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呉氏は週刊ポスト3月5日号の「『スノボ国母とニッポン社会』で呉智英が喝破!」において、国母問題を論じているが、
「『自覚』の欠如」
という一言で国母問題をまとめている。呉氏は
「彼がオリンピックという公式行事と、自分とのかかわりをどう位置付けていたのか。つまり『どう自覚していたのか』ということです。」
と述べ、
「本気で反省しているわけでもなし、何か信念があるわけでもなし。つまり彼のファッションは個性や価値観の表現ではなく、雰囲気になんとなく流されている『無自覚』そのものなのです。」
と国母のファッションを斬って捨てている。そして、呉氏はメキシコ五輪の男子200メートルで優勝したアメリカのトニー・スミスと3位のジョン・カルロスがのエピソードを紹介する。
アメリカ国歌が流れる中、表彰台の上でアメリカ国旗に向けて拳を突き上げた二人はうつむいたまま、靴を履かず黒いソックスと手袋をはめていた。公民権運動の真っ只中で、二人は黒人差別の悲惨な状況を世界に訴えるために五輪を利用したのであった。二人はメダルを剥奪されたがその信念は現在でも大きく評価されている。
呉氏はこれだけの主張を発信することのできる五輪という舞台を自覚して行動することが大事であると説く。そして国母を『無自覚』であると斬るのである。そして、旧来の考え方に対する反抗であると自覚してジーンズをはいて通学した呉氏の大学時代のエピソードが紹介される。呉氏の見解は、何らかを訴えるための言動でないのならドレスコードを守るべきであるという点に落ち着く。
呉氏と見解を異にする向きもあろうが、呉氏の記事が言論人としての知と気概を示したものであることは異論はないであろう。植草一秀氏といい、文藝評論家の山崎行太郎氏といい、言論人としての知も気概も備えていないような人物が多い中、呉氏の見解は一層際立ってくる。
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