定型発達者もつらい…かな?

花風社・浅見淳子のブログ

まっとうなセルフ・エスティーム

2009-06-12 07:11:53 | 日記
10日のカタール戦について、田中マルクス闘莉王選手がこう言っているそうです。

=====

「こんな腐った試合、ダメだね」。

闘莉王は鬼の形相と化していた。1―1の凡戦を、あふれる怒りを込めて切り捨てた。「こんな腐った試合、ダメだね。オレらが自分たちで難しくした。個人での打開力とか、すべてにおいて1人1人が考えないと。負け試合だな」。

危機感を募らせる闘莉王はさらに「オレら一度叩かれた方がいいのかもしれない。このまま簡単にうまくいくと思ったらまた(W杯)予選(1次リーグ)敗退するよ」と警鐘を鳴らした。

=====

この状態を「セルフ・エスティームが低い」とみなすでしょうか?
私はそうは思いません。
だってあの試合の日本代表は、本当にダメだったもの。
それをきっちり直視している闘莉王選手の発言にかえって好感を持ちます。
希望がつなげます。

療育の世界では、セルフ・エスティームを下げないことが大切にされます。
セルフ・エスティームが低くないほうがいいのは当たり前。

でも私は実のところ、セルフ・エスティームっていう言葉、
本当はわりと意味が深いんじゃないかと思っています。

セルフ・エスティームって何?
高けりゃいいものなの?

小さい子ども向け療育の本では「ほめる」ことが推奨されます。

でも大人に同じことをやってもいいのかな?
このあたり、成人支援にかかわっている方々にぜひお話を聞きたいです。
ちなみに私は支援職ではありませんが、成人の当事者の方々と対等な社会人として仕事をしていますが
むやみに褒めちぎった経験はあまりありません。
現状を正直に伝えるだけです。

先日読んだ

「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」児童精神科医の現場報告
(古荘純一著 光文社新書)

でも、高すぎる自尊感情の問題について触れられていました。
自尊心が高すぎて、何かに直面したとき脆い子どもが増えているそうです。
この本は全般的に「ほめること」「大事な存在であると知らせること」を重視している本ですが
それでも「高すぎるセルフ・エスティームの危険」にはちゃんと触れています。

本物のセルフ・エスティームって、非現実的な自信があることじゃないですよね、たぶん。
ちゃんと現実を見つめられて前向きな努力ができることなんですよね?

結構最近、この問題を考えています。
そして会う機会のある先生方に、問いを投げかけることもあります。
ニキさんともこのことは、話し合いました。
ニキさんのセルフ・エスティームはとてもまっとうだと感じています。
高すぎもせず低すぎもせず。

そのうちこういう問いかけが、本のかたちにできればなあと思っています。

写真は黒船キティちゃん。
ヨコハマは開港150周年を迎えています。
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