眼光紙背[がんこうしはい]とは:「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
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【赤木智弘の眼光紙背】東京オリンピックが実現しなくて本当によかった
2010年02月25日11時00分 / 提供:眼光紙背
赤木智弘の眼光紙背:第122回
そうした状況の中で、ほぼ決まっていた女性との婚約を「オリンピックが大事である」と破棄させられたり、過酷なトレーニングで椎間板ヘルニアを発症するなど、心身共にボロボロにされ、1968年の1月に自殺してしまった。その際に残した「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。」で始まる遺書は、川端康成によって高く評価されている。
2016年の夏季オリンピック招致活動に勤しんでいた当時の石原慎太郎が、松任谷由実との対談の中で、このようなことを語っている。
「彼の遺書は本当に美しかった。長距離ランナーはいろいろなことを考えながら走り、ドラマがある。僕は今も、マラソンを見るのが大好きですよ。」(*3)
そりゃ、スポーツにはドラマがあるが、あくまでもそれは競技の中の話である。
石原慎太郎が、東京オリンピック陸上唯一のメダリストである円谷幸吉を翼賛し、男子フィギュア史上初のメダリストである高橋大輔を腐すのは、円谷には自殺というドラマがある一方で、高橋にはスポーツ部分以外でのドラマが見えないからだろう。
石原にとっては高橋大輔は「道徳を知らず、国を背負っていないゆとり教育の若者の一人」であるかのように見えているのだろう。
ならば、「道徳を知って、国を背負う」とはなんだろうか?
彼らの競技や演技は、彼らだけのものではないのかもしれない。彼らの勝利や敗北だけなら、私たち日本人と共有されてもいいのかもしれない。
だが、彼らの人生は決して日本人に共有されるべきではない。彼らの人生は彼らのものである。
道徳を負うことも、国を背負うことも、それは決して「彼らの命まで含めて丸ごと、日本人に信託すること」などではないハズだ。
円谷幸吉の死を、三島由紀夫は「美しい自尊心」「崇高な死」などと論じた。だが、たとえ円谷にとってその死が崇高なものであったとしても、「日本国民が円谷に国家を無理に背負わせ、円谷を殺した」という事実から、日本人が逃げられるはずもない。
そうした現実を「ドラマ」と論じて直視せず、今現実に活躍しているスポーツ選手たちにまでドラマを押し付けようとする人間が、行政の長となって立つ東京という地に、オリンピックが招致されなくてよかったと、本当に心から思う。
*1:石原知事、高橋の銅メダル「まあ、銅から始めようだな」(産経新聞)http://news.livedoor.com/article/detail/4615194/
*2:図録▽冬季オリンピックにおける日本のメダル数(社会実情データ図録)http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3987.html
*3:yumiyoriな話 第10回石原慎太郎さん(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/yumiyori/20090508yy01.htm
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