2008年06月16日

ガラスの中の遊び心

「明日香むらの吹きガラス」

このことばの中に何が隠れているか、気づかれるだろうか?

実は、ガラスで有名なヴェネチアの町「ムラーノ」の名前が隠れているのだ。

(教えてもらうまで、わたしは気づかなかった)

では、このランプシェードには何が隠れているだろうか。

080616_1

写真ではわかりにくいのだが、クジラ(中央)、リス(右上)、ネコ(下)など、いろんな動物が隠れている。

このランプシェードは、それぞれ色の違うガラスを4層重ね、それをサンドブラストで削っている。削る深さによって違う色が出、また、模様の輪郭が鮮やかになったり淡くなったりするのだ。

そのガラスを通すと、おもしろい光が壁に落ちる。

080616_2










080616_3
そしておなじみの顔のあるランプ。










080616_4
フクロウランプは新作だ。

高橋直樹さんの吹きガラスには遊び心がいっぱい隠れている。



  
Posted by olu_project at 00:39Comments(0)TrackBack(0)

木の器

いつもおもしろい展示会があるブリコラージュ。
〈http://www.jimoto-navi.com/bricolage/〉

今回は「佐古馨 木のうつわ展」にいった。

080615_1

佐古馨さん(Imagination Material Accident)は木の食器、木と鉄を組み合わせた家具などを作っている。

うつわの載っている鉄製の台も佐古さんの作品。





080615_2

どのうつわも、その木が本来持っているものを大切にして作られていると感じる。装飾や「作為」のないシンプルなうつわたち。

ただし、どのうつわも一筋縄ではいかない。





080615_3

一枚一枚、微妙に歪みかたが違うメイプルの皿。グリーンターニングという手法で作られている。

生木の状態で成形し、それが乾燥するときに木自身の力で歪みが生じる。自然のゆらぎだから決して同じものにはならない。



木はつきあってみないとわからない、と佐古さんはいう。

ケヤキは男性的な感じがするが、彫ってみると意外に柔らかく扱いやすい。

カエデは色が白く女性的な感じがするが、硬くててごわい。そのぶん、薄手に作ってもしっかりしている。カエデの木は、幹が回転し曲がりながら育っていく。かなり暴れる木だ。(だからグリーンターニングでおもしろい味が出る)



うつわに使われているのは広葉樹ばかり。

刳りものにはスギなど針葉樹は使わないという。うつわにするには軟らかすぎる(一部例外はあるが希少なため手に入れにくい)し、すっとまっすぐ上に向かってのびていく針葉樹は、主に建築資材として使われるからだ。

家を建てるときにはほとんど使われない広葉樹をうつわに使う。文字通りの適材適所。



日の光や水で木は育つ。

木で作られたものも人の手で育つ。

使っているうちに色が変わり、味わいが深くなる。

丁寧に扱われたうつわは丁寧に扱われたように育つ。

佐古さんは、素直に育ったぼんぼん(関西弁で坊ちゃんのこと)みたいなうつわも良いけれど、傷が付いたらそれも良い味に育つという。火を当てるのは木をいじめることだけれど、その木が本来持っている強さを引き出すことができる。

なるほど、燻されて木目がくっきりと浮き出したクリの皿には、長い風雪を経てきたかのような風格がただよう。


080615_4










080615_5



うつわのまんなかにあるとんがりはレモンを搾るためのものだが、なんだか抽象的な彫刻のように見えた。

この紫はワインで染めた色。いろんな植物染料で染めることもこれからやってみたいとのことだ。

  
Posted by olu_project at 00:01Comments(0)TrackBack(0)

2008年03月02日

うちくい展

少し寒さのゆるんだ弥生朔日。

京都祇園「空 鍵屋」での「うちくい展」。沖縄を中心とした若手作家の染織作品の展示販売と、この日の午後は作品解説があった。


うちくい1




「オトコゴノミ」と題されているとおりシックな趣の帯や反物。目立つ華やかさはない。ぼんやりしていると何も気づかず通り過ぎてしまいそうなさりげなさだ。

だが単純に見えて、よく見ると布を形作る一本一本の糸が違った色を持ち、奥行きのある美しさを持っている。

素材は芭蕉や苧麻が多く、他にアロー(ネパールのイラクサの一種)や綿など。絹の反物にもシャリ感があって涼しげな布たちだった。



うちくい2




腰機で織ったメンサー帯、角帯。織機を使わず、張った糸を自分の体に結び付ける原初的な織り方には織り手が直接的に表れる気がする。



うちくい3





芭蕉布の帯。角帯もある。芭蕉布の角帯はめずらしい、というかこれまでなく、今回の催しのために特別に織ってもらったそうだ。布を裁った部分がどうしても落ち着かないので裏布をつけてある。それも、布のほつれを押さえるためにすべて本返し縫いで縫いつけるという手の込んだつくり。


うちくい4





「夢実る」と題された布。

作家は繭を手にいれて糸を紡ぐところから作業している。

生繭から糸を引くのが一番いいのだが、そのためには蚕蛾が繭から出てくるまでにすべての作業を終えてしまわなければならない。だからふつうは炭火を使い炭酸ガスで蚕を殺してから糸を引き出す。しかしそうすると熱や乾燥で糸に影響が出る。そこで繭を塩蔵して使っているそうだ。(お漬け物をするように、と解説書にあった)

経糸は未精錬、緯糸は精練した糸なので、染まり方に違いが出て玉虫色のような微妙なニュアンスがでている。

精錬というのは生糸の表面についているセリシンや脂肪分を取ること。現在、たいていは石鹸で精錬するのだがこの糸は灰汁で精錬されている。だから石鹸成分も残らない。

蚕がつくりだした糸の命をできるだけ痛めないように、糸の美しさを最大限に引き出すようさまざまな技法が工夫されている布だ。


うちくい5




「うちくい」とは主に風呂敷として使われる布のことだ。宙に浮く大きな風呂敷(テグスで吊ってある)は沖縄の藍で染めたもの。

塩素漂白をせず、還元漂白をした綿布を使っているそうだ。作る作業も、たぶん一般的な方法より「環境にやさしい」。



会場には、作品に寄せる作家からのメッセージが収められたファイルが置かれている。使っている技法や素材についての解説の他、作品についての思いが綴られている。

また、芭蕉の栽培から刈り取り、手苧み、機織りまでの工程を写真つきで説明したファイルもあった。一枚の布が織りあがるまでの膨大な作業がよくわかる。



その中に、織物は農業だ、という言葉があった。

「織る」作業はほんの一部であって、素材をつくるため自然に向きあう時間がほとんどを占める。そんなふうにしてできあがったモノがここにある。

その土地で取れたもの、身近にあるものを使って作ることが生活本来のあり方だし、ほんとうに美しいものができるのだろう。

作品解説をしてくれた高橋裕博さんは、沖縄のフクギ(黄色の染料に使う植物)は沖縄の水でないといい色が出ない、といっていた。



だが、現在モノ作りはどこか遠くへ行ってしまった。完成した製品だけが店頭に並んでいる。自分の身を包んでいるものがどこから来たのか、考えることはほとんどない。

食の安全が今のように話題になるまでは、食べているものがどこから来たのか、誰がどんなふうに作ったのかを知る機会はほとんどなかった。

今、肌に触れている布がどこでどんなふうに作られているのかは、口に入るもの以上に知る機会がなく、気にする人も多くない。



便利なものがいい、安いもの早いものがいいという価値観とは正反対のモノたち。こういうモノがふつうの生活のなかで使われるときは来るのだろうか。



「第三回うちくい展 オトコゴノミ」

http://nunupana.com/

  
Posted by olu_project at 20:18Comments(0)TrackBack(0)

2008年02月05日

野で染める〜奈良・るぷぶん〜

 野原で染めるから「野染め」。

 京都に住む染色家・斎藤洋さんの命名だ。

 18mの白い布を掛け渡し、みんなで染める。おとな、こども、太陽、風、雲、湿り気、木の葉、時には雨や鳥のふん…。その場に居あわせたものみんなで一枚の布を染める。

 そんな野染めを、斎藤さんは全国各地でおこなっている。今回の場所は「るぷぶん」。奈良・桜井駅から歩いて15分ほどのところにある、書家・阪本大雅さんのアトリエだ。斎藤さんと阪本さんの合同作品展があり、その一日が野染めにあてられた。


野染め1





 るぶぶんのお庭はいろんな種類の木や草でいっぱい。桜の葉は赤くなって山茶花が一輪咲いていた。もう花はついていないけれど薔薇の木もあるし、ミントやローズマリーなどのハーブも。藤棚ですかときいたら、すいかずらだとのこと。夏にはいいにおいの花を咲かせるそうだ。



野染め2



 そこに布を張る。布の両端をガリという道具でしっかりと留め、木にくくりつける。全体がピンとなるように伸子を張っていく。

 バケツを用意して斎藤さんが「何色がいい?」ときく。赤、青、紫、緑…参加者が好きな色をいう。ペットボトルに入っている染料をバケツで混ぜ合わせて色をつくる。青と黄を混ぜれば緑になるが、二つある青のどちらを入れるかで色調が変わる。バケツは八つ。なぜでしょう、と斎藤さんから質問。(答。八色(発色)がいいから、だそうです)






野染め3





 布の両側にバケツと刷毛を持って散らばる。天の川をはさんで何組かの織り姫・彦星がいるような感じ。



野染め4


















野染め5




















野染め6



















野染め7













 簡単な説明・注意のあと、合図とともに一斉に染め始める。 

 気がすんだら待っている人にバケツを譲る。また描きたくなったら刷毛をもらう。

 全体に色がのった適当なところで斎藤さんがストップをかける。


野染め8





 布が染まっていく。湿度の高い日や風の日は乾くまでに時間がかかり布が揺れるので、布の上で色が混ざり合って微妙なグラデーションが生まれる。晴れた日ならもう少し、それぞれの色が残って乾く。

 まだ染料をのせただけなので、雨にあえば色は全部流れてしまう。鳥がふんを落としていって、その部分が白く抜けたこともあるそうだ。



野染め9





 染めた後は斎藤さんにいろいろな布の話をきき、野染めの布で作られた服や小物、人形などを見せてもらう。それから、それぞれお茶を飲んだりお弁当を広げたり。

 もう少しして布が乾いたら、斎藤さんが京都の工房へ持って帰る。色どめ作業はそこでおこなわれる。



 野染めはお花見みたいだと思う。きれいな色に囲まれて、眺めるというよりその中にいる感じ。人間も風景も一緒に楽しんでいるような気がするからだろうか。

 染めの作業の中で色をのせるのは花の部分だ。一番きれいで楽しい。そしてあっという間におわってしまう。

 花にはそれを支える幹も枝もある。きれいな花が咲くために、ずっと世話をしている人がいる。秋も終わりで目に見える花は少ないけれど、阪本さんは毎日5時に起きて庭の手入れをしているそうだ。

 野染めの前にも後にもいろんな作業がある。地味で目立たないけれど、それがきちんと丁寧にされているから野染めはこんなに楽しいのだろう。そんなことも紹介できたらと思う。

  
Posted by olu_project at 23:25Comments(0)TrackBack(0)

メモリアル・キルト展 〜あなたを忘れない〜

 ちょうどひとが横たわれる大きさの布(約90×180cm)に、亡くなったひとの名前や着ていた服、好きだったものを縫いつけていく。そのひととの思い出を書きつけていく。

 メモリアル・キルトはアメリカではじめの一枚が作られた。HIV感染症/AIDSで亡くなった恋人のために、一人のひとが始めた表現だ。今では各国で作られている。

 日本で知られるようになったのは、1991年4月にメモリアル・キルト・ジャパン〈http://blog.mqj.jp〉がアメリカから200枚のキルトを招いて展示、紹介してから。

 今回のキルト展は12月14〜17日、京都・風工房(左京区岡崎東福ノ川町24)。


キルト1



 アメリカからキルトを招いたひとたちは、キルトを作ることも呼びかけた。

 日本で最初に作られたキルトは「ホワイトキルト」と呼ばれている。ざっくりした織りの木綿布に、亡くなったひとのイニシャルだけが縫いつけられている。現在よりもさらに世間の偏見が強かった頃、患者は名前を出せず、個人的なことも想いも語ることができなかった。



 そのキルトも展示されている。アルファベット二文字だけがアップリケされた寡黙なキルトは、そのこと自体で作ったひとたちの想いを雄弁に語っている。

 羽ばたく鳥に矢が射こまれている図柄のキルトには、「夢の途中」と書いた小さなリボンが縫いつけられている。

 野球が好きだったという少年のキルトは見事なホームランを打った瞬間を描いているし、バイクが好きだったという少年のキルトはバイクで走っている姿を頭上からとらえた構図で、造形的にも面白いものだ。

 でも、メモリアルキルトは「作品」ではないと思う。「作品」は、ここでこんなことをしているから「わたしを忘れないで」と主張するものだ。メモリアル・キルトは「あなたを忘れない」と語りかけている。

 どのキルトにも、特別な技法や素材が使われているわけではない。ただ、近づいて見ると、模様も文字もとても丁寧に縫われているのがわかる。あたりまえの日々を丁寧に暮らす。ふつうのひとびとの生活をそのまま映したような布だ。



キルト2




 喪の仕事、というのはこういうものなのだろう。

 失ったひとを忘れようとするのではなく、心の中にそのひとの落ち着ける場所を作る作業。HIV感染症/AIDSで亡くなったひとのことを語れる場は少ない。できれば仲間で集まって、そのひとのことを語り合いながら一針一針縫っていく手仕事は、そんな作業にふさわしい。

 できあがったキルトは、もちろん、一枚一枚まったく違う。ニュースや統計では、感染者何人とか死者何人とひとくくりにされるが、一人一人にそれぞれの人生があったのだ、というあたりまえのことが形になって目に見える。


キルト3




 写真は風工房のスタッフが亡くなったひとびとのために作ったキルト。

 病で命を失ったひとが、その命をそっと差しだしている図柄だ。



 その他わたしの知っている範囲では、大阪人権博物館〈http://www.liberty.or.jp〉にメモリアル・キルトが常設展示されている。

 絵が好きで画家を目指しながら20歳で亡くなったそのひとのキルトには、絵を描くときに着る上っ張りや、絵の具、パレットがアップリケされている。

  
Posted by olu_project at 23:16Comments(0)TrackBack(0)

2007年06月08日

千本ゑんま堂大念仏狂言

京都・西陣の北西にある引接寺。千本ゑんま堂と言った方が通りがいい。そこでは毎年五月の初めに念仏狂言がおこなわれている。
念仏狂言といえば、壬生寺の節分会や神泉苑でもやっているが、どれも無言劇だ。千本ゑんま堂での狂言だけ台詞がある。その分、わかりやすいかもしれない。

本堂

ゑんま堂の主である閻魔大王の像は堂々とした大きさで、本堂いっぱいに座っている感じがする。大きく口を開け、厳めしい表情。
閻魔像の前には供物がいっぱい。その中にちょっと場違いな人形がひとつ。あれは確かNHKアニメのおじゃる丸…。おじゃる丸は閻魔大王の杓を無断拝借しているという設定だが、そういう関係で置いてあるのだろうか。

えんま2

念仏狂言はお地蔵さんと関係がある、と説明している声が耳にはいる。
そういえば閻魔大王の本地仏はお地蔵さまで、閻魔=地蔵という話も聞いたことがある。くわしい話を聞いてみたかったが、説明していた人はすぐにどこかに行ってしまった。

えんま3

一般に「狂言」と呼ばれている芸能では、原則として演者は面をつけない。女役も男性が素顔のまま演じる。
しかし念仏狂言ではすべての演者が面をつけている(締めくくりの演目『千人切り』だけは面をつけないらしい)。
能面については「想いを内に秘めた表情」といったことがよくいわれるが、ここで使われる面はあけっぴろげで、おおらかに個性を表に出しているようだ。剽軽な男の面は「ムーミン」のモランに似ている気がする。

えんま4

この日の夜のプログラムは『寺ゆずり』『芋汁』『いろは』『でんでん虫』『福釣り』『紅葉狩り』。
『芋汁』だけは無言劇で、太鼓、鉦、笛に合わせてパントマイムで演じられる。

若い嫁さんが丁稚に掃除や酒の用意、山芋を擂ることなどを指図する。丁稚はちょいちょい悪ふざけをして嫁さんに叱られる(どうも叱られることを楽しんでいる雰囲気)。
同じ動作を必ず三回繰り返すのは、呪術的というか祭礼的というか、古い形なのだろうなと思う。
その丁稚が、夜中に入った泥棒を闇の中手さぐりの格闘の末みごと捕まえる。だがそのとき芋汁の鉢をひっくり返してしまったので、全員つるつる滑って転びながらの退場。

『でんでん虫』『紅葉狩り』などは現行の狂言、能とストーリーは同じ。ただ、趣きはやや違う。

役者は、舞台に出るとき客席に向かって一礼する。芝居系の催しではあまり見ないしぐさ。漫才や落語など、演芸に近いやり方だ。
相手がしゃべっているとき、相槌、というよりは合いの手を入れる。音楽的でにぎやか。
また、「やるまいぞ」と言いながら追って幕に入るのは、狂言でよくある退場の仕方だが、このときのポーズもちょっと違う。片手を前に突き出し顔を客席の方に向けて、軽く膝を折り「やるまいぞ」と言う。かなり観客を意識したしぐさだ。
驚いたときの型もなんだかギャグのリアクションぽくって、現代的でわかりやすい。言葉も確かに古めかしいが、まあ古典落語くらいの感じ。構えずに楽しめる。

えんま5

『紅葉狩り』は、平維茂が紅葉の山で美しい女に行き会い、一緒に酒を飲むが、それが実は鬼だった、という話。能でも演じられる物語だ。
最後に鬼を退治した後、面と鬘を胴から切り離して「首を取ったぞ」という風に掲げてみせる。さまざまな点で抑制されている能よりも、わかりやすい派手な演出。
使われている面も動きも無邪気にあけっぴろげで、うきうきしている。いかにも春のお祭、といった雰囲気が楽しめる。昼は陽射しがきついので帽子は必需品。
  
Posted by olu_project at 00:00Comments(0)TrackBack(0)

2007年03月18日

知らないと行き着けない店(3)

「長くつきあえるもの/再生」をコンセプトにした、衣・器・緑のお店「ロジルーム」

このお店は、知らないとほんとうに行き着けない。
空堀商店街にさり気なく出ている植木を目印に路地を降りていったつきあたり。
まだ植物の育っていない寒い時期はさらにさり気なく、見つけにくい。
(写真は夏に撮ったもの)

070318_1














築80年以上の古家を再生したというこぢんまりしたお店の中は、食器や衣服、小ものがいっぱい。

070318_2







カウンターで飲む各種ハーブティは200円。

070318_3







ロジルームであつかっている服は「Wrap Around R.(ラップアラウンドローブ)」の服。
ファスナーやボタンで止めるのではなく、身体に合わせて纏い、紐を結んで止める。「きもの」のような平面裁断を意識した服。
タンスに眠っているきものを持ち込んで仕立ててもらうこともできる。
その他、季節感のある襷(たすき)なども置いている。

070318_4

写真は割烹着。
上衣はきものの袂も入るように脇がゆったりととられ、下はサロンエプロンのように体型に合わせて紐で結ぶ。
着た状態の写真はこちら。
http://w-a-robe.com/?mode=cate&cbid=56098&csid=0

これは料理研究家の濱田美里さんとの協働企画でデザインされたもの。三里さんは普段からきもので生活している方で、お料理をするときも当然、きもの。従来の割烹着よりお洒落で機能的なエプロンが欲しい、ということで依頼があったのだそうだ。

3月末には、美里さんの『身近な調理道具を使って料理を楽しむ』料理教室が開かれる。
炊飯器でごはんとおかずを一度に作る方法などを教えてもらえる。

その他にも、ロジルームではさまざまなワークショップをおこなっている。
のぞいてみると面白いものが見つかりそうな場所だ。

Rojiroom (ロジルーム)
〒542-0012 大阪市中央区谷町7-6-33
Tel/Fax 06-6762-7436
http://blog.livedoor.jp/rojiroom/
Open 木・日曜日11:00〜18:00
  
Posted by olu_project at 22:32Comments(0)TrackBack(0)

鼓と謡のコンサート

ひなまつり前日、心斎橋の喫茶店「麓鳴館」で小鼓と謡のコンサートがあった(小鼓は久田舜一郎さん、謡は立花香寿子さん)。
今回は季節が春、ということで能『弱法師(よろぼし)』の曲を解説を交えての演奏。

07030701

『弱法師』の舞台は、春彼岸の四天王寺。
家を追い出され盲目になった俊徳丸が、梅の咲く四天王寺で父親に再会する物語。浄瑠璃などでは継子いじめの話として語られる俊徳丸だが、能では父親に見つけられ家に帰る場面が描かれる。
高安の長者の息子で美少年の面影を残す青年、俊徳丸。実在した人物かどうかはわからないが、近鉄大阪線の「俊徳道」駅は彼の名前からきている。
「なかなかのハンサムだったでしょう」と解説される。
そういえば、映画『デスノート』主演の藤原竜也のデビューは、寺山修司原作の舞台『身毒丸』の「しんとく」役だった。

盲目という設定の俊徳丸の面は、正面から見るとまぶたを閉じているようにみえる。でも実は、目の部分が横に長く空いていて、瞳の部分だけ丸く空いているふつうの面を着けるより周囲がよく見えるのだという。見えすぎるのでそれを抑えて心の目で見ている感じを演じるのが難しいのだそうだ。

07030702

俊徳丸は記憶の中にある難波の風景を美しく語る。
空間いっぱいに音が響く。
謡も小鼓もこんなに近い場所で聞く機会はほとんどない。小さな空間だということもあり、音の中に入り込んでしまったような感じだ。力強い音に圧倒される。

演奏終了後、演奏者のおふたりにはいろいろな質問がとんだ。
立花さんは華奢な女性だが謡の声がとても力強いので、本番前には何か特別な発声練習をされるのですか、と質問した人がいた。
「特別なことはしないけど、できるだけしゃべって慣らすようにしています」
声楽では歌う前にはしゃべらないようにするというのとは正反対ですね、と感想が出る。
発声法が違うからだろう、ということだ。

立花香寿子さんのHP
http://www.hpmix.com/home/kazyu/

小鼓を打たせてもらっている人もいた。なかなか思ったような音は出せないが、居合いをやっているという方は筋がいいといわれていた。なにか通じるものがあるのだろうか。

07030703  
Posted by olu_project at 22:23Comments(0)TrackBack(0)

2007年02月14日

知らないと行き着けない店(1)

迷路なわけではない。
隠れて営業しているわけでも、もちろん、ない。
それなのになぜか知らないと行き着けないお店がある。
そんなお店をいくつか紹介したい。
どこも、お茶を飲みながらゆっくりと本を読んだり書き物をしたりできるお店だ。

01

JR天満駅から高架沿いに歩いていると左手マンション1階に和風のしつらえがのぞく。
故アンディ・フグ氏も通ったという空手道場「正道会館」の向かいにある茶房。駅から5分もかからないのだが、以外にわかりにくいらしい。商店街とは逆方向になるからかもしれない。

「茶藝館かぎろひ」
中国茶のお店だが煎茶、抹茶もある。禁煙なので、お茶の香りを楽しみながらゆっくりとした時間が過ごせる。

02

店内を彩っているものにアジアンノット(中国結び)がある。店主の轟さんが作ったものだ。



03






中国茶(烏龍茶)は醗酵の度合いが違うお茶が三種類。醗酵の深い「香賓烏龍(しゃんぴんうーろん)」は紅茶に近い強い香りがし、醗酵の浅い「文山包種(ぶんさんほうしゅ)」は緑茶に近い爽やかな味わい。
写真は「文山包種」(650円)

04






中国茶の道具は急須も器も日本茶用のものよりぐっと小さい。
まず少し背の高い器に注ぎ、そのお茶は背の低い器に移す。はじめの器は香りを楽しむためのものだ。
小さな急須で5、6煎は十分に出るので、時間をかけてゆっくり楽しめるのがいい。

中国茶は紅茶と同じように熱湯で煎れる。
煎茶は少し冷ましたお湯で煎れる。
煎れ方がわからない時は遠慮なくお店の人にきいてみよう。正しいお茶の煎れ方なんて、知っている人はあまりいないので気後れすることはない。

ヴァイオリンのミニコンサートが催されたり、劇団の人がリーディングをしたこともあったそうだ。
こぢんまりとした空間なので、文字どおり手の届きそうな距離での演奏になる。

茶藝館かぎろひ
大阪市北区錦町2−11ハイツダウンタウン103
TEL・FAX:06−6354−5645
  
Posted by olu_project at 01:24Comments(0)TrackBack(0)

2006年12月04日

箔画―漆と箔の世界

箔画、というのをご存知だろうか。
西陣織に使われる伝統的な技法で絵を描く。1877年からつづく箔屋の五代目(になる予定)の野口琢郎さんが描いている絵だ。

061204_1

ふだんの野口さんは帯のために箔を作っている。
和紙に金属箔を貼り絵模様を作る。できあがったそれを細く裁断して横糸として織り込み、西陣織の帯になる。

箔画では、和紙のかわりに木のボードを使う。ボードの上に漆を塗って金、銀、プラチナ箔を貼りつけていく。赤や青の色は銀を熱処理して出している。
写真だとわかりにくいが、同じ金属箔といってもさまざまな質感のものがある。裁断することを前提にして作るものよりも剥落の可能性が低いので、作品の自由度は高いということだ。
裏は木目が見える程度に漆が塗られ、銘が入っている。

061204_2






『星月夜』と題された一枚。

061204_3








061204_4

「銀箔の部分はゲレンデです。だからリフトの部分にカップルで乗っている人がいます。最初は『夜のリフト』という題をつけたのですが、もっと、それぞれの人に見方はゆだねた方がいいと母に言われて別の題をつけました」
たしかに題名に対するセンスはお母様の方があると思う。しかし、そういう説明を聞きながら絵の隅々を眺めるのは面白い。
技法のせいか装飾性の強い抽象画めいて見えるが、実は作家の意図が細部に描きこまれている。作家の意図を探してみるのも、勝手に誤解してみるのも楽しい。

学生時代は油絵を描いていた野口さんだが、大学の卒業制作には写真作品を提出、その後、写真家・東松照明氏の助手になる。
「家を離れてみて、あらためてその価値がわかったというところがあります。2001年に家業を継ぐための修行に入り、同時にこの技法で新しいものができないかと作品制作を始めました」
蒔絵とも壁画とも少し違う独特の風合いの絵。伝統と創造、装飾性と具象性の微妙なバランスは直接見て確かめてほしい。
http://www.takuro-noguchi.com/


  
Posted by olu_project at 00:29Comments(0)TrackBack(0)
このページの上へ▲