エイヤン! エイサン! フッサッハッ! ミル・ラ・エサミィ! ミル・エトラ!
 エイヤン! エイサン! フッサッハッ! ミル・ラ・エサミィ! ミル・エトラ!
 エイヤン! エイサン! フッサッハッ! ミル・ラ・エサミィ! ミル・エトラ!

 色濃い緑に囲まれる中、見上げても空はなく、見下ろしても土はなく、隙間なく立ち並ぶ巨木とその根を埋める苔。苔の層は少なく見積もっても丘ほどはあり、密林の地表すべてを覆っている。
 エトゥ――彼らメジスカの言葉によれば世界を構成する最小単位、即ち「木」――は苔を割って成長し、育てば百メートルにも達するようになる。その頂上でのみ枝葉を広げ、密林は地上を苔に覆われているのと同じく、天井をエトゥの葉で密封されていた。よって、メジスカは雨を知らない。ただしエトゥの表皮から滴る透明な樹液が絶え間なく降り注ぎ、降り止むことはない。
 よってメジスカは常に樹液に濡れている。彼らはこの樹液をエトゥ・ベスカ「木の生命」と呼び、尊んでいる。メジスカの集落は木々の間に足場を組み、地上数十メートルの高さにある。樹液が降り続いているため、彼らは火を使わない。一年を通して暖かい樹液を浴び続けるため、暖を取る必要はない。灯りは、エトゥの幹に隈無くびっしりと貼り付いたエトゥ・デゴイラ(広汎語の訳語を当てはめるなら「木の太陽」か?)が一日中、燐光に似た光を発している。この甲虫は木の幹に卵を生み付け、幼虫から成虫になるまでほとんど動かず樹液を吸って生き続ける。身体全体から発光して密林を真昼のように明るく保っている。よってメジスカは夜を知らない。小屋の中に入って窓を閉め切り、睡眠のために保つのが彼らの知る「暗闇」のすべてである。
 地上の苔は複雑な地形を形作り、エトゥのしもべたち、つまり密林の生態系を育んでいる。獣や虫、エトゥよりも小さい木々や植物だ。メジスカは苔の地まで降りて狩りをし、木の実を摘んで糧としている。
 メジスカの宇宙観はエトゥを基礎としている。エトゥは世界の骨組み、そこに降り続けるエトゥ・ベスカは生命の流れ、エトゥ・デゴイラは世界に光と時間を与える神の遣い。この三者によって宇宙は完成する。それ以外のものは、メジスカも含めてまだ世界に溶け込めずにいる不純で、そのために世界はまだ不完全だ。何故なら宇宙に不和をもたらす苦痛や煩悩といったものはそれら不純からの産物だからだ。エトゥ、エトゥ・ベスカ、エトゥ・デゴイラだけであれば、この宇宙にはなんの害があろうか?
 この和を乱すのをメジスカは悪と定義するが、彼らは基本的に自暴自棄ではなく穏やかな民だ――メジスカは己や家族、その他の自然が宇宙の不純であるとしても、それはそれとして互いに深い愛情を抱いている。そしていずれ努力の末に克服されるのを待ち続けているのだ。このミッショーの大密林にて。

 エイヤン! エイサン! フッサッハッ! ミル・ラ・エサミィ! ミル・エトラ!
 エイヤン! エイサン! フッサッハッ! ミル・ラ・エサミィ! ミル・エトラ!
 エイヤン! エイサン! フッサッハッ! ミル・ラ・エサミィ! ミル・エトラ!

 メジスカの歌と踊りは永遠と思われるほどに続く。
 樹上の村で大勢が一心不乱に踊り、ひとりが疲れて倒れても誰も踊りを止めない。そのひとりが再び目を覚ます頃、また別の何人かが倒れていたとしても、目覚めたひとりは気にせずにまた踊り始める。
 彼らはこれを、全員が倒れるまで続ける。歌と踊りが途切れた後、その踊りをじっと見ていた者――大抵は一族の最長老だ――が、踊りに参加していた者の人数を数え上げる。結果、ひとりでも減っていれば部族全員が狂喜する。この「減っている」のはどういった理由でも良い。踊り疲れて死ぬ者がいた場合ですら、彼らは狂喜するのだ。足場が崩れて落下しても良い。数え間違いでも吉兆とされる。
 そしてもちろん、エサミィが一番良い。
 エサミィはメジスカにおける最善だ。エサミィはメジスカと宇宙の約束、大いなる善の誓いだ。エサミィが一番良い。メジスカならば誰もがそう語る。

 ところで一見して未開と分かる彼らに「数」の概念があることについて、メジスカに訪れた冒険家は大いに驚いた。エサミィのことをさておいても、メジスカは本当に奇妙な民族だったのだ。
 彼らは衣服をまとわずに生きる。農耕も知らない。だが独自の世界観を語り、神に類するものを語り、音楽と踊りを愛し、数を知り、互いを名前で呼んで原始的ながら記号や文字を使う。
 アスカラナン商人の精悍な冒険家ティムティ・クランシーは、大瀑布、飛行人の巣に続いてこのミッショーに足を踏み入れ、メジスカの民を発見した。前者ふたつが法螺話としてしか受け入れられなかったのと同様、ミッショーの大密林に人が住んでいることなどアスカラナンの黄金秤広場にいた連中は信じなかった。まだ当時、万物の名付け親として知られる放浪の導師グァンダンドロウンへの信仰は根強いものがあり、彼が名付けなかったものがこの世に存在するわけがないという者が大半だったのだ。
 ティムティは怒り狂った。彼こそはかの導師が広めた駄法螺の世界観を打破せんと立ち上がったと自負する者だった。そして太古の大賢者の話を鵜呑みにし、地平の向こうを見もせずにしたり顔で語るだけのアスカラナン人に、彼が真っ先に始めた啓蒙活動は、広場にてひたすら大賢者の悪口を言い続けることだったという。ティムティの悪態は、まとめれば一冊の辞書になるほどだと伝説には残っている。ティムティの子孫は、この件について触れられると大抵ムスッと黙り込んでしまう。
 大賢者にあだ名が多いのは彼のおかげでもある。そしてまた、グァンダンドロウンがマグスと混同されることが多いのもティムティのせいだろう。ティムティの生きていた時代にはまだマグスという言葉はなかったはずだが――アスカラナンにて神秘調査会が発足したのはティムティの死後のことだ――、ティムティこそがグァンダンドロウンという言葉に「うさんくさ屋」という意味を付加したのである。言うまでもないが、神秘調査会の登場後、それはマグスの代名詞にもなった。やや逆説気味に、大昔の賢者はマグスと見なされるようになったのだ。
 もっとも、グァンダンドロウンの地位が失墜し、ティムティの名が高められたのは、こうした啓蒙活動だけが理由ではない。やがてティムティがミッショーから大量の奴隷を連れてくるようになったからだ。彼の奴隷売買は一大事業となった。
 メジスカは粗末ながら服を着せられ、「おい」と呼ばれればすぐ主人のもとに駆けつけることを教え込まれ、今まで彼らに必要とされていたより大きい数の数え方を学ばされた。そして大密林の外に連れ出されたことで、彼らの宇宙の崩壊を悟った。エトゥがすべてではなくなり、エサミィは一番良いものではなくなった。