【446の暫定猶予的日常記録】

  ■ 日常/興味の対象/散財の成果/などについて忘備的かつ気分任せに記録。
  ■ シラフで書かれたものが何ひとつない酔漢のたわごとです。
  ■ 『嘘喰い』関連は雑誌連載分のネタバレが含まれますのでご注意下さい。

[]彼方への手紙

この記述フィクションです。
という使い古された免罪符を、時計の一回りと少し分の時間だけ許して下さい。


何度も、何度も、何度でも窒息しそうになる、この至福と充足感は何だろう。

というか、まさかこの歳になって『この世にないもの』に対して、肉体的苦痛を味わうほどの息苦しさに(それをコントロールできぬほどの感傷に)襲われるとはなぁ…とか、シレっと書いている今も、実はまだ呼吸が上手くできていません。

あまりの内圧に堪えきれなくなったので、少しだけ吐き出す気になりました。


これはあらかじめ握りつぶされることが決まっている手紙です。
誰かに向けられているようで、どこへも届きようのない、むしろ届く事なかれと願う手紙です。


自分は、その根元的な脆弱さのために悪い記憶を残さぬよう訓練を続けた結果、同等に良い記憶も忘れ去らざるを得ません。なので、『今、楽しい事だけが全て』という価値観でしか時間を浪費する事しか出来ません。
だから、瞬間の熱のためにだけ興味を注ぎ、その高ぶりに頬を歪ませるしかないのです。

いや、そのことに対しては特段の感傷も後悔もなく、むしろ本望とすら思っていますが。


自分は常に代替物であり、自分はいつでも『隙間にある何か』。
それが成す全ては手慰みであり、些少であり、余録であり、それらの根元にあるのは単なる最小限の私的希求と、的外れな義務感への履行と、何らかの維持のための活動であって、決して切実な情動や熱望から生じるものではありません。

だから、「何もせずとも求めるものが得られるのならば、自分はきっと何もしないだろう」という怠惰が、その本質です。

それは自虐でも卑下でも諦観でも信念でも美学でもなく、ただ成るべくして成った『現象』に過ぎません。
そして何より、そういう在り様に、自分が満足しているのです。


ゆえに、自分はもう『それ』について語りません。求めるものは得られたので、自分がそれを成す意味も必要も感じなくなったからです。
代わりにそれ(そのものに、ではないにせよ)に対して、自分なりに応える(恐らくは見当違いで歪曲した方向からの)何かをしようと思います。
…ええ、自分は(欠けてしまったものを補うために)こう見えておかしな方向に『義理堅い』のです。


…とか、うーわ、書いてるウチにスゲぇ正気に返ってきた。寝言にも程がある!


だから、これはあらかじめ握りつぶされることが決まっている手紙です。
これから寝て起きて日常に身を置き労務に就いて帰宅して、もう一度コレを見たら舌を噛み切りそうな独り言(だが酔っぱらいのソレなので、微妙に声がデカい)です。

けれど、だからこそ、時計の一回りと少し分だけここに残しておこうと思います。
多分、十数時間後の自分はその行為を罵倒するのでしょうが。