2008年03月02日

うちくい展

少し寒さのゆるんだ弥生朔日。

京都祇園「空 鍵屋」での「うちくい展」。沖縄を中心とした若手作家の染織作品の展示販売と、この日の午後は作品解説があった。


うちくい1




「オトコゴノミ」と題されているとおりシックな趣の帯や反物。目立つ華やかさはない。ぼんやりしていると何も気づかず通り過ぎてしまいそうなさりげなさだ。

だが単純に見えて、よく見ると布を形作る一本一本の糸が違った色を持ち、奥行きのある美しさを持っている。

素材は芭蕉や苧麻が多く、他にアロー(ネパールのイラクサの一種)や綿など。絹の反物にもシャリ感があって涼しげな布たちだった。



うちくい2




腰機で織ったメンサー帯、角帯。織機を使わず、張った糸を自分の体に結び付ける原初的な織り方には織り手が直接的に表れる気がする。



うちくい3





芭蕉布の帯。角帯もある。芭蕉布の角帯はめずらしい、というかこれまでなく、今回の催しのために特別に織ってもらったそうだ。布を裁った部分がどうしても落ち着かないので裏布をつけてある。それも、布のほつれを押さえるためにすべて本返し縫いで縫いつけるという手の込んだつくり。


うちくい4





「夢実る」と題された布。

作家は繭を手にいれて糸を紡ぐところから作業している。

生繭から糸を引くのが一番いいのだが、そのためには蚕蛾が繭から出てくるまでにすべての作業を終えてしまわなければならない。だからふつうは炭火を使い炭酸ガスで蚕を殺してから糸を引き出す。しかしそうすると熱や乾燥で糸に影響が出る。そこで繭を塩蔵して使っているそうだ。(お漬け物をするように、と解説書にあった)

経糸は未精錬、緯糸は精練した糸なので、染まり方に違いが出て玉虫色のような微妙なニュアンスがでている。

精錬というのは生糸の表面についているセリシンや脂肪分を取ること。現在、たいていは石鹸で精錬するのだがこの糸は灰汁で精錬されている。だから石鹸成分も残らない。

蚕がつくりだした糸の命をできるだけ痛めないように、糸の美しさを最大限に引き出すようさまざまな技法が工夫されている布だ。


うちくい5




「うちくい」とは主に風呂敷として使われる布のことだ。宙に浮く大きな風呂敷(テグスで吊ってある)は沖縄の藍で染めたもの。

塩素漂白をせず、還元漂白をした綿布を使っているそうだ。作る作業も、たぶん一般的な方法より「環境にやさしい」。



会場には、作品に寄せる作家からのメッセージが収められたファイルが置かれている。使っている技法や素材についての解説の他、作品についての思いが綴られている。

また、芭蕉の栽培から刈り取り、手苧み、機織りまでの工程を写真つきで説明したファイルもあった。一枚の布が織りあがるまでの膨大な作業がよくわかる。



その中に、織物は農業だ、という言葉があった。

「織る」作業はほんの一部であって、素材をつくるため自然に向きあう時間がほとんどを占める。そんなふうにしてできあがったモノがここにある。

その土地で取れたもの、身近にあるものを使って作ることが生活本来のあり方だし、ほんとうに美しいものができるのだろう。

作品解説をしてくれた高橋裕博さんは、沖縄のフクギ(黄色の染料に使う植物)は沖縄の水でないといい色が出ない、といっていた。



だが、現在モノ作りはどこか遠くへ行ってしまった。完成した製品だけが店頭に並んでいる。自分の身を包んでいるものがどこから来たのか、考えることはほとんどない。

食の安全が今のように話題になるまでは、食べているものがどこから来たのか、誰がどんなふうに作ったのかを知る機会はほとんどなかった。

今、肌に触れている布がどこでどんなふうに作られているのかは、口に入るもの以上に知る機会がなく、気にする人も多くない。



便利なものがいい、安いもの早いものがいいという価値観とは正反対のモノたち。こういうモノがふつうの生活のなかで使われるときは来るのだろうか。



「第三回うちくい展 オトコゴノミ」

http://nunupana.com/

  
Posted by olu_project at 20:18Comments(0)TrackBack(0)