11月3日は文化の日。この日はまた「きもの日和」でもあり、日本各地で「きものをあそぶ」イベントが開催されたらしい。大阪では「練」(空堀の古い建物を改装していろいろなお店が入っている)内「Salon de ありす」や空堀の長屋、ギャラリーを舞台に「からほり日和」が催された。
文化の日は雨が降らないともいわれるのだが、ちょっと微妙なお天気。パラパラッ、ときたかと思うと薄日が射す。けれど「練」は盛況。2Fの「Salon de ありす」では、間の襖を取り払った3つの座敷(それぞれ10畳)が人でいっぱい。あとできいたら150人ほど参加者がいたらしい。やはり女性が圧倒的多数。きもの姿の人も多く、なかなか華やかな客席。
正午になり、OLUprojectのメンバーでもある上田假奈代さんの「きもの勇気の詩」の朗読から「きものショー」の開始。
現代のきものは女性が自分自身をたいせつにするきっかけをくれる、といった内容の詩。上田さん曰く「まだ詩になっていないエッセイみたいな詩」。けれどその分、耳できいていても内容がわかりやすかった。もう1編「赤ペンで書く犬と青ペンで書く犬」の朗読。
つづいて「日本の花嫁」
「Salon de ありす」のオーナーであり、装和きもの学院総長でもある頼政恵美子さんが和装花嫁の変遷について説明されるのをききながら、その衣装を着たモデルさんをみる。
そのお話を簡単にまとめてみると。
――大正から昭和30年代まで、黒地の振り袖が花嫁衣装の主流だった。やがて黒以外の、さまざまな色の振り袖が出てくる(モデルさんの振り袖はピンクだった)。
また、昭和初期には振り袖全体に模様があって華やかだったものが、戦争が始まるとさまざまに規制されるようになる。袖が短くなり、模様の量が減り、後には上半身に模様をつけることが禁止され…。それでも女の子が生まれるとできるだけの支度をした。配給制度があった頃には、家族全員の衣料キップを何年分も集めて花嫁衣装を作った(モノの絶対量が不足していたため。お金が余分にあっても、割り当て分だけしか買えない)。
そして流行だろうか、打ち掛け姿の花嫁が増えていく。はじめは白無垢だったものが、やはり、多彩な色打ち掛けが多くなる。――
黒振り袖、色振り袖、白無垢、色打ち掛け。それぞれの花嫁衣装がそろったところは、壮観。
そのあとはそれぞれの場所でワークショップやイベントが行われた。
「和装花嫁体験」で花嫁姿の女性たちがさかんに写真を撮っているのを向こうにみながら、OLUprojectは「オリジナル帯の展示」。
仕上がったばかりの新作も二つあった。その一つ、唐草の中から猫、の模様のおたいこ柄の帯は、やや渋いかと思っていたのだが、若い女性に大好評。猫好きな人も多いようだ。
たくさんの人が立ち寄って、みていってくれた。用意してあったOLUprojectのカードは全部なくなってしまった。