PEN

、抜粋ということが難しい。それで何故、泣いたのかを書かせて頂こうと思う。

国際ペンの正しい名称は、「International Association Of  P.E.N」である。

「P」は、詩人(Poets)、劇作家(PlayWrights)、

「E」は、編集者(Editors)と随筆家(Essaysts)・評論家、

「N」は、小説家(Novelists)を指す。

これら文筆業に携わる人々を言論表現の象徴である「PEN」にかけてのネーミングである。

国際ペンは、第一次世界大戦後まもない1921年にロンドンで誕生。

悲惨な戦争を二度と繰り返さぬこと、そしてその戦争に向かう力学が必然的にもたらす、思想の弾圧や表現の制約を、文筆家自身が阻止する。いわば「ペンは剣よりも強し」を標榜する国際組織として現在に至っている。

作家浅田次郎の威厳に触れた瞬間、多くの「PEN」の先輩達から脈々と受け継がれてきた誇りあるエールを氏の文章の背後からまるごと頂いたように感じたのだろう。

文筆家自身が制する、その言葉の重みに畏怖を覚えた。

「サラの日記」は、小説家、後田多八生が文責を持って公開した。

一人の人が長期政権を離島で持つということの怖さ、強い権力体制というものが招いた弊害を書いた。当然石垣市民には、公人の実際を知る権利があり、小説家もその事実を知ったら、書くことによって立ち向かうのは必然の流れだったと言える。

私は地方の新聞社から過去に文学賞を頂いた。子育てが一段落したこともあり、十数年ぶりに中央の文学賞へ挑戦を始めているところでもある。職業を小説家と名乗ることに気遅れを感じてはならないと、今回の件で学んだ。

作家の末席にもまだつけない私の場合でも、職業倫理は劣ってはならないと意識した。

それが文壇で活躍されておられる先輩方への礼儀であり、またあらゆる職業に携わる方々へ、言葉を提供する者として、信用を得る大切なことだと痛感した次第である。

私が精神疾患を患っているようなそれこそ名誉毀損にあたる発言をし、説明責任を逃れようとされる大浜市長へ私が屈することは今後もない。

「PEN」の力強さは、一人一人の「PEN」人が、例え孤独な作業だとしても、正しさを追及することに挫折しない、そのことが恒久平和を望む普遍的な歩みだと思っている。インターネットから紙へ移ると書いた。投稿はその実行の一つである。

八重山毎日新聞社の「PEN」精神を信じて、この投稿文が掲載されることを望みます。

多くの石垣市

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たたかいの経過
2010/02/21




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