占いは何のためにあるのか、
難しい問いですね。
占いとは、天地自然の働きを観、人の命運のリズムを観、
天の意を伺い、自己の修養結びつけるもの…。
本来は個人の一身上の幸せを追求するものではありません。
確かに、祐気や吉方取り、水晶玉を埋める埋金法などによって、
身に降りかかる災いを大難を小難へ、
そして幸せへと変えることができたかもしれません。
でもそこで終わってしまってはいけないのです。
占いに依存する人は、占い師にとってはある種のありがたい存在です。
占い師にとってリピート客が増えることは売上の安定に繋がります。
但しそうやって占いを頼ってばかりいる人は、
人としては概して問題児であることが多い。
例え困難や多少の悩みがあっても、
勇猛果敢に生き抜く精神力と智恵を養わなければいけません。
占いがなければ生きていけない…、という人は決して健全とはいえません。
ホロスコープや盤から人の命運を読み取り、
己の欠点や弱点を見つけ、それを修養に向けることが大切なのだと思います。
単なる願望成就の手段として、占いを使うのは邪道だという事です。
占いは学べば学ぶほど、的中する面白さがあります。
しかしその面白さに目が眩み、本来の人の道を誤ってしまう可能性があるのです。
その占いの落とし穴に、占い師自ら闇を作り落とし穴を大きくし、
自らも穴にはまってしまうものなのです。
もちろん正しい真心のある、
人の道を知っている占い師も多かれ少なかれいるようです。
人生の大きな節目、二進も三進もいかなくなったときに
占いで人生の大局をみることはいいことだと思います。
でもそのことを知らぬ占い師や、
開運や願望成就にウェイトを置く占い師は対象となる人の、
人生の修養と生活の知恵を学ぶチャンスを摘んでしまう恐れがあるのです。
また己の開運と願望成就のみを求める人や占い依存の人というのも、
自ら人生の修養や生活の知恵を学ぶがチャンスを失い、
ワンランク上の人生への脱皮を逃しているのです。
(たぶん、つづく)
この話はいずれ編集して、Angel's wing のエッセイ集に載せる予定です。
2009年07月21日
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