京都・西陣の北西にある引接寺。千本ゑんま堂と言った方が通りがいい。そこでは毎年五月の初めに念仏狂言がおこなわれている。
念仏狂言といえば、壬生寺の節分会や神泉苑でもやっているが、どれも無言劇だ。千本ゑんま堂での狂言だけ台詞がある。その分、わかりやすいかもしれない。
ゑんま堂の主である閻魔大王の像は堂々とした大きさで、本堂いっぱいに座っている感じがする。大きく口を開け、厳めしい表情。
閻魔像の前には供物がいっぱい。その中にちょっと場違いな人形がひとつ。あれは確かNHKアニメのおじゃる丸…。おじゃる丸は閻魔大王の杓を無断拝借しているという設定だが、そういう関係で置いてあるのだろうか。
念仏狂言はお地蔵さんと関係がある、と説明している声が耳にはいる。
そういえば閻魔大王の本地仏はお地蔵さまで、閻魔=地蔵という話も聞いたことがある。くわしい話を聞いてみたかったが、説明していた人はすぐにどこかに行ってしまった。
一般に「狂言」と呼ばれている芸能では、原則として演者は面をつけない。女役も男性が素顔のまま演じる。
しかし念仏狂言ではすべての演者が面をつけている(締めくくりの演目『千人切り』だけは面をつけないらしい)。
能面については「想いを内に秘めた表情」といったことがよくいわれるが、ここで使われる面はあけっぴろげで、おおらかに個性を表に出しているようだ。剽軽な男の面は「ムーミン」のモランに似ている気がする。
この日の夜のプログラムは『寺ゆずり』『芋汁』『いろは』『でんでん虫』『福釣り』『紅葉狩り』。
『芋汁』だけは無言劇で、太鼓、鉦、笛に合わせてパントマイムで演じられる。
若い嫁さんが丁稚に掃除や酒の用意、山芋を擂ることなどを指図する。丁稚はちょいちょい悪ふざけをして嫁さんに叱られる(どうも叱られることを楽しんでいる雰囲気)。
同じ動作を必ず三回繰り返すのは、呪術的というか祭礼的というか、古い形なのだろうなと思う。
その丁稚が、夜中に入った泥棒を闇の中手さぐりの格闘の末みごと捕まえる。だがそのとき芋汁の鉢をひっくり返してしまったので、全員つるつる滑って転びながらの退場。
『でんでん虫』『紅葉狩り』などは現行の狂言、能とストーリーは同じ。ただ、趣きはやや違う。
役者は、舞台に出るとき客席に向かって一礼する。芝居系の催しではあまり見ないしぐさ。漫才や落語など、演芸に近いやり方だ。
相手がしゃべっているとき、相槌、というよりは合いの手を入れる。音楽的でにぎやか。
また、「やるまいぞ」と言いながら追って幕に入るのは、狂言でよくある退場の仕方だが、このときのポーズもちょっと違う。片手を前に突き出し顔を客席の方に向けて、軽く膝を折り「やるまいぞ」と言う。かなり観客を意識したしぐさだ。
驚いたときの型もなんだかギャグのリアクションぽくって、現代的でわかりやすい。言葉も確かに古めかしいが、まあ古典落語くらいの感じ。構えずに楽しめる。
『紅葉狩り』は、平維茂が紅葉の山で美しい女に行き会い、一緒に酒を飲むが、それが実は鬼だった、という話。能でも演じられる物語だ。
最後に鬼を退治した後、面と鬘を胴から切り離して「首を取ったぞ」という風に掲げてみせる。さまざまな点で抑制されている能よりも、わかりやすい派手な演出。
使われている面も動きも無邪気にあけっぴろげで、うきうきしている。いかにも春のお祭、といった雰囲気が楽しめる。昼は陽射しがきついので帽子は必需品。