2010/02/26(金) 19:09:08 [民主党]
国守り得ない「民主党政府」の新たな事例
天皇陛下の公的行為 政府見解 「統一的ルール設けず」
政府は25日、外国要人との会見など、天皇の公的行為に関して鳩山内閣がまとめた統一見解を公表した。公的行為に当たるか否かは「統一的なルールを設けることは現実的ではない」として、個々の事例に則して判断するとの見解を示した。また、公的行為の責任は内閣が負うと指摘。これまでの国会答弁で第一義的に宮内庁が責任を負うとしてきたことには触れなかった。統一見解に対して、自民党や共産党は「ルールを設けなければ天皇の政治利用を無制限に許しかねない」などとして反発を強めている。産経新聞紙面(切り抜き)2月26日朝刊(2面)より参照のため抜粋引用/写真は産経新聞の同記事より参照のため引用
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今後も「政治利用」を可能に
先年12月の、民主党首脳による、宮内庁に対しての、習近平氏(中国共産党中央書記処第一書記)との特例引見の強要し、ごり圧しで実現させてしまう、との不行があった。天皇陛下の政治利用に当たる、との指摘のもとに、事態を憂慮する良識国民の声が国内に広がり、自由民主党が「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」を急きょ立ち上げ、民主党政府の姿勢を質した。併せて、かくなる不行の再発防止のために、統一的なルールを設けるべき(要旨)、と政府を質して来たが、対する答えが表題に報じられる「政府見解」である。
多くのみなさまのご指摘の通り、統一的ルールは設けず(要旨)、とする政府見解には、民主党政権による、中国共産党の意をそのまま受けたかの、陛下の政治利用への不行(駆り立て)の反省はまったく見られず、仮に、今後に、同様のケースが起こり得ても、それに歯止めをかける考えは無い、その意図が窺(うかが)える。言い換えれば、不行防止に資する統一的なルールは設けずに、今後も、「その時」の政府都合によって、今後も、陛下の政治利用は有り得る、との解釈にさえ符合するものである。
これについて、表題には、「平野氏(官房長官)は25日の記者会見で「本来、憲法で言っている概念からいくと、天皇は国政に関する権能を有しないので、政治利用が存在することはあり得ない」と強調し、政治利用の論議自体を否定した」、とあるが、事実とすれば、現実に、政治利用しておきながらも、それは「政治利用」ではない、として、陛下の「公的行為」に関しては、宮内庁といえども、内閣の指示に従って当然である、とした当時の小沢一郎氏の見解の焼き直し、とも指摘すべき内容ではないか。今後も「同じこと」が有り得る、と吐露しているに等しい。
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政府見解(全文)
この政府見解について、「天皇陛下の公的行為に関する政府見解の全文は次の通り」、とする時事通信の記事を参照させていただきたい。 (以下、引用)
1、いわゆる天皇の公的行為とは、憲法に定める国事行為以外の行為で、天皇が象徴としての地位に基づいて、公的な立場で行われるものをいう。天皇の公的行為については、憲法上明文の根拠はないが、象徴たる地位にある天皇の行為として当然認められるところである。
2、天皇の公的行為は、国事行為ではないため、憲法にいう内閣の助言と承認は必要ではないが、憲法第4条は、天皇は「国政に関する権能を有しない」と規定しており、内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている。
3、天皇の公的行為には、外国賓客の接遇のほか、外国ご訪問、国会開会式にご臨席になりお言葉を述べること、新年一般参賀へのお出まし、全国植樹祭や国民体育大会へのご臨席など、さまざまなものがあり、それぞれの公的行為の性格に応じた適切な対応が必要となることから、統一的なルールを設けることは、現実的ではない。
4、従って、天皇の公的行為については、各行事等の趣旨・内容のほか、天皇陛下がご臨席等をすることの意義や国民の期待など、さまざまな事情を勘案し、判断していくべきものと考える。
5、いずれにせよ、内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っており、今後とも適切に対応してまいりたい。
以上、「天皇の公的行為」政府見解全文」(時事通信)2月25日付より参照
時事通信(Web) 2月25日付の当該記事
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大原康男教授の指摘
対して、「共産党の志位和夫委員長は「天皇の政治的利用への歯止めがあいまいだ」と批判。自民党の谷垣禎一総裁は「象徴天皇のデリケートさというものに対して、まったく何の配慮もない。噴飯モノの解釈だ」と述べ、石破茂政調会長も「(公的行為の)ルールはいらないというなら、憲法の趣旨や陛下の立場を無視した考えられない見解だ」と指摘した」(産経新聞)、とあるが、これら議員諸氏の指摘の方が、事の次第とあるべき筋道に即している。
この政府見解について、大原康男氏(国学院大学教授)の談話が紙面に紹介されている。云く、「政府見解は歴代内閣の国会答弁などによって固められた見解を一通り再確認しているので、内容的に見れば問題ない」、と。しかし、「ただ、言及すべき事柄がある」として、「第1に、公的行為は天皇のご意思が大きな意味を持つこと。第2に、公的行為の責任を第一義的に負う宮内庁は内閣府に属するといっても、長官は(天皇が任命する)認証官という重職だ。他省庁の次官らに対するように、官房長官や首相が機械的に指揮命令を発動できるものではない」、と示している。
同氏が指摘しておられるように、いかなる内閣であっても、宮内庁に指示すべき筋道にはない。「官房長官や首相が機械的に指揮命令を発動できるものではない」(大原氏)、のであり、該当する権能は有し得ないである。また、この大原氏の指摘に照合すれば、かの小沢一郎氏の傲慢な発言(12月14日記者会見)を生々しく思い起こす。云く、「天皇陛下のお体がすぐれない、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか。そうでしょう? わかった?」、との、不遜にも、陛下を見下ろし、指示するかのようなメンタリティとスタンスが、実は、むしろ、今般の 政府見解の奥底で「守られている」、かに映ってならないのは筆者だけだろうか。
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▼ 2月26日他の小稿:
・朝鮮学校「無償化除外」考 2010/02/26
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■ 主な関連記事:
・自民「特命委」考 2009/12/19
・傲慢なる小沢一郎氏 2009/12/15
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・竹島「民主党政府の答弁」考 2010/02/13
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筆者から指摘させていただければ、表題の政府見解は、むしろ、今度は、韓国から訪韓要求があるとして、仮に、それが性急な要請であったとしても、宮内庁は指示に従ってもらう、との意図があるかに映ってならない。云く、「憲法で規定している国事行為にはないが、憲法の理念によれば、陛下の行動に責任を負うのは内閣だ。内閣が判断したことに陛下が、その意を受け行動するのは当然のことだ」、との、その「国事行為」(後に間違指摘の声が上がった)の四文字すら解し得なかった小沢一郎氏の傲慢が、反省も是正もなく、民主党政府のメンタリティの中に、今もぬくぬくと息をしているのである。
先の竹島に関する政府答弁と同様、国守り得ない民主党政府の端的な事例と指摘できる。政権の早期終了を強く望む。
平成22年2月26日
博士の独り言
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路傍の花(筆者)
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ブログ命名の「独り言」の意味には、いかなる団体、組織とも無縁な、ごく普通の日本人の独りが、ごく当たり前のことを自らの言で書く、との意味を込めています。この意義をもとに、特定国からパチンコ、カルト、政党、メディアにいたるまで、それらの国害という「国害」をあまねく網羅、指摘してまいりした。ゆえに、(=イコール)これらの応援を一切受けず、ごく普通の日本人から応援いただいて来た国思う諸活動に他なりません。「個」の足場の弱さはありますが、たとえ困難や不当な圧力に遭おうとも、屈することはありません。瑣末なブログですが、絶えず前へ進み、一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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日本は毅然とあれ!
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2007/05/18 00:00 カウンター設置 (ブログ再始動の翌年に設置。数値はPCカウントのみ累算です。機能上、携帯アクセスはカウントされていない状況です)
Author:博士の独り言
いかなる組織、団体とも無縁の日本人発行の国思うメルマガ、およびブログです。初期のように、氏名とプロフィールの詳細を掲載すべきと考えていますが、迫る身の危険回避の意味からも自重すべし、との筆者をよく知る友人らの制止により、現在は「博士の独り言」として活動しています。活動自体も全く無収入です。