2006年05月26日

溢れるエネルギー 江崎満展

元気いっぱい!

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「江崎満 木版画と土展」で、まず目に飛び込んでくるのはエネルギーだ。
石川県奥能登・与呂見が江崎さんの生活と創作の場。雪が深いぶん、春の大地からは生命が一気に吹き上がってくる。そんな生き物の元気と楽しさと生きている喜びに満ちあふれている。

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土でできたオコゼ、山椒魚、蛙、アカゲラ。
陶は自然釉。窯で焼くときに、高温で溶けた灰がかかり流れ色が出る。こちらの計画を押しつけるのではなく、やってくる色を受け取る。それは自然とつきあうことに似ている。

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版画の前で話す江崎さんは饒舌。
「これが土星、木星。これがめんどく星で何もしなくていい星。地球からロケットで…」
絵には物語が詰まっている。大きく膨らんだ空想の宇宙の住人は、日々の暮らしの中での顔なじみたちだ。フクロウもアオリイカもミミズもオケラも身近で生きているもの。町にいる者にとっての、絵や写真でしか見たことのないものとは違う。
あちこちで登場する犬はソクラテスだし、亀はアルキメデス、ナマズはアイちゃん、猫は太郎、山羊はメー…。みんな江崎さんの同居人たちだ。アルキメデスやアイちゃんは陶作品にもなっている。
アイちゃんは育ちすぎたので川に放したそうだが、アルキメデスはお留守番、ソクラテスは大阪までついて来た。

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マッサージしてもらってうっとりした表情のソクラテス。初対面の人間にもお腹を見せる。ほとんど鳴かない。
久しぶりにあった大阪の人たちに「太ったんちゃう?」と言われている。

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「江崎満展」は大正区・ブリコラージュ(http://www.jimoto-navi.com/bricolage/)にて。
ご近所の蕎麦屋さん「凡愚」の看板も江崎さんの作。 

◇ OLU project 松岡永子 ◇
  
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2006年05月17日

りんどう屋

OLU plojectのメンバーでもある伝統工芸士・佐々木英人さんの工房兼ギャラリー「りんどう屋」(http://www.nisijin.com/)を訪ねた。
白木の格子戸を入って右手は、ギャラリー・ショップ。そのまま奥に進むと工房がある。

十五坪ほどの工房には三台の織機が置かれている。必要なものは手元でそろうように合理的に考えられた配置。何気なく見えるが実にコンパクトに整えられている。職人さんの仕事場はどこもそうだ。

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織物は経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)をわたすことによってできあがっている。緯糸をどの経糸の下をくぐらせるかによってさまざまな模様ができてくる。複雑な柄を織るためには、そのぶん複雑な経糸の操作が必要になる。
江戸時代の絵などで見ると、織機の上に人がいて、経糸を引き上げている。それがパンチ穴をあけたボール紙で綜絖(経糸を引き上げるための装置)を動かす方法が考案され、現在ではコンピュータ制御の機械も多い。ここにある機械はすべてコンピュータ制御。
スイッチを入れるとリズミカルにさまざまなパターンで経糸が引き上げられ、その間を緯糸を入れたシャトルが左右に滑っていく。赤い頭のハンマー状のものが両端でシャトルを叩いているようすは、なんだか可愛い。

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織られているのは袋帯。筒状になっている織物が中表の状態で織り上がっていく。
現在の袋帯は織り上げた後、表生地と裏生地を縫い合わせているものがほとんどだが、りんどう屋の帯は違う。ここにある機械は表と裏が同時に織れるタイプだ。
「表裏を同時に織っているところは珍しいです。うちくらいだと思います。
そういう技術自体は以前からあったんですが、糸の調整などに手間が掛かるため、別々に織って縫い合わせた方が効率的だ、ということで、ほとんどがその方法になってしまいました。
表裏を一緒に織った帯は縫い代がない分軽くなります。」
機械の後ろ側にまわると上側に表布の、下側に裏布の、経糸がそれぞれに巻かれている。全部で3600本の経糸が掛かっている。

一本の帯が織り上がるのに1日半、複雑な織りだとそれ以上かかるという。織り上がった帯は裏返してできあがり、ではない。
ルーペで一点づつ検品し、シールで小さな織り傷に印をつけ、直していく。気の遠くなるほど細かい作業だ。西陣織というのはこういう緻密な作業で成り立っているのだなと改めて思う。

「りんどう屋」では新しい、オリジナル商品の開発にも取り組んでいる。
訪ねたときは、緯糸として美濃和紙を細く裁ったものを織り込んだ帯が織られていた。

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コンピュータを使ってオリジナル柄を作ることもしているので、自分で柄を考えた一点物を作ることやネーム入れも可能だ。

◇ OLU project 松岡永子 ◇
  
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2006年05月03日

麓鳴館で鼓のお稽古

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心斎橋大宝寺通りの細い石畳を少し入ったところ。喫茶店・麓鳴館で小鼓のお稽古が始まった。これまでお稽古場だった豊崎の蓄音機ギャラリーがカフェの営業をやめたので、4月から麓鳴館に引っ越してきたのだ。
麓鳴館は大阪ナイトカルチャー協賛店なので、そちらのHPでも紹介されている。
http://www.osaka-nightculture.com/

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先生は関西では(たぶん全国でも)数少ない女性能楽師の高橋奈王子さん。
以前からひきつづきの生徒は、それぞれの進み具合にあわせて練習している。6月の発表会に出る人もいて、なかなか気合いがはいっている。

小鼓には4種類の音があり(革の中央を打つ音の強弱、やや脇を打つ硬く高い音の強弱)、それを組み合わせて演奏する。手付けという楽譜のようなものもあるが、打つときには見ないことになっている。鼓は暗譜が基本。でも、最初は覚えていなくても大丈夫。前に座った先生が合図してくれるので、それに合わせて打つ稽古をする。
先生は右手で小鼓の拍子、左手で大鼓の拍子を打ちながら、謡う。なぜそんなことができるのか、見ていて不思議だ。

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この日は体験希望の人が多くいた。
鼓は、打つための革を共鳴させるための筒に麻緒で固定してあるだけで、構造としては単純。そのぶん打ち方によってまったく違う響きがする。「ポン」と響く良い音はなかなか出ない。
初めて打つ人の音はほんとうにさまざま。いきなり音を響かせた人もいた。

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仕事で来日したというスイスの人も来た。先生が英語で鼓の説明をするのを聞いて、なんだか感心し、楽しそうに音を出していた。

次のお稽古は5月18日。見学、体験は無料。

◇ OLU project 松岡永子 ◇




  
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ねがはくは花の下にて

西宮にある白鷹禄水苑では、酒蔵見学以外にもさまざまな催しを企画している(http://www.hakutaka-shop.jp/frame.html)。参加したのは「能の四季を訪ねる 第1回『西行桜』の舞台 」

花の歌を数多く詠み、望んだとおり桜の季節に亡くなった西行。終焉の地は河内だが、漂泊の詩人と呼ばれるとおり、各地を放浪した。大原野にある勝持寺(しょうじじ)には、出家まもなくの頃に庵を結んでいたと伝えられる。
京都の西部、長岡京の北にあたる大原野は、交通の便がよくなくて観光客もまばらなところ。しかしさすがに桜の名所だけあって、この季節はハイキングスタイルの人でいっぱい。
ツアーメンバーはタクシーに分乗して勝持寺にむかう。

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通称「花の寺」と呼ばれるここは、戦国バサラ大名・佐々木道誉が非常識に豪華な花見をしたことで有名だが、今は、のどかで落ち着く場所だ。山の中腹にあり、境内でもかなりの高低差がある。目の下に桜を一望できるところに立つ。全体としては三分から五分咲きといったところ。やはり今年は花が遅いようだ。

能『西行桜』
――美しく咲いたと聞いて都から花見の一行がやってくる(いつの時代にももの好きはいるのだ)。わざわざ遠くから来た人々を追い返しこそしないものの、ひとり静かに過ごしたかったと西行は歌を詠む。
「花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら花のとがにはありける」
人が押し寄せるのは花の罪だ、と言った西行のところに、何が花の罪なのですか、と桜の精が現れる――
花の精といえば美女、と思いがちだが、『西行桜』では白髭の翁。
だから西行桜といえば、どっしりとした、白い花を咲かせる古木を想像していた。しかし、実際の「西行桜」(西行手植えの桜)はほっそりと背が高く、可憐なうすくれないの花をつけている。

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「これは何代めかの木でしょう。西行もまだ若くて、皆で花を楽しむという心境に至っていなかったのでしょう」と桜の解説板の前で、今日の講師・久田舜一郎さんの説明を聞く。
西行の出家は23歳のとき。財産もあり、若くて何の悩みもない人がなぜ妻子を捨てて出家するのか、と当時の人は不思議がったそうだ。

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参道を大原野神社へむかう。わりと急な下り坂。左右には竹林がつづく。
大原野神社は、奈良から長岡京に都が移ったとき、春日大社の分霊を祀ったのがはじまり。池も猿沢池をまねて造ったという。よほど奈良が恋しかったのだろう。
お社の前には、こまいぬならぬ「こましか」がいた。

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また、在原業平は、若い頃の恋人、今では皇太子の母・藤原高子がこの神社に参詣したとき歌を贈っている。
「大原や小塩の山も今日こそは神代のことも思ひいづらめ」
神社を護っている小塩山も華麗な行列を見て神代の昔を思いだしているだろう、ということだが、「神代の昔」には、遠い昔に思える若い頃という意味も当然あるだろう。
業平といえば六歌仙のなかでも美男で有名だ。南の峰にある善峰寺の近くには、業平が塩を焼いた竈跡など、業平ゆかりのものがある、とタクシーの運転手さんが教えてくれた。

お昼に懐石料理をいただいたあと、解説付きで鼓の演奏を聞く。
気さくで面白い語り口の久田舜一郎さんは大倉流小鼓方で重要無形文化財総合指定保持者。
参加者の中に謡をされる方があり、『鞍馬天狗』の「花咲かば告げんと言いし山里の〜」の一節を謡う。それに合わせての演奏。

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『西行桜』の、京の桜の名所をあげていくところを謡うのに合わせて、やはり大倉流小鼓の久田春陽子さん(舜一郎さんの長女)が鼓を打った。

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昼食後、大原野の特産であるタケノコを買ってかえる人もいた。
途中わずかにばらりときたが、ときどき陽も射し、のんびりと贅沢な春の一日だった。

◇ OLU project 松岡永子 ◇




  
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