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経済団体が動いた。次は政治が決断する番である。
日本経団連は企業・団体献金に関与しない方針を決めた。長らく支持してきた自民党が政権から転落したうえに、「政治とカネ」がますます大きな政治課題となった現状に配慮せざるをえなくなった結果だ。
経済同友会も企業・団体献金の原則禁止を提言した。
政治にカネを出してきた経済界だが、政治資金にまつわるスキャンダルから、もう距離を置きたい。個人献金主体の仕組みに変えたい。そういう意図がはっきりしている。
労組と政党の関係でも「組織丸抱え」の問題が放置できなくなっている。政治不信を断ち切るため、企業・団体献金の廃止に向け、与野党あげて踏み出すべき時である。
企業献金のあり方は、金権スキャンダルのたびに見直されてきた歴史がある。経団連による政治献金の「あっせん」方式は昭電疑獄や造船疑獄を経て1950年代に確立したものだ。
個別企業から特定の政治家への献金が疑獄事件を生んだとして、窓口を経団連に一本化し、経団連が加盟企業に献金額を割り当てた。だが、企業から政治への不透明なお金の流れは止められなかった。
経団連は93年に東京佐川急便事件などを契機に献金の「あっせん」から手を引き、献金に関与しなくなった。その後「おカネも出すが、口も出す」とした奥田碩氏が経団連会長に就任。04年に政党の政策評価に基づき企業に献金を促す仕組みをつくり、献金額が増えた時期もあった。
しかし、民主党は総選挙の政権公約で企業・団体献金の禁止をうたい、政権交代で企業献金の大義名分は一気に薄れた。企業は株主や社員らに献金の妥当性を説明しづらくなった。
そこで経済団体の今回の方針や提言となったわけだが、献金の出し手の動きに比べると、政治の側の取り組みは、いかにもぐずぐずしている。
鳩山由紀夫首相や小沢一郎幹事長をめぐる「政治とカネ」の問題が焦点となり、首相みずから「企業・団体献金を禁止する」必要性について国会で繰り返し答弁していながら、政治資金規正法改正案を提出する動きは鈍く、与野党の協議も進んでいない。
企業や業界の利益に目が向きがちだった政治のありようを変え、国民の生活を第一に考える。そんな民主党の理念が国民を引きつけ、政権交代が実現したのではなかったか。
経団連の献金への関与とりやめを好機として法制化と新しい政治風土づくりを進めるのでなければ、鳩山首相は国民を裏切ることになる。
与野党は通常国会でただちに議論を加速してほしい。
重厚な旋律に舞い、世界で彼女しかできないジャンプを決めた浅田真央選手。誰をも魅了するすばらしい演技が銀メダルをもたらした。
金メダルに輝いた韓国の金妍児(キム・ヨナ)選手は、しなやかな滑りと豊かな表現力で世界最高得点の完璧(かんぺき)さだった。
五輪の長い歴史の中でも欧米勢の独壇場だった女子フィギュアで、アジア勢が2人表彰台に立ったのは初めてのことだ。
2人の19歳を心からたたえたい。
いずれも4年前からすでに世界の一線にいたが、トリノ五輪には若すぎて出られなかった。それ以来、お互いの存在を刺激にして成長してきた。ともに外国人コーチに学び、異文化からさまざまなものを吸収した。隣り合う日韓の2人がこの種目の水準を引っ張ってきた。
4位には両親が日本人の米国代表・長洲未来選手、5位には安藤美姫選手が入った。上位5人中にアジア系が4人である。男子フィギュアのシングルでは高橋大輔選手が銅メダル。ペアでは中国が初の金と、銀もとった。
銀盤に、アジアの色鮮やかな華が咲き競ったかのようである。
まもなく閉幕を迎えるバンクーバー五輪では、他競技でもアジアからの風が吹き抜けている。
スピードスケートの男子500メートルは韓国選手が優勝、長島圭一郎、加藤条治両選手が銀、銅を獲得した。女子500メートルも韓国選手が金。ショートトラックは韓国、中国が席巻している。韓国、中国は全体のメダル獲得数でも上位に進出し、欧米中心だった冬季五輪の世界は様変わりした。
1986年に日本が札幌で初めて開いた冬季アジア大会が、アジアの冬のスポーツ熱に火をつけた。冬季アジア大会はその後、日本、中国、韓国で開かれている。
韓国のスピード選手は日本選手をお手本にしてきた。逆に、ショートトラックの日本チームは韓国人の五輪メダリストをコーチに招く時代になった。中国も各競技に、韓国などから積極的にコーチを招いている。
国境を越えて行き交う選手や指導者が、互いの技を高めあった。そこに地域の経済発展が重なり、冬季スポーツでのアジアの台頭を生んだといえる。
韓国はソウル郊外に1年中使える各競技の練習施設を持ち、巨大財閥が資金面で支えている。競技者が東北出身に限られていた中国は、各地にスキー場やスケート場をつくってきた。初出場で優勝候補にも挙げられたカーリングにまで、すそ野は広がった。
身近な国とフェアに競い、学び合う中でアジア全体のレベルが上がり、その結果、世界でのアジアの存在感が増していく。スポーツから学び取るべきことは、実に深い。