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【スポーツ】

真央全力 銀の涙 「3人とも、よくやった」拍手、歓声

2010年2月26日 17時37分

女子フリーの演技を終え、得点を待つ浅田真央選手。右はタラソワコーチ=25日、パシフィックコロシアムで(共同)

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 「3人とも、よく頑張った」。25日(日本時間26日)の五輪フィギュアスケート女子のフリー。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を2回決めた浅田真央選手(19)=中京大、トリノの雪辱を果たした安藤美姫選手(22)=トヨタ自動車=に母校など地元から惜しみない拍手が送られた。復活した鈴木明子選手(24)=邦和スポーツランド=も全力を発揮した。それぞれのドラマを知る人々はその活躍に胸を熱くした。

 「銀メダルおめでとう」。浅田選手と安藤選手が在籍する中京大は、愛知県豊田市の同大豊田学舎の教室で26日、応援会を開いた。浅田選手の銀メダルと安藤選手の入賞が確定した瞬間、会場からは大きな拍手が起こった。

 700席ある会場には演技前から学生や地元の人たちが多数つめかけ、立ち見も。直前には、浅田選手が出発直前に撮ったビデオメッセージを紹介。「皆さんのパワーがバンクーバーに届くので、応援よろしく」と呼び掛けた。

 安藤選手の登場に合わせ、集まった人たちは「美姫!」「美姫!」と名前を連呼。手を合わせ、祈るように見守った学生たちは、ジャンプやステップを決めるたびに、「よっしゃ」と拍手を送った。続く、キム・ヨナ選手の完ぺきな演技には、大きなため息がもれた。

 この後、浅田選手が登場すると、会場はこの日で最も大きな歓声に包まれた。演技終了後、浅田選手の得点が金選手の得点に及ばなかったが、浅田選手には惜しみない拍手が送られた。

 浅田選手と同級生で、スケート部の水津瑠美さん(19)は「浅田選手は中盤のミスがもったいなかったけど、すごい」とたたえた。会場で応援していた同大体育学部3年の大石兼司さん(21)は「金選手の演技が良すぎたからプレッシャーがかかったかもしれない。でも、すばらしい銀メダルです」と興奮気味に話した。

 浅田選手、安藤選手がかつて練習していた名古屋・大須の名古屋スポーツセンターでは26日、一般客や通行人ら約50人が用品売り場のテレビ前で観戦。食い入るように演技を見つめ、ジャンプが決まるたびに大きな歓声が上がった。

 名古屋大フィギュアスケート部で3年の平手聡さん(20)は、浅田選手の演技について「ミスはあったけど、トリプルアクセルが良かったし、最後まで曲を表現しきっていた」とたたえた。同部で南山大1年の国枝久美さん(19)は「金選手は点数で、真央ちゃんはトリプルアクセルを合計3回も跳んで歴史をつくった。同じ年とは思えない精神力ですごい」と話した。

◆大人の美姫 熱演

 演技後、万感の思いを込めて、何度も天井を見上げた。屈辱のトリノから4年。あの時、満足な滑りはまったくできなかった。そんな安藤選手をある出会いが変えた。トリノ五輪後から指導を受けるニコライ・モロゾフコーチ(34)。フィギュアへの見方を変えてくれた師であった。

 以前は4回転などのジャンプばかりが注目された安藤選手。モロゾフコーチの下で練習を重ね、演技力も兼ね備えた大人のスケート選手へと変ぼうした。

 ジャンプへの強いこだわりを消せなかった安藤選手に、モロゾフコーチは怒鳴った。「フィギュアはジャンプだけじゃない。人に見せるスポーツ。僕を信じないならコーチとしてリンクに立たない」

 間違っていたと気付いた。ジャンプなどの技術に加え、表現力も磨いてきた。難易度の高いジャンプに成功しなくても、世界と十分に戦えるまでになった。

 練習では、リンク上で激しく言い合うこともあるという。安藤選手は「毎回怒鳴られる。きついと思うこともあるけれど、それがあるから試合で自信が持てる」と、大きな信頼を寄せる。

 「4年前から成長したねと言われるように頑張る」。フリーに向けて、こう話した安藤選手。あのトリノとは打って変わり、落ち着いた滑りで大人の舞をみせた。

◆鈴木選手 満足の入賞

 摂食障害を克服して、この場に立った。その感慨、気持ちの高ぶりを静めるように長久保裕コーチと数分間、言葉を交わし、リンクの中央へ。本来は悲劇のウエストサイド物語だが、鈴木選手はそれを明るさと喜びにあふれた演技で別の世界に変えてみせた。

 1年前、必ず戻ってくると誓ったバンクーバーのリンク。今回の五輪と同じ会場で、2009年2月に開かれたフィギュアスケートの四大陸選手権。鈴木選手は8位に終わった。

 「ベストの演技ではなかった。自分としてはいっぱい、いっぱい。でも、あの場所で滑ってみて、戻ってきたいとすごく思った」。五輪への意欲を強くした。

 そのときに訪れたバンクーバー市内の日本料理店には、お守りを残して帰国した。「また戻ってこられるように」と。

 それから1年。激しい国内の代表争いを勝ち抜き、誓いの地のリンクに再びたどり着いた。

 SPでは、初出場の緊張感もあり11位。鈴木選手は演技後、「自分の持っている力を出したかった。ミスなく滑りたかった…」と、反省の言葉も口にした。

 「悔しさと申し訳なさはフリーで返すしかない」。そう言って臨んだこの日。滑りきった瞬間、全力を出し尽くした。そんな満足感が全身を包んだのだろう。とめどもなく涙があふれた。

(中日新聞)

 

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