建て替え前の売り尽くしセールでにぎわう阪急うめだ店。人混みをぬけてギャラリースペースまで来ると、さすがにそのざわめきもおさまり、ほっとする。
そこで「風布―斎藤洋の手描き染めゆかた・夏帯展」が開かれていた。
一歩足を踏み入れると空間いっぱいに、色。
壁には滝のようにいくつもの反物が掛けられ、台上には手ぬぐいが並んでいる。天井を斜めに横切る天の川のような布もある。
販売しているのは反物だが、「こんな感じに仕上がります」と、ゆかたも展示されていた。
ゆかたは型染めがほとんどで、手描き染めはめずらしい。手描きだから、まったく同じものは存在しない。それに斎藤さんの染めた布は、部分によってまったく表情が違う。布の端から端まで、絵物語を読むように眺めていくのも楽しい。実際、ある男性のお客さんは買った反物をそのまま毎日眺めているそうだ。その日の気分によって見える部位を変え、色、模様を変える。日替わりのタペストリー。一方、奥さんは何か作ろうとその布を狙っている、らしい。
斎藤さんの風工房は伏見にある(京都市伏見区両替町15−141)。もともとは酒蔵だった建物だ。その空間にしんし張りした布を広げて染めているのだろう。染め始めると途中で手は止められない。一気に染めてしまうそうだ。
そうして染め上がった布はどれも抽象画のようにも見え、物語がひそんでいるように見える。斎藤さんは、染めるときには「面」を意識しているそうだ。「面」を重ねていくことで自然と形が浮かびあがってくる。自分にはそういう染め方が向いているらしい。最初から描く形を決めてはいない、と言う。
「染め」はそれで完成する作品ではないから、その布を使う人にとってよい絵の具になるような染めをしたいと斎藤さんは考えている。綿花を栽培する人、糸に紡ぐ人、それを精練する人、布に織る人、その布を染める人、染められた布を使って服を作る人、それを着る人…それぞれがその人の物語を刻んで次の人に手渡してゆく。物語を背負ってこそ、物、だ。自分は次の人にできるだけ密度の濃い手渡し方をしたい。型通りの、ただ整った物を作っても面白くない。
その想い通り、友人の作家さんたちがゆかた地を使った個性的な作品を展示していた。ゆかたを着たあだっぽい(!)猫を作った人形作家の村上しよみさんは、お母さんが織物をしていらっしゃった方で、二世代に渡るおつきあいだそうだ。
他にはバッグやジャケット、ミシンワークの半幅帯、書の作品があった。
斎藤さんは、染めた布を買ってくれる人がいると、その人の住んでいるところに、ぽ、と灯がともる気がする、と言う。ぽ、ぽ、ぽ、と地図の上にともる灯が増えていく感じ。染めることを重ねていると人との出会いも増える。ともる灯も数多くなっていくのだ。
仕事としての染め以外にも、斎藤さんはさまざまな活動をしている。メモリアルキルト(HIV感染で亡くなった人の想い出の布を一枚のキルトにする)の紹介や、音楽ライヴでの染めのパフォーマンスなど、意欲的だ。
そのなかでも「野染め」は各地でおこなっている活動だ。野原で染めるから野染め。公園などで二十メートル近い布を掛け渡し、十数人、あるいはもっとたくさんの人で染めていく。誰かの染めた色の上に別の人の色が重なり、色が深まっていく。乾かしている間に色は溶け合い混じり合っていく。気温や湿度、風の具合によって混じり方は変わるし、雨が降ったり鳥が糞を落としたりするとその部分は色がぬけてしまう。太陽や風、人間たちみんなで染めた布は人間の参加者で分ける。斎藤さんも、布も、使われることを望んでいるだろう。わたしもスカートなどを作り、使っている。