「文藝」は昭和8年に改造社で創刊された雑誌(初代編集長は上林暁氏)ですが、昭和19年に軍部の圧力その他によって解散することになったために、以後現在まで河出書房から刊行されている文芸雑誌です。
河出書房での初代編集長は野田宇太郎氏(現詩人・文芸評論家)で、三島由紀夫氏が事実上、文壇にデビューした「エスガイの狩」が掲載されたのは昭和20年5・6月合併号でした。
その後、昭和22年、杉森久英氏(現作家)が編集長を引きつぎ、当時、有力な新人作家として台頭してきた、“第一次戦後派”といわれる作家たち、野間宏、椎名麟三、梅崎春生、埴谷雄高、中村眞一郎氏らの活躍の舞台となり、のちにロータス賞・谷崎潤一郎賞を受賞した野間氏の大作「青年の環」、中村氏の五部作の一つである「愛神と死神と」という両氏の代表作となった長編小説の連載が開始されたのもこの頃です。また同じく中村光夫氏の代表作となった「風俗小説論」「谷崎潤一郎論」がこの時期に掲載されたことも忘れられないことです。
昭和25年には、巌谷大四氏(現文芸評論家)が編集長となり、川端康成氏の「ある人の生のなかに」をはじめとして、文壇諸大家の作品が主として掲載されました。さらに新人発掘にも積極的な姿勢を示し、「全国学生小説コンクール」を主催しました。現在活躍中の作家、岩橋邦枝氏、後藤明生氏はこのコンクールの当選者および佳作当選者であり、のちに時代を画するような新鮮さで文壇に登場された石原慎太郎、大江健三郎氏もこのコンクールの応募者にふくまれていました。
昭和32年、『文藝』は一時休刊を余儀なくされましたが、同37年、現在の『文藝』の原型として復刊されました。「文藝賞」の設置、野間宏氏の「青年の環」の連載再開をはじめとして、小説はもとより詩、戯曲、紀行、外国文学作品の掲載、萩原朔太郎氏の書簡、青野季吉、三好十郎両氏の日記など未公開資料の紹介に至るまで網羅して、いわゆる文芸総合誌としての形をととのえました。この時期に特記すべきことは、井上光晴氏の代表作となった「地の群れ」、山崎正和氏の「世阿弥」(岸田戯曲賞受賞)を掲載して絶讃を浴びたほか、大型新人として高橋和巳氏(「悲の器」)、真継伸彦氏(「鮫」)らが文藝賞受賞作家として登場したことです。高橋氏は残念ながら、昭和46年に夭折されましたが、「わが解体」に至るまで9年間にわたって『文藝』を主たる執筆の場にしたことは記憶に新しいところです。そのほか佐藤春夫、正宗白鳥両文豪の最後のまとまった作品となった「美女日本史」「白鳥百話」が連載されたことも話題の一つでした。またのちに谷崎潤一郎賞を受賞した埴谷植高氏の「闇のなかの黒い馬」の連作が開始されたのもこの頃でした。
昭和39年から40年まで「文藝」はB6判(小型)となりましたが、この時期では毎号長編小説の一挙掲載を行ない、石原慎太郎氏の「行為と死」「星と舵」、水上勉氏の「高瀬川」「坊の岬物語」、深沢七郎氏の「千秋楽」、芝木好子氏の「夜の鶴」(小説新潮賞受賞)、「葛飾の女」、河野多恵子氏の「男友達」などの佳作、問題作などを産み出しました。また吉行淳之介氏の「技巧的生活」、杉森久英氏の「啄木の悲しき生涯」などの連載、三島由紀夫氏の戯曲「喜びの琴」「サド侯爵夫人」などが大きな話題となりました。
昭和41年、『文藝』は現在の判型に復帰し、今日に至るまで各ジャンルにわたって多くの佳作、問題作が掲載されています。エッセイでは吉本隆明氏「共同幻想論」「情況」、「初期歌謡論」、江藤淳氏「成熟と喪失」、河上徹太郎「西欧暮色」、寺田透氏「法楽帖」(のちに「藝術の理路」と改題、毎日出版文化賞受賞)、中野重治氏「小品十三件」、埴谷雄高氏「姿なき司祭」「影絵の時代」、内村剛介氏「ソルジェニツィン・ノート」、磯田光一氏「戦後批評家論」、桶谷秀昭氏「夏目漱石論」、川村二郎氏「限界の文学」(亀井勝一郎賞受賞)、澁澤龍彦氏「思考の紋章学」、秋山駿氏「知れざる炎」、中野孝次氏「ブリューゲルへの旅」(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)等々があり、小説では福永武彦氏「死の島」(新潮文学大賞受賞)、古山高麗雄氏「プレオー8の夜明け」(芥川賞受賞)、「小さな市街図」(芸術選奨受賞)、古井由吉氏「杳子」(芥川賞受賞)、「行隠れ」、黒井千次氏「時間」(芸術選奨受賞)、「走る家族」「揺れる家」、宮原昭夫氏「誰かが触った」(芥川賞受賞)、「あなたの町」、佐多稲子氏「時に佇つ」(川端康成賞受賞)、八木義徳氏「風祭」(読売文学賞受賞)、話題をあつめる若い世代としては、外岡秀俊氏「北帰行」(文藝賞受賞)、三田誠広氏の「僕って何」(芥川賞受賞)、中上健次氏の「枯木灘」(毎日出版文化賞受賞)、また昨年惜しくも亡くなった和田芳恵氏の「暗い流れ」(日本文学大賞受賞)をはじめ、芥川賞候補作として話題となった山田稔氏の「犬のように」、森万紀子氏の「密約」、山田智彦氏の「実験室」、津島佑子氏の「狐を孕む」「童子の影」、高橋たか子氏の「失われた絵」、中村昌義氏の「静かな日」「出立の冬」、高橋三千綱氏の「五月の傾斜」、中野孝次氏の「鳥屋の日々」、そして日野啓三氏の「此岸の家」(平林たい子賞受賞)、「漂泊」等々が掲載されました。また『文藝』に掲載された作品でその年の秀作として新聞紙上を賑わしたものに三島由紀夫氏「英霊の聲」、大江健三郎氏「狩猟で暮らしたわれらの先祖」、小田実氏「冷え物」「羽なければ」「円いひっぴい」、坂上弘氏「野菜売りの声」「優しい人々」、倉橋由美子氏「反悲劇」、小川国夫氏「試みの岸」、阿部昭氏「日日の友」、吉田健一氏「絵空ごと」「金沢」、北原武夫氏「情人」「黄昏」、中里恒子氏「此の世」「隠れ蓑」、阿部知二氏の長篇「捕囚」、三田誠広氏「赤ん坊の生まれない日」などがあり、枚挙に暇がありません。
また詩作品では随時、現代詩特集や長編詩一挙掲載を行ない、入沢康夫氏「わが出雲・わが鎮魂」(読売文学賞受賞)、吉増剛造氏「黄金詩篇」(高見順賞受賞)をはじめ、吉本隆明、田村隆一(無限賞受賞)、北村太郎、石原吉郎、天澤退二郎、清水昶氏らの作品を掲載し、戯曲では安部公房氏「榎本武揚」(谷崎潤一郎賞受賞)、秋元松代氏「かさぶた式部考」(毎日芸術賞受賞)、「七人みさき」(読売文学賞受賞)、矢代静一氏「写楽考」(読売文学賞受賞)、「北齋漫畫」をはじめ、遠藤周作氏「黄金の国」、安岡章太郎氏「ブリストヴィルの午後」、小島信夫氏「どちらでも」「一寸先は闇」、宮本研氏「阿Q外伝」をふくむ
“革命伝説四部作”を掲載して話題になりました。このほか、企画の上でも、江藤淳と吉本隆明、武田泰淳と三島由紀夫、丸谷才一と安岡章太郎、北原武夫と吉行淳之介の諸氏による組合せの白熱した対談が読者の皆さんの支持をうけたほか、アメリカ文学特集、ラテン・アメリカ文学特集など外国文学作品の紹介もいち早く行なっています。
(1978年出版目録より)