自分がよく出入りする2ちゃんねるの
某スレッドにて、以下のような書き込みを行いました。
926 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2006/10/24(火) 17:32
松原の「人間通になる読書術」にこういう記述がある。
『が孔子は時に激しく怒つた男なのだ。「樂しんで以て憂を忘れ」るのみならず、時に「憤を發しては食を
忘れ」た男たのだ。』
論語の「発憤亡食」つうのは、松原が言うような「怒りのあまり食を忘れる」じゃなくて正しくは「(学問に)
発憤して食を忘れ」というのが正しい解釈。
このことは呉智英が指摘しているし、岩波文庫から出てる「論語」にも普通に記載されている。
「一部分が駄目なら全体が駄目である」という松原の持論に照らし合わせれば、「人間通になる読書術」
は駄本ということになる。 |
そして、この書き込みを
前田嘉則さんのブログに紹介したところ案の定、野嵜健秀氏と木村貴氏の両大将から素敵な批判をいただきました。
いちおう、前田さんのブログに反論はしておいたのですが、言い足りなかったことがあることと、これ以上前田さんのブログを汚すのは前田さんに失礼であると考え、ブログを立ち上げた次第であります。
で、木村氏ご自慢のブログ「
地獄の箴言」で展開された、自分への批判について若干の反論を今一度試みてみたい。
木村氏は、松原さんの誤謬を擁護すべく、なんと夏目漱石の「坊ちゃん」を引き合いに出してきました(呆然)。
言葉遣ひに几帳面だつた森鴎外と異なり、夏目漱石の文章には好い加減な宛字が隨分出て來る。「坊つちやん」で云へば「瓦落多(がらくた)」「八釜(やかま)しい」「六(む)づかしい」等。それから論理性にも無頓着な所があつて、同じく「坊ちやん」の冒頭、西洋ナイフで指を切つてみせようとする插話で「右の手の親指の甲をはすに切り込んだ」とあつて、右の指を切るには左でナイフを持つ左利きでなければならず、何かの伏線かと思はせるのだが、結局物語の展開上、坊ちやんが左利きである必然性は何も無い。
「地獄の箴言」より一部引用
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謝れ!夏目漱石に(ry
小説の物語の展開上の不備と論語の誤解釈を同列に論じる木村氏の知的センスには恐れ入る他ないですね。
「人間通になる読書術」は小説ではないし、ましてや松原さんの誤謬は「物語の展開上の不備」などではない。
こういう、同列に論じられないものを同列に論じ、あたかもそれが正しい認識であるかのように喧伝する、それが松原信者クオリティ。
松原さんの誤謬というのは、誤字・脱字というような可愛いものではありません。
松原さんは「人間通になる読書術」の中で、山本七平の論語本を批判しているわけですが、山本の論語解釈を批判している人が、論語の初歩的な(呉智英氏によれば、高校漢文程度の学力を疑われるほどのミスらしい)誤読を犯してはまずいと思うのですがね。
木村氏が言うところの「質的杜撰」ってやつではないでしょうか?
まぁ木村氏は、松原氏の誤謬自体は認めているようですから、良しとしましょう。
最後に個人的な感想を一つ。
西尾氏や西部氏といった「論敵」の誤謬や悪文は居丈高に非難するくせに、松原氏や味方陣営(特に野嵜氏)の誤謬や悪文は「ドウデモイイ」で済ますのは、「知的誠実」を旨とする人としてはいかがなものなのでしょうかね。
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