2005/04/29

[は]で始まる語句・ことわざ

梅桜桃李一時に咲き乱れたようなばいおうとうりいちじにさきみだれたような):【意味】春に梅、桜、桃、李(すもも)がいっぺんに咲き乱れたような絢爛たる眺めのこと。もっぱらたくさんの美女が勢揃いしている有様を例えた常套表現。(講談・伊達誠忠録:「何れ劣らぬ花菖蒲、美しいの何のと言つて、梅櫻桃李一時に咲き亂れたやうな眺め」、木村長門守)

吐いた唾は飲み込まないはいたつばはのみこまない):【意味】一旦出した物は引っ込めることが出来ない、たとえば礼金などはひとたび相手に向かって出せば、先方が辞退したからといって「はいそうですか」と引っ込めるわけにはいかないものだ、ということ。(講談・幡随院長兵衛:「兄哥達、こんな事をして呉れては困る、だが吐いた唾は飲み込まねえと云ふ兄哥達、貰はねえといふのも不本意だから」)

杯盤狼藉はいばんろうぜき):【意味】宴の席が(杯や皿小鉢が散らかって)乱雑になっている様子をいう。(講談・青龍刀権次)

蝿は金冠をも恐れずはえはきんかんをもおそれず):【意味】蝿は汚いものも尊いものも区別なくとまる。貴賤というものを弁えない、いとも哀れなものだ、ということ。怖いもの知らず、常識のない人をたとえていう。(講談・木村長門守の堪忍袋)

這えば立て、立てば歩めの親心はえばたて、たてばあゆめのおやごころ):【意味】子供(小児)が育つのを待ちこがれる親の心をいう。子が這い這いをすれば早く立ってくれと思い、立てば早く歩いてくれないかと願う気持ちのこと。(講談・左甚五郎、田宮坊太郎、慶安太平記、山中鹿之助、越後伝吉、落語・子宝=女の子別れ、牛ほめ:「ここにふびんが増しますものでげして。そりゃァ親子の情で。這えば立て、立てば歩めの親心」、乾物箱)

馬鹿と鋏は使いようばかとはさみはつかいよう):【意味】切れない鋏や愚か者でも、工夫次第でどうにか使える(役立つ)。(落語・にゆう:「イヤ馬鹿と鋏は使いようだと云うが、お前は嫌いだけれども俺は好きだ……」)

馬鹿につける薬はないばかにつけるくすりはない):【意味】知恵の足りない者を手なずけて教える方法はなかなか見つからない、分かっていない者に処置する手段はなくお手上げである、とあきれる状態を表わす言葉。浪花節でいう「馬鹿は死ななきゃ直らない」(次郎長伝)。(講談・猿飛佐助、落語・近日息子:「馬鹿に附ける薬はねえといつたら、それじやァ服薬を呉れといつたという話があるが」)

馬鹿には四十八馬鹿ありばかにはしじゅうはちばかあり):【意味】馬鹿と一口に言うが、四十八の種別がある、ということ。「その頭取が噺家」。(落語・金明竹:「ェェ馬鹿にも四十八馬鹿あるそうです。その頭取が噺家でございます」、近日息子)

馬鹿の一つ覚えばかのひとつおぼえ):【意味】ただ一つのことを覚え、それを自慢にして何につけても適用しようとする愚か者のことを馬鹿にしてこういう。(落語・唖の釣:「お、もうきやがった、早いね、馬鹿のひとつ覚えッてやつだ」)

馬鹿は隣の火事より怖いばかはとなりのかじよりこわい):【意味】(参照)→「馬鹿ほど怖いものはない」の比喩を用いた表現。(落語・髪結新三:「『馬鹿は隣の火事よりこわい』と申しますが、お察しいたします」)

馬鹿はものに動じないばかはものにどうじない):【意味】知恵のない、鈍感な者は、何か驚くべきことに遭遇しても、事態が理解できていないので全く驚かないように見える。大胆であたかも大器量であるかのようだが、単に分かっていないだけなのである。(落語・ろくろっ首:「ェェ馬鹿はものに動じないなんてえことを申しますが、動じないんではなくて、わからないんですな」)

(参照→世の中に)馬鹿ほど怖いものはないばかほどこわいものはない):【意味】頭の悪い者は、一途に思い詰めたりすると、思慮もなく人に利用されてどんな暴挙でもやりかねないから、なまじ思慮のある敵よりも始末が悪い、ということ。(講談・由井正雪:「スツカリ此の奸策に乗せられてしまひました。世の中に馬鹿ほど怖いものはない」)(参照)→馬鹿は隣の火事より怖い

(略)(迅速にして)密なるを(以て)宜とす(尚ぶ)(はかりごとはみつなるをよしとす):【意味】作戦というものは、速やかに、かつ秘密裏に立てる(、そして実行する)べきである、という諺。「敵を計らんと欲する時は味方を計る」と続く場合もある。(講談・岡野金右衛門、笹野名槍伝、太閤記、三家三勇士、相馬大作、誰が袖音吉、天保六花撰、落語・三軒長屋、蚊いくさ、狂歌家主、あたま山:「計略は密なるを以て宜しと云ひませう」)

馬鹿を承知でなるやくざばかをしょうちでなるやくざ):【意味】人から軽んじられ、嫌われ、蔑まれるという、しかも危険な稼業であることを百も承知で、人は博徒や渡世人になるのである。その人にとっては、それなりの必然性がそこにはある、ということ。(講談・笹川繁蔵:「馬鹿を承知でなるやくざ、という通りに、大体遊侠の徒に入って来る者には、血の気が多すぎるというのでしょうか」)

はきだめに鶴はきだめにつる):【意味】ゴミ捨て場に鶴がおりたように、つまらない場所に、不相応なほど優秀な人がいることを例えた表現。(落語・お直し:「勿体ねえなァ、こんなとこにおいとくのァ……掃溜めに鶴だァ」、藁人形、お玉牛、不動坊)(参照)→泥中の蓮

破鏡再び照らさず、落花枝にもどらずはきょうふたたびてらさず、らっかえだにもどらず):【意味】「覆水盆に返らず」(太公望呂尚の妻が読書にふける夫を見放して去り、後に彼が出世すると復縁しようと帰ってきたが、太公望は盆の水をこぼして、見事この水を元へ戻せれば復縁しようと言ったという故事から出ている)と同義。主に夫婦の別離に関する諺。割れた鏡は決して元通りにならず、散った花は元の枝へ戻らない。一旦破綻した関係は、二度と修復できない。一度してしまったことは取り返しがつかないのだ、という意味。(講談・太閤記:「もとの夫婦になってくれというと、覆水は盆に返らず、と悉く意見をしたということが、古い本に書いてある。破鏡再び照さず、落花枝にもどらず……」、本所五人男)(参照)→覆水盆に返らず

博打打ち博打を打たずばくちうちばくちをうたず):【意味】本当の博徒というのは、自分で博打を打ったりはせず、人に打たせて利益を取るのである。(講談・関東七人男、落語・梅若礼三郎:「博打打ち博打を打たずといって、博打を打たないのがほんとうの博打打ちで」)

箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川はこねはちりはうまでもこすがこすにこされぬおおいがわ):【意味】「箱根馬子唄」の歌詞。箱根の山と大井川(架橋・渡船が禁じられたので人足を雇って川を渡った)は東海道の難所であることをいう。(講談・名医と名優:「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川、その二つの難所も無事に越しまして」、小金井小次郎)

箱根山駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人はこねやまかごにのるひとかつぐひと、そのまたわらじをつくるひと):【意味】世の中には駕籠の客となる人もいれば、その駕籠をかついで客を運搬する職業の人、その駕籠かきの草鞋を作る人もいる。多くの人が関わり合い助け合いながら広い世の中というものは成り立っているのである、ということ。(落語・夢金:「“箱根山駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人”てえからなァ……そのまた草鞋を拾って歩いてるやつもあるんだ」)(参照)→雪の日に駕籠に乗る人かつぐ人そのまた草鞋を作る人

葉桜になるまで知らぬ(愚痴の)婿選みはざくらになるまでしらぬむこえらみ):【意味】箱入り娘(しばしば美女である)が婿の選り好みをしているうちに(または嫁入りを具体的に考えないうちに)適齢期を逃しかけるという事態をいう川柳。(講談・関東七人男、朝顔日記:「サア、葉櫻になるまで愚痴な婿選み、と申す譯でもござらぬが」、祐天吉松)

恥ある武士は必ず死すはじあるぶしはかならずしす):【意味】自分の名誉を重んじ、名を惜しむ侍は、名を守るためならおめおめと生き恥をさらさず、必ず死を選ぶということ。(講談・安政三組盃:「というのは、恥ある武士は必ず死すというたとえがある」)

馬耳東風ばじとうふう):【意味】李白の詩より。春風が吹けば人は喜ぶが、馬は何も感じない。人の意見や批評を平気で聞き流すことをいう。(講談・木村長門守:「馬耳東風と言ふに因つて、主馬の耳には人間の聲が入らなんだであらう」、幡随院長兵衛)

橋無い川は渡れんはしないかわはわたれん):【意味】間に入る人がなければ、物事(計画)は成就しない。また、何かを成し遂げるにはそれなりの段取りが不可欠である、という意味。(落語・池田の猪買い、米揚げ笊:「別に不思議なことはないけれども、橋無い川は渡れん、てなことを言おうがな」)

箸にも棒にもかからんはしにもぼうにもかからん):【意味】どうにも手のつけられない、扱いようのない人の形容。(講談・神崎与五郎のかたみ、落語・妾馬:「箸にも棒にもかからぬ馬鹿でございますので、なにか粗相がございましたら、てまえからいくえにもおわびを申し……」、佐々木政談)

箸のあげおろしはしのあげおろし):【意味】日常のちょっとした行為。(落語・心眼)

橋の上玉屋玉屋の人の声なぜか鍵屋といわぬ情なしはしのうえたまやたまやのひとのこえなぜかかぎやといわぬじょうなし):【意味】両国の川開き、花火を見物する人はどういうわけか「玉屋!」「玉屋!」と声をかけるが、ライバルの花火屋である「鍵屋」と言う人はないものだ、という状況を「鍵(かぎ)」と「情(じょう)」にシャレていう狂歌。(落語・たがや:「ま、たいがいこの玉屋の方が名がうれております。 橋の上玉屋玉屋の人の声なぜか鍵屋と言わぬ情なし」)

始まりあれば終わりありはじまりあればおわりあり):【意味】どんなものにも栄枯盛衰はあり、世の中は移り変わる。勢いのあるものもいつかは亡びる。さすがの徳川の天下も天保くらいになるとそろそろ先が見えてきた、というような意味で使う。(講談・天保六花撰:「さても徳川の天下ももう末だ、今が天下泰平の頂上、これから先は乱れるばかり、始まりあれば終わりあり」)

箸も茶碗もないはしもちゃわんもない):【意味】無一文になること。(落語・ちきり伊勢屋:「おれはもう箸も茶碗も無えンだからねェ」)

箸も出ないはしもでない):【意味】火事で焼け出されて無一物になること。家財どころか箸すら持ち出せなかったということ。(講談・徂徠豆腐、小金井小次郎、落語・鼠穴:「箸も出ませんで、まる焼けになりまして……」)

蓮の台で仲良う暮らすはすのうてなでなかようくらす):【意味】この世で祝福されて結ばれることのない男女が、心中して(そうでなくても死後)、あの世で共に仲良く暮らそうと誓い合う。(講談・岡野金右衛門、落語・城木屋:「どうか互いに手をとり、蓮の台で未来でともに添うて下さりませ」)

はだか虫の洗濯はだかむしのせんたく):【意味】雪の降った日の翌日は晴れ渡る、という天気ことわざ。(講談・勝田新左衛門:「俗に裸體蟲の洗濯などといつて雪の翌日は大抵好い天気でございます」、鼠小僧次郎吉)

八間はちけん):【意味】梁から吊るような掛け行灯。(落語・お直し:「八間がぼんやりとついていて」、一眼国)

八十九十になって親というのはできないはちじゅうきゅうじゅうになっておやというのはできない):【意味】年を取って今更孝行しよう、しておけばよかったと思っても遅い、だから親の元気なうちにせいぜい孝行しておけということ。(講談・幡随院長兵衛:「これから先いよいよ孝行をしなせへよ、八十九十になつて親といふものは又出來ねへものだ」)(参照)→親というものは拵えようと思ってできんものだ木静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず

蜂の頭もあるものかはちのあたまもあるものか):【意味】「蜂の頭」は役に立たぬもの、つまらないもの。「糸瓜の皮」に同じ。(落語・粗忽長屋:「当人がいって当人のものをもらってくるのに、きまりがわるいもハチのあたまもあるもんか」)

はちべえはちべえ):【意味】宿場女郎のこと。(落語・皿屋:「帰らねえのも無理がねえさ、女郎(はちべえ)に色が出来やして」)

八万四千の身の毛も慄立つはちまんしせんのみのけもよだつ):【意味】「八万四千」はとても数多い、の意である。体中の体毛がよだつ(ほどのおぞましい感覚)。(講談・薮原検校:「之は乃公の番だワイと八万四千の身の毛も慄立つやうな思ひなれど」)

八幡正気はちまんしょうき):【意味】神掛けて気は確かである、間違いないということ。(講談・男くらべ)

八幡太郎に番太郎、義経に向こう脛、能登守に鼻ッ紙はちまんたろうにばんたろう、よしつねにむこうずね、のとのかみにはなっかみ):【意味】一見似ているようだが段違いだ、という洒落。(講談・富蔵藤十郎:「物に譬へて見りやア、八幡太郎に番太郎、義經に向う脛、能登守に鼻ツ紙と違つて居る位ゐのもので」)

初鰹飛ぶや江戸橋日本橋はつがつおとぶやえどばしにほんばし):【意味】魚河岸は1923年の関東大震災まで日本橋にあった。江戸橋はその東の続きで、やはり魚市場。初鰹が威勢良く売買されている情景をいう川柳。夏なので、魚屋が飛ぶように走らないと鰹が腐ってしまう。(落語・芝浜:「『初鰹とぶや江戸橋日本橋』なんてえ威勢のいい句もあります」)

八寸を四寸ずつ食う仲のよさはっすんをしすんずつくうなかのよさ):【意味】夫婦差し向かい、八寸膳を半々にしてメシを食べる仲の良さをいう川柳。(講談・因幡小僧、落語・たらちね:「お膳を真ん中へはさんでよ、ねえ、“八寸を四寸ずつの仲のよさ”」、紙入れ、隅田の馴染め)

八丁居廻りはっちょういまわり):【意味】「居廻り」は居るところの廻り、という意味。よって「その場から八丁四方」のこと。(落語・蛙茶番:「あゝそうだよ、八丁居廻り探したってねえや」)

初物七十五日はつものしちじゅうごにち):【意味】初物を食べると寿命が七十五日延びるという俗信。(講談・柳沢昇進録、落語・中村仲蔵:「初物だから七十五日…おいらァ生き延びるよ。ああよかったよ」、五人廻し、らくだ)

はて恐ろしい執念じゃなぁはておそろしいしゅうねんじゃなぁ):【意味】怪談噺必須といえる、いつまでも登場人物につきまとう怨念のすさまじさ、因果の逃れがたさを、演者自身がつくづく慨嘆してみせるときのきまり文句。(講談・落語・怪談市川堤:「もう筋がどない変わろうと『はて恐ろしい執念じゃなあ』言うたら、そいでしまいですわ」、化物使いほか怪談多数)

鳩に三枝の礼あり、鴉に反哺の孝ありはとにさんしのれいあり、からすにはんぽのこうあり):【意味】鳩は親鳥より三つ下の枝に止まるというほどの礼節があり、鴉は雛の時の恩を返すため、親鳥の口に餌を含ませて返す。共に親の恩に応える例え。(講談・岡野金右衛門:「コリヤ能う聞け、鳩に三枝の禮あり、鴉に反哺の孝あり、況んや人倫なるもの、譜代相恩の主君の仇、忘却致して相濟まうか」、越後伝吉)

鼻唄三丁矢筈斬りはなうたさんちょうやはずぎり):【意味】腕の立つ侍によって、物凄く斬れる刀で斬られると、斬られた方はそれ全くに気づかず、その後も鼻歌を歌いながら三丁も歩いたあとまっぷたつになって絶命するのだということ。まさかそんなことはないだろうが、という断りつきで使われる表現。(講談・幡随院長兵衛、落語・猫の皿、粟田口:「鼻唄三丁矢筈斬りといってねえ、斬られた奴が三町歩いたってえますね、え?」)

鼻毛を抜き取るはなげをぬきとる):【意味】だます、だしぬくこと。(講談・越後伝吉「お早の方では何でもこの忠兵衛を引捕えて鼻毛を抜き取り、江戸表へ乗りこんで十分金をせしめようという謀計がございますから」)

落語家殺すにゃ刃物はいらぬ、あくび三つですぐに死ぬはなしかころすにゃはものはいらぬ、あくびみっつですぐにしぬ):【意味】落語家を食えなくするには、客があくびして噺がつまらないことを態度で示せばいいのである。しばしば引き合いに出される都々逸。(落語・お七:「『落語家殺すにゃ刃物はいらぬ、あくび三つですぐに死ぬ』という古い都々逸もありますが」、雁風呂、全快=死神)

噺家は浮世(世上)のあらで飯を食いはなしかはうきよ:せじょう:のあらでめしをくい):【意味】落語家は広い世間にある、絶対不可欠な事柄ではなく、どうでもいいような余計な部分を噺のネタにして客を笑わせ、銭を取って生きるものだという川柳。(落語・粗忽の使者、昔の詐偽=人参騙り、鬼薊の清吉、お七、大工調べ:「『落語家は世上のアラで飯を食ひ』と昔時(むかし)から喋々されて居りますが」)

話し上手の聞き下手はなしじょうずのききべた):【意味】寄り合って喋ることが上手い人は、人の話を聞くことはかえって苦手である、という諺。(講談・幡随院長兵衛:「そんな事を云つて居るから面白くない、話上手の聞き下手だ」)

話の末は下に落ちるはなしのすえはしもにおちる):【意味】「話は下で果てる」ともいう。会話がおしまいに近づくと、話題はきまって下ネタになる、ということ。(講談・加賀騒動:「話の末は下に落ちるとか云ふが中に一人の若者」)

鼻血が出たとき首筋の毛を三本抜くと鼻血がすぐに止まるはなぢがでたときくびすじのけをさんぼんぬくとはなぢがすぐにとまる):【意味】「盆凹の毛を一本抜く」とも。一種の「生活の知恵」というよりおまじないのようなものだが、編者は一度も試してみたことはない。(落語・蛸芝居:「まァみなさんでもご承知の、鼻血が出たとき、この、首筋の毛ェを三本抜いたら、鼻血がすぐに止まるとか」、真景累ヶ淵)

花に嵐、月に叢雲はなにあらし、つきにむらくも):【意味】人間、調子の良い時に限って、なんだかんだと邪魔が入るものである。(講談・寛永三馬術:「イヤ恭けない。花に嵐、月に叢雲とはこれをいふのだ」)(参照)→月に叢雲の譬

花の雲鐘は上野か浅草かはなのくもかねはうえのかあさくさか):【意味】松尾芭蕉が深川芭蕉庵にあって上野・浅草の花の眺望を詠んだ句。(落語・廓の夜桜:「『花の雲鐘は上野か浅草か』で雲か雪かと真盛りになる」=親子茶屋)(参照)→今鳴るは芝か上野か浅草か

花に十日(百日)の盛りなく、人に百歳の齢あるは稀なり、生まれて死するは世の習いはなにとうかのさかりなく、ひとにももとせのよわいあるはまれなり、うまれてしするはよのならい):【意味】桜の花は十日で散り、人が百歳生きるのは稀である。生きとし生けるものには定められた寿命というものがある、それに逆らおうとしても無駄であるということ。(講談・天一坊:「花に十日の盛りなく、人に百歳(ももとせ)の齢あるは稀なり、生れて死するは世の習ひ」、夕立勘五郎)

鼻の下に休日はねえはなのしたにやすみびはねえ):【意味】鼻の下、すなわち口には休みの日はない、食わないでいられる日はない。だから生きていくためには働かなければならない。(講談・安中草三郎:「ナニ何處に居つたつて鼻の下に休日は無へからな」)

花は紅、柳は緑はなはくれない、やなぎはみどり):【意味】自然のままで人工的な作為がないこと。自然に任せた悟りの心境や美しさを言い表す場合が多い。蘇東坡の詩より。(参考)→みわたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今集・春上・素性)(落語・一ト目上り:「柳は緑花は紅のいろいろ歌、庭の池の面に、月は夜な夜な通えども、蔭もとどめず、水も濁さず、と書いてあるな」)(参照)→柳の翠、桜の紅

花は桜木、人は武士はなはさくらぎ、ひとはぶし):【意味】花の中では桜が一番優れている。人間の中では侍が最高である、という諺。「なぜ傾城にいやがられ」という「サゲ」がつく。(講談・赤穂義士本伝、寛永御前試合、赤穂四十七士伝、落語・花瓶、しめこみ、茶わん屋敷:「アアさすが感心いたしました。花は桜木人は武士、えらいもんで」)(参照)→侍は人の鑑四民の源上に立ち、三民の上席を穢す

花より団子はなよりだんご):【意味】風流や恋愛なぞよりも、実利の方が尊いのである、という主張をこめた諺。(講談・寛永三馬術、片岡源五右衛門、落語・花見酒:「けれども亦花より団子なんかと申して、随分下戸の花見と来ると御色気のないもので」、黄金餅)《い》(参照)→色気より食気

鼻をつままれても分からないという真の闇はなをつままれてもわからないというしんのやみ):【意味】誰かにいきなり鼻をつままれても、誰がいつやったのか分からないように、あたりが真っ暗であることの例え。(講談・豊志賀の怨念:「鼻をつままれても分からないという真の闇」)

はねあがり者はねあがりもの):【意味】出しゃばり。状況を考えずに勝手な振る舞いをする人のこと。(落語・錦の袈裟:「そうすりゃァ、お前ンとこの嬶(かみ)さん、はね上がり者だから、なんとか考えるだろう……なんてね」)

はねつけられればはねつけられるほど募るのは恋の意地はねつけられればはねつけられるほどつのるのはこいのいじ):【意味】振られ、冷たくあしらわれるほどに、相手への執着が逆に深まっていくのが恋というものである、という意味の言葉。(講談・由井正雪:「刎付けられれば刎付けられるほど募るのは戀の意地」)

母親は勿体ないがだましよいははおやはもったいないがだましよい):【意味】母親は泣きつけばすぐに金を出してくれたりわがままを許してくれたりするもので、甘える方も心の底で「済まない」と思いつつも一番安易な頼り先として利用してしまうのである。(講談・春風臆病問答:「下世話にも申す通り、“母親は勿体ないがだましよい”などと言われる。世の中でだまされて喜んでいるのは母親ぐらいのものだ」)

母賢ならざれば其の子愚なりははけんならざればそのこぐなり):【意味】子のために三回転居した孟子の母ではないが、母親が馬鹿であると、子供はろくな者に育たない、という諺。(講談・堀部安兵衛:「母賢ならざれば其の子愚なりと申して、母が馬鹿では子に善いものは出來ませぬ」、浜野矩随)

蛤は虫の毒はまぐりはむしのどく):【意味】(参照)→「ちゅうちゅうたこかいな」同様、物の数を「一、二、三……」とカウントするときのかけ声。子供が蛤を食べると虫を起こす=「蛤は小児の虫の毒」ともいう諺。伊勢富田の三すじという焼蛤屋の娘・お琴を巡る加納屋利三郎・上州熊五郎のさや当て、つまり荒神山の決闘の発端が起源であるということに、とりあえず講談の上の軽口ではなっているが、もちろん全くあてにはならない。(講談・清水次郎長、安政三組盃:「チュウチュウタコカイナと、蛤は虫の毒……四十三両と二分ございます」)

早起きは三文の得はやおきはさんもんのとく):【意味】(同義・参照)→朝起きは三文の得に同じ。(落語・ろくろっ首、芝浜:「早や起きは三文の徳があるといふが」)

流行語は世につれるはやりことばはよにつれる):【意味】世間の人々が好んで口にする言い回し、すなわち流行語は、時代とともに移り変わるものである、ということ。明治時代にはすでにこういう諺があった。(落語・高野違い:「コノ昔の言葉にうかがいまするのに、流行語(はやりことば)は世につれるなどということをよく申しますが」)

腹がへっては戦はできぬはらがへってはいくさはできぬ):【意味】空腹では何をしても良い成果は得られない、という教え。(講談・岩見重太郎:「腹がへっては戦さは出来ぬ、この上のお願いは、握り飯と酒を一升ばかり用意をして貰いたい」)

腹が減り酒に酔うと人相が狂うはらがへりさけにようとにんそうがかわる):【意味】空腹時と酩酊時には人相が平常時と変わるので、そういうときに人相を鑑定すると外れる、ということ。(講談・太閤記:「腹がへったり、酒に酔うた時には、人相が狂うてえことを聞いた」)

腹の減った時にまずい物なしはらのへったときにまずいものなし):【意味】「空腹にまずいものなし」。腹が減っていると大抵のものはうまく感じる、ということ。(講談・笹野名槍伝、三家三勇士、落語・万金丹、雪の瀬川=夢の瀬川、唐茄子屋:「さあさあ、飯を食え、飯を。腹のへった時のまずいものなしだ」)(参照)→空腹にまずいものなし名物にうまいものなし

腹は借物はらはかりもの):【意味】宿った母の腹というのは一時の借り物であって、生まれた子が偉いかどうかは、種である父親如何である、という昔の諺。(講談・水戸黄門・出世の高松、落語・妾馬:「ご本妻にお子さまができませんときは、腹は借りもんだなんという、勝手なことをいいまして」、橋場の雪=夢の瀬川)

腹も少し北山はらもすこしきたやま):【意味】(講談・鼠小僧次郎吉:「そういやあ丁度腹も少し北山だし」、落語・三人旅、播州巡り)(参照)→少し腹が北山時雨を見よ。

腹も身のうちはらもみのうち):【意味】腹も身体のうちだから大事にしなければいけない。=暴飲暴食は慎めという戒め。(落語・化物使い:「おい、馬鹿なことをしちゃいけない。“腹も身のうち”だ」)

梁強くして家を倒す、忠義も過ぐれば主を害するに等しはりつよくしていえをたおす、ちゅうぎもすぐればしゅうをがいするにひとし):【意味】(参照)→高梁(うつばり)強くて家を倒すを見よ。侍の意地を張り通すために御家に傷がついてはどうにもならない、という穏健派の意見。(講談・大石内蔵助:「梁強くして家を倒す。忠義も過ぐれば主を害するに等し、能く能く御勘考下さるやう」)

針の筵に座るも一興、剣を抱いて寝るも一入はりのむしろにすわるもいっきょう、けんをいだいてねるもひとしお):【意味】敵の卑怯な罠にむざむざおちたり、術中にはまったりして危険な目にあうのもまた面白いではないか、という善玉特有の余裕あるセリフの一部。(講談・笹野名槍伝、三家三勇士:「しかし大胆なるところの國次惣左衛門、針の筵に座るも一興、剣を抱いて寝るも一入、此奴いかなる者であろうかと、好奇心に駆られたのが、庄次郎にはもつけの仕合せ」、寛永三馬術)

春浮気夏は元気で秋ふさぎ冬は陰気で暮れはまごつきはるうわきなつはげんきであきふさぎふゆはいんきでくれはまごつき):【意味】「春陽気……」とも。四季おりおりの「き」を脚韻を踏んで狂歌にまとめたもの。「春椿夏は榎で秋楸(ひさぎ)、冬は梓で暮れは柊」を式亭三馬がもじった。(落語・掛取万歳:「四季で陰気、陽気がございます。“春浮気、夏は元気で秋ふさぎ、冬は陰気で暮はまごつき”という……」、尻餅、狂歌家主、姫かたり)

春永になるはるながになる):【意味】春の日のながい時に、(暮れのせわしいときなどではなく)もっとゆっくりできる時期に、ということ。(落語・芝浜、御慶:「だから、そう言われたら、春永にうかがいますってんで、『永日』と言って帰ってくればいい」、言訳座頭)

春の花、夏の涼みに秋の月、巡り来たったこの冬の雪はるのはな、なつのすずみにあきのつき、めぐりきたったこのふゆのゆき):【意味】冬が到来したこと(あっという間に一年が経過したこと)をしみじみと振り返る時に使われる文句。(講談・寺坂吉右衛門)

春娘、夏は芸者で秋娼妓、冬は女房で暮れは権妻はるむすめ、なつはげいしゃであきしょうぎふゆはにょうぼでくれはごんさい):【意味】「春椿……」の歌をさらに四季おりおりのお楽しみ相手に替えて歌ったもの。(落語・隅田の馴染め:「狂歌『春娘夏は芸者で秋娼妓冬は女房で暮は権妻』と云ひますが、春はお娘子がチヨイとお眼に附きます」)

反間苦肉の計略はんかんくにくのけいりゃく):【意味】敵同士が仲間割れを起こすような作戦のこと。「反間」は敵のスパイを逆利用して相手を陥れること、「苦肉」は一旦自分達を窮地に追い込んで反撃の好機を狙うこと。(講談・山中鹿之助、吉良屋敷替え:「某は山科に居をかまえ、遊里に耽溺と見せかけ、妻子を離別に及びしはこれぞ反間苦肉の計略」、加賀騒動、慶安太平記)

万山重からず君恩は重し、一髪軽からず我命は軽しばんざんおもからずくんおんはおもし、いっぱつかろからずわがめいはかろし):【意味】武士にとって主君の恩というのは山よりも重く、その前では自分の命などは髪の毛一筋よりも軽い。侍は身命を賭して奉公せねばならない、ということ。(講談・大石東下り:「此の脇差に附いて居る小柄はコリヤ内蔵助が自身に入れた銀象眼、萬山不重君恩重一髪不輕我命輕、是ぞ即ち内蔵助が心の中を知らせる爲の贈物」)

判証文した金より尚喧ましいのは賭奕の授受はんしょうもんしたかねよりなおやかましいのはばくちのきまり):【意味】証文をかわした借金よりもなお、博打の貸し借りの払いにはけじめをつけなければならない、という不文律。(講談・小金井小次郎:「そりやア親分可けませんや、判証文した金より尚喧ましいのは賭奕の授受でございます」)(参照)→盆の上の借り貸しは地頭へのおさめ年貢からみると几帳面

萬卒は得易く、一将は得難しばんそつはえやすく、いっしょうはえがたし):【意味】万人の兵士を集めることはさほど困難ではないが、一軍の将たる人物を求めるのはとても難しい(から、有能な将軍を失うのは手痛い損害である)ということ。「番卒は……」と表記するものも。「萬卒は恐るるに足らず一人の智将は恐るべし」などともいう。(講談・寛永三馬術、猿飛佐助、田宮坊太郎、三家三勇士、山中鹿之助、西郷南洲:「萬卒は得安く、一将は得難し。高い聲では云はれぬが、近き将來に起るべき天下の大業には、是非御身を頭目に押さねばならぬことになつて居るのぢや」、難波戦記冬合戦、越後伝吉)

半ちくなはんちくな):【意味】細工などが中途半端でものになっていないこと。職人の言葉。(落語・ちきり伊勢屋、たらちね、風呂敷、子ほめ:「実は何でございます、仕事が半チクになりましたので、家に居ても詰らねえからお宅に伺つた様な訳で」、一ト目上り、饅頭こわい、立波、後の船徳=お初徳兵衛、雑俳、鮑のし)

番町にいて番町知らずばんちょうにいてばんちょうしらず):【意味】江戸時代、番町という町は区域が広大なので、そこの住民でさえ番町についてよく知らないほどである、ということ。現在の千代田区一~六番町、九段二~四丁目。ほとんどが旗本の屋敷だった。(落語・石返し)

半てれつはんてれつ):【意味】酒一杯の半分、の意。下世話な表現。(落語・ちきり伊勢屋、庖丁:「半テレツだけぐっとこう飲って……」)

万物の霊長たる人間が思いこんだら、その念が残らない限りはないばんぶつのれいちょうたるにんげんがおもいこんだら、そのねんがのこらないかぎりはない):【意味】いやしくも人間たるものが、一筋に誰かに惚れておもいつめたら、その強い一念が何らかの威力を表さないはずがない、ということ。格言ではない。(落語・三年目:「万物の霊長たる人間が、思い込んだら、其の一念が残らない限りはなかろうと思います」)(参照)→人間は万物の霊長

万々出世ばんばんしゅっせ):【意味】通常「番々出世」と表記。順を追って諸仏がこの世に現れること。転じて、世の中の仕組みは年功序列に出来ているということ。(落語・淀五郎、一人酒盛:「人間は万々出世という事がある。今に芸をみがいてりゃ、朝から刺身だってなんだって食えらァな」)

萬夫不当(の勇)ばんぷふとう:のゆう):【意味】一万人が手向かいしてもかなわないほどの豪傑をいう。(講談・梁川庄八:「如何に庄八萬夫不當の勇を誇るとも、三人であれば、必ず彼に打勝つ事は出來よう、どうぢやな」、山中鹿之助)

半間なはんまな):【意味】半端な、間の抜けた。「愚鈍」とあて字する(落語・百川)。(講談・祐天吉松、落語・品川心中:「馬鹿で大食ひで、慾張つて居て、其れで働らきがなくつて、外装坊(みえぼう)で、助兵衛で、半間の奴だから」、塩原多助一代記、百川)

萬緑叢中一点の紅ばんりょくそうちゅういってんのくれない):【意味】見渡す限りの緑の中に目立って花一輪がある様子。たくさんの男性の中に、たった一人女性が混じっていること。紅一点。(講談・梁川庄八:「實に萬緑叢中一點の紅、珍らしく花やかな仇討で御座います」)

編:松井高志・2004-

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