トヨタ自動車の豊田章男社長が24日の米議会の公聴会に向け準備を進めるなか、一般従業員や中間管理職の間で疑問が膨らんでいる。トヨタは長年の努力で手にした品質に関する高い評価をリコール騒動で失いかねない状況にあるが、この危機を切り抜けるかじ取りに適しているのは果たして同社長なのか。
豊田社長の経営スタイルや同社の経営体制に対して厳しい視線が注がれている。米でのリコール発表直後のダボス会議出席、米公聴会への出席を決めるまでの流れ、めったに表に出ないことなど、危機後の豊田社長の行動が広く報道されると、同社長が果たして決断力のある自信に満ちたリーダーなのか否か、はたからも疑問視されるようになった。
一部の従業員からは、何も知らされていないとの不満の声が聞かれる。豊田社長が一族に忠実な派閥で周りを固めているため、首脳陣に厳しい意見が届かないとの批判もある。
豊田社長は2月初め、米でのリコールについて日本の従業員に電子メールで説明。顧客の信頼を取り戻し、いいクルマを作るためともに努力するよう呼びかけたという。しかし以来、2週間に3回の記者会見を行った同社長から音さたはなく、従業員とのこれ以上の社内コミュニケーションはない。
同社のあるチーフエンジニアは「いったい今回の問題で何が起きているのか、外から、メディアからしか情報が入らない」と訴えた。「本当にリーダーとしての求心力あるのか疑問を感じる。声出しては言わないけれど、(従業員)みんながそう感じている」という。
東京のPR会社フライシュマン・ヒラードの田中慎一社長は、今回の危機への対応が受け身だと指摘。危機に直面したとき、トップが対処しなくてはいけないと述べた。
豊田章一郎名誉会長をはじめ、豊田市やその周辺で関連の部品メーカーなどを経営している元幹部など、トヨタの重鎮は豊田社長を全面的にサポートする態勢にあるようだ。
ただ、こうした幹部以外はそれほど楽観していない。
本社の中間管理職は「なぜもっと安全や品質面で具体的な施策を示し、もっと突っ込んだことが言えないのか」と語り、「記者会見をやるたびに、状況は悪化する。それもこれも、どうやってお客様の不安をどうやって解消していくのかの具体的な方向が示せないから」だと訴えた。
さらに、事態は良くなるどころか、「次から次へとリコールが出てくる。お客様第一と言えば言うほど、逆効果。本当にそうなの、と思ってしまう。まったく伝わってこない。いったいどうなるのか、何度も記者会見をやっているけどいったいわれわれの将来はどうなるのか、というのが一般社員の正直な気持ち」と付け加えた。
豊田社長は昨年就任した際、従来とは違うリーダーをめざしており、前任者の多くにならって部下に日々の困難な問題を任せるのではなく、自ら手を汚し問題に当たると誓った。
たとえば、トヨタの格言「現地現物主義」を体現したいとしていた。現地現物主義は問題が起きたときに開かれた対話を促すはずだ。しかし、豊田社長の経営スタイルに詳しいトヨタ幹部によると、同社長が広範にわたる問題に深く関与するため、部下は自分を抑えていた。特に中間管理職は、同社長にとっての重要事項を邪魔しないため、黙っているか情報をふるいにかけることが多く、トップクラス幹部の一部にすらこうした傾向がみられたという。
豊田社長は、自身の存在が社内に不和を生じさせかねないと分かっていた。本紙が2000年に行ったインタビューでは、自身に好意的な派閥と、豊田一族からの経営者と真っ向から対立している派閥があると語っていた。
同社長は一見「サラリーマン」の典型に見えるが、興味の対象は驚くほど多方面にわたっている。20代にはフィールドホッケーでナショナルチーム(16人)のメンバーに選ばれた。このチームは1980年のモスクワ五輪を目前にしていたがアジア予選で敗れた。カーレースも趣味で、この1月半ばまで「モリゾウ」のハンドルネームでブログを書いていた。
82年に経営学修士(MBA)を取得後、ニューヨークやロンドンの投資銀行などに勤務し、84年にトヨタに入社した。当初、幹部からは甘やかされて育った跡継ぎとみられ、相手にしてもらえなかった。消息筋によると、上司の1人から激しいいじめを受け、ストレスで入院したこともある。同社長は入院について確認したが、理由についてのコメントは控えた。
しかし、出世への足がかりとされることの多い工業エンジニアリング部門に移ってから次第に評判が改善し始めた。豊田社長は今では積極的な経営スタイルのリーダーとして知られるが、社内にはやや予測不可能なところがあるとの声もある。関係筋によると、同社長はそれまでの経験を利用して、一段と強力な事業推進スタイルを実地テストした。中国では数年前に欧米式の買収で合弁設立を実現させている。
2001年に中国事業のトップに任命された同社長は、提携先の天津汽車の財務能力が限られており、工場が非効率だと判断。部下の助けを借り、中国第一汽車集団が天津を買収できると考えた。両社とも国営であり、前例がほとんどなかったが、合併は02年に完了し、中国でのトヨタの成長加速に貢献した。
トヨタは昨年、初の赤字を喫している。豊田氏は社長に就任してから、収益力の回復に照準を絞っていた。同社長に近い幹部によると、おごりや過剰を捨てさせ、つつましさを取り戻させる計画だったという。全社を挙げてコスト削減に取り組むなか、トップクラスの幹部でさえ、国内外の出張にファーストクラスやビジネスクラスを使わなくなった。
同社長は週末にワシントンに到着した。事情筋によると、公聴会で証言するという課題を引き受ける準備ができているという。
公聴会では通訳が入る。今月の最初の記者会見で分かったように、マサチューセッツ州にあるボブソン・カレッジでMBAを取得したものの英語はたどたどしい。
トヨタの元専務で05年から関連会社の社長を務める神尾隆氏は、「これを乗りきれるのは章男さんだけ。他のだれにも乗りきれる問題ではない」と語る。
「この危機を乗り越えられれば、ますます成長し、すばらしいリーダーとして歩むことになる。確かに厳しい状況ではあるけれども、(豊田氏を)全面的にバックアップする」