第11回 YOUTH WINTER CAMP 2010 3月1日(月)~3月4日(木)
場所:御殿場市 国立中央青年「富士のさと」
費用:学生11000円、社会人15000円 2月7日まで登録なら千円引き (仮登録4000円)
今年もやってきますYOUTH WINTER CAMP。富士山のふもとでゴスペル、バイブルスタディー、スポーツ、フェスティバル、おいしい食事などなど、若者が聖書を通してVISIONをもらうキャンプです。みなさんふるってご参加ください^^^^
昨年の様子
マルコによる福音書10章 43節~45節
「仕える者」
45節、人の子とはイエス・キリストのことです。イエス・キリストは神様の身分でありながら人に仕えるために来ました。そのため馬小屋という貧しい所で生まれました。また生涯も貧しいものでした。イエスは人々に教えていましたが、同時に仕えていました。病気にかかり人々から遠ざけられてた人にも仕えました。弟子の足も洗いました。
ルカによる福音書22章24節~25節「また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。」 この言葉のように、人は自分を高めようとするか、他人を非難するかのどちらかです。この自我から抜け出すためには、イエスのような愛が必要です。他人を愛するためには、まず神様に仕え、その人に関心を持ち、その人のことを考えてあげることです。そのようなクリスチャンが増えれば日本が変わります。
マタイによる福音書9章35節~38節
「イエス・キリストの生涯」林東琥 牧師
聖書のイエスの生き方は人間の地図です。イエスの生涯を見て私たちはどうすれば良いでしょうか。主イエスは結婚してる人は離婚をしてはいけない、また供え物を捧げる(礼拝を捧げること)前には友を赦し友と和解すること、人にしてもらいたいことは自分も他の人にすること、と言われました。これらのようにイエスの通り、聖書の通りに生きていったら、イエスがは私達と共にいます。
マタイによる福音書6章9節~13節
「主の祈リ」 林 東琥牧師
主の祈りとは主イエスが教えてくれた祈りの手本です。
私たちにとっての正しい祈りとはなんでしょうか?神様は人格を持っておられる方です。
ただ機械的に願いを言っても意味はありません。また人の目を気にしたり見てもらおうと祈るのも良い祈りではありません。祈りはただ神様に向かってするものです。
神様と私たち1人1人は父子の関係ともとれます。父に話しかけるのと同じかけるのと同じ気持ちで祈るのが良いです。
神様に祈る時はまず神様の御名があがめられるように祈るべきです。それは周りの人々も神様をあがめるようになることです。そのために私たちが正しく良い働きができるようにならなければなりません。またそのためには私たちはアガペの愛で人を愛することです。それを実践し神様の子が増えることが神様の御心です。
ヘブライ5章11節~6章2節
「一人前の大人」 林 東琥牧師
イエス・キリストを救い主として信じる人の中でも、自分の利益のためにしか祈らず、自我が先にでる人と、神様の栄光のために祈り行動していき、苦難があっても主に委ねる人がいます。
イエスを受け入れたあと、私たちは成長していかなければなりません。
それはもらう側から与える側になっていくことです。そのように成長していくために必要なのは聖書の御言葉を読むことです。またその聞いた聖書の御言葉を心に留め、その御言葉によって生きていくことです。
ヨハネ14章12節「主が行う業」林 東琥牧師
イエスは14章7節で私を見ることと同じであると言いました。
弟子たちや周りの人ことごとくそのように言いました。主イエスが行ったそのような業を私たちも行えば私たちにとてもプラスになります。
主イエスを信じ、力を受ければ主イエスが行ったものと同じことができます。主イエスの業のなかでも一番の業は自分を十字架につけた人を赦したことである。
そのように人を赦すことが私たちが一番すべき行いです。そのためにはヨハネ13章1節~5節でイエスが弟子達の足を洗ったその心が基になります。