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つれづれ小腹立ち日記 春田の極私的日記
日記へのコメントは春田
  台湾の旅ほか  / YOUTUBE動画


2月25日(木)

●「品川編」の男優の応募者は多く、写真の選考で数人に絞り、順次、会っている。本日会った方は、まさに役にぴったりで、あまりぴったりすぎるのは、よくないのでは、と思うほどであった。経歴が変わっていて、50歳を過ぎてから役者を志し、その取り組みが真面目なので、仕事も舞い込んできて、現在、映画、テレビの脇役として、あちこちに出ている。たいへん謙虚な方で、自分はまだ新米ですからと、ワシを立てる。こういう人柄が、たぶん、人に好かれて、いろんな仕事が舞い込んでいるのである。ワシもこの方でGOしようかなと思うが、いちおう、残りの全員に会ってみようとは思っている。
●本日は、だいぶ温かく、いよいよ春の到来かと思う。歩いていても気持ちよく、上の面接のあと(中野で会った)、→高円寺→阿佐ヶ谷→荻窪と、歩いた。荻窪で170円コーヒー店にはいり、しばし読書した。
●『”I T”と呼ばれた子 少年期』(ディヴ・ヘルザー著)を読んだ。母親の虐待から救助された主人公は救護院を経て、里親にあずけられる。その14〜17歳くらいのことを書いている。母親の呪縛から逃れられない精神の傷や、里親制度の実際が、主な内容である。最初の「幼年期」より、陰惨さは減り、人生前向きになっている。しかし不思議なもので、主人公が前向きになると、本は、つまらないのである。この本の魅力は、なんといっても虐待の様が興奮をかきたてるのであって、虐待から救われてハッピーになっては、つまらないのである。読者は残酷なものである。もっと虐待シーンを見たい、と読者(ワシだが)は思ってしまうのである。そのへん、著者も承知していて、書き方、構成が実にうまい。まるで良くできたホラー小説のようだ、とワシなどは思ってしまった。世間では、この小説は(3部作ぜんぶ)、実録ではなく、フィクションだ、という説もあって、そうかな、とも思う。しかし、嘘(うそ)か、実(まこと)か、は、どうでもいいことのように思える。どのくらい人の心に訴えるか、が勝負である。その基準で言えば、この「少年期」は感動もあって、面白く読んだ。


2月24日(水)

●「品川編」の撮影場所がきまらず、本日も、中野あたりを歩いた。しかし、ここ、というのは見つからなかった。今や、どこへ行っても同じだ、という感が強くなり、勝手知ったる地元の三鷹で探そうか、と思いはじめている。
●おもろい坊主こと、藤川清弘さんが昨夜、亡くなった。癌であった。この人は死なないだろう、と思っていたので、意外であった。まだ68歳、坊主としては、死ぬのが早すぎる。ワシは藤川さんが修行するタイのソンクラーンの寺に会いに行ったことがあり、朝の托鉢も一緒にしたりした。押し出しの強いわりには、神経が細やかで、”I T”と呼ぶれた子供ではないが、かなり逆境に育ったことは察せられた。60歳を過ぎてから、日本の世直しをするんじゃ、との意気込みで、タイから日本に帰ってきた。日本には不幸な人間が多すぎる、と常々言っていた。不幸というのは、精神的な面のことである。ワシは藤川さんのその活動に賛同し、見守った。しかし和尚の日本での活動は、いまいち、であった。もともと不良だから、向っ気が強く、その活動は目立つところに向かいがちだった。北朝鮮に行ったり、テレビに出たりした。そうした活動は、いいにはいいが、ワシからすると、もっと静かに腰を落ち着けて活動したらどうなのか、と思うところがあった。彼の活動をプロモートする Fにも、いい印象はもっていなかった。そろそろ、そんなことを言おうと思っていたところ、死んでしまった。人の死は突如、訪れる。ご冥福をお祈りする。
●ミャンマー在住のNさんのブログに、ミャンマーの食堂のご飯の写真が載っている。ワシは2分くらい、見つめてしまった。いいのである。ここには”アジア”が映っている。このご飯を、実に旨(うま)そうだ、と感じる人はアジアに惚れている人である。逆に、貧弱、まずそう、と感じる人は、アジアとは縁のない人であり、ワシとは相性も悪いだろうし、つまらん奴であるだろう。


2月23日(火)

●外付けのハードディスクがつながらなくなり、あれやこれややって、無駄な時間を過ごした。HDをつなぐと、デバイスマネージャーが新たなデバイスを作ってしまい、デバイスがダブって、エラーとなる。デバイスを削除しても、OSが勝手に作ってしまい、自暴自棄のようなエラーである。ま、HDがヘンになってるのだから、これは、捨てろ、ということか。映画DVDのコピーを入れていたが、残念である。
●品川の海岸線は歩いてみようと思い、本日は平和島に行った。海沿いに公園が続いているが、どこも、いまいち、であった。大森に近い公園は、白い砂浜の海岸線があって、夏は海水浴場になる感じであった。冬の海水浴場というのも、なんとなく、風情があった。空には、羽田空港発着のヒコーキが飛んでいた。
●映画 『スラムドック・ミリオネア』を見た。アカデミー作品賞はじめ、たくさんの賞をとってる作品だが、そんなに、いい作品なのだろうか、という疑問はわく。話は単純だし、よく出来ているとは思うが、驚き、というのは、あまりない。演出はエネルギーにあふれ、監督のダニー・ボイルは好きだが、たとえば『インド夜想曲』などに較べると、一本調子なのでは、と思うのである。インドの描き方も、ちょっと違うのでは、と思ったりする。登場人物はみな、(見た目はインド人だが)インド人ではない気がする(西欧人である)。しかし、面白いことは面白く、それはそれで、いいのだが。


2月22日(月)

●確定申告のため、あれこれ領収書を整理して、時間が過ぎた。申告しても戻る額はないのだが、1年の収支の整理になるので、書類は提出している。
●エコポイントでゲットした商品券が数万円ある。小さくして最低額の千円券で入手したが、この額もワシには大きすぎる。コンビニで使用できるのだが、千円を越える買い物はない。つり銭はくれないので、千円以上、買う必要があるが、その機会はめったいない。デパートなどで大きな買い物をすればいいのだが、欲しいものは特にない。こういう商品券というのは、しまうと、つい忘れ、使わぬままほったらかしになるので、金券ショップに行ったら、94%でひきとる、というので売ってしまった。千円につき60円の手数料である。いがいと引き取り額が高いので、金券ショップというのは、それほど儲かる商売ではないなと思った。
●『ビルマ万華鏡』(土橋泰子・著)を読んだ。あまり面白い本ではなかった。最初の「ビルマ留学記」(著者は戦後はじめての留学生である)と、最後の「ナガ旅行記」、および「忘れ得ぬ人」は、著者の茶目な人柄が出ていて面白かったが、本の大部をしめるビルマの歴史や歳時記や少数民族や度量衡などの解説文は、まるで辞典であり、面白くなかった。もっと著者の体験エピソードを語ってほしかった。いくつか興味をひいた文は次のとうり。「ビルマの人は優しさの故に、悪いことを悪いと率直に言ってくれないことがよくある(ワシも在日のビルマ人にそれを感じる)」 「比丘尼が守るべき戒律が男性比丘よりうんと多い。南伝仏教の場合で、比丘尼は305戒、比丘は227戒です(仏教にも男尊女卑があるということである)」 「インドやパキスタンで麺料理を見たことがない(言われてみると、確かにそうである。インド料理店で麺料理にお目にかかることはない)」


2月21日(日)

●あれこれの連絡作業をしたのち、立会川まで行き、海沿いにある公園を確認してきた。たいした公園ではないので、すぐ戻った。本日は日曜。人の出が多い。しかし、いつも思うが、人の動線が読めない奴が多すぎる。携帯電話のせいばかりではない。すれ違うときは、5歩くらい前から、私はこっちに行く、という意志を示せよ、と思う。そうすれば、こっちは、その動線をよけて歩くことができる。そして双方、にこやかに、すれ違うことができる。しかし、最近の奴は、1歩前にきても、どっちに歩くのか、わからない。人を感じるセンサーが、なくなってるのではないかと思える。仕方ないので、こっちが、壁にへばりつくようにして、すれ違うことになる。また別のケースでは、歩いてくる相手のうしろから車がせまる場合、ワシは車の通る道に出ることはなく、歩道の細いところで、相手とすれ違おうとする。これを、ワシが、相手の道を塞いでると勘違いするバカがいる。自分のうしろから車が来てるんだなと、想像する力がない。それで、そいつは、なにを、という感じで、ワシにぶつかる勢いでせまってくる。バカである。こういうのは、ワシも、わざと肩をぶつけて、行きすぎる。
●昨日Dさんから借りたブルーディスク『グラン・トリノ』を見た。画質は、DVDとそれほど違わなかった。しまって安定してる感じはあるが、あまり違いはわからなかった。100インチくらいのモニターに映すと違いは歴然としてくるのかもしれない。ところで、映画のほうは面白かった。隣に越してきたモン族との交流を描いてるのだが、脚本がうまいと思った。モン族について、わずか1分くらいの会話で、描いてみせている。さすが、である。そのほか、アジア人の描き方も、うまい。主人公の「頑固」と「善良」も、イーストウッドにぴったりで、ダーティ・ハリーの再来のようであった。ラストは、ちょっと気に入らないが、ぐいぐいと、引き込まれて見た。


2月20日(土)

●三線会があったので参加した。今日は、ずいぶん参加者が多かったように思う。ホストのDさん。いつも食い散らかして、申し訳ない。そのほか、今や写真家というより沖縄民謡歌手のHさん。その師匠のイヤサ踊り兄さん(すぐ踊りだす)。来月より石垣島に出稼ぎ行くW嬢。静かに酒を飲み、ふふ、と密かに笑う辺境娘。山岳部出身で竹富島の民宿・仲盛で働いたことのある三線娘。居るだけで後光が射すT嬢。その相方のロックンローラー。ずいぶん、多彩な色どりであった。もずくの天麩羅、川越ヤキソバ、沖縄塩チョコ、など食い、ときに三線を弾き(目を見はるほど、うまくなっている)、ときにバカ話をし、泡盛、焼酎、ぐびぐび飲み、宴は、あっ、という問に過ぎた。ワシが、ちょっと残念だったのは、T嬢に彼氏がいたことである。が、ワシが残念がるのも、おかど違いとも思い、理性をとりもどしたが、登場した相方というのは、いわゆるイケメンではなかった。T嬢の美貌からすれば、超イケメンでも、充分納得できることであるが、そういう相手は選ばず、背は高くはなく、もそっとした、人柄良さそうな男を連れてきた。それを知り、余計、ワシはT嬢に惚れこんでしまった。人の見かけは、見ていないのである。T嬢は、どこかワイルドなところがあり、そういう部分と、妙に家庭的(堅実的)なところがミックスしている。面白い人である。ワシの映画には主演女優で出てもらうことになっている。本日の帰宅は深夜1時ちかくになった。


2月19日(金)

●昨夜は7時間も寝てしまい、起きたら、頭痛がした。寝すぎである。最近、睡眠時間が、ものすごく不規則である。意図してそうなるのでなく、自然とそうなる。時に2時間であったり、昨夜のように7時間になったりする。ワシの平均睡眠時間は5時間であり、そのくらいが、ちょうどいい。しかし、本日は寝すぎで、頭痛。外に出る気はなかったが、部屋にいても、頭痛は増すばかり。というわけで、また撮影場所探索に出かけた。
●本日は、北千住のほうに行った。2つ、候補地があり、確かめに行った。1つは、1昨日OKをもらったSさんの家である。中には入れないが、どんなところにあり、どんな家なのか、いちおう見ておこうと思った。で、北千住の先、西新井に行き、家を見てきた。で、印象は、いまいち、であった。駅から、ちょっと遠い。西新井そのものも、実際に行ってみると遠く、移動に時間を食いそうである。周辺を歩くと、巨大なショッピング・モールがあった。下町に突如、未来都市が降りてきたような感じであった。北千住にもどり、もうひとつの家を見てきた。こちらも外からだけだが、いい雰囲気である。古い家で、そこだけ、ぽつんと、タイム・スリップしたような感じがある。この家は、家そのものが、ドラマになる感じがあり、むむ、と創作意欲をかきたてられた。ここは知人のFさんの家だが、夕食の時間なので、訪問はやめた。
●駅にもどり、近くのハンバーグ屋にはいり、定食を食った。中国娘が2人、給仕のバイトをしており、客はあまりいず、ヒマなので、配膳が終わると、べらべら、お喋りをはじめた。それが、うるさい。うるさいよ、と注意すると、はにかんで笑って、すいません、と頭をさげ、奥のほうに行って、また、お喋りの続きをした。笑顔が可愛く、憎めないところがあったので、ほっておいた。食い終わって、店を出るところで、娘たちは、そろって出てきて、ワシが外に出るまで、ぺこぺこ頭をさげ、ありがとうございました、ありがとうございました、と10回くらい言っていた。ほかの客は、1回しか言わないのに。


2月18日(木)

●ワシの寝るのは、いつも朝だが、今朝、外を見たら、雪が降り、積もっていた。風情のある風景だった。睡眠して、昼に外を見たら、雪は消えていた。一夜の雪景色であった。もっと積もってほしかったのだが。
●細かいメールを、あちこちに出していたら、あっという間に半日が過ぎた。男優の応募は8人になり、中の3人はプロであった。よくテレビで見る顔である。最近は、作品をつくる環境は、かなり自由になっていて、役者さんも、プロとアマの境なく、いい作品であれば出よう、という状況になっているようで、これは、いい傾向である。作品作りは、作品を作る、という目的もあるが、いい仲間に出会いたい、という思いも、ワシにはある。すこし甘いかもしれないが、皆でいい作品を作り、いい気持ちを共有したい、という気持ちがある。なので、役者さんも、役者として、ふんぞりかえっているような人より、一緒にいいものを作ろうという気持ちをもった人に出会いたい、と思っている。要は、やる気、というか、本気度、というか、そういうものが欲しいと思っている。なので、そういう、プロとアマを越えた自由度というのは、いいのである。
●本屋で、ビルマの本を拾い読みしていたら、ビルマには、牛乳で炊くご飯(ノワノゥ・タミン)、がある、と書いてあった。それを知り、ワシはわが意を得た。ワシは幼少の頃、よく牛乳かけご飯(温かなご飯に、冷たい牛乳をかける。具は何もない。ご飯と牛乳だけである)、というのを食ったのだが、人に言うと、ヘンな顔をする。ゲッ、そんなもの食うの、という蔑(さげす)むような顔である。そんなもの、貧乏人しか食わん、という目である。だから、別に貧乏人に見られるのが嫌というわけではないが、ワシは、ずっと、それを言うのを封印してきた。しかし、牛乳とご飯の相性はいい、と、思ってはいた。それが、本日、そういう料理が、由緒正しい料理として、ビルマにはあるのを知り、だろ、と、意趣返しをした気分になった。


2月17日(水)

●飯田橋の事務所に社長のSさんを訪ねた。過日、Sさんが、古い家に住んでいる、と聞いたからである。撮影場所に使えるのでは、とも聞いたからである。で、行って、話したところ、使えるならどうぞ、という回答を頂戴した。ありがたいことである。しかし、見に来がてら飲み会をやりましょう、と言われ、ちょっと、ためらってしまった。あまり楽しい飲み会には、ならないような気がするからである。Hさんや、Mさんも誘って、と言うが、両氏にとっても迷惑な話だろう。はて、どうしたものか、と迷ってしまった。それはそれとして、ワシは本日、Sさんに失礼な質問をしてしまった。事務所にはほかの人間もいたのだが、「Sさんは、この家に、ひとりで、住んでるんですか」と聞いてしまった。もしかしたら、Sさんが高齢独身であることは、事務所では秘密だったかもしれず、それをバラすことになったかもしれない。「ええ、ひとりですよ」とSさんは答えたが、やや、唇もつれる感じがあり、しまった、とワシは質問を後悔したのだった。悪いことをした。それにしても、事務所には奇妙な空気がただよっていた。なにか流動した、もやもやしたものが、ただよっている。あれは何なのだろう。
●Kさんに薦められて、『"I T"と呼ばれた子 幼年期』(ディヴ・ヘルザー著)を読んだ。ひと頃、評判を呼んだ本である。発刊後1年で26刷を重ねている(文庫でそれである。単行本をいれたら、もっと印刷している)。内容は「児童虐待」である。小説だと思ったが、虐待を受けた本人の回想記であった。全体は3部作で、この「幼年期」のあと、「少年期」「完結編」とつづく。で、この「幼年期」だが、えんえんと、虐待の実際が綴られている。母親が著者を虐待するのだが、殴る蹴る、はあたり前、食事を与えない、水風呂に沈める、腕をガスコンロで焼く、毒ガス部屋に閉じ込める、などなど、ひどいことの連続である。そんな拷問の日々を、10歳の子供がサバイバルしていく様は、悲痛である。この本には、なぜ母親がそんなことをするのかは書かれていない。のちの巻で語られるのかもしれないが、ただただ虐待の有様のみが綴られており、優れた本だ、とワシは思った。日本の本だと、ニヤけた精神科医が、わかったふうな解釈を述べるが、そんなのは邪魔なだけである。事実のみを見る、それが大事である。ふと、隣家のことを思った。これほどの虐待はないと思うが、状況にかなり近いものがある。


2月16日(火)

●中目黒に行った。いい撮影場所がある、とメールを頂戴したので、見に行ったのである。中目黒方面には、知った人妻がいるので、声をかけたところ、2時間くらいなら時間がとれる、ということで、本日も厳寒の中、人妻とデートとなった。公園、路地、商店街と、ぶらぶらしたが、確かに、落ち着いた感じのある街で、いい雰囲気である。求める外階段のある建物も、いくつかあり、いいのでは、と思った。ただ、電線が邪魔で、どかしてくれ、と言いたくなった。大きく空(そら)のとれる階段が必要で、カメラ位置を工夫すれば可能かな、と思うが、どうも、苦しい。もっと、どうだ、という場所がほしいとは思うのである。90分も歩いていると、唇が麻痺してきた。寒さのためである。勝手にぶるぶる震える。ひととおり見たので、駅近くの小洒落た喫茶店にはいり、近況など雑談した。旦那の暴力はどうだ、と聞いたところ、そんなの全然ない、ということであった。結婚する前、あんな暴力男(そう見えた)はやめたほうがいい、と言ったことがあり、それを確かめるべく質問したのであるが、旦那は、ワシの予想に反して優しい男であったようである。なんだ、そうか、と、ワシは、つまらくなった。
●夕から、霙(みぞれ)となり、一段と、寒くなった。人は、身をちぢめて、下を向いて、ちょこちょこ、歩いている。身をちぢめるのはいい。が、ちゃんと前を見ろよ、とは言いたい。本日は、人にぶつかる回数が、やけに多かった。


2月15日(月)

●朝から、氷雨である。外出する気が失せ、昨日届いたエコポイント商品券で、何を買うかと算段し、半日が過ぎた。夕に、メシに出る気もせず、珍しく料理をした。ワシのできる料理はカレーくらいである。この料理は失敗がないので、ありがたい。で、できたので、2分ご飯にかけ、昼食とした。カレーは、余り、ここ数日は、カレーばかりになるだろう。カレー・スパゲッティに、カレーうどんに、カレー蕎麦に、インド・カレー(食パンにつけて食う)に。
●もろもろ、しなければならないことは多いが、氷雨である。する気がせず、身をちぢめ、読書であった。『関東大震災 朝鮮人虐殺の真実』(工藤美代子・著)を読んだ。ワシは本は平行して3冊くらい読んでいる。この本も、今日1日で読んだわけではない。ワシは読む速度は遅い。だいたい1時間で50ページである。で、この本だが、労作であった。震災の全体像、当時の時代の空気、など、入念に書き込み、日本人が朝鮮人を虐殺した事実はなかった(テロに対する防衛であった)、と立証している。死亡数も根拠がない、南京大虐殺と同じ構図がある、と証明している。反論も起きてくるだろうが、新資料もあり、面白く読んだ。


2月14日(日)

●最近は、隣家は親子喧嘩ばかりしている。本日も、朝から、午後にかけて、ずっと、喧嘩していた。大声の言い合いだけでなく、物を投げたり、何かを蹴とばしたり、ゴツン、ガン、という音も響く。もう、いい加減にせい、と、ワシも、乗り込もうかと思っている。この喧嘩で起こされ、本日も睡眠不足である。
●本日はバレンタインだが、当然ながら、チョコレートはもらえなかった。仕方ないので、吉祥寺に出て、チョコレート・ケーキを買い、帰宅し、食い、ひとり、慰めた。
●『遺品整理屋は見た!』(吉田太一・著)を読んだ。著者は、孤独死や、自殺や、殺人や、そうした現場の掃除屋さんである。この本には、そうした仕事の46の実際が書いてある。遺体は葬儀屋もしくわ警察がもっていく。そのあとの掃除を著者の会社はおこなう(清掃してから遺品整理をおこなう)。自殺をはかって死にきれず、もがき苦しみ部屋中に血を飛び散らせた現場、とか、風呂桶で死んで煮立てられ皮膚が溶けワンタンスープになってる様、とか、発見が送れ壁がまっ黒、ゴキブリの巣窟になってる部屋、とか、どれもこれも、目をおおいたくなる凄惨な現場である。そういう場所を清掃するのであるから、イヤな仕事には違いないが、人からは、感謝されることが多い。そんなことをしてくれる所はないからである(葬儀屋も警察も後始末はやらない)。著者の仕事からは現代の"すきま風"が見えてくる。面白い本であった。著者の会社はコチラである。ワシも世話になるかもしれない。本にはこんなことが書いてある。他人事とは思えない。「その方はトイレの壁を背にして、しゃがんだまま亡くなられていたようです。遺体の搬出がすんで3日後に私たちがその部屋に伺ったときには、床の上に故人の足跡がハの字の形にくっきりと残っていました」。


2月13日(土)

●新年会?があったので、参加した。場所は恵比寿の山の上の、高級住宅地である。夕より、ひとり、ふたり、と集まり、最終的には12、3人になったのではないか。主に写真を学ぶ青年男女であった。初対面の人が多かったので、あまり話は弾まなかったが、察するところ、ほとんどA型だったのではないかとも、思われる。微妙に、ワシとは合わないのである。相手が、若い、ということもあるかもしれない。しかし、ホストのKさんは、初めから終わりまで、料理に心を配っており、そのもてなしぶりには頭が下がった。申し訳ない。感謝である。話題のメインは、婚活であったように思う。皆さん、それぞれ、結婚したいが、相手がいない、ということのようであった。皆さん、大変だなあ、というのがワシの印象である。婚活など、ワシには縁がなく、したことも、する気もない。恋など、計算しては、つまらなく、衝動にまかせるのがいい、と思っている。今は、男も、女も、促成栽培のように均質であり、誰と結婚しても同じ、という気もする。ごちゃごちゃ言わんで、隣の異性と一緒になったらいいではないか、と思ったりする。婚活など、時間の無駄、ではないか、と思うのである。ま、しかし、こういう物言いは、必ず、A型には嫌われるだろう。
●帰り、4人で帰ったが、混んだ電車で3人と1人にわかれた。ワシは3人の中にいたが、2人が途中の駅で降りたので、1人のところに行った。ふつうなら、さっきまで一緒だったのだから、本日が初対面でまだ親しくはなっていないが、会釈を交わして、雑談となるところだが、そばへ来るな、話しかけるな、という顔をされてしまった。アンタなんか、なぜ来るの、という顔である。冷たいのである。モデル系の美しい女性であったが、そんなふうだから、婚活も難しいのだ、と内心、毒づいてしまった。ひとことも会話を交わさず、わかれた。
●本日も、まことに寒い。こう寒いと、ほんと、生きてるのがイヤになる。


2月12日(金)

●本日も凍るような寒さである。歩いていても、外に出ている手が凍る。高円寺、路地商店街を歩いてきた。例によって撮影場所探しと、散歩を兼ねてである。ひとつ、いいビルがあった。これはいい、と思い、中にはいって、中に住むオーナー宅を訪ね、外の踊り場を使わせてくれないか、とお願いしたところ、部屋に病人がいるので、申し訳ないが、お貸しできない、という返事。ことわられたのは残念だが、いきなり映画の撮影に使わせろ、と言ってきた失礼な相手に、丁重な返事。なんとなく高円寺の人柄のようなものを感じ、気持ちは、なごんだ。
●高円寺に行くと、いつも寄るのが「かつ屋」。ロースカツ定食を食った。いつも行くので顔を覚えられたか、黙っていてもお茶と水が出た。ほかの客はお茶だけである。
●『私の愛する台湾と中国と日本』(張有忠・著)を読んだ。著者は、台湾が日本だったころ、日本の司法試験に合格し、日本(内地)で検察官となった。めったにないケースである。頭脳が明晰なのである。この本は、その著者の回想録である。日本の敗戦で、著者は台湾にもどり国民党の検事となるが、いろいろあり(このへんのことを著者は詳しくは書いていない。想像はつくが)、司法の世界から去り、新聞社の経営をする。しかしそれには失敗し、1964年、ふたたび日本にもどり、以来、日本で弁護士活動をしている。いろんなエピソードが語られているが、著者の、清廉潔白、は際立っている。読んでいると、気持ちがいい。著者は「光華寮事件」(台湾が所有していた寮を、中国が、台湾は存在しないのだから俺のものだ、と言ってきた事件)で台湾側に組した弁護士でもある。


2月11日(木)

●大久保でテスト撮影をおこなった。集まったのは写真家のGさん、茶人のKさん、タイ・マッサージ修行中のN嬢である。朝から天気が悪く、撮影なんかできるのか、と危ぶみ、実際、午後からは雨となったが、これくらいなら出来るかも、ということで、はじめた。中古家具センターで、キャスターつきの椅子を借り、さっそく移動撮影をおこなった。これが、あんがい、うまくいった。それに気を良くしてか、Gさんも、Kさんも、撮影にのめりこんでいった。撮影となると、Gさんは人が変わり、あれこれカットを撮り進めていった。Kさんも、昔は趣味で映画をつくった人、もともと映画つくりには執念を燃やす人である。そこで傘をひろげて!とか、モデルに細かい指示を出していた。モデルはN嬢がつとめた。アイドル系の顔立ちに、最近は大人の色気も加わり、立ち姿が絵になる人である。本日は寒く、2人の、ああしろ、こうしろ、に、あきれながらも、遊びに熱中する子供に、仕方ないわねえ、と、微笑む慈母のごとき寛容を示していた。しかし、あと30分、撮影が続いていたら、いい加減にしなさいよ!と、傘の矢が飛んだことだろう。N嬢は南国のタイから帰ったばかり、身体は熱帯仕様になっている。氷点下のような本日の天気の下では、耐性がないのである。撮影がひととおり終わったあと、映像を見せてもらったが、これが、なかなか、良かった。道に沿って、歩くN嬢を横から撮った映像は(カメラのGさんは椅子に乗ってN嬢をずっと追っていく)、情感たっぷりで、まるで、映画であった。ほかの映像も、良く撮れ、テストとするには、もったいなく、Gさんは作品として仕上げる予定である。いずれYOUTUBEにアップされるので、その際はご覧いただきたい。
●撮影終了後、近くの韓国料理店にはいり、飲食した。肉や鍋やチヂミや、あれこれ、美味しかった。「じゃがいも鍋」というのも注文したが、これは、芋が6個に、あとは、でかい骨の塊がはいっているだけであった。食べれるのは芋だけで、それを食べてしまったあと、この鍋は、どのように楽しむのだろう。それがわからなかった。骨なんか食えないのである。詐欺みたいな鍋であった。ま、そんなこんなを食いつつ、ワシらは、N嬢の人生、などについて話した。そのほか、駅のコンビニで売ってる「みかん水」は、渡辺製菓の粉末オレンジジュースに似ている、という年寄り臭い話もした。


2月10日(水)

●日中の気温が、昨日は20度あったのが、本日は10度になってる。寒い。
●『滅びゆく森の王者 インドトラの行動と生態』(C・マクドゥーガル著)を読んだ。今年は寅年なので、寅の本を読んでみた。トラと、ライオンと、ピューマの違いが、よくわかった。トラはジャングルの孤独な臆病者なのであった。陰にかくれて、地面を何十メートルもスリスリして、いきなり背後、もしくわ側面から獲物に襲いかかる。ちっともフェアではないのである。
●テレビを地デジにしてから、ローカル局のテレビ番組も見れるようになった。「道草の達人 中央線を歩く」という番組があったので見たら、案内人が、すごいブスであった。珍しい、と思った。番組内容が陳腐でも、レポーターの可愛らしさで、つい見てしまう、ということはあるが、内容は面白そうなのに、出てる女のせいで(散歩本の著者であるらしいのだが)、思わず、見る気をなくす、というのは、珍しい。カメラも配慮がないから、顔がアップになったりする。作るほうも、よく作った、出るほうも、よく出た、と、敬意すら、おぼえる番組であった。こちらのサイトの一番下に高尾駅の前に立つ近影写真が出ている。
●ナガランド嬢がブログをはじめた。「モンゴル・ブータン・チベット・ナガランド!」。B型テイストがあって、面白い。


2月9日(火)

●温かな陽気に誘われて、また、ふらふらと、散歩に出た。特に行く当てはなかったが、この間の品川行きで、東京湾沿いの景観がだいぶ変わっているのを知り、本日は、浜松町に行ってみた。日の出桟橋とか、竹芝桟橋とか、行ってみた。このへんも、だいぶ変わっていた。竹芝桟橋に行ったのは、もう何十年も前である。神戸から船に乗って、この竹芝まだきた。その当時は”岸壁の母”という感じ(そういうのが似合う岸壁)であった。しかし今はずいぶん瀟洒(しょうしゃ)になっていた。海沿いは公園になっていて、しばし、ぼんやりしてきた。
●『人世坐大騒動顛末記』(三角寛・著)を読んだ。人世坐というのは映画館で、現在、池袋にある新・文芸座の前身である。この本は、1959から1年間のあいだに起こった労働争議を、オーナーの三角寛自らが綴ったものである。労働争議などと書くとカタ苦しいが、大衆小説作家でもある三角の筆にかかると、がらっと講談調になる。面白い。組合側はレッド・ギャングとなる。そして、こんなふうに書かれる。「レッド・ギャングどもの名刺を見ていたら、名刺が自然にとろけて、泡だつように、むくむくと蠕動(ぜんどう)に化けてしまった。蠕動というのは、ミミズや蛆虫の類のことだが、それが数千万匹に化けて、むくむくと一塊(ひとかたまり)になってうごめく。その吐き気を呼ぶ醜悪さは、下剤で排泄された回虫である」。三角寛はウソつきのところがあるから、この本に書かれたことは、詳細に見れば、たぶん事実とは異なるが、当時の労働争議(全国規模で多くの会社で発生した)の実態、雰囲気というのが、よく伝わってくる。こうした実態の後遺症は、今でも残っており(たとえば年金問題、あるいは日教組)、たいへん参考になる。


2月8日(月)

●最近、インドのナガランドに行った美女の I 嬢と、依然よりミャンマー側からナガ族を訪ねて美麗な写真を撮っているGさんを、お引き合わせした。初対面である。西から、と、東から、と、ナガ族に接したご両人で、ま、七夕みたんなもんである。ワシは介添え役である。高田馬場のカチン料理店にはいった。で、カチン料理を食いながら、ナガの話をした。3人だけなので、ナガだけで、場が持つかな、とワシは心配したが、むしろ、それくらいのほうが良かったようで、話ははずんだ。ナガについて、デープな話が続いた。I 嬢もGさんもナガに限らず辺境好きなので、好みは一致し、あれやこれや、ナガ以外のことも話した。4時間近くは、あっ、という間に過ぎ、楽しい話会となった。話していくうちに、わかったのだが、I 嬢もB型であった。I 嬢は、かなりナガランドに惚れこんでいて、将来は彼(か)の地で暮らす、という事態になるかもしれない(ならないかもしれないが)。彼女はかつて2年ほどモンゴルで暮らしておりモンゴル語は堪能である。で、モンゴルの音楽について、ロック音楽は最高だ、という話しになり、ワシも、それはまったく同感であった。彼女の今のお気に入りはLEMONSのようであった。


2月7日(日)

●風は冷たいが、なんとなく気温は暖かい日であった。本の整理(BOOK-OFFに売るものと、アマゾンで売るものを分けた)をしたあと、中野に出た。で、トイレに入って、ぎょっとした。ワシの顔の下半分が血だらけである。朝、鬚を剃ったときに、やけに、ひっかかるな、とは思ったが、特に顔を見ることもなく出てきてしまった。顔が血で点々なのは、髭剃りの刃が欠けていて、皮膚を切り刻んだからだった。剃ったところは、傷だらけで、血が糸をひいていた。ええっ、こんな顔で、電車に乗ってきたのかと、穴に入りたくなったが、もう来てしまったのだから、仕方がない。水で血を落としたが、やや良くなったぐらいで、まだかなり目立つ。以降、下を向いて、帰ってきた。外に出るときは、自分の顔くらい見ておけ、ということだろう。
●帰宅したら、隣家が騒々しい。親子で喧嘩をしている。ガキはまだ小さいが、「ふざけんじゃねえ」と母親を罵倒していた。そんな言葉、どこで覚えたのか。まだ小さいのに、汚い言葉は一人前である。親と子の、どっちが悪いのか、よくわからんが、同じ性格の部分が闘っているような気がし、疲れるのでは、と思った。
●録画してあった宮崎アニメ『崖の上のポニョ』を見た。ぜんぜん面白くなかった。何がなんだか、さっぱりわからない作品である。最初から最後まで、思わせぶり、で、結局なんだったのか、ぜんぜん、わからない。絵はよく描けているが、それだけである。こんなもん、ガキも喜ばないのでは。こんなストーリーではダメ、と誰か言う人間は、もういないのか。


2月6日(土)

●本日も実に寒い。氷点下ではなかったか。手足が、凍って、うまく動かない。うまく歩けないのである。近所を散歩したが、寒さがイヤになり、すぐに帰宅した。三鷹駅構内の「千代田鮨」で寿司を買い、家で、昼食とした。ここの稲荷寿司は絶品だと思う。
●メールの返信が来ず、電話をすれば非通知設定。地獄に行きやがれ、である。
●タモリの血液型はAではなくO型だ、とメールを頂戴した。ワシの血液型勘定も当てにならん、ということである。
●『津波 アンダマンの涙』(白石昇・著)を読んだ。2004年末に起こった大津波の現場報告である。著者はバンコク暮らしをしており、タイ語もできるため、日本の新聞社に通訳として雇われ現場を見てまわった。その克明な体験記である。しかし、この本は、それほど面白くはなかった。著者には会っているので、悪口は言いたくはないが、この本は”金太郎飴”なのである。どこを読んでも、同じことしか書いていない。現場の惨状、マスコミの行状、災害地外との温度差、などなど。記述は丁寧で、文章もうまく、臨場感にあふれている。しかし、死体ごろごろ、たちこめる腐臭などは、読む側も、著者と同様に慣れる。これは単行本なのであるから、読む側はもっと別のものを求める。津波とは何だったのか、著者の変化、エピソードの顛末、など、本としてのテーマが読みたくなる。しかし、この本は、目の前で起こっていることを記述するのみで、奥へは行かないのである。だから、読んでいて、あきる。もういいよ、という気分になるのである。マスコミに対する批判のようなものもあるが、ここまで細部に書くなら、イニシャルでなく実名で書くべきである。この本の、それやこれやの欠陥(あえて欠陥と書く)は、これらの文書が、最初は、メールマガジンで書かれたものである、ということに原因があるようである。かなり直したとはあるが、文章に向かう姿勢は、ほとんど、そのままなのではないかと、推察する。であるから、タイムリーな現場報告としては優れているが、集めて単行本にしてみると、そうとう記述、構成を考えないと、ただの退屈本になってしまうのである。思うが、この本の半分は不要なのである。


2月5日(金)

●大塚に行った。Oサンは、かつてチベット関係の活動をしていたが、その後、大病をわずらい、活動もやめ、しばらく療養に専念していたが、最近になって病気回復し、外にも出られるようになり、お茶でも、ということで、彼の家の近くの喫茶店で会った。ワシはかつてインタビューをしたことで、彼とは知り合った。今日は奥さまも一緒で、ほかにも2人いた。特にまとまった話をしたわけではなく、チベットや、ヒマラヤや、あっち方面の旅の話などをした。ワシは行ったことがないので、聞くだけとなったが、皆さん、周囲に気を配るところがあり、「聞いて、聞いて、私の旅」というようなことはなく、ワシも楽しく聞けた。Oさんは今はチベット関係からは手を引いていて、介護とか、そのへんに興味が向いているらしかった。自分の大病を通して、いろいろ考えることがあったのだろう。
●帰り、阿佐ヶ谷の総合病院に行った。診察に行ったのではなく、次回撮影で、病院の表玄関が必要で、この病院は使えるかも、と思い、行ったのである。で、正解であった。角度を工夫すれば、いかにも病院、というのが出る病院であった。そのあと、駅前の「食いしん坊」に寄り、「ハンバーグ+鶏てりやき+目玉焼き」定食を食った。ワシには食いすぎで、胃が、すこし、ゲッ、となった。しかしそのあと、「缶しるこ」も飲んでしまい、ここ当分、胃は荒れそうである。
●録画してあったNHKのブラタモリ「大久保編」を見た。たいした内容ではなかった。NHKも取材が浅いなあ、という印象であった。あるいは、あそこは、すこし掘り下げるとアンダーな世界があるから、公共放送では、あの程度しかできないのかもしれない。しかし、古くから住んでる人は多いので、もうすこし、やりようはあると思うのだが。ワシが、つくるか。ところで、タモリはA型だと思う。あの人との対話の几帳面さを見ていて、確信した。どうなのだろう。
●朝青龍が詰め腹を切らされて引退してしまった。彼は日本国籍を取っていないから、部屋の親分になることはできない。彼には、モンゴルで大統領になってほしいものである。


2月4日(木)

●寒いので、引きこもった。本の整理などし、あとは読書であった。
●『宋王朝』(スターリング・シーグレーブ著)を読んだ。「宋家の3姉妹」で有名な宋家の物語である。上下2巻700ページのノンフィクション。宋家の歴史は、ちょうど中国の近現代史と重なっており、今の中国がどのように出来たかを知ることができる本でもある。といっても、この本は、教科書的に歴史を述べたものでなく、蒋介石に対する悪罵が根底にある。宋家の歴史はもちろん述べられているが、半分は蒋介石について書かれている。かんしゃく持ちで残虐、街のごろつきが、どうして中国の歴史の最前線に踊り出ることができたのか、その腹立ち、不思議を詳細に述べている。蒋介石は、若いころ、殺し屋だった。上海のヤクザ組織で、その潔(いさぎよ)い殺しっぷりが評判を呼び、頭角をあらわし、チンピラの頭となった。当時、上海は列強の圧力が増しており、ヤクザ組織も延命の活動が盛んだった。その方向は、孫文の清朝打倒の運動とも軸が一致しており、相互連携、蒋介石は孫文の知己を得る。孫文の死後、蒋介石は孫文の後継者を口外に吹聴し(邪魔する者は殺戮)、その地位を獲得する(国民党のトップになる)。以後、”国の指導者”におさまり、彼は、やりたい放題のことをする。彼のやることというのは、金集めである。その金で、農民を誘拐しては兵士に仕立て上げる。兵士の訓練などはしないので、したがって国民党の軍隊はあってないようなもの。対日本に対して、戦いを挑むことはなく、逃げまわってばかりである。蒋介石は政治家としては、無能であり、頭カラッポである。彼のような男がトップに居続けられたのは、歴史の不思議である、と著者は書く。西安事件(ガキみたいに共産党憎しに固まっている蒋介石に、今は日本を打つべきで、共産党と組むべきだと、蒋介石を説得するため監禁した国民党内の事件)のとき、張学良はなぜ蒋介石を殺してしまわなかったのか、それも不思議である。ワシも、そう思う。蒋介石には悪運の強さがある。アメリカは、蒋介石の脅し(援助をよこさなかったら、共産・ソ連の援助を受ける)に騙され、巨額(戦前だけで38億ドル)の援助を彼に与えるが、その半分は、蒋介石および宋一族の懐(ふところ)に入ってしまった。軍費には使われなかったのである。この本を読むと、あたり前だが、中国人というのは、昔も今もかわらん、というのが、よくわかる。中国人の、大儀、とか、政治信条、とか、そんなものは、ぜんぜん当てにならん、ということである。権力を握れば、すぐ蓄財に走る。孫文とて、革命半ばにして死んでしまったので、ボロが出なかったが、彼も権力を握れば、同じようなことをしただろう。孫文は伝説化されて、偉人に見られているが、彼も元はと言えば、喧嘩早い街の乱暴者にすぎなかったのである(50歳のとき、孫文は妻子がいながら、20歳の美女・宋慶齢に惚れ、結婚する。重婚である。無茶な男なのである)。


2月3日(水)

●散歩と撮影場所探しを兼ねて、また品川に行った。前回行かなかった、運河の奥のほうをまわった。天王州アイル駅のほうである。あのへんは、埋立地で、その上に高層ビルが建っているから、実にシュールな風景である。全体が、巨大な箱庭のようである。こういうところ、ワシは好きである。ぶらぶら、かなり歩いた。人工的な公園には雪が残っており、その風情も、なかなか、いい。海から、かなり寒風が吹いていたが、それもまた一興である。人はほとんどおらず、目の前に近代的な街はあるのに、見渡す視界の中に、ワシしかいない、というのは、なんか、しびれるような快感であった。その場所から、前回行った北品川の商店街のほうに行ってみた。急に人が増え、生活の臭いがたちこめ、人間界に帰ったような気分であった。
●帰り、電車のラッシュにまきこまれたが、バカというのは、ほんと、バカづら、である。イアホンで音洩れ音楽を聞く者は、1車両に1人はいるが、だいたいが、貧乏臭く、バカづらをした人間である。音が洩れるようなイアホンは、そもそもが安物であり、その人間の生活も、たかだか知れたものである。まあ、しかし、チャカチャカ音を洩らして恥じない奴は、共通して、どいつも、こいつも、なぜ、ああ、バカづらなのか。生きてる価値もないのではないか。
●何人殺したかわからない婚活サギ女だが、ブスである。当初、こんなブスに、なぜ男が金を貢いだのか、と不思議に思ったが、ワシは間違っていた。ブスだからこそ、男は騙されたのである。美人だったら、こんな女が自分に惚れるはずがない、と警戒するが、ブスだと、いっきに情の世界にはいるから、俺がこの女を助けてやるか、と、男の見栄をくすぐる。で、騙されるのである。女が、部屋に引っ越してきて(今の家賃が払えないと窮状を訴え)、肉じゃが、など、こまめに作ってくれたら、男は、ころっと、行く。その上、セックスまでしたら、いよいよ、OUTである。勝負は、女の勝ちなのである。男も、結果は殺されてしまったが、直前までは幸せだったのかもしれない。
●最近、ツイッターという言葉をよく聞く。ブログよりも簡略化した、一行つぶやき板のようなものである。さっそく、ワシも入会してみた。まだ、どういう方向に行くのか、よくわからないが、ブログの、くだらん長い文章に比べ、こちらは数行なので、読む負担が少ない。横のつながりも重視されているようで、どんなもんか、しばらく付き合ってみよう。


2月2日(火)

●あれこれメールを出したり、返信して、半日が過ぎた。しかし、最近は、返信が、ぜんぜん、来ない。スパム(ゴミ)扱いされたか、相手がメールチェックをしていないかの、どちらかだろう。あるいは、返信不要、とされたか。しかし、団体宛のメールも、返信が来ないというのは、その団体もツブれる運命にある、ということだろう。団体、というのは、役者プロダクションのことだが、ホームページは立派でも、活動はしていない、ということなのに違いない。
●昨日同様、本日も、小道具を探しに新宿に出た。で、帰り、串カツ定食屋に寄ったが、本日の隣人は、やたら溜息をつく男であった。1口食べるたびに、アーッ、とか、フー、とか、つらい、とか、けっこう大きな声で、洩らすのである。もう病人である。思わず顔を見てしまったが、濃い顔立ちの尾崎紀世彦のような男であった。風体も、きちっと背広を着ている。ワシは、いちいちの溜息だから、うるさく、何か言ってやろうとしたが、うまい言葉がなく、結局、何も言わなかった。最近は、ほんと、ひとり言を言う人間が多い。ところで、本日、不覚にも、ワガ身の全身像を、大鏡で見てしまった(デパートで)。見るつもりはなく、前を通ってしまったのだ。実に、ヒドイ姿である。そのまま、ホームレス、という感じである。毎日、同じ格好をしているから、ズボンもシャツも、よれよれ。持つカバンは黒く汚れている。顔色悪く、自分で見ても、ギョッとする姿である。人がよけるのも、これでは、うなづける。


2月1日(月)

●寒い日である。夕から、霙(みぞれ)になり、今は雪になっている。ああ、いやだ、いやだ。寒いのは、身だけでなく、心も凍る。
●きのう告知した役者さん公募に、早くも6人の方の応募があった。すごいことである。中には、テレビで見たこともある役者さんもいて、ワシとしては、少々、ビビッている。50歳前後の男性の設定の募集だったので、反応はないんじゃないかと思っていたが、予想に反して、若い役者公募の場合より多い。今は中年世代が燃えているのかもしれない。いいことである。
●夕より、霙(みぞれ)の中、荻窪の100円ショップに行った。小道具を揃えるためである。ワシにとって、100円ショップは小道具の宝庫である。銀紙、下敷き、ビニールテープ、四角の板、などを購入した。そのあと、「すき家」に寄り、牛あいカレーを食い、マクドに寄ってコーヒーを飲んだ。マクドの隣客は、葬儀の席順を書いていた。たぶん業者の人なのだろう、あれこれファイルを広げて、座付き表に、丁寧に筆文字を書いていた。しかし、マクドで葬儀準備もないのでは・・・ 故人も、くしゃん、と、くしゃみくらい、しているかも。



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