早い話が

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早い話が:手紙のコピーの裏読み=金子秀敏

 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が米国を訪れた。2月18日、オバマ大統領がホワイトハウスで面会したが、「私的行事」扱いとなり報道陣は閉め出された。だから詳しい内容はわからなかった。

 ダライ・ラマは翌日、米議会図書館で民主化支援団体から表彰を受けた。その時の記念スピーチで新事実がわかった。オバマ大統領は「1942年、ルーズベルト大統領がダライ・ラマにあてた手紙」のコピーを贈っていたのである。

 日本の新聞は、オバマ流のもてなしを示すエピソードとして報道した。が、本当にそれだけだったのだろうか。

 そもそもルーズベルトの手紙にはなにが書いてあったのか。ダライ・ラマ法王庁公式サイトの記事によると「(米国が)はるか遠いヒマラヤの地と関係を築こうとした」親書だった。

 チベットに国交樹立を求めた米大統領親書--。米国とチベット国の外交関係がここから始まった。ダライ・ラマ側ではすでに紛失していたものだ。

 当時、ダライ・ラマは7歳。ラサの宮殿で宗教指導者、政治指導者となるため厳しい教育を受けていた。「(アメリカ人代表が親書といっしょに持ってきた)二羽の美しい鳴き鳥と立派な金時計もうれしい贈り物だった」と「ダライ・ラマ自伝」(山際素男訳)に出てくる。

 その親書のコピーをもらったと明かしたダライ・ラマは笑って言った。「私の関心はもっぱら時計で手紙ではありませんでした」。そして「時計の思い出話を何度も繰り返した」(公式サイト)。

 ルーズベルト親書は米国がチベットを独立国として見なしていた証拠になる。ダライ・ラマはチベット独立の正当性を訴えることもできたろう。なのに、話したのは時計の思い出ばかり。ここに計算を感じる。

 「中国共産党は、悪いことをたくさんした。私はそう思います。でも、同時に、より強い中国にするためにたくさんの貢献もしました」

 「(社会的セーフティーネットを主張する)私の頭は、中国の指導者より赤いなと、ときどき思います」

 「中国共産党はいさぎよく引退する時が来た。こう言うと中国のリーダーは怒るだろうな、ははは」。ダライ・ラマは明らかにこのスピーチを中国高官に聞かせようとしている。米国の親書に関心がないと強調したのは、独立は考えていないという含みではないか。笑いでまぶした真剣なメッセージだろう。(専門編集委員)

毎日新聞 2010年2月25日 東京夕刊

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