─ コテージ経営を始める前は何を?
大学卒業後はSECOMに入って働き始めた。
当時は本気で社長になろうと思っていたんで、あえて本社勤務からガードマンに異動させてもらった。真夜中に走り回って、泥棒捕まえて、火事消して。周りには変人って思われたけどね。当時SECOMは売り上げの75%くらいを警備で出してたから、やっぱりトップになるためには現場を知ってなくちゃいけないと考えた。
現場勤務から本社の海外事業部まで登り詰めたんだけど、最後は上司の取締役と喧嘩して辞めちゃった。俺は当時から、5時には退社して、セミナーによく出てた。自己投資はやればやるほど身につくから。実際、結果を出し続けられたのは、セミナーのおかげもあった。
でも周りには5時に帰る人間なんていなかった。会社の運動会なんて出たこともなかった。だから俺がいると現場の統率が乱れる、ってことで喧嘩になっちゃった。
─ 退職後はどうしていたんですか?
朝から酒呑んで、いちんちじゅう本ばっかり読んでたね。
─ どれくらいそういう生活を?
まるまる3年。辞めたとき800万あった貯金が3年で綺麗になくなった。
貯金が減っていくあいだにいろいろ悩むんだけど、悩んだときにいつも頭に浮かぶのが、故郷の最上川の風景だった。そこで焚き火したり、花火したり、魚釣りとかアケビ採りとか、不思議と浮かんできてね。一回そういうことをやってみようかなと思った。
─ それでコテージ運営の世界に?
いや、その前に、東京で唯一炭焼きを教えていた先生に弟子入りした。「とにかく山にこもって修行してこい」と言われたんで、そうしようと。嫁さんには「山に入りたいんだ」って言ったら、家でウジウジされてるよりはマシだったみたいで、了解してくれた。
─ 山ではどんな生活を?
チェーンソーとテントをひとつ持って、高尾の裏の陣馬山にこもった。昼間はきこりをして2000円の日銭を稼いで、午後からは炭焼き修行をやった。11月に山に入ったから寒くてね。年の瀬になると雪が降った。水道なんてないから、200メートル谷底まで降りて行って水を汲んだ。
ある時、嫁さんが山に来て「炭焼きと結婚した覚えはないです」って離婚届を持ってきたのには参った。まさか嫁さんまで失うとは思ってなかったから。
だから、もう失う物はない。あとは好きなことをやろう。そう思った。それで山を下りることにした。
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