高橋大輔を支えた謎の人物「T・H」さん
2010年2月21日(日)3時1分配信 読売新聞
銅メダルを手に笑顔を見せる高橋(18日)=増田教三撮影 [ 拡大 ]
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【バンクーバー=吉永亜希子】「子供たちのために使って」――。バンクーバー五輪・男子フィギュアスケートで、銅メダルに輝いた高橋大輔選手(23)が、滑りの手ほどきを受けたのは岡山県倉敷市の小さなスケートクラブだった。
当時クラブは運営費に困窮したが、謎の人物から送られる毎月1万円の寄付で活動を支えた。同封の手紙には「T・H」と頭文字の署名があった。クラブの監督らは教え子の快挙の喜びをともに分かち合いたいと、送り主が名乗り出てくれることを願っている。
高橋選手は同市出身で、小学2年の時、「倉敷フィギュアスケーティングクラブ」に入った。クラブは元女性スケーターの佐々木
佐々木さんは高橋選手の才能に気づき、1日数時間の練習を課した。しかし、苦労したのは練習場所の確保だった。設立当初、クラブは思うように子供たちが集まらず、資金不足に悩まされた。1時間2万円のリンクの使用料の工面にも苦労し、一般の時間帯に他のお客さんに交じって練習していた。
佐々木さんの家に差出人の名前がない茶封筒が初めて届いたのは、5年ほど苦しい運営を続けた後の1999年。開くと1万円が入っていた。その後もほぼ毎月届き、約3年続いた。必ず「子供たちのために使って下さい」とペン書きの便せんが添えられ、「T・H」と記されていた。手がかりはほとんどなく、何で窮状を知ったのか、男性か女性かも分からない。
高橋選手はジュニアの世界でめきめきと頭角を現し、中学2年で世界大会に出場するほど成長。手紙が途絶えたのはその頃という。
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クラブの仲間は世界大会に高橋選手が向かうとき、応援の横断幕を作った。この製作費も、積み立てていた寄付金で賄った。横断幕はクラブから高橋選手のファンの集まりに引き継がれ、銅メダルを決めた18日(日本時間19日)も、コロシアムの一角に掲げられた。
クラブは現在、小学2年〜大学生の約50人。今は高橋選手を出したことで有名になり、資金に困ることはなくなった。佐々木さんは教え子が栄光を手にする瞬間をテレビで見守った。「活動費の限られた苦しい時期に支えてもらい、本当にありがたいと思っています。T・Hさんに直接、会ってお礼を言いたい」と話している。
19日(日本時間20日)の記者会見で、高橋選手も笑顔で語っている。「応援してくださったすべての人たちに、感謝の気持ちを伝えたい」