2010.02.26

【2/25社員募集】株式会社夢現社

株式会社夢現社
東京都豊島区池袋
取締役・さくら美月


業種/編集制作(雑誌、書籍)
ジャンル/格闘技、フィットネス、健康関係、雑学、クイズ、パズル、歴史関係など。

募集業務/編集実務、記者、ライター

待遇/雇用保険など。傷害保険や退職金積立保険は会社負担。春・夏・冬休み(春は3日、夏は8日、冬は14日)

待遇/昇給年2回、賞与は入社1年後から夏、冬2回。

条件/高卒以上。30歳まで。経験の有無は問わず。
健康で陽気な方。
格技経験者優遇(現在、道場等に通っている者には月謝会社負担。練習時間等配慮あり。特に極真会館、極真館会員には稽古参加等に関して特別優遇します)。
またパズル・クイズ・占い・雑学に興味がある方。

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弊社について/現在、パズル関係の編集実務が主ですが格技・フイットネス・各種トレーニング等専属スタッフ(業務上、他のジャンルにも携わって頂きますが)を求めています。
現在、代表は殆ど出社せず作家として自らの執筆活動に専念。副代表も作家活動の一方で社内の管理全般について決定権を有しております。
また代表、副代表のルポルタージュの補助・取材記者として大会取材等も有り得ます。
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応募要領/まずは以下の電話に連絡願います。担当者が対応いたします。その後に履歴書の送付を願います。

080ー1371ー1319(担当・飯田)

応募締め切り/3月12日

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※以上の写真は弊社が制作してきた、または代表・副代表著による作品の1例に過ぎません。




samurai_mugen at 05:25|Permalinkclip!告知・お知らせ・NEWS 

2010.02.25

【2/25お知らせ】ブログ継続について!

現在、「大山倍達の遺言」を主に日常業務に追われている為、暫く「休眠宣言」をしています。まだ数カ月は多忙な状況から脱け出せないで苦しんでいます。ですから、未だ途中になっているコラムもいくつかあります。
しかし、読者からの熱心な要望を無視する訳にもいかないのも事実です。
そこで、これから暫くは、過去に弊社が制作した雑誌・ムック・書籍、更には私や副代表のTが著者として世に出した作品などの中から、特に思い出深いものを選び、当時のエピソードや裏話をショートコラム的に書いていこうと思います。
第1回は現極真会館館長である松井章圭氏による半生記を綴った「我が燃焼の瞬間」について触れてみます。
お楽しみに!

samurai_mugen at 07:05|Permalinkclip!告知・お知らせ・NEWS 

2010.02.06

2/6【暫く休眠のお知らせ】

2010年に入り、私の周辺が極めて騒がしく多忙を極める日々が続いています。
物書きとして、可能な限り早く「大山倍達の遺言」を完成させなくてはなりません。この数年間、沈静化を見せていた「極真空手界」ではありますが、年を開けて再び幾つかの団体で不穏な気配が生まれています。そこで追加取材を行うと同時に一通り終わっていたはずの原稿の見直しに追われています。
この経済不況の嵐のなかにあって設立20年を迎えた(株)夢現舎も、再び活性化を図っていかなくてはなりません。
他にも某会の新展開など数々の業務、またprivateでの活動も山積みの状況です。


(株)夢現舎はこれからも精力的に編集を中心にmedia活動をしていきます。
私にとって物書きは「天職」と痛感し、命ある限り執筆活動は続けていきます。
某会のサバキ青水流はいつか必ずおおやけの流派として(極真会館との友好関係を保持した形で)組織化します。



その為にも、暫くBlogを休眠させて頂きます。
とはいえ、突然の情動に駆られてコラムを書く事もあるかもしれませんが…。
まずは「大山倍達の遺言」をお楽しみに!!

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samurai_mugen at 12:45|Permalinkclip!告知・お知らせ・NEWS 

2010.01.11

【完全版1/12】思い出…松井章圭と容子(前編)

「100年後には、今こうして生きている我々はみんな死んでいるんですよ…」

極真会館館長・松井章圭の口癖です。
「だから精一杯、頑張って好きな人生を生きようじゃないですか!」
松井はこれを言いたかった訳ですが…。

私は1970年代末から松井という「紅顔の美少年空手家」の存在を知っていました。極真空手の世界では大先輩です。しかし何故か松井を異様に毛嫌いする三瓶啓二の影響を多大に受けた私は、まるで洗脳されたように訳もなく松井を嫌い、避けていました。
当時、三瓶は早大極真会に於いて絶大なチカラを有していました。クラブ内では「三瓶の言葉だけが絶対!」という空気に満ちていたのです。当然のように反三瓶のグループもいましたが、三瓶の高圧的なチカラに押さえられ、彼らは決して表には出ませんでした。早大極真会の絶対君主が三瓶だったのです。
そんな三瓶に影響された松井への偏見は約10年も続く事になるのです。

大学を卒業し、格技・空手専門出版社に入社。実質的に8年間の勤務の後、私は独立して(株)夢現舎を設立しました。1989年の事です。
数年後、私は池田書店編集長から松井の自叙伝の制作を依頼されました。当初は気が進まず、一度は断わりました。しかし「仕事に選り好みはよくない」という編集長の正論で、あくまで仕事と割り切る覚悟で松井と会う事にしました。
実際に言葉を交わしたのは初めてでした。池袋北口前の喫茶室・スワンでの事です。私は一瞬で過去の偏見・洗脳から解放された思いがしました。松井章圭は実に紳士でした。同時に極めて頭の斬れる人間だと思いました。更に言うならば、孤独や孤高を愛する癖に妙なユーモアを持つ好青年でした。その点では似た者同士だと感じました。
それ以来、私達は急激に親しくなりました。その親しさ故に、互いの我が儘さ故に衝突し合い、ケンカもしました。しかし紆余曲折を経ながらも、現在ではまさに組織を離れたprivateの悪友・義兄弟の如き付き合いをさせて頂いています。
松井章圭の「素の顔」を知っている人間は私以外、決して多くないと思います。とにかく2人でいる時の私達はまさに漫才コンビです。普通は私がボケで松井がツッコミですが、松井のテンションが上がってくると何故かボケとツッコミが入れ替わります。また、彼は実に自己中で甘えん坊、かつルーズでいい加減な人間です。
悪口を言っているのではありません。
男とは、「表」に出て仕事する時にどれだけ強く、豪腕であるかが大切なのです。命さえ賭けて斬った張ったの世界で勝ち続けなければならないのです。その分、privateでは如何にダサかろうがオヤジ丸出しだろうがいいのです。
松井こそは、闘うべき時に闘える、頑張るべき時に頑張れる正真正銘の「漢」なのです。それで十分なのです。

1994年4月26日、大山倍達総裁の死去当日、私は後継館長としての松井を支持する事を公言しました。一切の打算はありませんでした。ただ1980年代末から1990年代に入り、大山倍達総裁が聖路加病院に入院する直前まで、私は大山総裁から以下の言葉を繰り返し聞かされていました。
「もしもの時は松井にとって苦い薬役になってくれ。オマエらは先輩後輩を超えた親友なんだろう!? 新しい極真を背負うのは松井なのだから。万が一の時には[空手全科辞典]も松井と協力して必ず世に出してくれよ…」
私は大山総裁の言葉に忠実に従う事を覚悟しました。それは当然至極と思っていたからです(その行為が、それまで偉大な先輩として慕っていた三瓶啓二との対立に発展するとは考えもしませんでしたが…)。
media関係者の中で私が誰よりも真っ先に松井支持を旗幟鮮明にした人間だと自負しています。殆どのmedia関係者は、何か起こりそうな空気(実際、当日から遺族達は不満の声を露にしていたし、多くの支部長達も納得出来ないような複雑な表情を浮かべていました)を感じて様子見を決め込んでいました。しかし私には躊躇いなど微塵もありませんでした。私には大山総裁の言葉が全てであり、また松井への固い友情を抱いていたからです。
松井は未だにその点について私に感謝してくれています。また現在でも私が取った行動は間違っていなかったと確信しています。

偽悪者故に、私は「親友」という言葉は好きではありません。しかし「悪友」同士だからこそ、幾度もケンカしたり互いに牽制し合った時期もあります。でも、会って顔さえ見れば、無言のうちに仲直りも出来るのです。
松井は「コジマさんとはホットラインを持っているんです。何かあったら即、連絡を取り合いましょう。そうすればつまらぬ誤解など簡単に解決するんですからね」こう言ってくれました。ですから私は暇さえあると、松井がカナダにいようがブラジルにいようが平気でmailや電話をします。多忙な松井から突然、電話がくる事もあります。

芦原英幸亡き後、現在の私にとって松井章圭こそが最も身近で「目標」となる存在なのです。






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samurai_mugen at 08:18|Permalinkclip!駄文 

2010.01.10

【1/10ショートコラム】サバキ…芦原英幸の肘打ち

肘打ちは芦原英幸の専売特許の1つでした。私もムエタイとは異なる実戦的な肘打ちや極真ルールの中でも生きる肘打ちをいくつか教えてもらいました。しかし、中々マスター出来ません。
芦原英幸直伝の肘打ちは極めて独特な技術です。一見しただけでは何でもない、ただ振りかぶるような技に思えます。実際、現在の2代目芦原会館では「見せかけだけの組手では絶対に使えない」肘打ちを稽古(?)しています。残念な限りです。
あの芦原先生の肘打ちを実戦で生かすには極めて細かいコツが必要であり、修練を要する高度な技術なのです。二宮城光さんや中山猛夫さん、更には最も芦原空手を正しく継承している中元憲義さんらは組手や試合でも実に巧く使っていました。彼らが駆使した肘打ちはまさに芦原英幸譲りの技であり、実戦は勿論、極真ルールにおいてもかなり有効でした。


昔々(1980年代半ば)、ガールフレンドだった容子は極真会館芦原道場の黒帯でした。
夜、東京の歌舞伎町や六本木、渋谷など歓楽街を2人で歩いていると(私はいつも怒られていたので殆どの場合、不貞腐れながら彼女の約3ー5メートル後ろからついていくのが日常でした)、よく酒に酔った質の悪いサラリーマンやチンピラ2、3人のグループと出くわしました。彼らは何故か必ずのように、すれ違い様、彼女に声を掛けます。
すると容子は何食わぬ顔で彼らに近づき、一瞬で鋭い肘打ちを男の顎にお見舞いするのが癖でした。実に恐ろしい女性でした。身長154センチ、体重45キロの彼女の肘打ちに、大抵の男は踞ったものです。後始末は私の役目でしたが…。あれもまた芦原英幸の肘打ちでした。
私が思うに…肘打ちはむしろ顔面殴打可の組手の方が使い難いような気がします。当たる箇所(自分の肘)が途中まで見えないので間合いが計り難いからです。ストレートパンチのフェイントから肘打ちへの変化は殆ど実戦では成功しません。また、中間間合いから飛び込んで敵の顔面に肘打ちを放とうと思っても中々当たるものではありません。
しかし、芦原英幸は私が見ている前で何人ものゴロツキを肘打ち一発で伸ばしたものです。
肘打ちもサバキのひとつです。極真ルールであろうがルールなしの実戦であろうが、あの芦原英幸の肘打ちは私にとって「夢」のひとつです。


(了)




samurai_mugen at 07:20|Permalinkclip!ショートコラム 

2010.01.09

【1/9】 親子ブログ「正義なき力は暴力なり」〜更新情報

10年1月9日掲載
「オヤジと某会の青水流サバキについて!」
※オヤジを口だけの法螺吹きとか陰口たたいてる負け犬さんたちに、青水流サバキ柔術について某会会員の言葉で紹介してみました。
TAISHI


10年1月7日掲載
「オヤジからの教訓」
※私のBlogコラム「極真空手は宗教ではない」について、倅からのAnswer編!! かつて「チャンピオン製造工場」と異名をとった城西支部に誇りを持つ倅らしいコラムだ。私としては少し気恥ずかしいのだが…。

http://blog.m.livedoor.jp/gokuakunin15mei/?guid=ON&sso=7cf7323d5df7107db6a3e9b9f9bc12ea9dbea2e6

samurai_mugen at 20:57|Permalinkclip!告知・お知らせ・NEWS 

2010.01.05

【新版1/7】極真空手は宗教ではない! 芦原英幸の教え…

「最近の道場生は礼儀がなってない!」
「少年部に入門する子供は躾が悪く、何より保護者が礼儀知らずで困る…」
そんな嘆きの言葉を空手指導者(師範、師範代、指導員)が吐くのをよく聞くようになった。特に年末年始になると、「月謝を払ってるのに道場の大掃除なんか何故やらなくちゃならないの?」なんて顔を露骨にしたり、「今年も宜しくお願いします」ひとつ言えない…礼儀作法どころか謙虚さのない若者が増えたと言う。
だが、私はそんな言葉には簡単に頷けない。


少し芦原英幸の話をする。
芦原英幸というと、1980年に極真会館を永久除名(破門)になって以来、極真関係者の間からは真偽不明の悪口雑言が頻繁に発せれ(その源が大山倍達総裁であったのは明白だ)、いつしか「裏切者」のイメージが定着してしまった。あくまでも極真会館関係者の間での事ではあるが…。しかし今尚、芦原英幸という名を聞いただけで顔をしかめる人間は意外な程多い。
また芦原のもとから離れた正道会館(この離反劇も大山倍達=極真会館と無関係ではないが、ここでは触れない)関係者も、極真関係者とはまた別な角度から複雑な感情を芦原に抱いているのは否定出来ない。
以上の理由・背景から、いつしか芦原英幸という人間像が歪められ、誰よりも毀誉褒貶の激しい存在になってしまった。私にとっては極めて遺憾である。
更に、私がここで芦原英幸について書く事を潔しとしないのが芦原の嫡男及び、彼を「2代目館長」と仰ぐ現・芦原会館関係者だろう。彼らにとって、私はやはり裏切者であり、嘘八百を並べる偽者と映るに違いない。
結局、私が芦原英幸について書く事に何ひとつ得はないようだ。完全に無視するか、逆に居直って徹底批判でもした方が味方は増えるかもしれない。
だが、それは出来ない。
以前、私は松井章圭と、芦原英幸を巡って論戦になった事がある。芦原を否定的に捉える松井の主張には「正論」と言える部分が多々あった。だが「生きた芦原英幸」を知る私からすれば、それは大山倍達譲りの偏見と感じるところも少なくなかった。
議論好きな2人である。互いに主張を譲らない。しかし私たちは以心伝心で「無益な議論はいい加減止めようよ…」と確認し合い、私が「とにかく感情的に好きなんだからしょうがないでしょ!」と言うと、予定調和的な笑顔を浮かべながら松井は、「感情的に! と言うなら議論にならないですね」と終止符を打った。
私と松井のやり取りがひとつの好例だが、今の私が芦原英幸を語る事は、ある意味でタブーに近いのかもしれない。それでも私は敢えて書きたい。
2010年が私にとって人生最大の天王山になると思うからこそ、生涯の恩人であり、かつ最強最後の空手家、否、格技家であると信じる芦原英幸について書いておきたいのだ。


芦原英幸は堅苦しい儀礼や挨拶、礼儀…つまり虚礼を最も嫌った。空手を「武道」という範疇でくくる事も嫌ったし、ましてや「精神を涵養する」とか「空手は教育」云々の講釈を完全に否定していた。「精神だ! 教育だ!」なんて最初に旗を掲げたり「武道! 武道!」と騒ぐ行為に一種の軽さや胡散臭さを感じていたのかもしれない。

「武道とは生涯続けられるものではなく、生涯をかけて目指すべき道である」

これは大山倍達の言葉だが、きっと芦原にも同様の思いがあったに違いない。ただ芦原はそのようには表現しなかった。内心では「武道だ精神を涵養するなんてアピールしてる暇があれば強くなろうと努力せい! ケンカの道具にも役に立たんチャイルドゲームなんかやりおってからに…何が空手じゃ!?」と嘲笑していたのは確実だ。
私は、そんな芦原英幸の影響と根っからのひねくれ者からか「虚礼」が大嫌いである。空手や柔道の道場が「神聖」な場所だと思った事もない。単なる練習場ではないか。
形だけの虚礼ではなく、一般人の一般常識として最低限の礼儀をわきまえればいいというのが私の主義である。自分が汗を流した場所は後の人の為に綺麗に拭いたり掃除をする。それは私のような自宅リビングでもグアム・ハイアットのtrainningーgymでも同じ事だ。私や倅の汗にまみれた床やマットは拭いて乾かし、整理する…。



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samurai_mugen at 19:42|Permalinkclip!駄文 

2010.01.04

せめて束の間の休息を!!(修正版)

早いもので新年を迎えてはや4日。もっとも私には正月も大晦日も全然関係ないのですが、世間様が勝手にそんな慣習を決めてしまったのでやはり無視する訳にもいきません。

年末から年始にかけてグアムに行ってきました。
バカンスではありません。
倅と「親子稽古」のキャンプ(合宿)が目的でした。毎日、ハイアットのトレーニングジムとプール、時にはビーチで空手とサバキ柔術の練習に明け暮れました。

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倅は減量中ですが、熱帯の異様な陽射しの下でのトレーニングは極めて厳しく、だから練習以外は腹一杯に食べてひたすら寝ていました。
今となればキャンプとは言いながらも苦しくも楽しいトレーニングの10日間でした。

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帰国したらドッと疲れが出て、2人で発熱…まる2日間、死んだように寝込みました。
そして今日。
何とか熱も下がり気味で、疲れも取れてきたかと思えば…今度は、今年1年の仕事やprivateにおけるtroubleを考え出し、またも眠れない日々が始まりました。

仕事なんてしたくないのです!!
何も苦労して会社経営などしたくないのです!!
身を削りながら本など書きたくないのです!
privateで煩わされたくなどないのです!
倅の空手も、あんな大変な思いなどさせたくないのです!!
私だって、半世紀も生きてきたのに今更サバキだ柔術だ空手だなんてやりたくないのです!
しかし、夢現舎のstaffや某会の「兄弟」など大切なfamilyだけは守りたい。
倅には人間として強く強くなって欲しい。
何より銭を稼がなくてはならないのです!!

倅は勿論、会社のstaffや某会幹部ならばご存知のようにKojimaは常に「最悪」を意識して生きてきました。かつて、ある友人が私に言いました。
「オマエな、どう足掻いても結果は同じなのだから、せめて成功する事だけ考えて生きるのが楽しいじゃん」
私は訊きました。
「それで、もし失敗したり負けたり上手くいかなかったらどうする?」
少し考えて彼は答えました。
「そん時は、まさか!? って驚いて気持ちはドン底に堕ちるけど…。そんなのは何日か経てばまた忘れて次の事を考えて夢を見ればいい。成功すればいいなあ!! 勝てればいいなあ!! ってなるから結果的にはオマエみたいに毎日最悪を考えてるより健康的じゃんか」
そんな生き方もあるのか!? つくづく幸せな性格だなあ…。
私は感心したものです。
しかし仮に山で遭難し、どうしようという時、無事に帰れると楽観視していて、突然熊に襲われたり雪崩れに遭ったらどうする!?
彼は「そん時は終わりだと諦めればいいだけよ」と一笑に付しました。
私は熊に襲われたくないし雪崩れに遭いたくないのです。

「風林火山」の如く、ケースバイケースで、辛い時には「山」のように動揺せず動かない。何とかしようと思えば「林」のように静かに情報収集に専念し、「風」のように速く手を打ったり布石を敷いたり根回ししたり…。
それで初めて「火」のように勇敢に攻撃出来ると私は信じています。
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samurai_mugen at 07:11|Permalinkclip!駄文 

2009.12.15

【告知】「大山倍達の遺言」の為に情報&意見をお寄せ!(加筆版)/新極真会支部長の「砂袋」に告ぐ!

現在、「大山倍達の遺言」の執筆が佳境を迎えています。
そこで新極真会に所属または元会員だった方にお願いがあります。
新極真会は当方が最終的に「取材申請」を顧問弁護士を代理人として内容証明郵便にて送りましたが一切の返答はありません。
しかし協議会派=新極真会から離脱した殆どの支部長及び指導員からの重要な証言は取材させて頂きました(例外は三和純と増田章。しかし彼らの道場関係者からの証言は得ています)。
また現在、新極真会支部長の任にある数名からも極秘で協力を頂いております。一時、取材可となった時期には事務局長の小井泰三氏や柳渡聖人氏からも極めて重要な情報を提供して頂きました。
更には新極真会所属の道場生や少年部の父兄からも情報が寄せられています(批判だけでなく擁護や意見など様々です)。幹部や支部長以外の方々からの証言に関しては全て名前を明かさず匿名にて本書に活かさせて頂いております。

本書が「組織分裂」という複雑で人間関係の醜さが堆積する澱を丁寧に明らかにするのが目的である以上、1人でも多くの声が聞ければ、と考えております。特に名もない道場生や保護者の声は極めて重要なものと認識しております。

まずは新極真会(協議会派)という「組織分裂」の当事者からの徹底した取材拒否があるが故に、新極真会関係者の声を第1に求めました。
しかし、新極真会に限らず、連合、独立系、更には極真館や極真会館に関する情報や意見も歓迎です。
私たちが制作する「大山倍達の遺言」は著者の主張・意見を前面に論じる評論ではなく、あくまでもReportage、documentaryとして善悪の判断は読者に任せる手法を採っております。
決して批判だけではなく、逆に擁護的な声や意見も聞きたいと思います。名前を伏せる事は約束します。どうか、「組織分裂」の真実を歴史に残す為にも賛否にかかわらず末端の道場生、保護者の声を1人でも多く聞かせて下さい。
情報や意見の提供者には些少ながら記念品を贈呈致します。


連絡は以下の電話に限らせて頂きます。mailでは微妙な部分が伝わらない懸念があります。

08010277457
電源が切ってある場合、また雑事で出られない場合もあります。その場合はこちらから掛け直すか、諦めずにトライして下さい。
非通知、公衆電話からは伝わりません。当然、イタズラ電話には相応の対処を致します。あくまで紳士的な会話を望みます。

追伸
現在か元かは判りませんが、新極真会海外支部長の「砂袋」さん。散々、私に情報協力しておきながら、会議のtroubleの原因を私の責任にして雲隠れとは、あまりに筋が通ってませんね。私は過去の協力に感謝はするものの、結局私を悪者にして逃げる行為は卑怯極まりないと思っています。私の弁明より某支部長の言葉を信じた…まさに偏見以外の何物でもないでしょう。
必ず私に連絡下さい。
誠意ある姿勢がない場合、「大山倍達の遺言」では実名を明かしての証言(基本的に本書では実名が原則ですが)とさせて頂きます。
あしからず!




samurai_mugen at 18:39|Permalinkclip!告知・お知らせ・NEWS 

2009.12.12

不幸なる失敗作「小説ー拳王」(PHP/97年発売)に再起のチャンスを!

某月某日

最近、疲れがたまっているのか…規則正しい生活が完全に破壊しているからか、いい年して倅の稽古に付き合っているからか、睡眠障害も行くとこまで行ってしまったような感じです。
陽が昇るまでPCに向かい、寝ようとしても仕事の興奮が収まらず、もう睡眠導入剤など効きもせず、気が付くと会社の始業時間です。こうなるとMorningーmeetingの結果報告が待ち遠しく、寝るどころじゃなくなります。
11時半頃に会社から報告のmailが届きます。すると決まって会社に電話し、幾つかの確認や指示をだしたり…。気になる事があればpartnerと電話で打ち合わせ。アッという間に1時間。1時間で終わればいい方で、長引けば3時間など珍しい事ではありません。
これで一段落。
あくまでtroubleがない場合に限りますが…。
時間はとっくに午後になり、14時前後。食欲もなく、しかし何か軽くでも胃に収めないと! 家政婦さんがいる時は何かしら用意してくれるものの、独りの時には昨夜の余ったご飯をレンジで温め、フリカケでブランチ!?
寝なきゃ!!
しかし眠れない。
ところが陽が暮れる頃になって突然の睡魔に襲われます。だいたい倅に起こされると既に深夜0時。「親子稽古」の日は21時前後なので約1時間は意識朦朧状態。
だから夜は眠くて…。でも仕事しなきゃならない!!
まるで30年前の大学受験生に戻った気持ちです。実際、私は仕事を「しょうがないから勉強するか…」などと言い間違える事など日常茶飯事です。
こうして、やっと孤独な闘いに私は毎日挑むのです。


ところが昨夜は、「親子稽古」のない日でもあり、夕方というか19時頃に寝てしまいました。猫のミルを抱きながら…。
深夜0時。倅に起こされて、半分寝ながら何か食べ、半分寝ながら風呂に入り、再びベッドに崩れ落ちるように爆睡!! しかし悲しいかな習慣で、明け方5時に目覚めてしまいました。
再び、仕事しなきゃ!!
猛烈な強迫観念に襲われました。
とにかく睡魔から逃れなくては!! その為にマズい煙草を数本吸い、フッと思い出して本棚から拙書「小説ー拳王」を引っ張り出してページを繰り始めました。
私は自分の書いた本を改めて読む習慣はありません。理由は沢山あります。要は自分の下手な作品を読むに耐えられないのです。しかし、この時「小説ー拳王」を手にしたのには理由がありました。倅のBlogにこの本が触れられていたからです。
「小説ー拳王」がPHP研究所から発売になったのが1997年の夏でした。予定では1年早い96年の発売でした。初めて書く小説に、私は想定外の苦労を強いられ、結局脱稿が遅れに遅れてしまいました。
本来、PHP研究所が新書判のノベルスへの参入第1弾となる5冊の中に組み込まれていました。ところがノベルス参入が失敗に終わり、最終発売に回されてしまったのが、この作品の不幸でした。大した宣伝もされず、シリーズ最終判という不名誉な形になってしまいました。
それでも担当編集者の方は極めて協力的で、名もない無名作家であるにも拘わらず一生懸命に販売部と折衝をしてくれ、初版12000部という破格の数字を提示して下さいました。普通、ノベルスでも新人クラスでは初版6000部から7000部がいいところです(出版不況の現在は更に減っているようですが)。今でも担当の加納氏には感謝しています。

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