2007年06月10日

りんどう屋 in Salon de ありす

このサイト「OLUproject」のメンバーでもある西陣織の伝統工芸士、佐々木英人さんのお店「りんどう屋」はオリジナル柄の帯をネットで販売している。
その帯を直接見られる場所も幾つかある。

[りんどう屋]
京都市上京区上立売通浄福寺半丁西入上真倉町782
TEL:075-200-3421
http://www.nisijin.com/

[Salon de ありす]
大阪市中央区谷町6-17-43 練2F
TEL:06-6762-3589
http://www.wabunka.or.jp/alice.html

インターネット画面では質感がもうひとつわからないという方は、一度のぞいてみるのもいいかもしれない。

そのひとつ、「Salon de ありす」は大阪市営地下鉄・松屋町駅からすぐ。3番出口から石段を登ったところに町屋を改装した「練」がある。有栖川宮の別邸だったという建物に、今はいろいろな店が入っている。その2階のお座敷が「Salon de ありす」。

りんどうや1







曜日毎に着付けやお茶、小鼓などの教室がひらかれている。お店部分ではリサイクルきものや帯の他、和風小物、アクセサリーなども扱っている。
その中で、床の間のあたりが「りんどう屋」のコーナー。

りんどうや2







ネコやウサギをモチーフにしたオリジナル柄の他、古典柄も並ぶ。どちらも正絹で昔ながらの織り方で織っているのは同じ。

りんどうや3







(他のオリジナル柄は http://www.nisijin.com/ をご覧下さい)

袋帯は78000円、京袋帯・名古屋帯は38000円、半幅帯は24000円のものを置いている。
ネーム入れや色違いが欲しいなどの希望があれば相談に応じてくれる。

この日は佐々木さんが展示している帯を掛け替えに来ていた。
写真の帯は、豆のツルに竪琴、鶏と金の卵、斧、男の子などが配置されている。

りんどうや4







りんどうや5







もちろん『ジャックと豆の木』がモチーフ。以前企画ものとして製作したそうだ。
巨人はいないんですか? と訊くと、「帯の中には」いません、とのこと。
なるほど、帯を身につける人がいればそこに巨人が現れる。着ている人=巨人という趣向。

りんどうや6







写真は帯を並べる佐々木さん。写真うつりに自信がないということなので少し遠景。(リクエストがあれば次回はアップにします)
  
Posted by olu_project at 08:00Comments(1)TrackBack(0)

2007年06月09日

万部おねり

中世、堺と並ぶ自治都市だった平野。その町に融通念仏の総本山「大念仏寺」はある。
昔は広大な土地を所有していたらしい。今でもかなり大きなお寺だ。だが、敷居が高い感じはまったくしない。
わたしはゴールデンウィークの「万部おねり供養」の時にしか行ったことがないが、おねりの前には演奏会が催されていたり、歌謡ショーの音楽が聞こえてきたりする。お昼時にはみんな思い思いの場所でお弁当を広げているし、土足禁止の本堂入り口で靴袋を配っているのはどう見ても「近所の子」だ。
地域の交流の場という、もともとお寺が持っていたはずの要素を色濃く残している。

おねり1

万部おねりの時には、本堂の周りにぐるりと回廊が巡らされている。お堂の縁に座るとちょうど目の高さ、境内からだと見上げるところをお練りの行列が通ることになる。

お家元らしい人を先頭に、和讃に合わせて踊りながら数人の人たちが通る。二つの扇を開いたり閉じたり合わせながら舞う独特の踊りだ。そのあと、各講の行列が鉦を叩きながら行くのを見ながら、歴史で習った踊り念仏ってこんな感じだったのかなあ、と思う。
そのあとは、お花を献じる人が通り、お坊さんが行き、日によっては議員さんたちが通る。衣装をつけたお稚児さんたちも回廊を通って本堂に入っていく。
そして有名なのは行列の最後、二十五菩薩のおねりだ。

おねり2








おねり3







念仏者の臨終には、浄土に向かう者を二十五菩薩が迎えに来てくれる、という。
万部おねりはその菩薩の姿を見せようとするものだ。奈良・当麻寺のおねり供養を参考にしたものらしいが、大念仏寺で菩薩に扮するのは全員僧侶だそうだ(当麻寺では檀家の人たち)。
金色の肌に青く長い髪、色鮮やかな装束の菩薩さまはそれぞれ持ち物(楽器や旗など)を持って通る。扮装するとほとんど足下も見えないので、足裏でわかるように回廊の中央には紐が敷かれている。曲がり角には合図をするお坊さんが待機している。

おねり4







おねり5







二十五菩薩のお渡りがすむと、これで見どころはおしまい、と思ってしまいがちだが、実はここからが面白い。

本堂に入ると雅楽が奏される中、菩薩さまたちが仏前に花を運んでいる(不謹慎な言い方だが、バケツリレーの要領。ほとんど見えないだろうから、中の人はたいへんだろうなあと思う)。
明るい陽の下で見る菩薩姿はかなりシュールだが、本堂の中だとまた趣が違う。さらに暗いろうそくの明かりでなら、長い髪に金の肌の菩薩さまはさぞ美しく見え、人々に浄土を思い描かせたのかもしれない。
仏前には金襴の僧帽をかぶった、いかにも偉い、といった感じのお坊さんたちがずらりと並ぶ(ふつうの袈裟姿の僧侶はもっとたくさんいる)。二十人近い後ろ姿は圧巻だ。声をそろえての念仏や声明は、不信心ものにもありがたく感じられる。
もともとお祭は見物したり見学するものではなく、参加するものだ。せっかく仏さまが近くに来ていらっしゃるのだから、たまには念仏など唱えてみるのもいいだろう。
  
Posted by olu_project at 02:57Comments(0)TrackBack(0)

2007年06月08日

千本ゑんま堂大念仏狂言

京都・西陣の北西にある引接寺。千本ゑんま堂と言った方が通りがいい。そこでは毎年五月の初めに念仏狂言がおこなわれている。
念仏狂言といえば、壬生寺の節分会や神泉苑でもやっているが、どれも無言劇だ。千本ゑんま堂での狂言だけ台詞がある。その分、わかりやすいかもしれない。

本堂

ゑんま堂の主である閻魔大王の像は堂々とした大きさで、本堂いっぱいに座っている感じがする。大きく口を開け、厳めしい表情。
閻魔像の前には供物がいっぱい。その中にちょっと場違いな人形がひとつ。あれは確かNHKアニメのおじゃる丸…。おじゃる丸は閻魔大王の杓を無断拝借しているという設定だが、そういう関係で置いてあるのだろうか。

えんま2

念仏狂言はお地蔵さんと関係がある、と説明している声が耳にはいる。
そういえば閻魔大王の本地仏はお地蔵さまで、閻魔=地蔵という話も聞いたことがある。くわしい話を聞いてみたかったが、説明していた人はすぐにどこかに行ってしまった。

えんま3

一般に「狂言」と呼ばれている芸能では、原則として演者は面をつけない。女役も男性が素顔のまま演じる。
しかし念仏狂言ではすべての演者が面をつけている(締めくくりの演目『千人切り』だけは面をつけないらしい)。
能面については「想いを内に秘めた表情」といったことがよくいわれるが、ここで使われる面はあけっぴろげで、おおらかに個性を表に出しているようだ。剽軽な男の面は「ムーミン」のモランに似ている気がする。

えんま4

この日の夜のプログラムは『寺ゆずり』『芋汁』『いろは』『でんでん虫』『福釣り』『紅葉狩り』。
『芋汁』だけは無言劇で、太鼓、鉦、笛に合わせてパントマイムで演じられる。

若い嫁さんが丁稚に掃除や酒の用意、山芋を擂ることなどを指図する。丁稚はちょいちょい悪ふざけをして嫁さんに叱られる(どうも叱られることを楽しんでいる雰囲気)。
同じ動作を必ず三回繰り返すのは、呪術的というか祭礼的というか、古い形なのだろうなと思う。
その丁稚が、夜中に入った泥棒を闇の中手さぐりの格闘の末みごと捕まえる。だがそのとき芋汁の鉢をひっくり返してしまったので、全員つるつる滑って転びながらの退場。

『でんでん虫』『紅葉狩り』などは現行の狂言、能とストーリーは同じ。ただ、趣きはやや違う。

役者は、舞台に出るとき客席に向かって一礼する。芝居系の催しではあまり見ないしぐさ。漫才や落語など、演芸に近いやり方だ。
相手がしゃべっているとき、相槌、というよりは合いの手を入れる。音楽的でにぎやか。
また、「やるまいぞ」と言いながら追って幕に入るのは、狂言でよくある退場の仕方だが、このときのポーズもちょっと違う。片手を前に突き出し顔を客席の方に向けて、軽く膝を折り「やるまいぞ」と言う。かなり観客を意識したしぐさだ。
驚いたときの型もなんだかギャグのリアクションぽくって、現代的でわかりやすい。言葉も確かに古めかしいが、まあ古典落語くらいの感じ。構えずに楽しめる。

えんま5

『紅葉狩り』は、平維茂が紅葉の山で美しい女に行き会い、一緒に酒を飲むが、それが実は鬼だった、という話。能でも演じられる物語だ。
最後に鬼を退治した後、面と鬘を胴から切り離して「首を取ったぞ」という風に掲げてみせる。さまざまな点で抑制されている能よりも、わかりやすい派手な演出。
使われている面も動きも無邪気にあけっぴろげで、うきうきしている。いかにも春のお祭、といった雰囲気が楽しめる。昼は陽射しがきついので帽子は必需品。
  
Posted by olu_project at 00:00Comments(0)TrackBack(0)