プロットです
これは「短編集のプロットです」
風林火山
『予定の時間が来ました。今日はこれで終わりにしましょう。損害レートから換算すると、私の負けですね<マイド>』
マイドが、士官学校の戦術シミュレーション研究会で行われている艦隊戦シミュレーションのソーシャルウィンドウに打ち込んだメッセージを見て、チャマーは少し驚き、そして怪訝に思った。
……マイド先輩のユニットの数は、確かに今の時点で計算すれば負けている。しかし、あと数ターンもすれば、俄然マイド先輩の方が有利になるだろう。
敵はユニット数こそ多いが、すべて生産ポイントが低い廉価版ユニットで耐久度も低い。次のターンでマイド先輩の主力部隊と当たれば、まず支えきれない。数ターン後には敵の戦線の中央部は完全に突破され、この戦いは、マイド先輩の勝利で終わるはずなのに……。
マイド先輩の戦い方は、こういった、実にあっさりとした潔さを見せるときもあれば、誰が見ても『こりゃダメだ!』と投げ出すような状況でも、粘りに粘って形勢逆転に持ち込んだりすることもある。
……この、潔さと粘り強さの違いは何なのだろう?
しばらくすると、ソーシャルウィンドウにマイドの対戦相手からのメッセージが浮かび上がった。
『予定時間内の戦況は私の勝ちですが、これがもし本物の艦隊戦なら私が負けていたでしょう。実際の戦場には制限時間はありません<ユイ>』
『確かにそうかもしれません、しかし、制限時間もまた条件の一つです。面白い戦いができました。またお手合わせ願います<マイド>』
『そう言ってもらえて感謝しています。では、またお会いしましょう<ソロバン元帥・ことユイ>』
マイドの対戦相手だった「ソロバン元帥」というニックネームがついている、ユイという人物は、感謝のメッセージを残し、シミュレーションサーバーへのリンクを切った。
チャマーは思わずマイドにメッセージを送った。
『あと数ターンで戦局は大きく変わったと思われます。ゲームの予定時間には明確な規定はありません。参加する人間どうしの便宜的な取り決めでしかありません。それを理由に勝ちを譲ったのはなぜですか?<水星>』
<水星>と書いて「みずぼし」と読ませる、これがチャマーのハンドルネームだった。
同じ士官学校の中にいる生徒同士であったが、シミュレーションの中ではハンドルネームで呼び合う。それがこの研究会のルールだった。
一呼吸ほどの間があってから、マイドの返答が来た。
『明日は平日だけど、僕たちの分隊はこの間の戦闘訓練の代理指定休日だ。だから何時までこのシミュレーションサーバーにいても平気だけど、世間の人は明日仕事だからね。
このシミュレーションで、僕たちが戦っているのはプログラムされた人工知能じゃない。すべて人間なんだ。そのことを忘れちゃいけない<マイド>』
そのメッセージを読んだチャマーは少し驚いた。
……シミュレーション画面の中で行われる艦隊戦のことだけじゃなくて、それを指揮している相手のことまで……それも、性格とか作戦行動のクセとかじゃなくて、社会的な立場まで、この人は考えているんだ。
なぜ、マイド先輩が、ときとしてあっさり潔く身を引き、ときとして粘り強く何時間も戦ったりするのか、その理由がわかった。
それは、全部、相手の人の申し出てきた時間を優先するためなんだ。
でも……そんな風に相手のことを大切にして扱っても、相手はそれを当然のことだと思っているかもしれない。
チャマーは小さくうなずくと、メッセージを送った。
『そう考えているのは先輩だけで、相手はそんなこと考えていないかもしれません。だとしたらそれは無駄なことではないでしょうか?<水星>』
マイドの返事はすぐに来た。
『無駄じゃない。そうやって人を大切にする人々が集まる場所は、人を呼ぶ。誰だって人から大切にされたいし、人を大切にしたいと思っているんだ。中には心を病んでいるような攻撃的で自己中心的な子供のような人もいるだろう。だとしたら、大人である人間は、もっと大人にならなくちゃいけないと思うんだ<マイド>』
その返事を読んだチャマーは思った。
……マイド先輩は大人だ。
きっと、このシミュレーションに参加している誰よりも大人かもしれない。
この艦隊戦シミュレーションのシステムは、マイド先輩が士官学校に来るずっと前からあって、一般公開もされていたのに、外部アクセスはほとんどなかった。それが、マイド先輩が研究会のリーダーになってから、すごい勢いで参加人数が増えたそうだ。
……その理由がわかったような気がする。
メッセージは続いていた。
『来月の帝国建国記念日には、年に一回主催されるマルチプレイヤーによる総力艦隊戦シミュレーションが行われる。君と僕は同じ軍に所属することになると思う。よろしく頼むよ<マイド>』
『はい、こちらこそよろしくお願いします<水星>』
あわててメッセージを返しながらチャマーは考えていた。
……建国記念日の総力戦か。
それは士官学校が一般の人々に開放され、家族や友人、そして帝星の人々が日頃の訓練の成果を見学に来るイベントであり。要するに士官学校の文化祭のようなものである。
マイドたち艦隊戦シミュレーション研究会の花形は、今までのようなせいぜい一万隻の艦隊が動かせる程度の模擬戦闘シミュレーションではなく。外部の大型サーバーをレンタルしてその中に桃星回廊のテクスチャーを忠実に再現し、そこで行われる大規模艦隊戦のシミュレーション戦闘だった。
これは一人のプレイヤーが二十隻の艦隊を指揮する司令官となり、その艦隊を五個集めた艦隊を指揮する艦隊司令官、そしてその艦隊司令官をまとめた連合艦隊司令官、そしてそのすべてを統括する総司令官が、という本物の艦隊戦を戦うときと同じ組織を二つ作り、その大艦隊が桃星回廊でぶつかる、といういわば本当の図上演習である。
本物と違うのは、ユニットの戦闘力や移動力などの数値が簡略化され、完全にゲーム化されているという点と、プレイヤーが一般のゲームマニアである、という点だけであった。
……きっと、たくさんの参加者が集まって、賑やかな戦いになるんだろうな。今から楽しみだ。マイド先輩の足を引っ張らないようにしなくちゃな。
そして、その建国記念日の総力戦イベントは、開始と同時に大混乱となった。
レンタルした外部のサーバーに何者かが事前に細工していたのである。
「僕とチャマー以外の他の参加者のユニットは、誰もこのゲームワールドにリンクできないだって? なぜだ! なぜそうなったんだ?」
マイドの驚きに、ヴァルゲインが恐縮したように答えた。
『断定はできませんが、これはどこかの組織の工作かと思われます。おそらくサーバーのシステムに事前に侵入口を作ってあったのでしょう。ゲーム開始直前に条件コードが書き換えられております』
「そんな組織が、なぜこんなゲームに関わっているんだ? これはいわば遊びだ。本当の帝国軍とは、何の関係も無いイベントだぞ」
『確かに遊びでございます。しかし、実に注目度の高い遊びでございます。現役の帝国士官学校の生徒が主催するシミュレーションゲーム。それも桃星回廊における帝国とローデスの戦いを模したシミュレーションとなれば、これは帝国の威信がかかっております』
マイドは勘弁してくれ、という風に小さく首を振った。
「やめてくれよヴァル。このイベントは帝国士官学校とは無縁である。という念書も書かされて、そして外部のレンタルサーバーまで使わされたんだぞ。ただの戦争ごっこだと馬鹿にされているんだ。帝国の威信も何もあるもんか」
『世の人々はそんなことを知りません。もし、ここでマイド様たちが負ければ、嬉ぶ人間たちがいるということです。それが誰なのかわかりません。もしかするとローデス軍かもしれませんし、マイド様がこのシミュレーションで勝ち続けていることをよく思わぬ者たちかも知れません。どちらにしろマイド様が負けることをその者たちは願っているということです』
「なんとかならないのか? ヴァル」
汎用端末の上に浮かび上がったホログラフのヴァルゲインは、真剣な目でうなずいた。
『この状態を完全にリカバリィする方法は現在点検中です。今の段階でも、なんとか他の参加者のユニットをこのゲームワールド内に読み込むことはできます。しかしそのユニットは完全なる中立艦でございます。ワールド内に存在しますが、一切の攻撃、及び防衛行動は行えません。いわば意志を持って動ける小惑星です。しかも相手には衝突ペナルティがありませんから敵に体当たりしてもダメージが入るのは、こちらのユニットだけです』
マイドは、ヴァルが示した戦闘の条件一覧にすばやく目を通した。
「戦力比は二対三十……つまり、僕と水星対三十倍のフルパラメーターのユニット……そしてロストペナルティのレベルは最大。つまり修復不能で沈んだらそれで終わり、データは消去される、というわけか」
マイドは難しい顔のまま考え込んだ。
……この総力戦シミュレーションに参加する各プレイヤーのユニットは、この日のために、今まで経験値を積み、勝利ポイントを改良と装備改変に割り振ってパラメータを上げてきた大切なキャンペーンユニットだ。
今日はお祭りイベントだ。だから各プレイヤーはここで遊んだ後で、自分のユニットを無事に持って帰れるように、ロストペナルティはこのゲームワールド内のみ、終了時には開始時のデータに復旧して戻すように設定しておいたはずだった。
だが、その設定は変更されてしまった。
今日、このゲームワールドでロストしたユニットのデータは完全に消去される。そして復旧できない。長い間手塩にかけてきたユニットが消えてしまうのだ。
マイドは小さくうなずくと、ヴァルに言った。
「メッセージ入力ウインドウを開いてくれ、今日のイベントに参加を表明していた全員と、水星に今の状況を説明する」
『……と、申しますと?』
怪訝な顔をするヴァルに、マイドはきっぱりと言った
「今日の、この戦いは僕と水星だけで戦う。戦力比が、どんなにかけはなれていても、戦わないわけには行かない。敵は僕たちが逃げることを望んでいる。だからこそ僕たちは戦うんだ!」
そして、シミュレーションワールドの総力戦が始まった。
マイドとチャマーは艦隊を二つに分けて、それぞれに機動力を重視した編制を取って布陣した。
圧倒的多数の敵に対し、集結して防御を固めるのは愚の骨頂である。戦場を選択し機動防御することができるということだけがマイドに与えられたアドバンテージだった。
自分たちのユニット配置が終了し、そしてシミュレーションワールドが目の前に浮かび上がったとき、チャマーは自分の目を疑った。
そこには、一万隻を越える艦艇のユニットが並んでいた。
敵と……そして味方に。
マイドのメッセージが流れた。
『このシミュレーションワールドで戦闘行動及び防衛行動が取れるのは私たちだけです! 他の方は中立艦として一切の戦闘行動が取れません! そこにいるだけで、敵の攻撃を受ければ損傷し破壊されます! ロストペナルティは最大……つまり消去です!
直ちにリンクを解き、ユニットをこのシミュレーションワールドから撤去してください! 敵の攻撃が始まれば、無事ではすみません!』
しかし、そこに浮かんだユニットの持ち主は誰一人自分のユニットをリンクから外そうとはしなかった。
その中の一人が言った。
『俺のユニットがいる場所に敵のユニットは侵入できない。俺のユニットを攻撃して沈ませない限りな……そして、俺のユニットは防衛行動こそ取れないものの、基本防護点ぶんの抵抗値がある。沈めるのにエネルギーや光子魚雷を必要とするということだ……』
誰かのメッセージが後を継いだ。
『そして俺たちを排除しない限り敵は君たちに攻撃を仕掛けることはできない。エネルギーや光子魚雷を消費してしまうからだ……我々は攻撃することでも防御するもできないただの通行人だ。通行人はそこにいるだけ……我々は、ここにいることで君たちの応援をするつもりだ』『それは……どういう意味ですか?』
『俺たちのユニットは城壁であり掘割である。我々はここで敵の攻撃を引き受けてそして沈んでいく。敵の補給を削り、そして疲労させるためにね』
『そんな! 聞いていなかったんですか? ロストペナルティは最大なんですよ? 一度沈んだらもう戻らないんです! 経験値も装備もすべてが失われるんです! 長い間訓練し装備改変してやっとのことで強くしたユニットが、手も足も出ないまま沈んでいくのをただ、見ていることしかできないんですよ? いいんですか?』
『わかっている……だがそれがなんだというのだ? 君たちは負けるわけにはいかないのだろう? 我々も君たちを負けさせたくないのだ……それだけのことだ』
別のメッセージが飛び込んできた。
『今、このシミュレーションワールドには順番を待っているヤツが何百人もいる。みんな、このとんでもない仕打ちを心の底から怒っている連中だ。
我々が沈んだら、彼等が変わりにここに立つだろう。君たちを勝たせるためにここで沈んでいくだろう……だが、それでいい』
『だれかが責任を追うようなことじゃない。これはそれぞれのユニットの持ち主が自発的に考えそしてやってのけたことなのだ、君たちが自分を責める必要も無いし、何事かを感謝しなければならないと決めたわけじゃない』
『しかし……』
なおも抗議しようとするマイドに向かって一つのメッセージが書き込まれた。
『諸君らは我々がユニットを賭けて守るに足りる人物である。戦うべし、そして勝つべし。我らは城壁なり!』
そして、戦いは想像を絶するものとなった。
無抵抗の無数のユニットが、破壊され消滅するたびに、誰かがリンクしてユニットを送り込んでくるのだ。
ユニットは、沈められても沈められても、あとからあとからやってきて、そこに配置され続けた。
業を煮やしたように突っ込んでくる敵艦の前で消し炭のようになって画面から消えていくそのユニットの持ち主が、どれほどの時間と労力をかけていたのか、チャマーには想像もつかなかった。
チャマーははるか昔に人類が作った兵法書の中にある言葉を思い出していた。
……人は石垣、人は城。情けは味方仇は敵なり。
マイド先輩がやってきたことは、この一言に凝縮されているんだな。
そしてチャマーは小さくうなずくとマイドの通信端末にリンクした。
『まず部隊を動かしましょう……風のように速く、そして本体はこの中心で林のように静かにしていればいい。敵のユニットに出会えたら、枯野に燃え広がる火のように即座に戦線を広げて混乱を招きましょう。動かないときは山のように動かなければいいのです』
マイドの返事はすぐに来た。
『そうだね……それが一番大切なことだね……勝とう。僕たちは勝てる、勝たなくちゃいけないんだ!』
チャマーは、あらためて自分たちのユニットの前に立ちはだかり、敵の攻撃を吸収するユニットたちの姿を見た。
……この援軍はあなたが呼んだのですよマイド先輩。
あなたが、モニターの向こうにいる相手を、人として大切にしてきたがゆえに、今、あなたはこの人たちに助けられようとしているのです。
私は、戦術でも戦略でもない、もっと基本的なことをあなたから教わりました。
見ていてください!
そしてチャマーは自分が指揮する水雷艦隊に単縦陣を組ませると敵艦隊に向けて突撃を開始した。
結果から言えば、この戦いにマイドたちは勝てなかった。しかし負けることもしなかった。優勢だったはずの敵は多くの損害を出し、戦線は膠着状態に陥ったのである。
この工作を行ったのがローデス軍の情報部であったことが判明するのはこの後のことであり、それによって帝国士官学校は再び、ひと悶着あるのだが……それはまた別の話である。
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