わたしの箪笥には「安物」が詰まっている。それはきものでも同じ。古着のウールやバーゲンで買った化繊のきものがほとんど。
その中にひとつだけ、ほんものの絹の単衣がある。更紗風のプリントが鮮やかな色彩でほどこされている薄いきもの。縮緬なのだが、不思議なほど柔らかな手ざわり。
それは「ひろ2実験工房」(京都市中京区御池通新シ町角238-1 E-mail:ser_hirohiro@hotmail.com)
で作られたきものだ。
ココルームのイベントで着せてもらい、いっぺんに魅せられた。サンプル品だったのだけれど、お願いして譲ってもらった。(ひろひろさんこと高橋裕博さんは、一見して、お願いごとのしやすい気さくなおじさんだった)
その「ひろ2実験工房」がデパートの催事に出展するというので見に行った。
ところは大丸梅田店。エスカレーターで上がっていくと、土と草と竹で飾られた会場でショーが行われていた。「風水土のしつらい展」のイベント。作り手自身がモデルとなり展示販売品を紹介するファッションショー、らしい。ゆっくり歩いて服を見せるオーソドックスなものから、展示品を身にまとっての唄や踊り、詩吟まである。なんでもあり、なのか? 雑然とした雰囲気は楽しい。
お目当の「ひろ2実験工房」は展示会場やや奥に出展していた。
麻のきものがまず目にはいる。しゃっきり感が涼しげ。羽織らせてもらうと、とても軽い。麻の歴史は綿よりも古い。一つの素材が長く使われつづけているのには理由があるのだ。涼しく軽い麻は、着る人のからだに負担をかけず、蒸し暑い日本の夏を快適に過ごすために洗練されてきた繊維なのだ。紡ぎ、織るのに手間がかかるため、現代では高級品になって着る機会も減ってしまったが。
「ひろ2実験工房」の高橋さんは染色研究家。綿・麻・絹など天然繊維を自然の材料で染めている。染料の原料となるウコンやアカネなども展示されていた。
研究はむずかしいのかもしれないが、研究の成果を見るのは楽しい。全然むずかしくない。手に取って見ればわかる。特にさわるとよくわかる。
今回はアジア綿がたくさん出されていた。傍にある米綿とさわり較べてみる。普段から慣れている米綿に較べてアジア綿は、もごっ、とした感触。米綿とアジア綿は、同じ染料で染めても違う色になるらしい。(左が米綿、右がアジア綿)
「アジア綿の方が水分をよく吸うから、汗をかく夏には向いている」
「使っているうちに風合いが変わってくる。何回か洗濯するとこんな感じノ」と言って、高橋さんは自分のシャツをさわらせてくれた。
バンブースカーフ。
竹のセルロースから作った繊維を横糸に使っている。綿と麻の中間のような手触り。
「竹繊維の利用は、今、使い道がなくてほったらかしになっている竹林を整備することにもつながる」
古い染色を研究しているのは、懐かしむためではなく自然を活かすため。だから、今の自然のための新しい方法も研究している。
「ひろ2実験工房」のワークショップとして「泥染め」がおこなわれる。
布をお湯に通した後、呉汁(大豆をすりつぶした汁)を加えた泥水の中でひたすら揉む。呉汁は定着をよくするために加えるが、なくても染まるそうだ。
定着剤など一切なしで色が流れ落ちてしまわないのだろうか?
「これは最も原始的な染色で、泥の細かい粒子が繊維に入り込むことで染まる。だから、特別な土である必要はない。九州から泥を送ってもらっているのは、単に色がきれいだから」
確かにきれいな煉瓦色に染まっていく。絞ってポリ袋に入れる。帰ってから広げて干せばいい。
「このまま太陽と夜露にあてる。最低一夏、できれば一年。雨に濡らさないように気をつけて」
なーるほど。
今日作って明日着られると思ったわたしが間違っていた。すぐ目に見える結果を求めるのは悪い癖だ。
ものでも人でも、つきあいというのは時間をかけて育てていくものだった。
ほんものを作る、ということは当然だが時間も手間もかかる。手間をお金で買うことが当たり前になってからは、ほんものは高価なものになってしまった。
量販店の商品に比べれば「ひろ2実験工房」の製品は高価だ。だが、きものもシャツも、消費してしまうものとしてではなく、着こなしていくものとして作られている。作り手が時間をかけて作りあげたように、使う者も、ゆっくりと時間をかけて着こなし、自分のものにしていく。特に綿などは、洗うことで変わっていく風合いを楽しむことも使い手の役割なのだろう。
泥染め以外にも、「ひろ2実験工房」は墨や灰で染めるワークショップをあちこちのギャラリーでしている。興味のある方は問い合わせてください。