goo

藤子・F・不二雄大全集 第1期 第7回配本 感想

 遅くなってしまったが、以前に予告したとおり、今月からは『藤子・F・不二雄大全集』の感想を、毎月書いていく。今回は第7回配本、これで第1期も後半突入だ。ちょっと前までは刊行開始を今か今かと待ちわびていた気がするが、時の経つのは早い。



・『ドラえもん』第5巻

 「学年繰り上がり方式」編集、今回は1965年度生まれの人が読んだ『ドラえもん』。前にも書いたが、自分の生まれた年はもっと先だ。こんなに分厚い本で5巻も出ても、まだ先は長い。この全集であらためて『ドラえもん』の作品群がどれだけ膨大なものか、実感させられている。
 この巻の単行本初収録作品で特にお気に入りなのは、2話目に入っている「むしめがねにへんしん」。こういうバカバカしい話は大好きだ。最後のコマで、ちゃわんむしジャイアンを放ったらかしてみんなが飛んでいくところは何度見ても笑える。幼年向けの2ページ作品は埋もれていたものが多くてもったいなく思っていたので、こうやって単行本化されたのは嬉しい。欲を言えば、カラーで見たかったところだが。

 単行本初収録作品以外でも、過去の単行本と違いがある話がいくつかあるが、その中では「のび太放送協会」が目にとまった。FFランド版では「NOHK」だった「のび太放送協会」の略称が、今回はズバリ「NHK」になっている。「NHK」が手書きなので、おそらく初出の状態に戻したのだろう。こういう細かいところの仕事がこの全集のいいところだ。
 他には、巻末の特別資料室に「姫子とドラえもんのまんが教室」が再録されたのも見逃せない。合作漫画「ドラえもんの逆襲」の「服を脱いだドラえもん」は非常にインパクトが強い。ドラえもんが「餅」にしか見えない。お遊び企画とは言え、作者が直々に描いているのがすごい。F先生もよくもこんなドラを描いたものだ。
 同じく特別資料室で「ドラとバケルともうひとつ」も紹介されていたが、こちらは突っ込みが足りなかったと思う。迷(?)企画「スターたん生」は、初出版の「ジ〜ンと感動する話」と合わせて完全収録して欲しかった。「ドラとバケルともうひとつ」は、他の月の紹介も不十分だし、全部合わせて復刻して欲しい。全集の一冊としては難しいかも知れないが。



・『オバケのQ太郎』第4巻

 この巻を語るには、何と言っても「国際オバケ連合」復活の話題は避けて通れない。
 旧『オバQ』は、近年まで作品全体が読めない状況にあったので、全集の各巻各話全てが記念すべき復活を果たしたと言えるが、そんな中でもこの話は特別だ。黒人差別問題で抗議を受けて単行本が回収される原因となった話だけに、どのような形で収録されるか非常に気になっていたが、旧単行本からの変更点は「人間でいえば、人食い人種にあたる」→「オバケを食べちゃうオバケじゃよ」の一箇所のみ。この程度の修正で出せるのだったら最初から抗議など突っぱねていればよかったのに、と思わずにはいられない。
 「バケ食いオバケ」がよくて「人食い人種」がNGなのは、実在するかどうかの違いなのだろうが、実に曖昧な線引きだと、この全集における他の「自主規制」も含めて、表現というものの難しさをあらためて考えさせられた。
 堅苦しい話はともかく、「国際オバケ連合」は旧『オバQ』の中でも好きな話なので、あまり原型が損なわれずに復活したのはよかった。「食べてしまえ」のギャグが消されなかった点は素直に喜ばしいし、世界平和を願うオバケたちの姿は微笑ましくて、読んでいていい気分になる。人種差別どころか、人類もオバケもみな兄弟と謳った作品なのだから、これからも広く読まれて欲しい。



・『パーマン』第5巻

 「小学館コミックス」掲載分。この全集ではこれまでで一番薄い本となっている。巻ごとに厚さが違うと本棚に並べた時にやや気になるが、これまでの単行本と違って掲載誌ごとにまとめた結果なので、これはこれで正解だと思う。
 この巻は「くるわせ屋」の収録が一番の注目点だ。てんとう虫コミックスでは1995年の増刷でカットされ、FFランドには最初から収録されなかったいわくつきの作品。「国際オバケ連合」ともども気になっていたが、「バケ連」がセリフ一箇所の変更で済んだのに対して、「くるわせ屋」はかなり多くのセリフが変更されてしまった。元の状態を知っているせいで、読んでいて違和感を覚える。
 一番大きな変更点は、くるわせ屋が狂わせる対象が「人生」になった点だろう。「くるわせ屋」の名前を残す以上、何を狂わせるのかに触れないわけには行かないわけだ。この変更の是非はともかくとして、さぞ苦心して考え出したのだろうなと、ある意味感心してしまった。そりゃあ、頭が狂ったら人生も狂うよなあ。同じ「狂う」という言葉でも、人の頭が発狂するのはダメで「人生」ならOKと言うのも非常に微妙な線引きだ。やはり、自主規制は難しいものだ。

 規制の話だけで終わってしまうのもどうかと思うので、この巻全体にも触れておこう。
 巻頭の「ウラトルPを見たい」は初見。旧『パーマン』は図書館で全話チェックしたつもりだったが、「小学館コミックス」だけ忘れていた。カラーテレビが出てくるあたりに、時代を感じさせられる。この話のような日常エピソードから、「水爆とお月さま」のような重大事件、「エベレスト決死行」の大冒険までバラエティ豊かなところが面白い一冊だった。『パーマン』と言う作品の懐の深さを感じさせられた。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

映画『涼宮ハルヒの消失』感想

 昨日、映画『涼宮ハルヒの消失』の公開初日、さっそく鑑賞してきた。
 劇場は、名古屋駅前(と言うには微妙に遠いが)の109シネマズ名古屋。他に、栄のセンチュリーシネマでも上映されているが、ネットで確実に席が予約できる&レイトショーで落ち着いて観られる109シネマズにした。
 それにしても、東海地区どころか中部ブロック全体で名古屋の2劇場しか選択肢が無いというのはちょっと酷いな。わたしは名古屋に住んでいるからよかったが、岐阜・三重はともかくとして静岡や長野、それに北陸に住んでいる人は大変だろう。日本全体で見ても、テレビ版を放映していた広島や新潟ではまだ上映されていない。アニメの地域格差はテレビだけでなく劇場版にも及んでいるようだ。


 さて、映画本編の感想を述べると、素直に「面白い」と言える出来だった。
 上映時間が2時間40分と聞いて、疲れないかとちょっと心配だったのだが、ほぼ全編にわたってだれることなく観る事が出来た。原作はかなり前に読んでいたので、いい具合に細かいところを忘れていたのもよかったのかもしれない。それに、画面の至るところ、モブの一人一人までしっかり描き込まれているので、下手をするとだれそうな場面でもどこかしら画面に見どころがあった。
 全体として、原作・アニメ両方を含めた作品のファンに対して非常に丁寧に、誠実に作られた作品だったと思う。原作を読んで「アニメになったらどうだろう」と期待、想像していたイメージに違わぬものを見せてくれた。本作の一番の肝である「消失長門」も非常によかった。印象的な場面はたくさんあったが、ここで文字で書いても伝わりにくいだろうからやめておく。消失長門は、原作の挿絵で「眼鏡を描き忘れられる」と言う残念な事があったが、今回は非常に魅力的な「動く消失長門」が観られて、これだけでも映画化した意味はあったと思う。

 また、本作はキョンが自ら積極的に動く話だったせいもあって、とにかくキョンが全編喋りっぱなしで圧倒された。原作もアニメもキョンのモノローグで成り立っている作品なので元からセリフは多かったが、今回は特にすごく、クライマックスの「自らへの問いかけ」は圧巻だった。台本がどうなっていたのか、見てみたいものだ。
 逆にハルヒは、パンフレットによるとセリフの量はテレビ版1回分にも満たなかったそうだが、それでもハルヒの存在感は十分に感じられたので、これはこれで意外だった。ともかく、キョンやハルヒも限らず、声優陣はがんばっていた。「改変」後の世界では、特に消失長門の演技は大変だっただろうが、ちゃんと普段とは違う長門が表現されていた。

 と、ここまで褒めてきたが、それでは悪い部分はあったかなと考えてみると、なかなか見つからない。「期待していたものが観られなかった」という意味では、唯一残念だったのは「SOS団クリスマスパーティー」の本番が描かれなかった事だ。エンディングのタイトルバックに出てくるのではないかと予想していたが、見事に外れた。原作でも描かれていない部分なので、なくても当然なのだが、テレビ版「ハレ晴レユカイ」のEDアニメで1カット登場していただけに、少しは出てくるのではと期待していた。
 他には、わざわざケチを付けるような悪かった部分は無い。「エレベーターで2階分降りるだけの時間が長すぎる」などの突っ込みどころはあるが。昨年「エンドレスエイト」8連発で「もう『ハルヒ』はダメかな」「これで『消失』がダメなら見限ろう」と思っていたが、今回の映画は散々もったい付けられて、待たされただけの事はある出来だった。フィルムブックマーク目当てで27日以降にもう一度観に行こうかと思う。


 あと、もう既に多くの人が言及している事だが、藤子ファンとしてはこれに触れないわけには行かないだろう。何かというと、終盤の「あの展開」だ。あれは、どうしても某ドラえもん映画を連想せざるを得ない。○○を助けに行く場面を描かないところまで同じなのだから、『ドラえもん』の展開を意識して書かれたのは間違いないだろう。
 ある意味「禁じ手」の展開ではあるのだが、ドラと消失、それぞれ違う手法でうまく話を成り立たせており、比べてみると面白い。ドラの方は、あの道具の存在がなければ完全に反則だった。
 映画ドラえもんに胸をときめかせた世代が書き手になり、さらにその作品が映画になって登場したのだから、ドラの方から観てきた身としては非常に感慨深い。しかし、ネタをばらさずにこの件を書こうとすると、案外難しいな。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『ひだまりスケッチ×☆☆☆』ほか1月期アニメ新番組感想

 今日は2月5日。いつの間にか、今年も10分の1が過ぎた。
 色々とゴタゴタしていた昨年の後半と比べると少しは落ち着いてきたが、それでもこの一ヶ月ちょっとは早く過ぎ去った感じがする。


 1月期は昨年10月までに比べるとアニメ新番組が少なかった。
 作品の絶対数が減ったせいなのかどうかは何とも言えないが、1月期の新番組は私にとってはパッとしない印象だ。続編物の『ひだまりスケッチ×☆☆☆』『のだめカンタービレ フィナーレ』などは手堅い作りで楽しめるが、新鮮さに欠ける点は否めない。
 かと言って今まで観てきた限りでは、続編でない完全な新番組の中には、これはと目を見張るような作品はない。オリジナル作品と言う事で『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』には注目していたのだが、どうも「何を見せたいのか」がわからない。ANIPLEXとテレビ東京がこの「アニメノチカラ」枠に文字通り力を入れているらしい事は、毎週異なるCMで第2弾作品『閃光のナイトレイド』の予告を入れているあたりから窺えるのだが、なんだかその力が空回りしているようにも感じる。


 と、ここまで書くのに異様に時間がかかった。大抵は書いているうちにテンションが上がっていくのだが、今日はちょっとつらかった。
 完全新作も続編物もひっくるめた1月新番組全体の中で一つ挙げるとしたら、やはり『ひだまりスケッチ×☆☆☆』なのだけれど、OP・EDが1話に間に合わなかったのは惜しい。昨年末に開催された「ひだまりないと2」で初めて曲を聴き、さらに「映像は制作中ですが、コンテはかなりすごいです!」との話を聞いて期待していただけに、第1話のOPがどう見ても「すごい」とは全く言えない未完成バージョンだったのは残念だった。せっかくアバンタイトルを観て上がったテンションが、OPでガクッと下がってしまった。
 それでも、1期第10話の通称「富士山」のように本編作画が静止画連発になるよりはOP・EDだけ未完成の方がまだマシだが、2期『ひだまりスケッチ×365』では毎回OPの細部を変えるシャフトらしい芸の細かさが楽しかっただけに、今回は第1話・第2話と全く『ひだまり』らしくない寂しいOPを観なければならなかったのはつらかった。
 時間がかかっただけあって、完成版のOPは何度も観返してしまう高い中毒性があるが、これが第1話から流れていれば…とついつい観ながら考えてしまう。BS-TBSでは第1話から完成版のOP・EDが流れたので、地上波版の未完成OP・EDはソフト化されることなく黒歴史になるのだろう。これもひとつの歴史として、保存しておかなければ。
 そう言えば、1クール全13話なのにも関わらず、第10話でようやくOPが完成した悲惨な作品が昔あったな。また、OPが完成していた(DVDに完成版が収録された)のにテレビ放送では最終話まで一部未完成のままで通した作品もあった。あえて、タイトルは挙げないでおこう。あれらに比べれば、第4話でOP・EDともに完成したのはまだいい方だ。

 そんな『ひだまりスケッチ×☆☆☆』だが、本編は先ほど書いたように、もう3期目という事もあって手堅く作られており安心してゆったりと楽しめる。
 新入生の二人がどうなるかが一番の注目点だったが、第4話まで終わって、キャラと声が完全にしっくりくるようになった。第1話の時点ではなずなのセリフが少なかったせいもあって、ゆのと声が被っているんじゃないかと思ったが、キャラクターが確立されてくると違いがはっきりとしてきた。
 また、Bパートが回想になる部分を除けば作中の時系列通りに話が進むようになったが、1期・2期と観てきて時系列シャッフルが当たり前と思うようになってしまったので、これがやけに新鮮に感じる。原作のどこまで話を進めるのかが非常に気になってきた。最終話ははたしてどの話で締めくくるのか、アニメスタッフのお手並み拝見と行きたい。案外、1期最終話のようにアニメオリジナルになるのかもしれないが。
 何だかんだ言っても、やっぱり『ひだまり』にはどっぷりハマってしまったので、こうやってアニメの新作が観られるのは嬉しい。3月まで、これがあれば乗り切る事が出来るだろう。


 でも、しつこいようだが、新番組がパッとしないのは残念だ。これは完全に好みの問題なので、たまたま今期の作品は自分の趣向にあまり合わないものが多いだけなのだろうけど。
 と言ったところで、今日は終わりにしておく。そして明日は映画『涼宮ハルヒの消失』公開。こちらは、待たされた甲斐のある作品になっていればいいのだが。2時間40分の長丁場、ダレる事がなく鑑賞したいものだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

twitterの効能とブログの今後

 ここのところ、ブログの更新頻度がすっかり落ちてしまった。
 別に時間がないわけではなく、それどころか現在はかなり時間に余裕がある状況だ。また、更新するネタがないわけでもない。毎月出ている『藤子・F・不二雄大全集』や、視聴中のテレビアニメをはじめとして、書きたい事はいくらでもある。

 にも関わらず、昨年の秋くらいから更新が少なくなってしまった要因の一つには、twitterでつぶやきはじめた事が挙げられる。以前ならブログで突っ込んで取り上げたようなネタであっても、今はある程度まではtwitterでつぶやくだけで終わらせてしまっている。
 これは、歳を取って体力や集中力が落ちてしまったせいもあるのだろう。ネタにもよるが、ブログのエントリを一つ書くには最低でも一時間はかかる。自分なりに文章や内容に気を遣っているので、人様に見せても大丈夫と思えるように仕上げるには、どうしてもそれくらいの時間は経ってしまうのだ。
 一方、twitterでつぶやく時に気を付けるのは、せいぜい「はずみで変なことを書いてしまわないか」「文字制限に引っかからないか」くらいで、後はほぼ思いついたことをそのまますぐに書いている。140字制限があるので大した事は書かない(「書けない」が正しいか?)が、それでも「ちょっとこれは言っておきたい」と思うことはよくあるので、「今までならブログに書いていた」ようなネタだけでなく、「今までならブログには書かないまま終わっていた」程度の小ネタであっても、「つぶやき」だと思えば気軽に書くことが出来る。いずれにしても、結果として「ブログで取り上げるネタが減る」状態になっている事は確かだ。これは、いい事なのか悪い事か、正直言ってよくわからない。


 それにしても、ブログで取り上げたまま中途半端なままになってしまっているネタが多くなってきた。昨年いくつかはケリを付けたが、まだまだ残っている。特に『ゲゲゲの鬼太郎 [第1作]』や『チャージマン研!』などのアニメ感想は全話の感想を書く事を目標にしていたのに、いつの間にか中断してそのままだ。途中でやめてしまった日記帳のようで気持ち悪い。これでは三日坊主ののび太を笑えないだろう。
 なぜ中断してしまったかと言うと、たとえば『チャージマン研!』感想の場合、AT-Xの更新に合わせて週一回ペースで書いていたら他のネタを扱う余裕がなくなってしまい、中断せざるを得なかったというのが実情だ。週一回、4話ずつの更新にこだわりすぎたのがよくなかった。これは半分近くまでは行っていたので、時期を見て余裕が持てるペースで再開したいと思っている。
 他にも中断したネタや書こうとして書けなかったネタにはそれぞれ理由があるが、これ以上グダグダ言い訳をするのも格好悪いので、このくらいにしておく。と言うか、中断している事自体が既に格好悪い気もするが。


 このブログを今後どのようにしていくか、思うところは大いにあるが、自分に可能な範囲で定期的に更新を行っていきたい。
 もちろん、「書きたい事を書く」と言うこれまでのスタンスは変わらないので、目標は「『藤子・F・不二雄大全集』の感想を毎月書く」くらいにしようと考えている。さっそく今月分から始めるつもりだが、一通り読んでから書くので、実際に感想をUPできるのは発売翌月の中旬あたりになるだろう。
 こんな事をかいてしまって、実行できなかったらかなり恥ずかしいな。週一回ならともかく、月一回だから大丈夫だろうとは思うのだが。

 随分遅くなった「今年の目標」ですが、こんな感じで今年もこのブログをやっていきますので、「あったか〜い目」で見守って頂ければ幸いです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

田の中勇氏、死去

 田の中勇氏が亡くなられた。年明け早々、非常にショックなニュースだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100115-00000598-san-ent


 アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第5作が物語途中で突然終了してしまったのが、昨年の3月。いずれシリーズが再開して続きが観られればいいなと思っていたが、もしそうなったとしても田の中さんの目玉親父の声を聴く事は出来なくなってしまった。第5作の最終話本編が目玉親父による妖怪四十七士「決定じゃ!」で終わっていただけに、もう新たな『鬼太郎』であの声を再び聴けないと思うと、本当に寂しい。

 思い返せば、田の中さん演ずる目玉親父との出会いは、『ゲゲゲの鬼太郎』第2作の再放送だった。
 その後、何年かして新番組として『ゲゲゲの鬼太郎』第3作が始まった。目玉親父は田の中さんのまま。当時は「目玉親父はこの声で当たり前だ」と思って観ており、キャストがほぼ総入れ替えとなった中で一人だけ変わらなかったのがどれほどすごい事か、わかっていなかった。

 そして、大学生の時に『鬼太郎』第4作が放映された。この頃になると「目玉親父=田の中勇」が完全に頭に刷り込まれており、「鬼太郎の声は誰になるのだろう?」とは思ったが、目玉親父が他の人になるのではとは全く思いもしなかったし、実際に田の中さんが引き続き演じていた。
 更には、もうさすがにご高齢だからもしや交替かと思った第5作でさえ、相変わらずの健在ぶりで声を聴かせて下さったし、同時期には『墓場鬼太郎』でも目玉親父役で出演されていた。並行して2つの番組で同じ役を演じるなど、空前絶後だろう。『鬼太郎』というビッグタイトルに加えて、完全に定着した田の中さんの声があってのこそ可能だった事だと思う。


 私は『鬼太郎』が大好きなので、田の中さんの声と言うと目玉親父が第一に頭に浮かぶが、あの特徴的な声はどんなアニメでも聴いたらすぐに分かる。何十年にも渡って現役で活動されていたので、本当に様々な作品でその演技を楽しませていただいた。
 たとえば、『ハクション大魔王』のカンちゃんのパパは目玉親父と対照的に「情けない父親」として印象的だったし、『鬼太郎』からの水木作品つながりで『悪魔くん』のヨナルデパズトーリも忘れちゃいけない。『鬼太郎』第5作では目玉親父とヨナルデの二役までこなす活躍ぶりだったから、まだまだお元気で新たな声を聴かせて下さるものだとばかり思っていた。

 本当に、長い間ありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りします。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 2 )
前ページ