日常雑事 雑感 »

[22 2 月 2010 | No Comment | | ]

昨年の11月末に起きたコアマガジンの「家紋の不思議」による一本気新聞のパクリに関して、ついに、コアマガジンサイトに謝罪文の掲載があった。
コアマガジントップページ
謝罪文
11月末から計算して、約3ヶ月だ。時間はかかったが、最終的に、真摯に対応された先方に対しては、その潔さを評価したいと思う。
そして、今回、この件で何度も先方とやりとりをしてもらった、TBCメンバーのK君、また、今回の件をたけくまメモで記事にしていただいた竹熊健太郎さん、そして相談に乗っていただいた方々には、本当に感謝だ。
それにしても、今回の件を踏まえて、さすがただでは起きないコアマガジンと言うべきか「クレーム撃退マニュアル」という本を新刊として出されたようだ。もしかしたら、K君のコアマガジンへの交渉が、この本発売に一役買っているかもしれない。
これには苦笑せざるをえなかった。
まさむね

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[21 2 月 2010 | No Comment | | ]

昨日、TBC(東京墓石倶楽部)で、護国寺と雑司が谷霊園に行った。
今までは開いていなかった山縣有朋の墓所や野間清司の墓所の鍵がかかっておらず、中に入れて家紋をゲット。
山縣有朋は、その先祖、子孫は丸に三つ鱗紋(白鵬と同じ)なのだが、さすがに、明治の元勲は特別、大和桜紋であった。
そういえば、松下村塾以来の親友といわれていた井上馨も桜菱紋だから、あの頃の長州閥では桜紋がはやったのだろうか。
いつか、吉田松陰をはじめ、幕末の志士、奇兵隊員が眠る山口の桜山神社というところにも行ってみたい。
さて、その後、ファミレスで食事をしたのだが、僕以外の二人のメンバーはなんと帽子をかぶりながら、食事をしているではないか。
ちょっと違和感があったので、聞いてみたら、いつもそうだという。
しかも、周りの席を見たら、そういう人がチラホラ。これは、最近の流行なのだろうか。
僕の感覚だと、帽子をかぶって飯を食ったら、美味しくないんじゃないかというのが一つ。
そして、もう一つは、室内で帽子をかぶるのは、礼儀的にいかがなものかというのが一つ。
勿論、友達同士なので、礼儀ということでもないのだが...でも、昭和の感覚だとやっぱり室内の帽子は、無礼な気もする。
いつも感じるのだが、朝青龍や、国母選手に対して品格が無いと非難しているやくみつるさんがいつも帽子をかぶっているのはいかがなものなのだろうか。
「品格」とか言うのであれば、まずは、帽子を取ってから、言えよと思わなくもない。
ただ、帽子が歴史的に見て、ずーっと無礼だったわけでもないようだ。
有名な話では、百人一首の「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」という歌で有名な藤原実方は、宮中で同僚の藤原行成の烏帽子を叩き落した咎で、陸奥に流されたという。
当時の宮中では、むしろ、帽子をかぶっていないほうが無礼だったということあろうか。
ちなみに、この実方は、清少納言の彼氏である。
まさむね

スポーツ »

[18 2 月 2010 | No Comment | | ]

スノボーの国母選手は結局、8位に終わったらしい。
僕はどうも、オリンピックとかに興味が無いので、全く見ていないのだが、彼の服装が乱れていた映像はなんかのニュースで見た。
さすがに、僕らがオリンピック選手に抱くイメージとは全く違った。
出来れば、見たくない姿である。
おそらく、僕らの年代にとって、オリンピックというのは輝きの象徴のような儀式である。
あのメキシコオリンピックの時の開会式の様子は今でも覚えているが、子供心にかっこよかった。
関係ないが、確か、あのオリンピックで陸上競技の表彰台で、差別に反対して黒い手袋を突き上げた黒人選手がいたけど、鮮烈な印象として残っている。
こういう世界中が注目する舞台での一挙手一投足は、すごいインパクトがあるよね。
だから、そんなかつての輝かしさを過去に押しやるようなパフォーマンスは生理的に嫌だな。
おそらく、理屈を話したら、残念ながら国母選手に利がある。結局、礼儀の問題など最終的には個人の問題になるからだ。
こういう問題は、いいといえばいいし、悪いといえば、悪い。例えば、お客さんへの営業にランニングシャツにネクタイ姿で行っても最終的にいいと言えばいいというのと同じだ。ようするに、損か得かの話になってしまうのだ。
だから、議論すること自体が間違っている。
税金を使ってるのだからダメだとか、もともとスノボ文化はそういうものだとか、注意をしない大人が悪いだとか、スノボをオリンピックに採用するのがいけないとか、オリンピック自体が欺瞞だとか、すべての議論から耳をそらしたい気分である。
連日、身振り手振りでいろんな競技の興奮を伝えてくれる妻には申し訳ないが、正直なところ、オリンピックは、早く終わって欲しい。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
という在原業平の和歌があるが、そんな気分である。僕はどうしても素直になれない。
まさむね

テクノロジー・ビジネス »

[17 2 月 2010 | No Comment | | ]

昨年から、今年にかけて、ゲーム業界でのトレンドソフトのひとつに「サンシャイン牧場」がある。ご存知、mixiの中でのゲームだ。
僕はとりあえず、このゲームを始めたが、あまり性に合わなかったのか、以後、ほとんどやらなくなってしまった。ところが、相変わらず、「牧場に害虫が発生しました」的なメッセージが毎日のように出てくる。よく見ていないので、なんだかわけがわからず、mixi自体へのアクセスもあまりしなくなってしまった。
今は、マイミクの友人が書いている日記を読むためにたまにお邪魔するくらいだ。
おそらく、根本的なところで、ゲーム好きではないのかもしれない。まぁ、もう五十歳だし...
ただ、そんな僕でも、実は13年位前はゲームを作っていたのだ。水木しげる先生の「妖怪図鑑」のロールプレイングゲーム(サターン版)なんかは大変だったけど、楽しかったな。でも自分ではゲームはほとんどやらなかった。
だから、ゲームディレクタとしては、全くダメだったのは当たり前だ。
ただ、「ときめきメモリアル」だけは何故かやった。当時、マンションの9Fに住んでいたので、真夏の暑い日、真っ裸で「藤崎詩織」と遊んだものだ。その当時はフリーだったので、外には出ずに一日中、家の中でそんなことをして過ごしていた。そのくせ、電話で、SOHO仕事の進行具合確認があると、「鋭意努力中です!!」と言ってごまかしていたものだ。
ようするにダメ人間だったのだ。
時は、ちょうど、ITバブルの頃だから、あの頃、もっといろんなコネクションを広げていれば、その後の人生は少しは変わったかもしれない。堀江貴文さんとかにも会って、いろいろとお世話になっていた(家のプリンタが壊れたときに、オンザエッジのプリンタ借りたり)けど、不義理をしてしまったのは僕のほうだった。
勿論、僕のようにすぐにゲーム業界に見切りをつけて、転向した者はいいんだけど、その後も、ゲーム業界に残った人たちはどうしたんだろうか。
よく考えてみれば、ゲームというのは、家庭用、業務用(ゲーセン用)、オンラインゲーム用、携帯公式用、そしてmixiアプリ用など、一言で同じゲームといっても、作る側から見れば、似て否なるものだ。
家庭用ゲームはパッケージ1個=3000円なら3000円で、その分がっつり遊ばせるために作る。業務用は、1分か、2分位遊ばせて、もう少しやっていれば・・・と思わせて、もう100円コインを使わせるのが目的だ。オンラインゲームはとにかく、その世界観にどっぷり浸ってもらうように(ようするに中毒になってもらう)ようにつくるのがコツだ。また、携帯公式のゲームは月末から月跨ぎで、イベントかなんかを盛り上げて、契約を解除されないようにするということが大事だ。そして、mixiアプリでは、とにかく、毎日通わせて、画面で何かをやらせることが目的だ。
勿論、それぞれのビジネスモデルが違うところからくる差なのだけど、ゲームディレクタの方々が長年ゲームを作り続けるためには、そういったパラダイムの変遷を上手く行っていく、つまり、頭の切り替えを素早くすることが求められるんだから大変だろうな。
人間というのはあることで成功すればするほど、その成功体験を捨てるのが難しいものだからね。
逆に、僕みたいにあまり大きな成功しない人生というのは、それはそれでいいのかもしれない。
というわけで、僕の「サンシャイン牧場」はどうなっているのだろうか。見るのも怖い今日、このごろである。
まさむね

ビートルズ »

[16 2 月 2010 | 2 Comments | | ]

少し前の話だが、あのジョンレノンミュージアムが閉鎖されるというニュースがあった。
3万人の入場者で、年間1億円の赤字というのは、やはり地代がたかかったからなのだろうか。一日100人、1時間10人か...
正直、残念だ。僕はビートルズファンを自認していながら、恥ずかしながら一度しか足を運んだことがなかった。
勿論、すばらしい場所だ。何よりも、そこに行くとビートルズファン、そしてジョンレノンファンが必ず居る場所がさいたまに存在しているというのが嬉しかった。
いつでも行けるというのが逆に、足を運ばなかった理由だといったら少し言い訳に過ぎるだろうか。
しかし、敢えて、難を言わせていただくと、あの場所には「聖人・ジョンレノン」はいたが、「ビートルズはなかった」というのが僕の見方だ。
あのミュージアムの根本的な物語は、「両親から捨てられて不良少年だったジョンが、ビートルズで成功して世界のアイドルになったが、心が満たされず、ヨーコと知り合うことによって本当の自分に出会い、世界への愛に目覚めた」だったように思うのだ。
勿論、ヨーコ自身の芸術家としてのセンスとかには僕も感心するところ大である。例えば、あのミュージアムに存在する「いつヨーコからかかってくるのかわからない電話」とか、「双方とも白で勝負の着かないチェス」とか、「すべて半分しかない机と椅子」とか、そしてかの有名な、「上がっていくと天井に『yes』と書いてある階段」など、僕も大好きだ。
それに、毎年、12月になるとコンサートのパブリシティに訪れるヨーコをテレビで見るのは楽しみである。今年も、金スマとかスマスマなどの番組はいつもは見ないのだが、ヨーコがでるというだけでチャンネルを合わせてしまった。
しかし、一方で、ヨーコには決してわからなかったビートルズの音楽もあったのではないかというのが僕の勘だ。しかし、ファンにとってみれば、その部分がもっともジョンレノンらしい部分でもあったのでもある。
いずれにしても、四捨五入するとジョンレノンミュージアムの閉館は本当に残念である。
それだけは真実だ。
まさむね

書評 »

[15 2 月 2010 | No Comment | | ]

最近たまたま読んだ三冊について、以下にその感想を書きます。いずれも「これから」を考える上でのヒントのひとつになるような本かな、と。その意味で三者三様、いずれもマイナーではありますが、ひとりひとりの傾斜角での視点に基づく、「三斜・三様」の本たちだと思います。あえてここで強引に内容を共通化して言ってみると、従来の「持てるもの」の時代が終わりを迎え、これからはいかに持たないで生きてゆくか、その工夫が鍵になる、ということでしょうか。
「オーガニック革命」(集英社新書、 高城剛)」
高城さんの主張は一貫している。まずここで言うオーガニックとは、単に有機農業などへの食品嗜好を意味するのではなく、もっと広く「個人の意識のあり方や態度から発信される行動様式」と定義。そして市場万能主義と金融グローバリゼーションが崩れたいわゆるリーマンショック以後を見据えて、効率化モデル・アメリカ的価値観の終わりの後に来るものとして、オーガニックのムーブメントを位置づけている。それを自身が住んでいたロンドンの先駆事例に基づきながら紹介している。
「次」に向けて、ロンドンが、世界がもう変わり始めている、と。そして、このオーガニックには「行き過ぎた資本主義へのアンチテーゼがある」のだ、と。以下、面白そうな論点。
・これからは、働く場所(第一の土地)、住む家(第二の土地)以外の第三の土地をいかに発見するか、である
・できるだけモノを持たないのが21世紀的発想になる
・都市システムを解体することが、21世紀的な行為になるのではないか、等々
またこれは高城さんが以前から書いていることとも符合していると思われるが、「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン著)に留まらず、これからはますます世界がリキッド化(液状化)に向かうとして、その中で自らより強く「ハイパー・ノマド(遊牧民」として生きてゆくことを宣言してもいる。高城さんの視点は、先の著書「サバイバル時代の海外旅行術」(光文社新書)にも代表されるように、変化が激しく見通しにくいこの時代を漂流してゆきつついかにサバイブしてゆくかに主眼があるともいえるだろう。
「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書、佐々木俊尚)」
 タイトルからはややショッキングに思えるかもしれないが、佐々木さんの主張も決して大げさなものではなく、ある必然をもって新聞とテレビという既存メディアがこれから確実に衰退に向かうことを描写してゆく。その基調にあるのは、従来前提とされていたマスメディアが明確に終焉を迎えつつある、というある意味でオーソドックスな時代認識だ。
 そして、メディアの流れ(流通)を、コンテンツ・コンテナ・コンベヤという三層モデルで考えた場合、従来のメディアは垂直統合でこの三層を押さえていたのだが、ネットビジネスの登場等でそのモデルが完全に崩れつつあり、次の時代の覇者は、コンテナなどのプラットホームを握るものにこそ優位権があるという考え方。
そのような近未来的なプラットホーム争いのなかで、キンドルのアマゾンやユーチューブ、グーグル、アップル、リクルートなどの新興企業の登場と戦略が併行して語られてゆくのだが、上記の考え方もふくめてベースとなるものは古典的な見方にそったものだ。
これはしばしば言われたことだが、過去の歴史において最終的に石油の利権を制したのは、石油の採掘権を握った者たちではなく、その石油を輸送する手段(その当時は鉄道)を握ったロックフェラーたちだったという事実。つまりいくら石油が取れても、運ぶことができなければ石油もただの水以下だということ。
大事なのは昔も今も運ぶ手段網(流通経路の根幹となるネットワーク)にあるのだ、ということ。佐々木さんの考えもある意味でそのような考え方を忠実に踏襲しているといえるだろう。そして2011年に行われる完全地デジ化と情報通信法の施行が、日本の新聞社とテレビ局に対して従来の権益モデルをつき崩す決定的なトリガー(引き金)になると見ているのだ。
「未来のための江戸学」(小学館101新書、 田中優子)」
 著名な江戸学者によって、時事風の主題をまじえながら、江戸時代からこの今を考えるということ、現代が江戸の優れていた点とどんな風に交差することが可能かを未来の視点から考えようとしている、と言ったらよいだろうか。
 ぼくは日本の歴史に明るくなく大した知識など持っているとは言えないのだが、このような著書を読むと、過去の歴史というものを今の視点で括ってしまってなんとなく分かった気になっていることが往々にしてありはしないか、反省させられるような気がする。本当の歴史とは今ぼくらが聞いて知っていたものとはおよそまったく異なるかたちだったのではないかというようなことだ。
以下に、田中さんのフィルターを通した指摘の幾つかを示してみる。江戸時代とはどんな時代だったのか。
・江戸時代の職人たちは、100年や200年ももつ道具や建築物や紙や布を作ることを誇りにしていた
・江戸時代の商人倫理は過剰な利ざやを稼がないことが、信用を得ることだった
・江戸時代の森林伐採の禁止は、環境保全と経済成長を両立させようなどというむしのいい発想ではなく、むしろ「すたり」(無駄)をなくすことによって、健全なサイクルを作り、誰もが貧困状態にならないよう世の中を経営するという考え方に基づいていた
・江戸時代には、「始末」という考え方があり、これは始まりと終わりをきちんとして循環が滞らないようにすることだった
・江戸時代の「経済」という言葉は、国土を経営し、物産を開発し、都内を富豊にし、万民を済救するという意味であった
・安藤広重の「名所江戸百景」によると、江戸という都市が単に活気に満ちた騒がしいところなのではなく、静かでゆったりして、実にのびのびとした空間であったことがありありとわかる
・縄文時代後期から始まって江戸時代中期に完成した水の管理システムは、本来は至るところ急流になっている日本の川を制御して、降った雨が大地のすみずみまで滲みこんで潤しながら、むしろゆっくり流れるようにすることだった
これなどは正にダム建設中心で推移してきた日本の治水システムを見直そうとしている昨今の民主党の施策のずっと先を行っていたようなものとも言えるだろう。また江戸のゆったり感というのも、当時今のような高い建物などがなく、いろんな場所から富士山を見ることができたことを想うと、江戸が水の都市と呼ばれ、かつ視界がひろびろとしていたことが当たり前のようにまざまざと想像できるように思える。さらによく言われる鎖国というものが実は後で作られた言葉に過ぎず、鎖国によって国を閉ざしていたわけではなく、今でいうグローバル化のなかで選択された施策であったことなども田中さんの論点によって明らかにされてゆく。そして「分」をわきまえ、配慮と節度で対応していた江戸時代の人たちの心構えのようなもの、人との関係としての「框」の構造の意味、等々。
別に江戸時代の昔に返ればよいということではないし、古の昔が良かったというわけではない。ただ未だに成長神話に頼らずには生きていけないような、一本調子の基調のみを求めたがる現在の風潮に対して、江戸時代が持っていた「循環(めぐること)」の価値観に基づく考え方には、どこか一筋縄では行かない奥行きの深さを感じずにはいられないし、今を生きるヒントの一つとなり得る示唆に満ちているようにも思えるのだ。
いずれにしても、戦略ということを含めて、何を持ち、何を持たないか、その取捨がこれからとても大事になるように思える、そういうことを示唆してくれた三冊だった。
よしむね

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[14 2 月 2010 | 2 Comments | | ]

先日、友人と建国記念日について話をしていたら、2月11日は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」であることを教えてもらった。
しかも、そこにはこんなイワレがあるという。
Wikiから引用。
「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。
なるほど。ようするに、建国記念日の建国記念と日の間に「の」を入れることによって、2月11日=紀元節=戦前の軍国主義といった連想を、一応断ち切り、各方面を丸く治めたのだ。これぞ、わけがわからないが、日本人の知恵というものだ。
僕は、近年、はやっている、「Win-Winの関係」というような言葉に対して、微妙な臭み(偽善)を感じるが、それに比べると、この三方一両損的な落とし方にはなんかしっくりとくる。これは自分が日本人だからであろうか。
そうだ!これからこの「建国記念の日」は、その「の」が入った日として、日本人らしさに思い致す日にしようではないか。
それで思いついたのだが、靖国神社も、「靖国の神社」とすれば、いいのかもしてない...って、それじゃあ、中国や韓国は納得しないかっ。
まさむね
※靖国=国家を安泰にすること

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[13 2 月 2010 | No Comment | | ]

先日、馬込の湯殿神社の狛犬を見て、またぞろ狛犬に目覚めだしてきた。
そういえば、最近、ちょっと神社の狛犬が気になっているというエントリーをアップしたのがちょうど一年前の2月だったのだ。
思い返してみて、サイトを眺めてみると、さまざまにおもしろい狛犬サイトがあった。ほんの一部だが、紹介させていただく。

狛犬ネット
神社探訪・狛犬見聞録
狛犬軒
狛犬の杜
狛犬探検隊

家紋もそうだが、狛犬というのも奥が深いのである。もともと、狛犬の歴史は大陸から始まったらしいが、日本で独自に進化したようだ。
特に、神社の参道に石像が建てられるようになったのは、比較的に新しくて江戸時代とのことだ。
狛犬深度はまだ浅い僕ではあるが、見立てでは、江戸時代の狛犬は両手を地面についた、比較的に筋肉を感じさせないものが多いようだ。
まだ、「これが狛犬」といった認識が共有されていなかったためか、今見ると、ユニークでユーモラスな顔をしたのが多いのだ。画像は井の頭公園の弁財天で撮影した明和の狛犬である。
また、明治、大正時代の狛犬には、子供や鞠などの小道具が目立つようになる。顔のユニークさは残っている。ページの冒頭の画像は先日、湯殿神社で撮影した大正時代の狛犬の子供だ。
昭和に入ると、狛犬の背筋が伸び、筋肉も隆々になる。国威発揚の場としての神社の象徴という意味なのだろうか。
そして残念なことに、戦後の狛犬は、バランスもよく、美しく、芸術性は高いが、画一的にも感じる。これはこれで時代の流れなのかもしれない。
これからは、墓マイラーとしてと同時に、狛犬ウォッチャーとしても歩き回ってみようか。
まさむね