2008年02月05日

野で染める〜奈良・るぷぶん〜

 野原で染めるから「野染め」。

 京都に住む染色家・斎藤洋さんの命名だ。

 18mの白い布を掛け渡し、みんなで染める。おとな、こども、太陽、風、雲、湿り気、木の葉、時には雨や鳥のふん…。その場に居あわせたものみんなで一枚の布を染める。

 そんな野染めを、斎藤さんは全国各地でおこなっている。今回の場所は「るぷぶん」。奈良・桜井駅から歩いて15分ほどのところにある、書家・阪本大雅さんのアトリエだ。斎藤さんと阪本さんの合同作品展があり、その一日が野染めにあてられた。


野染め1





 るぶぶんのお庭はいろんな種類の木や草でいっぱい。桜の葉は赤くなって山茶花が一輪咲いていた。もう花はついていないけれど薔薇の木もあるし、ミントやローズマリーなどのハーブも。藤棚ですかときいたら、すいかずらだとのこと。夏にはいいにおいの花を咲かせるそうだ。



野染め2



 そこに布を張る。布の両端をガリという道具でしっかりと留め、木にくくりつける。全体がピンとなるように伸子を張っていく。

 バケツを用意して斎藤さんが「何色がいい?」ときく。赤、青、紫、緑…参加者が好きな色をいう。ペットボトルに入っている染料をバケツで混ぜ合わせて色をつくる。青と黄を混ぜれば緑になるが、二つある青のどちらを入れるかで色調が変わる。バケツは八つ。なぜでしょう、と斎藤さんから質問。(答。八色(発色)がいいから、だそうです)






野染め3





 布の両側にバケツと刷毛を持って散らばる。天の川をはさんで何組かの織り姫・彦星がいるような感じ。



野染め4


















野染め5




















野染め6



















野染め7













 簡単な説明・注意のあと、合図とともに一斉に染め始める。 

 気がすんだら待っている人にバケツを譲る。また描きたくなったら刷毛をもらう。

 全体に色がのった適当なところで斎藤さんがストップをかける。


野染め8





 布が染まっていく。湿度の高い日や風の日は乾くまでに時間がかかり布が揺れるので、布の上で色が混ざり合って微妙なグラデーションが生まれる。晴れた日ならもう少し、それぞれの色が残って乾く。

 まだ染料をのせただけなので、雨にあえば色は全部流れてしまう。鳥がふんを落としていって、その部分が白く抜けたこともあるそうだ。



野染め9





 染めた後は斎藤さんにいろいろな布の話をきき、野染めの布で作られた服や小物、人形などを見せてもらう。それから、それぞれお茶を飲んだりお弁当を広げたり。

 もう少しして布が乾いたら、斎藤さんが京都の工房へ持って帰る。色どめ作業はそこでおこなわれる。



 野染めはお花見みたいだと思う。きれいな色に囲まれて、眺めるというよりその中にいる感じ。人間も風景も一緒に楽しんでいるような気がするからだろうか。

 染めの作業の中で色をのせるのは花の部分だ。一番きれいで楽しい。そしてあっという間におわってしまう。

 花にはそれを支える幹も枝もある。きれいな花が咲くために、ずっと世話をしている人がいる。秋も終わりで目に見える花は少ないけれど、阪本さんは毎日5時に起きて庭の手入れをしているそうだ。

 野染めの前にも後にもいろんな作業がある。地味で目立たないけれど、それがきちんと丁寧にされているから野染めはこんなに楽しいのだろう。そんなことも紹介できたらと思う。

  
Posted by olu_project at 23:25Comments(0)TrackBack(0)

メモリアル・キルト展 〜あなたを忘れない〜

 ちょうどひとが横たわれる大きさの布(約90×180cm)に、亡くなったひとの名前や着ていた服、好きだったものを縫いつけていく。そのひととの思い出を書きつけていく。

 メモリアル・キルトはアメリカではじめの一枚が作られた。HIV感染症/AIDSで亡くなった恋人のために、一人のひとが始めた表現だ。今では各国で作られている。

 日本で知られるようになったのは、1991年4月にメモリアル・キルト・ジャパン〈http://blog.mqj.jp〉がアメリカから200枚のキルトを招いて展示、紹介してから。

 今回のキルト展は12月14〜17日、京都・風工房(左京区岡崎東福ノ川町24)。


キルト1



 アメリカからキルトを招いたひとたちは、キルトを作ることも呼びかけた。

 日本で最初に作られたキルトは「ホワイトキルト」と呼ばれている。ざっくりした織りの木綿布に、亡くなったひとのイニシャルだけが縫いつけられている。現在よりもさらに世間の偏見が強かった頃、患者は名前を出せず、個人的なことも想いも語ることができなかった。



 そのキルトも展示されている。アルファベット二文字だけがアップリケされた寡黙なキルトは、そのこと自体で作ったひとたちの想いを雄弁に語っている。

 羽ばたく鳥に矢が射こまれている図柄のキルトには、「夢の途中」と書いた小さなリボンが縫いつけられている。

 野球が好きだったという少年のキルトは見事なホームランを打った瞬間を描いているし、バイクが好きだったという少年のキルトはバイクで走っている姿を頭上からとらえた構図で、造形的にも面白いものだ。

 でも、メモリアルキルトは「作品」ではないと思う。「作品」は、ここでこんなことをしているから「わたしを忘れないで」と主張するものだ。メモリアル・キルトは「あなたを忘れない」と語りかけている。

 どのキルトにも、特別な技法や素材が使われているわけではない。ただ、近づいて見ると、模様も文字もとても丁寧に縫われているのがわかる。あたりまえの日々を丁寧に暮らす。ふつうのひとびとの生活をそのまま映したような布だ。



キルト2




 喪の仕事、というのはこういうものなのだろう。

 失ったひとを忘れようとするのではなく、心の中にそのひとの落ち着ける場所を作る作業。HIV感染症/AIDSで亡くなったひとのことを語れる場は少ない。できれば仲間で集まって、そのひとのことを語り合いながら一針一針縫っていく手仕事は、そんな作業にふさわしい。

 できあがったキルトは、もちろん、一枚一枚まったく違う。ニュースや統計では、感染者何人とか死者何人とひとくくりにされるが、一人一人にそれぞれの人生があったのだ、というあたりまえのことが形になって目に見える。


キルト3




 写真は風工房のスタッフが亡くなったひとびとのために作ったキルト。

 病で命を失ったひとが、その命をそっと差しだしている図柄だ。



 その他わたしの知っている範囲では、大阪人権博物館〈http://www.liberty.or.jp〉にメモリアル・キルトが常設展示されている。

 絵が好きで画家を目指しながら20歳で亡くなったそのひとのキルトには、絵を描くときに着る上っ張りや、絵の具、パレットがアップリケされている。

  
Posted by olu_project at 23:16Comments(0)TrackBack(0)