<この国はどこへ行こうとしているのか>
2004年の元日。一念発起して、ペンを執った。生命の誕生を支える医療分野が社会で孤立し、国からも見放されている気がしたからだ。
周産期医療の過酷な現実を世に訴えるため、岡井崇さん(62)は産婦人科が舞台の小説「ノーフォールト」を3年かけて書き上げた。文学青年だったわけでもなく、専門用語が並ぶ医学論文のほか文章を書いた経験もない。思い切った行動は、追い詰められた末の最終手段だった。
「当時は最悪だった。産婦人科への入局者は減り続け、若い医師の当直回数は増えていく。00年から産婦人科医は3割ほど減った。それまでに手は尽くしたんですよ」
厚生労働省には、医師不足の現状や対策を記した文書を提出した。「それでは駄目だったし、社会に影響力のある訴え方でないといけないと思って。メディアも本気で取り上げてくれない。悪循環に突入し、先が見えなかった」
04年に始まった新医師臨床研修制度は、人手不足に追い打ちをかけた。国家試験に合格した研修医に産婦人科研修を必須化するもので、2年間は新人医師の入局をゼロとせざるを得なかった。
当直の多い産婦人科や小児科は、学生から敬遠される。新人医師の確保に奔走した。医局説明会の席、学生の前で熱弁を振るうあまり、涙がこみ上げてきた。「どうしてこんなふうになっちゃったのか、ものすごく悔しかった」
そして、06年8月。奈良県の町立病院で分娩(ぶんべん)中に脳内出血で意識不明となった妊婦が19病院に転院を断られ、帝王切開で男児を出産したが、母親は死亡した。受け入れ拒否は産科過疎地域だけでなく東京でも発覚し、妊婦が死亡した。命を見捨てる医療--。信じがたい事態が、社会に警鐘を鳴らした。
「マスコミは医師不足などの背景に踏み込んだ記事を書くようになり、当時の舛添要一(厚生労働)大臣も対策を打ち、国が周産期の医療を大切にするというアピールになった。学生のモチベーションもあがった」
転換点は08年。00年から連続で減少していた産婦人科の医師数がわずかに上向いた。10年ぶりに底は打った。
小説を原作にしたテレビドラマも昨秋、放映された。主人公を演じたのは藤原紀香さん。民放ドラマの題材になったことは、世間の受け止め方が変化した証拠だろう。
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産科で相次ぐ医療過誤訴訟も、医師のなり手を減らしてきた。小説を通してもう一つ、岡井さんが訴えたかったのは「無過失補償制度」の必要性だった。医療事故が起きた場合、裁判とは別に、病院側の過失の有無によらず補償する仕組みだ。「裁判は患者と医師の対立構造を作ってしまうし、真実はなかなか分からない。大切なのは原因を究明し、再発を防ぐため改善することです」
この制度をいち早く取り入れたのはスウェーデンで、75年にスタートした。「北欧は経済大国ではないけれど、国民一人一人は豊かでやりがいのある人生を送っている。日本は社会保障制度をもっと早くに議論し、変革すべきだった。ずっと遅れてきた」
その要因は、与党の椅子に居座った自民党だろう。
「自民党は、継続してきた政策を簡単に変えない。さらに、日本医師会が医療界の代表と錯覚し続け、医師みんなの意見を聞いて政策を決めたつもりになっていた。政権が代わり、中央社会保険医療協議会のメンバーから日本医師会の代表をはずし、診療報酬を10年ぶりに0・19%増やせた。政権交代は、断ち切ることに価値がある」
歴史を振り返ると、医師の数は国の政策に翻弄(ほんろう)された。70年代、地方の医師を確保するため「1県1医大」構想が持ち上がり、医学部の新設が相次いだ。だが、80年代。日本は少子高齢化社会に向かうことが確実になり、医師の需給バランスが見直された。「学生も若い医師も需要を考え始め、高齢者への医療を意識して内科が一気に増えた。増えなかった二つが産婦人科と小児科です」
「人口は減る一方、医療に対する要求は高まった。胎児、新生児の死亡率は世界一低く、母体の死亡率も下から3番目。手厚い医療で、お産にかける時間は当時の3倍に膨らんだ。それに対応するため、医療にお金をかけろ、医者や看護師を増やせというが、医療体制は昔のそのまま」
民主党マニフェストでは、医師の養成数を1・5倍にすると公約する。「1・5倍にしても、経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均並み。2時間待って3分診療と言われるけど、2倍に増やしたとしても1時間は待つ。あとは効率の問題です」
岡井さんは旧態依然とした体制を嘆き、力を込めた。「病気という敵と闘う時に、限られた兵でどんなシフトを敷き、だれがどんな役割を果たすのか。そこが硬直している。チーム医療を充実させ、看護師に任せる範囲を増やすなど、見直しが必要です。日本医師会は反対しているけれど、医師の既得権益を守りたいと思われても仕方ない」
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岡井さんは学生時代まで外科志望だったが、娘の誕生が人生を変えた。「学生結婚してすぐ子どもが生まれた。難産で心配したけれど、うれしくて感動しちゃった」
自身、多忙で家庭を顧みる時間もなかったと振り返る。「もう若い人が家庭を犠牲にして働く時代ではない。でも、医師人生ここまで来て、いつ死んでもいいと思えるほどの充実感がある」。その感動とやりがいは伝えたい。
産婦人科の医師不足問題が共有された、今が正念場。「改革したいことは山ほどある」【鈴木梢】
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【日本の医療体制の各国との比較(OECDヘルスデータ2009)】
人口1000人当たりの医師数 人口1000人当たりの看護師数 総医療費の対GDP比
日本 2.1人 9.4人 8.1%
ドイツ 3.5人 9.9人 10.4%
イギリス 2.5人 10人 8.4%
アメリカ 2.4人 10.6人 16%
■民主党マニフェストの医療政策
・社会保障費の削減方針を撤廃する
・総医療費対GDP比をOECD加盟国平均まで引き 上げる
・医師養成数を1・5倍にする
・公的病院を政策的に削減しない
・救急、産科、小児、外科、へき地、災害等の医療提供体制を再建する
・中央社会保険医療協議会(中医協)を改革する
・後期高齢者医療制度を廃止する
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■人物略歴
昭和大医学部産婦人科学教室主任教授。同大学病院総合周産期母子医療センター長。1947年、和歌山県生まれ。東京大医学部卒。同大医学部助教授、総合母子保健センター愛育病院副院長などを経て現職。厚生労働省の「小児科産科若手医師の確保・育成に関する研究」組織のメンバーも務めた。
毎日新聞 2010年2月23日 東京夕刊