定型発達者もつらい…かな?

花風社・浅見淳子のブログ

「勉強ができる」ことは保護要因か?

2009-07-08 08:54:28 | 日記
自閉症には知的障害を伴うタイプと伴わないタイプがあります。
知的障害を伴わない人の中には、学業で好成績を修める方も多いですね。

「勉強ができる」っていうことは保護要因なのでしょうか?
つまり、この世の中を生きていく上で、有利な条件となるのでしょうか?

ならない、とは言えないですね。
ある程度の学歴があると、たとえば履歴書で落とされる確率は減ります。門前払いされることは減ります。
そうなると、世の中がそれほど怖くなくなるかもしれません。

ただし親の世代が知っておかなければいけないのは
これからの時代には「学歴インフレーション」と「職歴デフレーション」が起こりやすく
その結果セルフ・エスティームの揺らぎを経験しやすい社会になるということですね。

大学全入時代を控え、各大学も営業に必死です。
有名大学でも例外ではありません。
だから、親の時代よりいわゆる「有名大学」にも入りやすくなっています。

一方で経済が今のようにシュリンクしていって
非正規雇用が三割にも及び、たとえ正社員になっても企業内のポストが減っていくと
職歴においては親の世代のようにはいかなくなります。

だからこれからは、親から見ると
「いい大学に入ったのに、職業生活ではぱっとしない」子どもが増えると思います。
でもそれは、当たり前なんですね。社会がそういう方向になっている。

ここで親が時代を読めていないと、過剰な期待をかけ、子どもの立場がなくなります。
子どもに学力があったら、とりあえず寿いで
でもあまり過大な期待はしないほうがいいのでは?

先日「無差別殺人の精神分析」(片田珠美著 新潮選書)という本を読みました。
秋葉原の事件もそうですが、「誰でもよかった」系の事件の加害者が
「社会で報われない感を持つ元優等生」であるケースがけっこうあるのですね。
「成績は良かったのに、こんなはずじゃなかった」っていうことですかね。

成績がいいことは有利には違いありません。
でもあったりまえですが、社会で大切なのは学業成績だけじゃありません。
だから成績がいい子をちやほやしすぎるのは危険かもしれません。
でもね
「勉強だけできてもダメ」っていう言い方は、定型語ですね。
自閉圏の人に言うと、誤解される恐れがありますね。

続きは、明日。

今日のキティちゃんはバンカラ早大生。
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