の日本人。残りはその友達ってところ。でも、こういう一連の必死な報道を見て、俺が思ったのは

何か自意識過剰なんじゃないの?ていうことだ。外国人は日本人なんてなんとも思っちゃいない。日本に限らず、自分以外の存在はみんな人それぞれって言う当たり前のことを、みんなちゃんと分かっている。日本人が金メダルをいくつ取ろうが何しようが、お前の人生は好転も悪転もしないだろう。そんなことに何必死になってるの?と思う。人生は意外と短い。人の心配をしてる場合か?と思うのであった。

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posted by kodokunikki at 18:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

2月7日 幸せの形

どうして人は、幸せの形を同じにしてしまうのだろうと考えることがある。例えば女だと子供を生んで幸せとか、そういう考えがある。自分で子供を生むのは格別なのだろうか。そんなことしないでそのへんの孤児を引き取ったほうが世の中のためじゃないか?

人間は将来、死んだとしてどうなるのだろう。例外なく、地獄行きだろう。まともな人生を歩んでる人間は10000年ぐらいの地獄、酷いことをやってるやつは50000年ぐらいの地獄。それぐらいだと思う。俺らが正しいと思い込んでる概念は全て作られたもの。肉食にしたってそうだろ。動物を殺さないでも生きていけるほど文明が進化したにもかかわらず、変わらずに俺らは動物を殺し続けている。

みんなそれぞれ黒い過去を持っている。汚い過去を持っているに違いない。罪悪の日々を持っているに違いない。だがそれは都合よく忘れることができる。それがなければ生きていけないのだ。生きるとはそういうことなのだ。そして、こんな変なコラムを書いてると俺は危ない奴だと思われるかも知れないが、逆だ。

加藤トモダイ君にしろ、世の中の基地外というのは、こういうコンセプトを都合よく周りの人間にのみ適合させてしまう。だがそんなのは愚の骨頂なのだ。人間=自分 なのだ。世の中でコントロールできる唯一の存在が自己なのである。だから人間が生きる意味がないと感じたら、自分が死ねばいい。それしか許されないのであろう。

だが人間が必死に善に媚びたところで無意味。例えばベジタリアンにしろ、もしかしたら肉食者を殺したほうが手っ取り早いのかも知れない。だが当然そんなことはできない。ベジタリアンは、肉食は悪いことだと知りながら生活する。そう仮定すると肉食者は悪者だ。だが当然肉食者を断罪し、殺すことはしない。それをするのは基地外である。

つまり、こういう個人のちっぽけなプライドを満たしながら生きている、というだけなのである。

例えば狩猟というものがある。一部分で動物を殺していくことは認められている。目の前で動物を狩猟して殺している人間を見たとしても俺らにそれを止める権限はない。つまりは同罪である。

と、今日はこんなことを考えていた。文字数を稼ごうとするとこういうわけの分からない文章になってしまう。そして「DQNの文章」とか言われてしまうので辟易している。

実は今日、俺は株取引において、ひとつアイデアが出てきた。これはもしかすると、かなり安定して稼げるかも知れない、というアイデアである。だがこのためにはカネがいる。資金力が必要である。少なくとも、タネ200万ぐらいは必要。本当は300万とかもっと欲しい。
でも最低限200万ぐらいあればなんとかなる、と思っている。

200万まで貯金が増えたら、俺はセミリタイアすることにする。だが貯金200万まで増やすのは途方もなく苦労するだろう・・・

あああああああああああああああ!!!


カネが欲しい!!!!!

カネ!!!!!!!!!

で、思ったんだが、金貸し業者って年利15%ぐらいでカネを貸してるわけじゃん。もちろんリスクもあるから大変だな面もあるのだろうけど

逆に銀行に俺らはカネを貸してるわけじゃん。それなのに金利が1%未満っていうのは酷いなと思った。

話を元に戻そう。今回のテーマは「幸せの形」である。どうして人って幸せの形に縛られて生きていくんだろう。ガキの頃だったら「周りがみんなゲーム機持ってるから俺も欲しい」とか、親にワガママ言ったりするケースってあるんじゃないだろうか。人並みが欲しい。でも思ったのさ。人並みなんて何の価値もない。

サラリーマンとして働くことなんて何の価値もない。リタイアしてこそ価値がある。働いてるやつは全員負け組み。今となってはそう思う。たとえ年収1000万ぐらいの職業にめぐり合えたとしよう。

おそらくそいつは、最低でも50歳ぐらいになるまでその仕事にしがみつくだろう。そして、大半のやつは定年退職するまでその仕事を続ける。だけど、定年後の人生って少ないよな。そして高齢なんだよ。

65歳まで必死に働いて、貯金を1億ぐらい作って、さあ老後の人生エンジョイしようっていって読書したり、ゲートボールしたり、ゴルフやったり。もちろんそれはそれでいいだろう。

でも俺はまだ高齢者になってないから分からないけど、多分60歳ぐらい超えてくると、趣味をやるにしろ、何をやっても心から楽しめることはないんだろうな、と思う。実際俺は二十代中盤に入ってきてるわけだが、もう現時点であまりゲームとかに熱中できないもん。

こんなことやってる場合じゃないだろって思うし、もう老化が始まってるわけだし。毎日毎日シワの数が増えていくのを見ながら、ゲームなんてやりたくないじゃん。

だが人はみんな決まりきったように、高収入の仕事を続け、老人になっていく。それが勝ち組かのように。それがちょっとおかしいなと思っただけの話。

生活保護をもらって生活してるやつは確かにうらやましいという気分はある。でもその羨ましさ、そして悔しさが今回の俺の投資法の発見に繋がったこともまた事実。とりあえず、今回の更新で俺は「とりあえず200万の株資金を溜める」という目標を設定したわけであって、超乱文になったけど今回の更新はこれで終わり。

つまり、今後どうしようかというと、収入が少ないのだから、節約しなきゃなって思ったわけ。だから食事とかいろいろ節約していくことになるだろう。引越しもしようと思ってたけど中止することになりそう。引越しするカネももったいないから。

今回の更新は凄かったなと思う。よくもまあ、これだけ糞みたいなわけの分からない文章が書けるものだ。だがとりあえず更新しなければいけない。それがブロガーの定めなのだ。こんな糞な文章でも、4000文字に迫る長文になったわけであって

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posted by kodokunikki at 19:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

2月5日 嘘ばかりの芸能界

朝青龍が引退だそうだ。これについて、大相撲のファンで知られるデーモン小暮の文章を読んだ。以下引用。

「実に残念な結果。理由は第一人者の力がありながら、これだけのスター選手が体力気力の
限界とは別の理由で引退しなければならないとの点に尽きる。朝青龍はスポーツ選手・力士としては、たぐい
まれな身体能力や気力、闘争心を備え優秀だったが「横綱」が単なる最強者ではなく、日本人の心の奥底にある
美徳を具現化し、全力士の模範たる存在だとは最後まで理解できなかった。「横綱」を理解できないまま、番付
ばかりが上がってしまった朝青龍は、かわいそうな被害者だったとも言える」

というコメント。これをみて俺が思ったのは、何か凄い自己責任が放置されてないか?ということだ。もう4〜5年ぐらい昔の話になるのか、アイドルの安倍なつみが盗作したときも、コメンテーターは一部「まだ大学出て1〜2年ぐらいの年齢でしょ。それぐらいだったらまだまだ子供、仕方ない」とか言ってたけどさ。

誰にとって子供に見えるとかそういうの関係なく、もう大人じゃん。二十歳超えてるじゃん。この線引きができてない奴ってほんと情けない。少年法の適用を受けるとか受けないとかじゃなくて、実際に自我は生まれてからずっと成長してきてるわけであって、とりあえずその目安として二十歳を設定して、二十歳になったらもう一切子ども扱いはしないぞ、という

何か儀式みたいな感じで定型的に決められてるわけだけど、実際は19歳11ヶ月も二十歳も劇的な差なんてない。19歳11ヶ月だってもう大人。だけど人それぞれ、考え方が違うからちゃんとした基準を作りましょうって言うので二十歳から大人として扱われてるわけじゃん。そこにきて「まだまだ23〜24歳なんて子供、仕方ない」とかで犯罪を片付けられてもどうしようもないんだけど。

だいたいこういうのって少なくとも被害者と加害者の問題じゃん。どこぞこのコメンテーターが「仕方ない、まだまだ幼い人間のやったこと」とか言った所で意味ないじゃん。そういうことを考えられない時点で凄い幼いなと。だからそういう馬鹿の意見だからなおさら説得力がないなって思うわけ。

第三者の意見なんて何の意味もない。そんな状況下にもかかわらず意見を述べる。やっぱりその時点でそいつの意見は安上がりでまったく説得力の欠片もないんだよね。

さて話は戻る。朝青龍について言えば、もうすでにこいつは立派なアラサーの年齢である。そういう人間に対してデーモン小暮のコメント。確かに一理ある、というか言いたいことは分かる。でもやっぱり一番大事なところが抜け落ちていて、それは自己責任だろう。

「知らない」じゃ済まないんじゃないの?安部なつみの盗作の件もそうだけど「法律があるなんて知りませんでした」「盗んではいけないとは知りませんでした」「著作権に触れているなんて知りませんでした」とか。無知も罪というか。「知らなかった」という言葉で何もかも済まそうとする人間が多すぎる、と思う。便利な言葉だ、知らなかった、というのは。実際相手の脳みそを覗くことはできないから。

だから朝青龍の件にしろ「品格や大相撲の横綱が求められるものを知らなかったという意味で被害者でもある」とかいうよりも、まず「知れ」と。厳しく言わざるを得ない。その場でメシを食っていくものであるならば、その世界の常識についてはキチンと学ばなければならない。それも物凄い難しいことを要求してるわけではなくて、ちゃんとマナーを持ちましょうって言うことだけじゃん、言い換えれば。それだけ気にしてればどこでもほとんど通用するでしょ。相手のことを考えるとか、そういう簡単なこと。

それは知識として知るっていうより人格の問題だよね。知識の欠落だったらまだ同情の余地はあるかもしれないけど、そういうことだったら朝青龍だってちゃんと勉強したでしょう。でも勉強したって人格を変えることは難しい。だから今回みたいなことになっちゃったって訳で。大相撲の横綱として、毎月大相撲の知識が問われてペーパーテストを受けさせられて、歴代横綱の名前とか、大相撲の歴史とかを学ばされて、高得点を取らないと横綱として失格になる、とかだったら朝青龍だって勉強したし得点も取れたでしょ。でも性格の問題だから、どんだけ教育してもダメだった。

好き好んで異常者になったわけじゃないだろう、どんな犯罪者だって。どういう意味じゃみんな被害者だよ。でもそれを言い出すとキリがない。そんな当たり前のこと、いちいち言い出して「被害者でもある」とか言うの見ると情けない。だから俺はそういうこと言い出す奴に「世の中みんな被害者だよ」と言いたい。

みんな不平等だ。どんな境遇に生まれるのか、どんな顔に、どんな国に生まれるのか、どんな経済状況で生まれるのか、誰も決められない。みんな自分を選べないで生まれてくる。だから被害者だ。でもそこですべては終わるんだよ、それ以降は自己責任。全部自分で選んで行動する。ガキだって同じ。少年法で手厚く守られてるって言ったって、やったらいけないことに変わりはない。ちゃんと処罰は規定されている。

それをアラサーの朝青龍ができなかった。どんだけ「今の行動はダメだよ」という、知的障害者でも理解できるプロセスで教育して糾弾されても、やつはそれを繰り返した。いわば常習犯。そんな奴が被害者ヅラすることなんてできないだろ。言語道断とはこのこと。何を甘いことを言ってるんだと思う。ましてや相手のいることだし、被害者もいる状況で加害者に同情するコラムを掲載するとか、やっぱりデーモン小暮もアホなんだなと思った。

結局人気者に乗っかりたい、みんな。人気者を擁護することで自分の高感度を上げたい。実際そう考えてるつもりはなくとも、メディアの世界で食ってく人間は自然とそういう感じになってるんだよね。

この前、「クレヨンしんちゃん」の臼井義人亡くなったときもそうだった。何故か知らないけど、草なぎ剛がしゃしゃり出てきて、「残念です」とかいうコメントを出してたね。いや、俺はよく分からないんだけど、草なぎ剛はもしかしたら、クレヨンしんちゃんの大ファンだったのかも知れないけど、それにしたって人が死んで「残念です」ていうコメントってホント情けないよね。

一番悔しかったのは誰?臼井でしょ。死んだんだよ、あの人は足を滑らせて。「残念です」なんて言って天国に送り出してやったら可哀想だろ。残念なのは臼井本人だけで十分なんだよ。お前は感謝しなきゃ。今までたくさん楽しませてくれてありがとう、でいいじゃないか。その感謝の言葉も出てこずに「残念です」と草なぎは言った。情けない。いい人ぶってそういうコメント出したんだろうけどさ。

アカの他人が出すお悔やみコメントってほんと軽々しくて逆にむかついてくるな、と俺は思った。デーモン小暮の件にしてもそうだけど、もうちょっと他人の自我を認めたらどうかね。朝青龍の件にしても、やつは被害者でもなんでもなく、ああいう奴なんだよ。そして恥じることもない。これからああいうキャラで食っていけばいいじゃないか。犯罪犯さない程度で人格の自由は認められてるんだから。

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posted by kodokunikki at 19:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月04日

2月4日 仕事サボった

今日は体調が悪いっていって会社をサボった。まあいいだろう。週に5回も働くなんて耐えられない。つーことで、友達と温泉に行ってきたよ。レンタカー借りて。たまにはいいものだな、ていうか俺の借りてるマンションは追い炊きではないから、事実上風呂が沸かせない。シャワーを直接湯船に溜めてお風呂に入るしかないから。まあ基本的にお風呂には入らないタイプの人間なんだけどな。水代も高いし。

ということで、友達三人とドライブ。俺が運転して出発したんだが、今日踏み切りで事故があったっぽくて踏切が長時間止まってたのね。んで相当待ちまくっても相変わらず踏切が開かない、警察官がそこで交通整理してて、あまりに待ち時間が長いからか、どんどん俺の前で並んでる車がUターンして引き返していくわけ。

んで、そんな感じで俺も前に進んでいったところで警察官から声をかけられて「あと15分ぐらい踏切開くまで時間かかりますよ」と言われたわけ。俺は「じゃあ待ちます」と言ったの。

そしたら警察官が、Uターン組と同様に俺をオーライオーライ言いながら誘導しはじめたわけ。俺としては意味が分からんけど、前のほうで待機してろってことなのか?と思って導かれるがままそっちに車動かしてみたら

やっぱりUターンと同じ動きをさせようとしていて、これはやばい、あの警官勘違いしてるよってなったわけ。んで中途半端な位置で車を止めて、「Uターンしませんよ!」て言ったら

警官「え?でもさっきUターンするって言ったし・・・」とかブツブツ言ってるわけ。いやあびっくりした、すごい聞き間違いだなと。「待ちます」という4文字の文字列が、この警官の鼓膜にはどういう風に聞こえたんだろう。

それで結局俺は「じゃあ脇に止めて待機してください」といわれて、結局列からは離れる事になってしまって。それで、踏切がほどなくして開いたんだけど、案の定合流させてもらえない。一番前で俺が待ってたのに、ガンガン後ろで待ってた車が踏み切りを通過していく。

ずーっと待って、結局最後の一台がすっかりいなくなってガランドウになるまで待って、やっと誰も居なくなってから通過できた。あのエラの這った馬鹿警官、ほんとどういう耳してんだろと思った。自信満々に「Uターンするって言った」とか・・・・

ファーストフードじゃないけど、MとかLとか凄い発音が似てるじゃん。だから店員は、絶対に聞き間違えないように、相手の意思を汲み取るようにしっかりと耳を研ぎ澄まして、なおかつ復唱したりして対処してる。そこまでいかなくても

誰にでも聞き間違いはあるけど、このレベルの聞き間違いはないじゃん。だから「あの警官、ぼーっとしていて言葉を噛み砕くの忘れてたんじゃね?」て話になって。あるよね。こういうケースって、ままあるじゃん。ノリツッコミじゃないけど、相手が言ったことに対して、何か自分の先入観が働いてて勘違いしちゃうケース。

実際、俺の目の前の車、何連荘ぐらいでUターンを選んでたのね。だからだろうけど、だから余計にどうせUターンするんだろって先入観があって、言葉を噛み砕くのを忘れたっていうところ。

例えば「ピザ」って10回言わせた後にひじを指差して「ひざ」とか言わせるみたいなのあるじゃん。ああいうもんなんだろうなと。そのあと、車内で「あの警察官はいったい何を考えて生きてるんだ」ていう話で大いに盛り上がったw

「待ちます」「MATIMASU」が「行きます」「IKIMASU」に聞こえたのだとしても、それって社会生活できなくね?みたいな話になった。

ま→い
ち→き
ま→ま
す→す

となるわけだが、この警官は「ま」が「い」に聞こえて「ち」が「き」に聞こえる人間なのかと。

だったら「ちまちまするな!」という罵声が「イキイキするな!」という何ともわけのわからん褒め言葉みたいな言葉に聞こえるんだなという話になって爆笑。「マッチ売りの少女」が「いっき売りの少女」?みたいな。

こんな感じでグダグダ言ってるが、無茶苦茶待たされたんだよ!!踏み切りに、そして車に。あのアホ警官。まあ温泉は良かったぞ。わざわざ長野県まで遠征してきた。つーかこのまま派遣やめる可能性もゼロではない。実は今、工場の派遣で時給1100円の案件が持ち上がっているのだ。早めに返事くれって言われてて迷っている。

貧乏人にとって時給200円の違いってのは結構でかいわけで。とはいっても肉体労働だしどうしようか迷っている。さて、このブログもたまには書くことがなくなることがある。そんなときのために、俺は小説を書いてみようと思っている。どうやらブログ出小説を書いてる人、というのは結構多いようだ。

一応アイデアは固まっている。18禁ぐらいのちょっとグロい感じの小説を書く。とはいっても殺戮とかそういう感じではなく、カイジ系の裏社会の小説を予定している。誰かひとりぐらいは熱心に読んでくれるだろう、それでいい。
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posted by kodokunikki at 22:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

2月2日 生涯の誓い

前にも日記で書いたことはあると思うのだが、俺は今年に入ってから一度もオナニーしていない。そして俺は決めた。もう生涯、俺はオナニーすることはないだろう。なぜこんなことを思ったのか、理由がある。それは人間とは何だろうと思ったのだ。

今、僕はとある小説を読んでいる。その小説を読んで考えさせられた。人間は何でも食い、何でも壊す。その人間に生きる価値はあるのだろうか、ということである。だが俺はこの小説を見て思った。生きる価値、というものそのもの自体に価値がない、ということである。

価値とは何であろうか、価値というものは自分自身の物差しでしかありえないものである、ということを最近俺はよく考えるようになった。例えば、箸の持ち方、というものがある。箸の持ち方一つとっても、正しい持ち方、正しくないもち方、いろいろあるようだ。だが、ハシの持ち方の正しさとかそんなのどうでもよくないか?

個々人が持ちやすい持ち方で持てば良い。それだけの話だ。俺はあくまで普通にハシをもてるし鉛筆の持ち方も普通だ。だが、ガキの頃はおかしかった。それでよく奇異のまなざしで「お前の鉛筆の持ち方おかしいよな」みたいな感じで見られた。そういう「人と違う」ということに対してやたら攻撃的になる人種がいる。だが俺はそういう考えは浅はかであると思っている。

違うことは悪ではない。だが人間は、人間ではない、というだけの理由でさまざまな動物を殺してきた。そして、同じ人間である、というだけの理由でハイチ地震の被害者などを救おうとしている。俺は全ての動物を救いたいと思っている。人間だから優遇することもないし、動物だから馬鹿にすることはない。

だが現状、最近の話だが俺はベジタリアン生活をやめて肉を食い始めてしまっている、という現状がある。なぜ俺はこんなに決意が弱いのだろうか。人間、動物というククリで生命を見たくない。どんな動物にも悪い生き物、ダメな生き物それぞれいるだろう。どんな動物でも生きている。どんな動物でもそれぞれ違った個性を持っている。

俺らが生活する場は社会である。社会には法律があり、そのバランスによって互いが互いを監視し、社会生活が成り立っていることになる。だがどんな世界にもクズはいる、ストレスを無差別殺人に向けたり、生活保護でパチンコや風俗に行ったり、カツアゲで5000万も恐喝した奴もいる。そんな奴らが

人間、というだけの理由で優遇されている。人間だから動物を支配する権利もある。さまざまな動物を殺し、実験し、食べ、生活することができる。逆に考えてみたら、人間が人間同士で人体実験し、人肉を食い、生活していたら恐ろしい。だが、「種類」が違う、というだけで俺らはその現実を摩り替えることができてしまう。

この世に法律がなかったら世の中はどうなってしまうのだろう、と考えることがある。この場合、社会生活自体が成り立たなくなる。俺らは人間同士でも言語を通じて対話している。それによって互いの意志を確認している。もし世の中に言語がなかったらどうなったのだろう、と考えることもある。おそらくまだ戦乱は続いていたのではないだろうか。

人間は動物を食べるとき、食べられる動物に感謝して食べればいい、という教育をする。だがそれには意味がない。動物にとっては人間がやっていることはただの虐殺である。虐殺に正しさも何もない。俺はその現実をまだ向き合えないでいる。その証拠につい先日も冷凍食品のチキンカレーピラフを大量に購入してしまった。

たしかにおいしい、だが俺は肉を食っている。一時期辞めていた肉食が復活してしまっている。俺はなぜこういう考えに至ってしまったのか考えてみた。誰でも同じような結論に達するのだろうが、それは結局「自分で殺してない」からである。スーパーマーケットに並ぶ肉は、既に肉になっていてまるで商品のようである。そこに死は感じさせない。動物の死肉を食っている、という感覚はなく、ただの肉を食っているようである。

だがその肉は、死骸なのだという事実がある。もしこの世にお金がなかったとしたら、自分で食べるものは自分で用意しないといけなかったとしたら、つまりは動物を食べたい場合、自分で殺さないといけなかったとしたらどうなるだろう。おそらく肉食は大幅に世界中で減ることになるだろう。

だがそうはならない。死刑執行は自分ひとりで行うわけではない。たくさんの人間が肉を食べる。同じ牛、同じ鶏肉は1匹からたくさんの人間に食べられる。「俺ひとりが殺すわけではない」という意識なのだ。先に誰かが肉を食べるために、1匹の動物の殺害を依頼したとする。そして俺らはその列に並んでいる立場なのだ。

と、結局結論の出ないことをいろいろ考えていた、今日は。オナ禁から大幅に話がそれてしまった。3000文字の更新とはしんどいものだ。物凄いわけの分からない文章になってしまう。今日は反省している。

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posted by kodokunikki at 22:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

2月1日 ブログPR

俺はブログランキングに参加してるんだが、最近応援クリックが減っているという状況である。そこで思った。俺は明日から、毎日3000文字のテキストを書く。それぐらいの文字を書いて更新する。誰がそんなに大量の俺の文章を読みたいんだ?と思うかもしれないが

たぶん、ブログランキングに応援クリックしてくれてる読者の大半は俺のブログをブックマークしてくれてる読者だと思うわけ。そしてそういう読者のために多く文章を下降ではないかという結論に達したというわけ。

ということで、今回は俺の意気込みを買って応援クリックをお願いしたい。というか




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posted by kodokunikki at 23:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月1日 上下関係

日々が空しく過ぎてゆく。当たり前である。俺は普通のリーマンのような生活を送っているのだから。リーマンのような生活であっても時給900円という派遣の身の上に変わりはない。日々やる気が削られていくのが身に染みてわかる。

そんな感じでやる気なく働いてるからだろうな、派遣先のとある社員から目をつけられ始めている(?)。今日、いつものようにテスト作業をしていると、その社員が俺らのところに来て「この箇所で変なバグが見つかった」「だけどお前らのテストはOKになってた」「ちゃんとやってるのか」という話になった。

その項目をテストしているのは主には俺だが、今日は午後からヤサオ君も余った時間で手伝ってたし、必ずしも俺じゃない。だがその社員が「とりあえずこれを書け」といって、始末書みたいなものを俺に渡した。なぜ俺なのだ!!!!

客観的に可能性が高そうなのは俺だということは認めよう。俺がそこの項目は一番作業してるんだから。だがあくまで確率だ。確率が高いから、そいつの責任にしようってのか?と、俺は言いたいことはたくさんあったが、どうせ時給900円の身の上。これ以上失うものなど何もない、ということで、

俺がミス発生者として「担当者」の欄に名前を書き、その原因とかを書かされた。酷くね?俺は今回の派遣の中ではちょっとチャラオっぽい外見をしている(といっても中身がチャラオじゃないのはご存知の通りさ)

だからか?人間見た目は大事だ。見た目でチャラチャラしてるやつはそれだけで何か問題があったとき疑われる。ということだろうな。ちなみに俺なんてちょっと髪の毛染めてるだけだぜ?ほんのちょっと脱色してるだけなのに、服装もちょっとだけアメリカンっぽい感じなだけなのに。酷くね?

オッサンなんていつも同じ服を毎日着てきてるし、ヤサオ君はスーツだし、まあでもいまどきの若者なんてこんなもんでしょ。俺は絶対ハデな見た目ではない。でも思ったんだけど日本ってサラリーマンって基本的に髪の毛とか規制されてる場合多いよね。女の子は最近暗黙の了解みたいな感じでヘアカラーが認められてきてるけど

男の場合はダメじゃん。なんだろうね、あれ。髪の毛染めてると一部の昭和初期生まれのオッサンオバサンが「何だあの不良は!」とか切れてくるのかね。でも俺は思うんだけど、そんなこと言ってくるキチガイがいたとしても、そんな客はどんどん切ればよくね?

社会人のマナーって何よ?見た目がどうこうとか言ってないで、もっと中身を見ないとダメだろ。黒髪のまま秋葉原で大量殺人行った加藤トモダイ君みたいなキチガイもいるよ。そりゃ茶髪のほうがアホが多い、というのは統計的には出るんだろうな。でもあくまで統計だよ。

真逆の人だっているんだよ、俺みたいにさ。ほんのちょっとした期待値の違い、それだけで人をどうこう決め付けようとする連中が存在するってのが恐ろしいよな。ちなみに俺が髪の毛を染めてるのは、髪の毛のサラサラが持続しやすくなるから。それだけの理由。黒髪だとすぐにべチャッとしちゃうんだよね。

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posted by kodokunikki at 21:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする