コンフェデ杯もつまらなくなっちゃったし
仕事に専念しようと思ったら
某教職員組合から電話がかかってきました。
ニキさんを講演に呼びたいとのこと。
まず、無理だな。ニキさんは受けないだろう。
話を聞いた瞬間そう思いました。さあ、どう断ろう・・・。
ニキさんも私も
教師の集まりではわりと苦い思い出があります。
まあもちろん、私よりも、
面と向って怒る技能のなかったり、感覚過敏があったりするニキさんのほうがずっとイヤな思いをするリスクが高いわけですけど。
でも私のほうが大変な面もあります。
当日だけじゃなくて、申し込みがあった瞬間からずっと腹が立つ機会が多いし
交渉を引き受けているし、実際に面と向って抗議するのも私の役だから。
講演依頼を受けるようになって数年は、結構ガマンして行っていました、教師の集まり。
でも今年から二人で決めました。「もうやめようよ、教師の集団が主催の講演会は」
必要性があるのは、わかる。でも、効果はあるのかな? 行っても居眠り多いしさ。
講演に呼ぶ前に、本を読んでくれないかな、まず。
あと、障害のある人を呼んでしゃべらすんだから、きちんと配慮してくれないかな。
親の会主催だとイヤな目には遭わないんですね。
NPO等の主催でも、イヤな目には遭わないんですね。
先生たちがメインとなって作ったNPOとか勉強会でもイヤな目には遭わないんです。
むしろこういうNPOとか作っている先生は、地域支援のリーダーで、いい出会いが多くて。
だけど、先生が先生の職域で行う講演会では、なんだかトラブルが多い。
ていうか事前のやりとりから失礼なことも。大人対大人のコミュニケーションができない人が多いんじゃないかな(もちろんできる人もいますよ、少ないけど)。
というわけで今年はまず、ニキさんが某県教育委員会から来たオファーを辞退。
同じ県の自閉症支援の方とお話しする機会があって「ニキさんに断られちゃいました」と言われたので、フォローで事情を説明しました。
そちらに行きたくないわけじゃないんです。教育委員会主催っていうのがちょっと躊躇した理由でして。
申し訳ないけど、教師の皆様は、KYすぎると思います。
障害者(兼自由業者)をスピーカーに迎える準備ができていないと思う。
ある組合の先生は、最初の電話で
「私はニキさんの本読んだことないんですけど、呼びたいという人がいるので」と堂々と宣言。あらま正直。でも威張って言うことじゃないでしょう。民間人の感覚だと、仕事相手に「あんたの仕事は知らないけど今度取引しない?」って相当失礼なオファーなんですけど。たとえば私がどこかの先生に「先生の本は読んだことありませんけど、うちでも書いてもらえませんか?」ってオファーすることは絶対ありません。
私が一人で出かけた神奈川県内の養護学校(当時)では司会の教師が
「本当は藤家さんを呼びたかったけど飛行機代が出ないので近くに住んでいる浅見さんにしました」と宣言。これもまた正直。でも本人の前で、公衆の面前で言うことじゃないでしょう。「この人は第二志望なんです」って。
ある組合の講演では盲学校の先生がアテンド。
誘導の際、ニキさんの腕に触りまくり、あげくのはてに「帽子見せて」と取り上げて帽子をいきなり奪う! 触覚過敏のニキさんは恐怖を感じ、パニックを起こして、その先生の声がするだけで頭をぶつようになってしまった。見ていてかわいそうだった。
その後ニキさんが立ち直ったのは、親の会の人たちがフォローしてくれたから。それと、その先生の控え室への立ち入りを一切禁止したから。
視覚障害の人たちと自閉症の人たちでは必要な配慮が違うんだ!
そんなことも理解せずに自閉っ子を呼ぶのか!
ある養護学校の校長先生は、最初の訓辞で(これがまたいらないんだよな。だいたい内容が空疎)
「私もニキさんの本を借りて読みましたが・・・」
ニキさんすかさず「借りないで買ってください」と突っ込む。
民間人・自由業者の論理がまったくわかってないよね。
こういう人に就労支援ができるのか? 民間企業で通用する人材を育てられるのか?
これまた私が一人で出かけたある支援校の校長先生。
最後の締めで「今浅見先生のお話を聞いて、まことに自閉症は障害ではなく個性だとわかりました」
あのね、二時間何聞いてたの? 障害に決まってるでしょ。だから支援が必要なんですけど。私は二時間そういう話してたんだけど。
っていうか、最初から準備してきたのね、その締めの台詞。こっちの内容とは無関係に。要するに、聞いてないんでしょ。ただ誰か呼んで予算消化したかっただけでしょ。
で、臨機応変ができないのね。もしかして、あんたが自閉じゃない?
昨日の教職員組合の人は「何人ぐらい集まるんですか?」というこちらの確認に
「さあどうでしょう。去年のイラクで人質になった△△さんの場合には○○人くらいでしたけど、ニキさん△△さんほど一般に知名度ないから」
「特別支援学校の先生も声をかけたら聞きたい方は増えると思いますよ」
「うち普通学校ですから、特別支援学校は知りません。ただうちも、特別支援教育のモデル校なんですけど」
わけわからない。
「じゃあせっかくニキさんを呼んでも、たとえば特別支援学校の先生方に声をかけるとか、ニキさんの話が役に立ちそうな人を集めるための方策はとるつもりはないということですか?」
「いいえ、そういうことじゃなくて。ただ一般の人は△△さんほどニキさんのこと知らないだろうということで。まあ一般の知名度がね。それにみんな忙しくてなかなか」
「知名度知名度って、まあ、ニキさんは別にイラクで人質になってないですからね(←皮肉)。そういうことじゃなくてね、私は今、何人ぐらい集まるか、集める方策をとる気があるかどうかを訊いているんです。そちらからのご依頼をニキさんが受けるか受けないか決めるためには、どれくらい集まるか、どういう客層に声をかけるか知りたいのは当然でしょう。ニキさんにとって、講演の場に出てくるのは大変なことなんだから、役に立ててくれる人が多いほうがいいと思うのは当然でしょう。だから、それを訊いているんです」
「ああ、なるほど。またメールします」
しなくていいよ。こんだけ言ってもわからないのか。ほんとにKYだな。
もうメールも電話もしてこなくていいから、「国より大事な憲法」の護持を一生叫んでいてください。
こういうKYな人々が、「社会性」なんか育てられると思いますか?
でも、中にはいい学校もありました。
最初はわかりあえなかったけど、交渉していくうちに、理解してくれるようになった学校や先生方もいました。その実りは大きかった。
数は少ないけれどね。その話はまたいずれ。
今日のキティちゃんは静御前。
きっぱりと落とし前をつけた勇気ある女性でした。
仕事に専念しようと思ったら
某教職員組合から電話がかかってきました。
ニキさんを講演に呼びたいとのこと。
まず、無理だな。ニキさんは受けないだろう。
話を聞いた瞬間そう思いました。さあ、どう断ろう・・・。
ニキさんも私も
教師の集まりではわりと苦い思い出があります。
まあもちろん、私よりも、
面と向って怒る技能のなかったり、感覚過敏があったりするニキさんのほうがずっとイヤな思いをするリスクが高いわけですけど。
でも私のほうが大変な面もあります。
当日だけじゃなくて、申し込みがあった瞬間からずっと腹が立つ機会が多いし
交渉を引き受けているし、実際に面と向って抗議するのも私の役だから。
講演依頼を受けるようになって数年は、結構ガマンして行っていました、教師の集まり。
でも今年から二人で決めました。「もうやめようよ、教師の集団が主催の講演会は」
必要性があるのは、わかる。でも、効果はあるのかな? 行っても居眠り多いしさ。
講演に呼ぶ前に、本を読んでくれないかな、まず。
あと、障害のある人を呼んでしゃべらすんだから、きちんと配慮してくれないかな。
親の会主催だとイヤな目には遭わないんですね。
NPO等の主催でも、イヤな目には遭わないんですね。
先生たちがメインとなって作ったNPOとか勉強会でもイヤな目には遭わないんです。
むしろこういうNPOとか作っている先生は、地域支援のリーダーで、いい出会いが多くて。
だけど、先生が先生の職域で行う講演会では、なんだかトラブルが多い。
ていうか事前のやりとりから失礼なことも。大人対大人のコミュニケーションができない人が多いんじゃないかな(もちろんできる人もいますよ、少ないけど)。
というわけで今年はまず、ニキさんが某県教育委員会から来たオファーを辞退。
同じ県の自閉症支援の方とお話しする機会があって「ニキさんに断られちゃいました」と言われたので、フォローで事情を説明しました。
そちらに行きたくないわけじゃないんです。教育委員会主催っていうのがちょっと躊躇した理由でして。
申し訳ないけど、教師の皆様は、KYすぎると思います。
障害者(兼自由業者)をスピーカーに迎える準備ができていないと思う。
ある組合の先生は、最初の電話で
「私はニキさんの本読んだことないんですけど、呼びたいという人がいるので」と堂々と宣言。あらま正直。でも威張って言うことじゃないでしょう。民間人の感覚だと、仕事相手に「あんたの仕事は知らないけど今度取引しない?」って相当失礼なオファーなんですけど。たとえば私がどこかの先生に「先生の本は読んだことありませんけど、うちでも書いてもらえませんか?」ってオファーすることは絶対ありません。
私が一人で出かけた神奈川県内の養護学校(当時)では司会の教師が
「本当は藤家さんを呼びたかったけど飛行機代が出ないので近くに住んでいる浅見さんにしました」と宣言。これもまた正直。でも本人の前で、公衆の面前で言うことじゃないでしょう。「この人は第二志望なんです」って。
ある組合の講演では盲学校の先生がアテンド。
誘導の際、ニキさんの腕に触りまくり、あげくのはてに「帽子見せて」と取り上げて帽子をいきなり奪う! 触覚過敏のニキさんは恐怖を感じ、パニックを起こして、その先生の声がするだけで頭をぶつようになってしまった。見ていてかわいそうだった。
その後ニキさんが立ち直ったのは、親の会の人たちがフォローしてくれたから。それと、その先生の控え室への立ち入りを一切禁止したから。
視覚障害の人たちと自閉症の人たちでは必要な配慮が違うんだ!
そんなことも理解せずに自閉っ子を呼ぶのか!
ある養護学校の校長先生は、最初の訓辞で(これがまたいらないんだよな。だいたい内容が空疎)
「私もニキさんの本を借りて読みましたが・・・」
ニキさんすかさず「借りないで買ってください」と突っ込む。
民間人・自由業者の論理がまったくわかってないよね。
こういう人に就労支援ができるのか? 民間企業で通用する人材を育てられるのか?
これまた私が一人で出かけたある支援校の校長先生。
最後の締めで「今浅見先生のお話を聞いて、まことに自閉症は障害ではなく個性だとわかりました」
あのね、二時間何聞いてたの? 障害に決まってるでしょ。だから支援が必要なんですけど。私は二時間そういう話してたんだけど。
っていうか、最初から準備してきたのね、その締めの台詞。こっちの内容とは無関係に。要するに、聞いてないんでしょ。ただ誰か呼んで予算消化したかっただけでしょ。
で、臨機応変ができないのね。もしかして、あんたが自閉じゃない?
昨日の教職員組合の人は「何人ぐらい集まるんですか?」というこちらの確認に
「さあどうでしょう。去年のイラクで人質になった△△さんの場合には○○人くらいでしたけど、ニキさん△△さんほど一般に知名度ないから」
「特別支援学校の先生も声をかけたら聞きたい方は増えると思いますよ」
「うち普通学校ですから、特別支援学校は知りません。ただうちも、特別支援教育のモデル校なんですけど」
わけわからない。
「じゃあせっかくニキさんを呼んでも、たとえば特別支援学校の先生方に声をかけるとか、ニキさんの話が役に立ちそうな人を集めるための方策はとるつもりはないということですか?」
「いいえ、そういうことじゃなくて。ただ一般の人は△△さんほどニキさんのこと知らないだろうということで。まあ一般の知名度がね。それにみんな忙しくてなかなか」
「知名度知名度って、まあ、ニキさんは別にイラクで人質になってないですからね(←皮肉)。そういうことじゃなくてね、私は今、何人ぐらい集まるか、集める方策をとる気があるかどうかを訊いているんです。そちらからのご依頼をニキさんが受けるか受けないか決めるためには、どれくらい集まるか、どういう客層に声をかけるか知りたいのは当然でしょう。ニキさんにとって、講演の場に出てくるのは大変なことなんだから、役に立ててくれる人が多いほうがいいと思うのは当然でしょう。だから、それを訊いているんです」
「ああ、なるほど。またメールします」
しなくていいよ。こんだけ言ってもわからないのか。ほんとにKYだな。
もうメールも電話もしてこなくていいから、「国より大事な憲法」の護持を一生叫んでいてください。
こういうKYな人々が、「社会性」なんか育てられると思いますか?
でも、中にはいい学校もありました。
最初はわかりあえなかったけど、交渉していくうちに、理解してくれるようになった学校や先生方もいました。その実りは大きかった。
数は少ないけれどね。その話はまたいずれ。
今日のキティちゃんは静御前。
きっぱりと落とし前をつけた勇気ある女性でした。