<引用開始>
「日本林業は、"再生"するのではなくて、これから始まるのだ」。梶山恵司さんは、最近そうおっしゃいます。 確かに、今、地球を見まわすと、林業国として自動車産業よりも多くの雇用を林業から生み出し得ているドイツなどの西欧諸国は、1970年代に、全土に林業のための作業路網を張り巡らせていたり、「木材サプライチェーン」と呼ばれるような、林業の"川上"から"川下"までの輪(チェーン)が確立しています。日本をそれに比べると、森林率は世界第二位であり、他の技術では先進国であるにもかかわらず、「近代林業」においては30年近く遅れを取っていると見え、「日本林業はこれから始まる」は、戦後に植えた人工林が使い頃に成長した今、一つの見方だと思います。
<中略>
民間から梶山さんや湯浅さん、林野庁からは山田寿夫さんたちが"林業再生"にチャレンジして、今、新政権が「"林政"を一からやり直す」ことにチャレンジし始めようとしています。この二つのグループがまるで「時代の要請」のように出逢えたところに、日本林業と日本の森の"幸せ"があったと思えます。いえ、この「出逢い」は、偶然なのではなく、日本列島におわす神仏たちが私たちと未来のためにつくってくれたものにちがいないのです。
<引用終了>
http://www.the-journal.jp/contents/amano/2010/02/post_92.html
私は、宮崎駿監督の「もののけ姫」が「出逢い」を生み出したものととらえています。
宇宙と物理の小部屋『もののけ姫』が教えること茨城県立小瀬高等学校、竹本信雄先生のホームページから
<引用開始>
大和政権に亡ぼされ古代に姿を消したエミシの末裔の少年アシタカ。人間の子でありながら山犬モロに育てられた「もののけ姫」サン。女の身でタタラ集団を率いるエボシ御前。聖域を侵す人間達を襲い森を守る荒ぶる神々。人面と獣の身体、樹木の角を持ち、生と死を司るシシ神。アシタカはエミシの娘達をすくうために、たたり神に弓を引きます。サンは森を守るために人間たちに戦いを挑みます。エボシ御前は病人や女性を助け、タタラ場を守るために森を切り開き、もののけ達と対決します。
それぞれの登場人物が、皆それぞれ大切なものを守るために命を張って生き、行動する姿が描かれています。皆それぞれ優しく善意を持って行動しているのです。それなのに、いえ、それだからこそ、争うのです。
21世紀になっても、世界中に争いが絶えないのは、まさにそのためだと思います。全くの悪人などいないと思います。みんな正義と優しさと善意を持っているのに、いえ、持っているからこそ争うのだと思います。戦争をするのだと思います。
解決方法はないのでしょうか。いえ、私は宮崎監督は解決方法を知っていると思います。アシタカがその解答ではないでしょうか。アシタカはタタラの人々を助け、理解し、タタラの人々はアシタカに信頼をよせます。アシタカはサンを守り助け、理解し、サンはアシタカを助け、心を開きます。人はそれぞれ優しく正義感を持った存在だと信頼し、理解しあうことだけが争いを防ぎ解決する方法だと思います。
マイケル・ムーア監督が言った「日本人の知っている争いを暴力で解決しない方法」を宮崎駿監督は知っていると思うのです。
<引用終了>
http://www008.upp.so-net.ne.jp/takemoto/D7_42.htm
竹本信雄先生の見識には感服いたします。先生はさらに、もののけ姫の元となったギルガメシュ叙事詩も金岡新氏の『世界史講義録』から引用紹介されています。
<引用開始>
ギルガメシュ叙事詩の前半にこんな話がある。当時からメソポタミア地方は森林資源は乏しかったらしい。英雄ギルガメシュは町を建設するために木材が欲しい。そこで、(中略)レバノン杉の森に木を採りに出かける。ギルガメシュは親友のエンキムドゥという勇士とともに旅立つんです。祟りがあるから止めとけ、という周囲の制止を振り切って。ギルガメシュとエンキムドゥはレバノン杉の森にやってきて、その美しさに立ちつくす。美しさに圧倒された二人は呆然と森を見続けます。しかし、ギルガメシュは気を取り直してこう思った。
「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」
森の中に入っていくとそこには森の神フンババというのがいて、森を守るためにギルガメシュたちと闘うんですが、最後には森の神はエンキムドゥに殺されてしまう。フンババは頭を切り落とされて殺され、エンキムドゥは「頭をつかみ金桶に押し込めた」。その後、エンキムドゥは祟りで別の神に殺されてしまうんですがね。
<引用終了>
私は以前から自民党の元幹事長の加藤紘一氏のこの見解がすべてであると思い、この場で紹介しています。引用ばかりになりますが、再度紹介します。
「この国の形」より
<引用開始>
日本人は恵まれた自然の中で生きてきたということ。 紀元前3000年頃にお金のためにレバノン杉が全部伐採され不毛の地になったパレスチナとは違い、人間を育み慈しんでくれた山河に対する感謝と尊敬の念には特別なものがある。自然と共生する気持ちは、我々の生活の随所に生き生きと存在する。中国の文化やパレスチナ3大宗教圏と大きく文明的な差異を示している。この「自然に対する崇敬」が日本文化の根本価値である。
<引用終了>
http://www.katokoichi.org/thoughts/nippon.html
孫子の戦法「激流の計」
「激流岩をかむ激しい水の勢いも、もとはといえば、山あいのちょろちょろした流れから始まっている。いくつもの流れが集まるにつれて次第に勢いを増し、遂にはあらゆるものを押し流す激流と化するのである。」
私は、日本全国で行われている森林を守り育てる「小さな活動」の流れが集まり、日本の不況を押し流す激流と化す日は近いと考えています。
新政権の目指す新成長戦略である「環境」「健康」「観光」分野の入り口は森林にあるのです。私は、数年前から日本の森林をつくりかえる提案をしています。何十年後には、その森林から生み出された緑で中東の地を「緑化」できる日もやってくることでしょう。
日本人の手で、伐採されつくされたレバノン杉の森を復活させたり、神がはやされた「いのちの木」を植えたりすることも決して不可能ではありません。
マイケル・ムーア監督が語る「日本人の知っている争いを暴力で解決しない方法」とは「緑による和平」であると私は確信しています。宮崎駿監督も同じお考えである、私はそう信じています。
友愛サステナビリティ・ニューディール
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/nd03.pdf
「竹が日本を救う」プロジェクト
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/image/take.pdf