2009年11月12日

組坂繁之・高山文彦 著『対論 部落問題』

冠


少し前の話になりますが、何の拍子か忘れたけれど、うちの父親が「これ読む?」と聞いてきた。

辛淑玉・野中広務 著
差別と日本人』(角川oneテーマ21)

「差別と日本人」何かに載っていた広告でこの本の存在は知っていましたし、興味もあったので、ありがたく借り受けて読んでみました。
僕はいわゆる政治ウォッチャーでもないし、政治家にことさら興味があるわけでもないのですが、野中さんというのは不思議な人だな・・と以前から思っていたからです。
テレビなど(だけ)で見ていると、行動原理がよく分からない。
体癖的な興味もあって、「こういうのは九種的というのだろうか?」といろいろな場面で思ったりもしてました。

今回この本を読んで、彼の行動原理がちょっと分かった気がしました。
僕は幸か不幸か(多分不幸ですが)、部落問題や在日問題といった差別問題の現実にまったくといいほど触れることなく育ってきているので、これらのことについて、その意味での皮膚感覚があんまりありません。
父親の関係で、ハンセン病の人たちについては触れてきていますけど、それも決して主体的に関わってきているわけではないので、やっぱり言ってみれば受動的な皮膚感覚です。

差別問題にはいろんな種類の問題がありますが、根っこは意外とおんなじようなところにある気もします。
そうしてそれは、なかなか自覚しづらく、変えがたく、自覚できても悩ましく、現実の差別問題はといえば、その歴史の積み重ねの中で、拭い去ることの出来ない感情や情動を生み出し続けてきています。
だからなかなか解決・解消に到れないし、いろいろ悩ましい問題が尽きることなく横たわっている。
そういうことの端緒を垣間見る、いい入門書のように思えました。

なんて話を、ちょこっと父親としていたら、彼がまた「これ読んでみる?」と別の本を出してきました。

組坂繁之・高山文彦 著
対論 部落問題』(平凡社新書)

「対論 部落問題」悩ましい気持ちでいっぱいだったので、これまた興味深く借り受けて読んでみました。 (^_^;)
もしかして、なんか誘導されてる? オレ・・みたいな。

組坂氏ってのは、知る人ぞ知る方なんですね。
ちっとも知りませんでした。お恥ずかしい。
これまた、とても勉強になりました。この本もお勧めです。
最後のゲーム脳の話はいただけませんでしたが。。。

この本の中では、「解放の父」と呼ばれている松本治一郎氏のことが頻繁に出てきます。
水平社のことは知っていますが、この人のことはまたまた全然知りませんでした。
いったいどんだけお目出度き人なんでしょうね、僕は。 (^_^;)
高山氏が、この松本治一郎氏のことについて書いた『水平記』という小説? ノンフィクション?があるそうなので、今度はそれを読んでみようと思いました。

最近、またあっちゃこっちゃで、この差別うんぬんでワアワアなってたみたいですが・・・。 (^_^;)
僕らの自意識は、他との「差」を認識して自己の感覚を立ち上げている以上、差別する感覚というものはなくならないと思うんです。
それが社会的な領域へと流れ込んでいってしまうことも、出来れば避けたいことではありますが、避け得るかどうかと考えると不可能なような気がする。
しかしそれによって、実質的に差別されている側が貶められるということだけは、あってはならないことだと思います。

問題を、自分勝手に短絡化したり、違う話にしてしまったり、あるいは一面的な視点からの見方に拘泥したり、ほかの可能性を考えようとしなかったり・・・
そのような息の浅いことでは どうしようもないな。。。
自らがどうしても「差別する者」であるという事実を、忘れてしまうようではいけないな。。。
そんなことをこの2冊から想わされます。
『差別と日本人』『対論 部落問題』と、連続して読むといいかも・・です。

んで 今、『水平記』(新潮文庫、上下2巻)を読み始めています。
なかなか読み応えがありますな♪


*前後のエントリーは左上の「過去の記事とシリーズ」からとべます♪

天まで

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 やらなければと自分に課した課題が行き詰まり前に進まずイライラしているのに、他所様ブログが挙げたエントリーが気になってしまったりしている。で、気になってるのが 「みんななかよく」の差別に関するエントリー。といっても、そのエントリーも元ネタがあったようで、...
「差別の効用」…(被)差別を乗り越えたとき【dr.stoneflyの戯れ言】at 2009年11月12日 14:04
 どうも何だかなぁ、引っかかっているのが「差別意識」である。って、まだ引っ張るか? かといって引っかかっているものをそのまま放置して忘れるってのもなんとも気色悪いしなぁ。  でね、何が引っかかっているかというと、「どんな人間にも差別意識がある」っていう言...
「どんな人間にも差別意識がある」…これは差別への加担です【dr.stoneflyの戯れ言】at 2009年11月21日 14:43
 [[一九六六(昭和四一)年十一月二十二日午前二時五八分]]、「[[解放の父]]」[[松本治一郎]]が、[[七十九年]]にわたる闘いの生涯を閉じる。  第二の「[[解放令]]」といわれる[[「同和」対策審議会答申]]が出された翌年の、[[部落解放同盟第二十一回大会]](一九六六年....
1966(昭和41)年11月22日【366日higurashi】at 2009年11月22日 09:18
この記事へのコメント
差別と日本人、読みましたよ。
私は政治はまッたく疎いのですが、野中さんはハトみたいなタカなのか、タカみたいなハトなのか、よく分からない人だなと思っていたので(私はどの政治家の事も分かっちゃいないんですが)「野中広務差別と権力」という本を読んで、以来この人には興味を引かれます。
水平社は小説「橋のない川」で知ったのですが、差別を考える事は、自分の中にもある差別心を見つめることになり、心が痛いことだったりします。
すべての差別は人がしていることなので、私も差別に一部加担してる、きっとそうなんだと思います。
痛いけど差別について考えてみるのは大事だと思う。人は差別しあうので、自分もまたなにかの差別を受けていたりすることにも気がつくようになりますね。



Posted by 青グリン at 2009年11月12日 21:16
・青グリンさん

>よく分からない人だなと思っていたので
<
やっぱり? (^_^;)
お友だち、お友だち。

> 痛いけど差別について考えてみるのは大事だと思う。
<
はい、ホントそう思います。
難しいですよね、批判と差別は違うし、区別と差別も多分違うし。
こういう差別の問題をあまり知らずに育ったということは(僕などそうです)、そういうことが周りに一切なかったということであれば、それは自他ともに本当に幸せなことだと思います。
のちのちの世の中は、そうなっていて欲しいものです。

でも実は、知らないうちに差別に加担していただけだった とか、あるいは知らないということ自体が、差別に加担していることになっていたり とか、そういうことになっていた可能性もあるわけで。
無理やり知る必要もないとは思いますが、こういうきっかけで知ったり考えたり、我が身を振り返ったり、そういうのって大事だと思います。
Posted by アキラ@青グリンさん at 2009年11月12日 23:44
アキラさん、何か最初に根本的な間違いを犯していますよ。
世の中には『俺れ俺れ詐欺』のように人々が普通に持っている善意とか常識とかを上手く利用して悪事を働く輩が大勢います。
紹介されている組坂繁之などの本もそれらに類する本ですね。知識や良識があれば有るほど騙されやすいのです。

>『僕は幸か不幸か(多分不幸ですが)、部落問題や在日問題といった差別問題の現実にまったくといいほど触れることなく育ってきているので・・』<

差別問題と直に触れ合っていない事は間違いなく幸福ですよ。多分不幸ですがなどと括弧を入れる現状はもう既に可也危険な洗脳状態とも考えられます。
誰か他の人が、差別しまくった、あるいは差別されまくった過去の経験があれば、これが『幸せ』だと本当におもいますか。?
詐欺師としての、こいつ等の手口は巧妙で見破りにくいが、注意して読んで行けば幾つもの矛盾が分かるはずです。
最初に指摘したいのは『在日』と『部落』とを同列の差別と言う言葉で語っている段階でペテンを働いている。あるいは差別問題に対して根本的に誤解しているのです。
在日は民族問題で民族差別は違法行為で有るが、日本人との区別をつけない扱いは人権侵害になるのです。差別ではなく『区別』の重要性が語られない。
区別がなくなるとは、民族絶滅の事なのです。
次に指摘したい問題点は彼等の主張である『差別は良くない』『悪だ』と考えるのは根本的間違いです。
良くないのは『いわれない差別』であり、決して差別全般ではない。
動物保護の精神が行き届いた国では動物の人権?認めようと運動している人々がいて、動物に対する差別?を撤廃しようとしている。欧米のクジラ保護なんかもこの考え方の範疇でしょう。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月13日 09:43
民族差別は悪ですが、異民族に対する全ての『差別』(区別)を無くす同化政策は対象とされた異民族にとっては将来の民族絶滅につながり民族差別以上の極悪なのです。
日本は旧土人保護法などで、独自の優れた文化を持っていた国内のアイヌ民族に対して徹底した同化政策をとった結果、現在はアイヌ語を母語とする民族集団も文化もほぼ絶滅しています。
明治時代に植民地化した台湾や朝鮮に対しても同じ方針(同化政策)で臨み、これ等の地域でも日本と同等の(差別のない)教育をしようとした。
東北出身で小説『 吉里吉里人』の作者井上ひさしは子供時代に学校で標準語以外を喋ると先生に酷く怒られたそうです。
井上ひさしは標準語教育を推進しようとするこの学校の考え方を、子供に対して『おまえの両親の喋っている日本語は間違いである』と教えるものであるとして憤慨していますが、日本国内でもこの様な状態ですから日本本土以外の異民族では『新しい歴史教科書を作る会』や当時の日本政府の言う『差別がない』とは、これ以上の屈辱は有り得ないのです。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月13日 10:17
・逝きし世の面影さん

> 世の中には『俺れ俺れ詐欺』のように人々が普通に持っている善意とか常識とかを上手く利用して悪事を働く輩が大勢います。
<
はい、それは前提です。
何も単純にナイーブなことを想っているわけではありません。
そして、例えば部落に生まれた人たち、在日の人たちの中にも、そういう極めて悪どい人たちがいるということも確かでしょう。
けれども、もちろんそれは一部であって、全員というわけでもない。
世の中には、部分でもって全体を否定してしまう人たちも多いようですけれど、そういう心性がまさに「謂われのない差別」を生み出すとも想うんです。

「部落問題や在日問題といった差別問題」と並列させて書いたのは、僕がここに書いたことでして、対談本の中ではお2人とも、この2つの問題を同列の差別として扱ってはいません。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月13日 21:45
(つづき)

僕はハンセン病の人たちと少し関わりがあるのですが、直接関わっているからこそ感じるものというものがあるんです。
これは直に触れ合って初めて分かることです。
間接情報では決して分からない。
よっぽど人生の酸いも甘いも踏み分けまくってきた人などは別でしょうけど・・・
そうして、その触れ合ったことから学ぶことは、とても大きく重いものがあります。
もちろんそれは、彼らが僕に対して何かを主張することを受けとめたという意味ではなくて、彼らの生活する姿を見て、こちらが勝手に受けとり学ぶ様々なことがあるという意味で。
これらのことがなかったら、僕は今でも「本当にお目出度き人」だろうと感じるんです。
だから、よくも悪くも直接に触れ合うことの重大さということを想うわけです。

もちろん逝きし世の面影さんが仰るように、差別の問題が本当にないことは幸せなことです。
しかしそれでも、少なくとも「過去の失敗から学ぶ」ということで「知る・学ぶ」ということがなければ、その「幸せ」は薄っぺらいものだとも思います。
逝きし世の面影さんも仰るように、批判と差別は違うし、区別と差別も多分違うし、部分でもって全体を決めつけてしまうこともやっぱり違うし、受けとる側のそのようなリテラシーを育んでいくために、学ぶことは大事なことだと思っています。
まぁしかし、その「学ぶ」というときにもリテラシーが必要になってくるわけですから、悩ましい堂々巡りがそこにあることは確かですね。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん2 at 2009年11月13日 21:45
アキラさん。
ハンセン病の事が具体例として取り上げられていますが、実に適切な、良いたとえだと思います。
確かに今でも日本にハンセン病患者もいるしハンセン病に対する偏見、差別も存在するでしょう。
其れは事実ですが、みなさんここで冷静になってもう一度考えてみて下さい。
ハンセン病患者に対する差別やもと患者の問題が、今の21世紀の日本における福利や厚生予算の9割以上を投入すべき緊急な解決すべき主要問題だと言えるでしょうか。?
もしもその様に主張する人物がいたとしたらたとえ善意からの発言であろうとも非難は免れないでしょう。
松本清張が描いた原因も判らず治療法がまだ出来ていなくて不治の病だった『砂の器』の時代のころのハンセン病と完全に原因も治療法も危険性も判っている2009年代のハンセン病では名前は名前は同じですが意味が大きく違っているのです。
因みに、ハンセン病が不治の病だったころは結核や脚気も不治の病でハンセン病以上に人々に恐れられていたし実際問題としてもハンセン病なんか比べられないほどの多くの命を奪っています。
ハンセン病とよく似た例が在日や同和問題で、昔の話を時間と空間を無視して、今に蘇らそうと企む組坂繁之のような人たちが世の中にはいるのですよ。
『差別』は金になるのです。
差別とは金の卵を産むガチョウであり『差別』がなくなればこの人の最大の産業がなくなるのです。

悪魔の法案『人権擁護法』と利権漁りの解放同盟
2008年03月07日 | 部落解放同盟
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月14日 16:04
・逝きし世の面影さん

> ハンセン病とよく似た例が在日や同和問題で、昔の話を時間と空間を無視して、今に蘇らそうと
<
例えばハンセン病の「昔の話」は、当事者(あるいはその括りの人たち)にとっては昔の話ではありません。
あり得ません。
そうして、外部の人間についても、状況をよく分かっている人から見れば「昔と今とでは意味が大きく違う」ことであっても、状況をよく分かってない人にとっては、おそらく昔も今もあまり変わらないはずです。
それはハンセン病でも同じです。
そこから生まれる差別や忌避は、何も昔の話ではないでしょう。
逝きし世の面影さんが仰るように、今でも現にありますし、それはエイズや新型インフルなどに対しても同じような心性が繰り返されます。

逝きし世の面影さんの仰ることは分かりますが、僕が提示した目線からすれば少々危険だと思いました。
一部と全体の話は難しい問題だと思いますし、内部と外部の話も難しい問題だと思います。
「差別問題」が金になるのは確かなことです。
『差別と日本人』『対論 部落問題』を通して感じたのは、そのようなことを含めて考えていかないと、差別問題は解消しない・・ということでした。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月14日 21:10
アキラさん。
別に差別に対する倫理問題や哲学論争をしようとしているのでは有りません。
『悪魔の法案『人権擁護法』と利権漁りの解放同盟』はまともには読んで頂けなかった様ですね。
私は日本の現実の今ある『政治問題』を話題にしているのですが、話が全く噛み合っていません。

ペシャワール会代表の中村医師はもともとアフガニスタンのハンセン病患者の支援を行っていたのですが、アフガンでは日本と違いインドなどと同じように今でも新規の患者が続々生まれているにもかかわらず今では支援の方向は全く違うところに向かっているのは御存知だと思います。
日本と大きく違い、今でもハンセン病のような感染症が猛威を振るっているアフガニスタンでもハンセン病以上に切実な緊急問題は幾らでもあるのです。
ましてや治療機関もあり患者発生数が一桁の日本では、1億2千万人の市民からみて関心が薄いのは当たり前ではありませんか。?
もしもそれ以外の桁違いに大きい医療問題をおろそかにしてハンセン病を最大の政治課題だと主張するとしたら非難されて当たり前です。
交通事故死した幼い子供の親がそのときから時間が止まる例があるように、当時者にとっては今も昔も同じとの考え方も致し方ない考え方ですが、部外者で冷静に考えられる立場にあるアキラさんまでが当時者と考え方になるのは危険では有りませんか。?
特に『おそらく昔も今もあまり変わらないはずです。』とか『そこから生まれる差別や忌避は、何も昔の話ではないでしょう。』などの繰り返される言葉からは、善意の人がよく罹る症状として当事者の特殊な感情に感応してシンクロしてしまい、残念ながら今の現実問題としてのハンセン病を科学的に観察する目が失われています。
治療法がない時代のハンセン病と、治療法が確立している現在のハンセン病が本当に『今も昔も同じ』だと言い切れると思っているのでしょうか。?
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月15日 10:10
現在においても隔離していれば人権無視の違法行為ですが、治療法が無かった時代に最大の有効な対処法が隔離しかなかったのは、現在でも鳥インフルエンザを見れば明らかな様に色々な感染症では常識です。
そして当時は結核なども同じ扱いを受けていたし、同じような差別も受けたいたのですよ。
ハンセン氏病だけを差別して隔離したり強制断種していたわけではないのです。
ハンセン病の特徴は(菌が強力だと患者を殺してしまうが)見かけや世間の評判とは裏腹に病原菌の感染力は極弱く症状の進行も穏やかで直接的には滅多に人を殺さない(長い時間がかかる)ところでしょう。
しかし、やがて死ぬ行くわが身から鑑みれば、人の価値観(世界観)にもよるでしょうが、『生きている』ことだけでも十分に『恵まれている』『幸せである』とも考えられるのですよ。
ハンセン病であれ何であれ、生まれながらにして特権的な地位が与えられている訳では有りませんが、『同和差別』を理由にして『生まれながらにして得られる特権』を主張する人々(組織)が現在の日本には存在しているのです。
政治は『善意』だけがある世界とは全く違うのです。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月15日 12:29
・逝きし世の面影さん

まさに逝きし世の面影さんの仰るとおりなんです。
僕はこの記事では「政治問題」という切り口から提示をしているわけではないんです。
それをなぜか「政治問題」にしてしまっているのは、逝きし世の面影さんですよね。
ですから、最初から話は噛み合ってませんし、相手が逝きし世の面影さんだからといって、僕の方から噛み合わせる気もないわけです。(^_^;)
「政治問題」的な切り口に対して何かコメントがある場合には、逝きし世の面影さんの記事の方へするでしょうし。
それはそれ、です。

> 部外者で冷静に考えられる立場にあるアキラさんまでが当時者と考え方になるのは危険では有りませんか。?
<
仰る意味合いは重々理解しています。
少なくともハンセン病に関しては。
僕は「当事者と同じ考え方」ではありませんし、もちろんそうなり得ません。
それに、当事者の方々の中にもいろんな心情・考え方がありますから、一概に「こう」とも言えません。
しかし、僕が現実に触れてきた人たちの生きる姿を見ていると、そこから受けとる「何ごとか」があるわけです。
それを指して「皮膚感覚」と言っていますし、そのようなことに触れ得たことは大事なことだと感じてるんです。
「政治問題」の話は一言もしていません。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月15日 19:18
(つづき)

>特に『おそらく昔も今もあまり変わらないはずです。』とか『そこから生まれる差別や忌避は、何も昔の話ではないでしょう。』などの繰り返される言葉からは、善意の人がよく罹る症状として当事者の特殊な感情に感応してシンクロしてしまい、残念ながら今の現実問題としてのハンセン病を科学的に観察する目が失われています。
<
一応これは、今回の僕のような提示のしかたに対しての、典型的な批評パターンだとは申し上げておきます。
その上で ですが、僕は何もハンセン病を科学的に観察するところから物を言おうともしていませんし、また その「科学的に観察する立場」からはどうにもならない問題が、まさに問題だということも理解しています。
また、僕は、治療法がない時代のハンセン病と、治療法が確立している現在のハンセン病が『今も昔も同じ』だなんては、一言も言ってませんし。
部落や在日の問題は僕には何とも言えませんが、ハンセン病に関してだけ言えば、逝きし世の面影さんのように言うのは至極簡単なことでいいなぁと思いますが、そう言えてしまう人たちがいるうちは「差別問題」は解消しないんだろうなぁとも思います。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん2 at 2009年11月15日 19:18
アキラさん。
基本的にブログでのコメントは記事に対するもので、今回の私の一連のコメントもここに書かれているブログ記事に対するものです。
そして野中広務は政治家であり辛淑玉も常に政治的にものごとを判断しています。
突然ハンセン病を持ち出したのはアキラさんですよ。そしてこの本はまさに政治問題としての『差別』が語られていると思います。
ところが彼等の『差別』とは政治問題とは全く次元が違うハンセン病問題とよく似ている。

ハンセン氏病に関しての私の知識はあくまでも書物やマスコミ情報程度で一般的な知識や経験であり、誰か元患者や家族あるいはハンセン病専門医療関係者と親しいとか、面識があるとかの話でありません。
ですからコメント内容もあくまでも部外者の一般論の粋を一歩も出ていないだろうと思います。

ハンセン病は病名は大昔から有名では有るがそれ程一般的な(誰でもが罹る危険がある)病気ではなく最盛期でも日本全体でも数万人程度の少なさで、数百万単位の感染者が出て数十万人が死ぬそれ以外の伝染病に比べれば、『嫌われていた』のは事実ですが『現実問題として恐れられていた』訳ではないのです。
その意味では多くの人が話としては良く知っているが患者や家族と面識が無い今の日本のエイズ問題に近いのではないでしょうか。?
日本においてはエイズの患者数とハンセン病の元患者の数は数千人でほぼ同じ数らしいが、それなら関係ない部外者にとっては数万分の一の極低い確立の話です。

ですが、当時者にとっては『部外者の一般論』ほど腹立たしいものは無い。
何しろ社会全体から見れば宝籤に当たるほどの低い確率でも、当人にとっては1分の1の確立です。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月16日 09:40
アキラさん。ご自分の書かれた記事をもう一度読み直してみてください。
ハンセン病なんかは一言も無い。
在日問題も筆者の一人が辛淑玉であるだけでそれ以外の記述は無い。
紹介競れている3冊の本は基本的に部落解放同盟関連の書物であり極めて政治的な目的を持って書かれています。
政治部ブログの中で数少ない『解放同盟』の独自のカテゴリーを設けている当方としては、今回の記事は見逃しにはできません。
アキラさんは、どれほどの同和問題や差別問題についての知識や経験があるのでしょうか。?
この記事を見る限りでは私がハンセン病に関して一般的知識以上が無いのと同じように、到底部外者の一般論以上の知識も経験もあるとは思われません。
同和問題に対して、政治的に偏向した間違った知識(情報)が垂れ流されるのは我慢がなりません。
アキラさん。もう少し謙虚になって下さい。
東日本在住のアキラさんは知らないかも知れませんが、同和問題は『差別問題』ではなく西日本では純粋に『政治問題』なのですよ。
野中広務や組坂繁之が『何を喋ったか』が問題なのではなく、現実に『何をしたか』が問題なのです。
彼等は『差別』を食い物に(手段として)して絶大な権力と膨大な利権を手に入れたのです。
ハンセン病ではないでしょうが部落問題では彼等は最早『被差別者』ではありません。
現在のイスラエルに良く似た構造になっていて、彼等が被差別者だったのは昔話で現実の我々が住む社会では、彼等自身が最大の差別者なのです。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月16日 11:07
・逝きし世の面影さん

> そして野中広務は政治家であり辛淑玉も常に政治的にものごとを判断しています。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 紹介されている3冊の本は基本的に部落解放同盟関連の書物であり極めて政治的な目的を持って書かれています。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 同和問題は『差別問題』ではなく西日本では純粋に『政治問題』なのですよ。
<
そのような理解であれば、それは了解です。

>彼等自身が最大の差別者なのです。
<
そういうこともあるからこそ、『自らがどうしても「差別する者」であるという事実を、忘れてしまうようではいけないな。。。』と書いているわけですし、そのような問題も含めて・・の話として考えているんです。
逝きし世の面影さんは、何かを取り違えてしまわれているように感じられてならないんですが。

僕は今回この2冊の本を読んで「へぇ〜、ふ〜ん」と思ったんです。
これまで見聞きをすることはもちろんありましたが、当事者がいろいろ突っ込んで話していることにあまり接したことはなかったですから。
それで、いろいろ想うことがありました。
「差別」という問題、そうして「差別問題がなぜなくならないか」という問題、そのへんの根幹をもっと見つめたいなぁと想ったんです、今回。
単純に「部落の人たち=被差別者」うんぬんということではなくて。

しかし、それにはある種の当事者的な「皮膚感覚」がなければ、どうにもならないと僕は感じています。
それについては、ハンセン病の外部・内部的な問題に触れ得ているというところから強くきています。
ですから差別問題にはいろんな種類の問題があるけれど、それらも同様だろうと思っています。
その意味で、今の僕が「差別問題」について考えたり、自らがそれらについて何かをもの申すとすれば、「皮膚感覚」を通してでなければ意味がまったくないと思っているんです。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月16日 21:58
(つづき)

だからこそ「部落や在日の問題については何とも言えない」と申し上げているのであり、「ハンセン病に関して言えば」とそこだけに返答をしているんですね。
でも、そうしてよかったです。
外部的一般論は、前提として重要です。
しかしそれでは、僕が見つめたい根幹のところには入れないんですね。
それが今回またハッキリしました。

また同様に、部落問題についても同じことが言えるんだろうと思います。
その意味では、逝きし世の面影さんにはある種の「皮膚感覚」がおありなのでしょう。
僕には、記事に書いている通り、外部的一般論としての知識もさほどないし、ましてやその方面の「皮膚感覚」は皆無です。
ですから今の状況では、「僕が見つめたい根幹のところには入れない」ですね。
いろいろ情報収集はしながら、ときを待ちたいと思います。

逝きし世の面影さんが、逝きし世の面影さんの視点からこの記事に対して抗議をされている点も了解しました。
読み違えのしかたなどに、僕に対しての目線にかかっているけっこう強い「色眼鏡」を感じますが、それはそれ。
逝きし世の面影さんの視点というものもあるわけですし、僕を攻撃しているわけではないことは重々分かっていますので、問題にはなりません。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん2 at 2009年11月16日 22:04
(つづき)

逝きし世の面影さんの視点から抗議をされたからといって、この記事を取り下げるつもりはもちろんありませんけれど、このような逝きし世の面影さんのコメント群がついているという状況になったことは、とてもよいことだと思います。
「政治問題だ」「政治的な目的を持って書かれている」ということであれば、それに対しての逝きし世の面影さんの発言も政治的な発言になるということですから、これらの本の中に書かれていることを そのまんま僕が受けとれないのと同様に、逝きし世の面影さんの発言をもそのまんま受けとれないことは理解していただけるかと思います。
自分で判断がつかない状況なわけですから、どの立場からのものにしても、情報としては承りますが、当然ですがすべて保留事項です。
差別の問題は、バイアスをかけずには見ることができないので難しいです。

それからですね、今回の記事はいわゆる当事者側のものを紹介しつつ、「差別の問題の根幹を考えたい」みたいな格好になってますよね。
で、逝きし世の面影さんと話をしていて、僕の意図してるようには受けとられない可能性も大いにあるということが分かりましたので、これらのことに関するようなもので、逝きし世の面影さんが僕にお勧めする本などありますか?
これだけは読んどきなさい、みたいな。
バランスをとる必要がありますから、そういうものもちゃんと読んでおきたいと思います。
1〜2冊 教えていただけると嬉しいです。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん3 at 2009年11月16日 22:04
お互いの会話が十分なされているようでもあり、全くすれ違って会話になっていない様でもあり・・・・

アキラさん。まず断っておかなければならないのは、野中広務や組坂繁之がどこかのブログで取り上げていたとしても誰彼構わず今回のような『コメント』を私が送る事は有りません。
たとえ自分自身について書かれていても同じで、関係ない誰かの記事内容が事実と違うからといって、それは仕方がない。内容に対してあれこれとお節介をやくものではないのです。
何故なら今まで信じている間違いを人々が訂正するのはそう簡単ではなく、何らかの決定的な挫折体験でもない限り基本的に無理なのです。
ですから此方に出来る事は、なるべく近寄らなくするぐらいしか方法は無いのです。
誰かに注意されたり本などから正しい情報を仕入れたりして自身の間違いを修正できる人は極少数で、そもそもそういう人は最初から『自分の意見を疑っている』ものです。
『われ思う。ゆえにわれあり』は何とも思い上がった自己中心的な愚かな考え方で、順番として『われ』こそが一番最初に疑わなければならないはずです。

ですからカウンターバランスとして反解放同盟系の本を読みたいとの考え方は賛成出来ません。そんなことは無駄な事で止めた方が良いでしょう。
それでも、あえてアキラさんが『どうしても読みたい』と仰られるなら手前味噌ですが当方のブログの『部落解放同盟』のシリーズ記事が一番適当であると思います。
何十年も前の話ですが友人から『あなたは徹底した経験論者である』と言われたことが有りますが、この記事では元々は自分の体験から出発していますが、意識して徹底的に個人的な部分は排除して公明正大に編集したと自負しています。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月17日 15:08
・逝きし世の面影さん

> それでも、あえてアキラさんが『どうしても読みたい』と仰られるなら手前味噌ですが当方のブログの『部落解放同盟』のシリーズ記事が一番適当であると思います。
<
ありがとうございます。
いくつかは去年読んでいますが、改めて全部読ませていただきます。
不審に思っていたのは、僕がこの2冊の内容に諸手を挙げて同調していると思ってらっしゃるんじゃないか?ということで、そうではないということを理解していただければ僕はそれで十分です。
もちろん、ある種の当事者的な「皮膚感覚」がなければどうにもならないだろうと感じていることには、変わりはありませんが。

「自分の意見を疑っている」と「解同」で、そう言えば一番最初に逝きし世の面影さんからコメントをいただいたときのことを思い出しました。
「科学的態度」うんぬんという記事でしたよね。
はい、その「科学的態度」=「疑い 検証する態度」は保とうと思っていますので大丈夫です。(多分)
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月17日 22:52
同和問題も在日問題もどちらも西日本に偏在していて、同和は京都周辺の府県に集中しているし、在日は大阪周辺の3府県程度で日本中の半分ぐらいが集まっている。
大阪市生野区では在日が4分の1の人口比率なのでこれら関西在住者なら友人知人隣人の一人に在日や同和がいることは珍しくないどころか普通のことなのです。
大声でみんながそのことを喋らない(言いふらさない)だけで、同和や在日の友人知人隣人は何人も普通に持っているのが日常なので、そこに今回のように『差別』なるものを改めて主張する輩が現れる事ははなはだ迷惑千万な事柄なのですよ。
全く、『差別も在日も同和も理解していない。』と非難されても仕方ない話なのです。
在日も現在では日本人との通婚が半分以上で純粋は極まれで、しかも貧しかったのは昔の話で、世界のマイノリティとしては例外的に生活水準は日本人平均を凌いでいます。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月18日 17:25
それ以上に恵まれているのは同和で、回りよりも貧しいのは『昔語り』でしかありません。
同和事業のおかげで回りより格段に優遇され、同和住宅は毎年畳を入れ替えるなどの大昔なら将軍や大名よりも贅沢な暮らしを送る事が出来るのです。
学びたければ奨学金も返還は自治体もちで払わない。仕事は解放同盟枠で保障される。
仕事がしたくなければ生活保護も間違いなく支給されるし、家はもちろん自治体が格安で用意して家賃を払わない不届きも追い出さない。学校はもちろん冷暖房完備で食堂などの設備や常識で廊下は普通の学校の倍の広さで有名大学校などよりも立派。
確かに『差別は有るにはあるが話が逆』なのです。
何故そんな不思議な事が出来るかと言うと、此処に紹介されている『差別は良くない』との神話のおかげです。
普通の常識があれば『差別は良くない』と言われて、多くの人は面と向かって反対する事はないのです。
これは、『偽科学は良くない』と言われて真正面から反対出来無いのに似ていますが、水騒動との違いは部落解放同盟の連中はブログの記事で取り囲んで集中的に攻撃するだけでのバーチャルな行為ではなく、リアルな実際問題として集団で取り囲んで相手が屈服するまで実力行使するので多数の瀕死の怪我人がでるわ自殺者がでるわ。
水騒動程度なら笑って済ます事も出来ますが、現実の同和問題は見過ごしに出来ません。
本を紹介しただけで『全面的に肯定していない』は言い訳にもなりません。
欧米人がユダヤ人の差別問題を今の中東で話題にすれば現実にユダヤ人(イスラエル)に酷い目にあっているパレスチナ人を敵に回す気が無くともアラブ人全部から激しく非難されるのは避けれないでしょう。
ユダヤ人差別問題と同和差別とは、昔には確かにあったが、現実の今問題になっている緊急の切迫した問題点は『ユダヤ差別』を理由にしたイスラエルの蛮行です。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月18日 17:26
・逝きし世の面影さん

(とりあえず、このコメントは読んでください。しかし次の2つ目のコメントが本題・メインです)

逝きし世の面影さんは、この2冊の本の内容から『差別は良くない』というメッセージを受けとっているということですね。
僕は「差別(問題)は悩ましい」というメッセージを受けとりました。

> 同和や在日の友人知人隣人は何人も普通に持っているのが日常なので、そこに今回のように『差別』なるものを改めて主張する輩が現れる事ははなはだ迷惑千万な事柄なのですよ。
<
これはどうしてですか?
何かにまた火がつくといったような話でしょうか?

>確かに『差別は有るにはあるが話が逆』なのです。
<
だとしたら、「差別問題」は現にあるということではないんですか?

>リアルな実際問題として集団で取り囲んで相手が屈服するまで実力行使するので多数の瀕死の怪我人がでるわ自殺者がでるわ。
<
これは現在でもそうだということですね?
そうだとすると、やはり「差別問題」はあるということですよね。(逆の意味も含めて)

>ユダヤ人差別問題と同和差別とは、昔には確かにあったが、現実の今問題になっている緊急の切迫した問題点は『ユダヤ差別』を理由にしたイスラエルの蛮行です。
<
でしたら、この記事だって意味はあるわけですよね。
現在考えなければならないのはそういう問題だというのであれば、そういうところに行き着けるわけですから。
そうしてそのような指摘を的確にしている書物もありそうなのなら、それだって僕は読みたいです。
この記事の書き方だとすでに問題がありすぎると仰るなら、現在の問題点を的確に指摘している書物だって同様に紹介したいです。
そういう書物(なり 情報なり)は圧力がかかって出てない、ということですか?
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月18日 20:53
(つづき)

野中氏や組坂氏を紹介した時点でアウトだということでしょうか?
まだ、逝きし世の面影さんが引っかかっている理由が見えません。

と、ここまでのコメントは、僕の頭の中の思考の順序を知っていただきたくて、敢えて載せました。
とりあえず、読み流してください。これから以下がお伝えしたいことです。

とここまで逝きし世の面影さんのコメントを読みつつ、考えながら書いてきて、時系列を考えていて、ようやく話が見えてきました。
頭が悪くてすみません。
そうか、野中氏たちの対談本は分かりませんが、少なくとも組坂氏たちの対談本は、出来事(事件etc.)の時系列的なことを考慮に入れると、「そういうタイミング」で「そのような内容のもの」が出されている、ということですね?
だから「現場(地元)感覚」の話からすると、思惑はともかくとして、それをこういうタイミングでとり上げちゃうこと自体が「あほんだら」なのだ、ということですね?
そういうことでしょうか?
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん2 at 2009年11月18日 20:57
政治問題としての観点に立てば、同和利権のボス中のボスである野中広務と組坂繁之の両巨頭の組合わせなら必然的に2002年に失効した特別処置法の代替である『人権擁護法案』の推進になるのです。
人権擁護法に賛成しているのは歴代政府や自民、民主、社民などほとんどの政党で、政党としては唯一共産党が反対しているだけ。
可也危険な状態です。
ただ面白い事に平沼赳夫などの郵政民営化反対のグループも積極的に反対している。
お玉さんが自分のブログで平沼グループの一人の『城内実さんを温かく見守る。』 [2009/09/07]に対してタンポポ集団が大挙して押し寄せているのですが、人権擁護法の『何が問題か』については城内実のホームページに結構詳しく載っています。

今何が一番問題か。?
其れは半世紀前には現実だった『差別問題』なんかではなく現実問題の悪魔の法案、根本的に基本的人権をか解する『人権擁護法』の成立の成否の成り行きである事は部落解放同盟の蛮行を少しでも知っていれば誰にでもわかります。
そして逆に解放同盟は組織の命運をかけて法案成立に命運をかけて『差別』の再生産に努力している。

今回の記事でも全くそのとおりの流れになっていますよ。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月19日 13:43
アキラさんと私の話が噛み合っていないのは部落解放同盟が『何であるか』の認識に根本的な誤解があるからでしょう。
今でも『人権団体』であると思っていませんか。?
全くの誤解です。
人権団体だったのは部落差別が本物だった『水平社』のころの話で、現在の部落解放同盟は完全に中身が入れ替わり金輪際人権団体などでは有りません。
例えるならオウム真理教や連合赤軍のような暴力集団が大手ゼネコンのように政府や公共団体に癒着した暴力的利権集団が現在の部落解放同盟の真の姿です。
オウムや赤軍派の幹部の著作を、何の注釈も付けづに安易に公の場所で多くの読者に公開すれば、少しでもこれ等オウムや赤軍派暴力集団の知識があるものから顰蹙をかうのは当たり前です。
解放同盟が引き起こした最大の暴力事件である八鹿高校拉致暴行事件をご存知ですか。?
Wikipediaの記述を読めば彼等は今でも反省せず全ては『差別問題』であるとの見解のようです。これでは何時また同じような凶悪事件が起きないとも限りません。

八鹿高校事件とは1974年11月に兵庫県の八鹿高校の教師七十人を解同が襲撃して56人の重軽傷者(うち二十九人が骨折、内臓破裂で入院、数人が危篤状態)を出すリンチ事件ですが、これに対しては私は赤旗などの報道で知るばかりで残念ながら直接的には知りませんが解放同盟の起こす一連の事件と全く同じ『要素』を含んでいます。
解同の起こす問題は、絶対に共産党以外は全く報道しないのでほとんどの人が知りません。
関係する兵庫県も八鹿町も取り締まるべき警察も報道すべきマスコミも労働者(教員)を守る筈の教職員組合も教育委員会も全てが口をつぐみ見てみない振りをする異常事態。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月19日 14:51
・逝きし世の面影さん

あら? 僕が思っていたものよりも、もうちょっとマクロなもののようでした。
ともかく、逝きし世の面影さんが考えてらっしゃることがようやくと理解できてきました。
そうして、そのことが「闘い」であることも理解できてきました。

> 政治問題としての観点に立てば、同和利権のボス中のボスである野中広務と組坂繁之の両巨頭の組合わせなら必然的に2002年に失効した特別処置法の代替である『人権擁護法案』の推進になるのです。
<
了解です。

僕は解放同盟絡みの過去のそのような話などは耳にしていましたし、解放同盟を「人権団体」だと認識してはいませんでしたが、「解放同盟問題」という括りではまったく考えていませんでした。
部落問題と解放同盟問題をしっかり分けて、切り離して考えてはいなかったんです。

そこが大きな過ちであり、軽率な振る舞いだったと思います。
確かに地元の方々にとっては大迷惑な話だと思いました。
本当にすみませんでした。
失礼しました。

この記事、どうしたらいいでしょうね。
コメント欄含めて非公開にしてしまっても よろしいですか?
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月19日 21:34
アキラさん、たしかに青グリンさんとのコメントのみでしたら問題でしょうが、一連の遣り取りは結構面白いのではないでしょうか。?
ですから、確かにアキラさんの仰られているようにカウンターバランスとして反解放同盟系の本の紹介が正しいのかも知れませんね。
私の良く知っているのは赤旗の30年前の連載記事なのですが、それ以外ではフリージャーナリスト一ノ宮美成の『同和利権の真相(4)』が八鹿高校事件が詳しい。
人権擁護法は共産党より城内実のホームページが読みやすく出来ています。

しかし解同を調べれば調べるほどに『民主主義とは』とか『人権とは』『差別とは』など、今まで色々な見えないものが見えてきます。
そして馬鹿馬鹿しいたんぽぽ集団の水騒動との共通点も見えてきます。
そして解同の問題点とは、誰が考えても双方に利益がある社民党と共産党の共闘を不可能にしている最大の理由なのです。
この両党には政策上の違いはほとんどない。
毎日新聞の主催してネットでも有権者と政党の相性を調べるエラボートを試した人は両党の政策の違いの小ささに驚いているようですよ。
この両者が争うのは政策ではなく別の理由なのです。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月20日 17:12
・逝きし世の面影さん

了解しました。
そう仰ってくださるのであれば、一応このままにしておくということにしますね。

また、ご紹介ありがとうございます。
一ノ宮美成氏の『同和利権の真相(4)』、探して読んでみます。

>しかし解同を調べれば調べるほどに『民主主義とは』とか『人権とは』『差別とは』など、今まで色々な見えないものが見えてきます。
<
そういう根幹に近いところを考えたいんですね。
「皮膚感覚」を持って。
しかし今回の部落問題と解放同盟問題とのごちゃまぜに気がつかないということなどは、まさにこの「皮膚感覚」のなさの典型のような気もします。
それがあれば、おそらくごちゃまぜにするなどということは考えられないことなんじゃないかと思いましたし、だからこそ とても迂闊で軽率だったと思いました。

辛抱強くやりとりをしてくださった逝きし世の面影さんに感謝です。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月20日 21:38
dr.stoneflyさんのところでもこの問題が扱われているのですがコメント群ともどもよく読んでみると今回のアキラさんの記事とも共通する視点で書かれています。
なるほど、なるほど。
普通の多くの人々は『このように考えるのか』と納得。
これでは私と話が噛み合っているようで噛み合わないのは当然です。
簡単にこれ等を分類すると、其々が個々の個人の『内心』について皆さんは熱心に論じていると解釈しました。
対して私の方は、差別であれ何であれ例外なく『そもそも内心は問題とするべきでない。』の立場です。
問題にするべきであるのは法律体系や制度、行政執行などの誰にでも理解できるもの、個々の個人の内心から離れた(個人の解釈を離れた)普遍的なもの(誰にでも平等に共通するもの)政治部分だけを論じるべきであるとの立場です。
憲法20条の信教の自由や憲法21条言論、出版その他一切の表現の自由は保障されなくてはならず、個人の『内心』は誰であれ聖域であり、他人(社会)が介入すべきものではないのです。
在日差別では日本は過去に凄まじい差別を行っています。
16歳以上の在日朝鮮人に対して外国人登録証常時携帯義務(懲役一年以下20万円以下の罰金)を課して今までに延べ50万人を検挙して立件している。(行政罰ではないので家宅捜索や逮捕拘留もおこなう)
これは自動車免許不携帯などの罰則から考えて異常な重罰である事は誰にでもわかります。
ただしこの常時携帯義務は今年成立した法律で3年後の完全廃止が既に決まっています。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月22日 11:18
・逝きし世の面影さん

そうなんです。
立場や視点、提示のしかたが違うんです。

ただ、誤解を招かないために、そのカテゴリーの何を問題にしているかをきちんと自分で分かっておくことが大事だなと思いました。
そうでないと、今回のように提示のしかたを間違ってしまいますし、それによって自分が望まない迷惑をどなたかにかけてしまうことになるわけですから。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月22日 12:25
50万人の検挙数は在日の大人なら一回は必ず逮捕された計算で保釈金なども数十万円ですが最大年間2万五千人もいれば総額では莫大な額になり支援する朝鮮総連などの力だけでは賄い切れないし弁護士なども全く足らない。
しかも銭湯など人々が日常的に利用していてしかも貴重品を持っていきたくないところを集中的に利用して検挙し様とする。
この辺は速度違反のねずみ捕りを見通しの聞く下り坂の直線で誰もが速度オーバーになるところで実施するのと同じです。
指紋押捺問題などこのように過去には『制度としての差別』は厳然と生きていた。
其れが徐々に刑事罰が10万円以下の行政罰に変化するなど皆さんの運動の結果、段々弱められて現在に至っています。昔から比べれば、格段に改善されている。
ところがアキラさんや青グリン さんが問題としていたのはこれ等の『政治問題』ではなく、自分自身(あるいは誰かの)心の問題『内心』(道徳とか品性とか哲学、宗教とか)を論じ様としていた。
何を論じようと、其れは人それぞれなのですが、道徳は個人に属しており全ての人が語って良い『共通言語』として、これ等は不適当です。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月22日 12:52
これはdr.stoneflyに送ったコメントなのですが、

>この話は護憲左派ブログ界の恥部である水騒動の論理に非常に似ていますね。
科学にはその性格上元々『正誤』はあるが『善悪』はないのですが、水騒動では『科学的正誤』の話を『善悪』に変換して他人を攻撃する輩が現れて大騒ぎになる。
差別もこれと同じで『善悪』ではなく元々は正誤の話なのです。『クジラは賢いから殺すな』など人間様と動物との差別を無くすなどは大間違いですよ。
記事で取り上げられている人種や身分や障害者などの差別は『間違い』で正誤に問題があるだけ。
『間違い』は正せば済むが『悪』は退治するか処罰は免れない。
間違い=悪とは自動的にはならないのです。

差別といえば福岡で暴力追放の運動に対して『子供が差別されてイジメに会う』として暴力団の組員が抗議したとか・・・
『差別=悪』だと言いたかったのでしょう。<


私は、(内心の)差別は『悪』ではなく『間違い』にすぎないと主張したのですが、皆さん『差別は悪である』との自分の道徳観から一歩も出れないようです。
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月22日 13:27
・逝きし世の面影さん

>間違い=悪とは自動的にはならないのです。
<
これはその通りではあると思います。
が、例えば当事者の方々の大方がそう思えるでしょうかね。

僕は差別は悪だとは思いませんが、差別問題は悩ましい問題だと思います。
差別に感情や情動が絡まなければ、逝きし世の面影さんの仰ることで済むと思いますが、そうは問屋がおろさないところが悩ましいことだと思うのです。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月22日 22:40
アキラさん、大分話が煮詰まってきたようで核心に近づきつつあるようです。

この話、何かに似ていると思いませんか。?そう。セクハラ問題と『悩ましさ』がそっくりですよ。
同じ行為、同じ言葉でも相手が嫌な異性の上司ならセクハラになるが同性の同僚なら問題なしで、密かに好意を寄せている異性なら飛び上がらんばかりに喜ぶ。

全く同じ行為や言葉でも三者三様で全く違ってくるのです。
何故そうなるかと言うと、この場合の『セクハラ』もアキラさんの(今も昔も同じ)というハンセン病『差別』も全く同じ『個人の内心』のことを考えているからです。

現実の『社会的制度としての差別』を問題にしているのではなく、個々の個人の内面にある心の中の差別意識『内心』を問題としている。

>『差別に感情や情動が絡まなければ・・・』<ではなくアキラさんは『感情や情動』(内心)そのものを論じよとしているのです。

対して私の方は、『他人の内心に踏み込むべきでない』『内心は論じてはいけない』といっているのです。
(勿論誰であれ個人の内心は聖域でありアキラさん自身が自分の内心についてなら全ての事柄は自由ですが)
Posted by 逝きし世の面影 at 2009年11月23日 09:54
・逝きし世の面影さん

セクハラ問題だって、ある種の「差別問題」でしょうから、そりゃあそうでしょう。
そうですね、「相手に対する無理解問題」と言い換えてもいいのかもしれません。
僕の立場からしたら、そういう問題ですかね。

>対して私の方は、『他人の内心に踏み込むべきでない』『内心は論じてはいけない』といっているのです。
<
これは逝きし世の面影さんの自由ですので、それでいいのではないかと思います。
また、「政治問題」という括りでは、その通りだと思います。

僕はその括りでは考えていませんし、ですから僕はそれには特に共鳴を持ちません。
が しかし、誰かの内面を手前勝手に断じてしまうのは、してはならないことだと思っています。

あと、『他人の内心に踏み込むべきでない』についてですが、もちろん僕も、他人の内心に土足で踏み込むようなことはするべきでないと思っています。
Posted by アキラ@逝きし世の面影さん at 2009年11月23日 23:08