2009年10月26日 00時00分00秒
addictoの投稿
自分の権利にしたくても(後編2)
テーマ:宇宙戦艦ヤマト
「自分の権利にしたくても」は、今回で本当に終わりです!
松本零士が「ヤマト」直後に、「ハーロック」の企画書を立ち上げたのは、

ひとえに西崎支配から逃れて、自分の作りたい作品作りをしたいからで、しかしその場合、松本氏一人ではなく、ヤマトで共に働いた、西崎以外の仲間も勘定に入れていたはずである。
そのうちの一つがスタジオぬえで、アルカディア号のデザインは、同スタジオの宮武一貫によるもである。


また、「西崎抜きで松本先生主導でやりましょうよ」という声がけは、
『宇宙戦艦ヤマト』の劇場再編集版(1977)がヒットして、

翌年の『さらば宇宙戦艦ヤマト』(1978)がもっとヒットすると、

色々なところから、かかるようになる。
それは一つには、永井豪とダイナミックプロから原作者の鞍替えを図っていた東映動画だった。
「惑星ロボ ダンガードA」1977年3月6日~1978年3月26日放映

「宇宙海賊キャプテンハーロック」1978年3月14日~1979年2月13日放映

「SF西遊記スタージンガー」1978年4月2日~1979年8月26日放映

「銀河鉄道999」1978年9月14日~1981年4月2日放映

ちなみに「ヤマト」以前の松本零士のテレビキャラクターというと、1967年8月1日~1968年1月23日放映の実写作品「光速エスパー」が想起されるが、

これは本放送時には、あさのりじが雑誌連載を行い、

↓あさのりじ版の東芝のシャッター絵

松本零士が担当したのは、再放送の時だった。


↓塗り替えられたので、現存数の多い、松本版の東芝電気店シャッター絵

とにかく松本零士と東映動画のコラボは、最終的には1979年の劇場版『銀河鉄道999』に結実し、

同作はその年の邦画最大のヒット作となって、松本零士ブームは一つのピークを迎える。
一方で「ヤマト」のピークは前年の「さらば」で、この79年は劇場用はお休み。
「さらば」で討ち死にしたはずのヤマトクルーをほとんど死ななかったことにして、続編への道をつないだテレビ「ヤマト2」の続きになる、『宇宙戦艦ヤマト/新たなる旅立ち』が、テレビスペシャル(テレフィーチャー)として放送された。

ヤマトといえば日テレ系だったのを、なんと78年に劇場版パート1のノーカット放送したフジテレビが放送し、ここらあたりにも松本作品へのフジの入れ込みようがかいま見えるし、これが後述の流れにもつながっていく。
で、この前も「ハーロック」以外の全ての松本アニメを放送し、この後も東映動画と共同歩調で松本零士を一貫して優遇したのは、フジサンケイグループだった。
これを知ってるのは、私の中学・高校時代(1974~1980)の友人の父が、サンケイ新聞勤務だったからでもある。
とにかく同グループは、「新竹取物語 1000年女王」(テレビ版1981年4月16日~1982年3月25日放映・映画版1982年3月13日公開)を、全社一丸となって全面的にバックアップしたが、

期待したほどのブームにはならなかった。
アニメ界にはすでに次のブーム『機動戦士ガンダム』(テレビ初放映1979年4月7日~1980年1月26日・劇場版1作目1981年3月14日公開・劇場版2作目1981年7月11日公開・劇場版3作目1982年3月13日公開=くしくも「1000年女王」と同日公開)が来ていたし、宮崎駿も『未来少年コナン』(1978年4月4日~10月31日)『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年12月15日公開)でとっくに定評を得ていた。
で、この後の松本アニメは、同1982年7月28日公開だった『わが青春のアルカディア』も、

その後継作のテレビ(放映局はTBS系)『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』(1982年10月13日~1983年3月30日)も低調だった。

というわけで、果たして松本零士作品ならことごとく当たったかというとそう言うわけでもないから、結局できが良くてヒットした作品は、演出家の腕の冴えによるものではないかと言う気もしてくる。
だいたい、『ヤマト』以降の松本零士の原作マンガで、きちんと物語が完結したものを、読んだ覚えがない! かろうじて『999』ぐらいのもんじゃないの?
『ダンガードA』は、結局一度も飛行形態サテライザーからロボット形態に変形せず、

『ハーロック』も『宇宙戦艦ヤマト(「さらば」と「2」に該当する部分)』も、きちんと終わっておらず、ちりばめられた謎の大半は、最後まで謎のままだった。
そうなると、果たして西崎プロデューサーを抜きにしたからといって、「宇宙戦艦ヤマト」の権利は、松本零士一人に帰結するものなんだろうか。
これは2000年前後に、周辺取材をしていたときにも、よく耳にした。
そしていざ裁判になってみると、東北新社が西崎の側についたのは、彼が同社に莫大な借金をしていたからにせよ、松本零士の側に立って、彼を支持してくれる人が皆無だったのも痛かったし、松本氏としてはショックでもあり、裁判的には不利だと感じたことだろう。
いっしょに仕事をした仲間は、西崎氏にも辟易していただろうが、かといって松本氏との共同作業を好んでいたというわけでもなく、何かしらの不満を抱えてはいたわけだ。
スタジオぬえなんかは、そういう不満表明組の一つとして確実視されるが、それ以外の不満組が誰なのかは、当時は見通しがつかなかった。
だけど今にして思えば、演出の石黒昇なんかは、それにあてはまるんじゃないだろうか。
というわけで、『超時空要塞マクロス』(初放映1982年10月3日~1983年6月26日)は、演出が石黒昇、設定とデザインがスタジオぬえということで、松本零士抜きの、ヤマト雪辱戦的色合いが濃かったんではないだろうか?
しかしこの「マクロス」もまた、誰が著作権者なのかを巡って、2001年から2005年にかけて民事訴訟が行われている。
まずは製作会社のタツノコプロが、広告代理店のビックウエストと企画のスタジオぬえを相手取り、著作権はタツノコプロにあると主張して訴訟を起こした。
経済的責任(制作費の支出)を担ったことが評価されて、映画の著作物としての権利は、タツノコプロが所有すると認められた。
また本作のキャラクターデザインとメカニックデザインを巡る裁判も起きている。
今度はビックウエストとスタジオぬえが共同して、タツノコプロを訴えるという攻守が逆転した裁判となり、こちらはタツノコプロが敗訴し、キャラクターデザインとメカニックデザインは、ビックウエストとスタジオぬえの共有であるとの判決が出た。
さらにタツノコプロは、『超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-』『マクロス7』『マクロスプラス』『マクロス ダイナマイト7』『マクロス ゼロ』などについて、同社の関与のないまま類似名称の作品が制作・販売されているとして、バンダイビジュアルやビックウエストを相手取り、名称の使用差止めと賠償を求める訴訟を起こしたが、申し立ては却下された。

協同で作品を作る時、 誰もが自分あってこそと考える。
だけど作品の権利を主張すると、思い通りにいかないことが必ず出てくる。
自分の権利にしたくても、そうなるべきでないものは、必ず何かしらの要因が働いて、そうならなくなるものなんだなと言う話のために、ブログを4回も使ってしまいましたとさ。
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松本零士が「ヤマト」直後に、「ハーロック」の企画書を立ち上げたのは、
ひとえに西崎支配から逃れて、自分の作りたい作品作りをしたいからで、しかしその場合、松本氏一人ではなく、ヤマトで共に働いた、西崎以外の仲間も勘定に入れていたはずである。
そのうちの一つがスタジオぬえで、アルカディア号のデザインは、同スタジオの宮武一貫によるもである。
また、「西崎抜きで松本先生主導でやりましょうよ」という声がけは、
『宇宙戦艦ヤマト』の劇場再編集版(1977)がヒットして、
翌年の『さらば宇宙戦艦ヤマト』(1978)がもっとヒットすると、
色々なところから、かかるようになる。
それは一つには、永井豪とダイナミックプロから原作者の鞍替えを図っていた東映動画だった。
「惑星ロボ ダンガードA」1977年3月6日~1978年3月26日放映
「宇宙海賊キャプテンハーロック」1978年3月14日~1979年2月13日放映
「SF西遊記スタージンガー」1978年4月2日~1979年8月26日放映
「銀河鉄道999」1978年9月14日~1981年4月2日放映
ちなみに「ヤマト」以前の松本零士のテレビキャラクターというと、1967年8月1日~1968年1月23日放映の実写作品「光速エスパー」が想起されるが、
これは本放送時には、あさのりじが雑誌連載を行い、
↓あさのりじ版の東芝のシャッター絵
松本零士が担当したのは、再放送の時だった。
↓塗り替えられたので、現存数の多い、松本版の東芝電気店シャッター絵
とにかく松本零士と東映動画のコラボは、最終的には1979年の劇場版『銀河鉄道999』に結実し、
同作はその年の邦画最大のヒット作となって、松本零士ブームは一つのピークを迎える。
一方で「ヤマト」のピークは前年の「さらば」で、この79年は劇場用はお休み。
「さらば」で討ち死にしたはずのヤマトクルーをほとんど死ななかったことにして、続編への道をつないだテレビ「ヤマト2」の続きになる、『宇宙戦艦ヤマト/新たなる旅立ち』が、テレビスペシャル(テレフィーチャー)として放送された。
ヤマトといえば日テレ系だったのを、なんと78年に劇場版パート1のノーカット放送したフジテレビが放送し、ここらあたりにも松本作品へのフジの入れ込みようがかいま見えるし、これが後述の流れにもつながっていく。
で、この前も「ハーロック」以外の全ての松本アニメを放送し、この後も東映動画と共同歩調で松本零士を一貫して優遇したのは、フジサンケイグループだった。
これを知ってるのは、私の中学・高校時代(1974~1980)の友人の父が、サンケイ新聞勤務だったからでもある。
とにかく同グループは、「新竹取物語 1000年女王」(テレビ版1981年4月16日~1982年3月25日放映・映画版1982年3月13日公開)を、全社一丸となって全面的にバックアップしたが、
期待したほどのブームにはならなかった。
アニメ界にはすでに次のブーム『機動戦士ガンダム』(テレビ初放映1979年4月7日~1980年1月26日・劇場版1作目1981年3月14日公開・劇場版2作目1981年7月11日公開・劇場版3作目1982年3月13日公開=くしくも「1000年女王」と同日公開)が来ていたし、宮崎駿も『未来少年コナン』(1978年4月4日~10月31日)『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年12月15日公開)でとっくに定評を得ていた。
で、この後の松本アニメは、同1982年7月28日公開だった『わが青春のアルカディア』も、
その後継作のテレビ(放映局はTBS系)『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』(1982年10月13日~1983年3月30日)も低調だった。
というわけで、果たして松本零士作品ならことごとく当たったかというとそう言うわけでもないから、結局できが良くてヒットした作品は、演出家の腕の冴えによるものではないかと言う気もしてくる。
だいたい、『ヤマト』以降の松本零士の原作マンガで、きちんと物語が完結したものを、読んだ覚えがない! かろうじて『999』ぐらいのもんじゃないの?
『ダンガードA』は、結局一度も飛行形態サテライザーからロボット形態に変形せず、
『ハーロック』も『宇宙戦艦ヤマト(「さらば」と「2」に該当する部分)』も、きちんと終わっておらず、ちりばめられた謎の大半は、最後まで謎のままだった。
そうなると、果たして西崎プロデューサーを抜きにしたからといって、「宇宙戦艦ヤマト」の権利は、松本零士一人に帰結するものなんだろうか。
これは2000年前後に、周辺取材をしていたときにも、よく耳にした。
そしていざ裁判になってみると、東北新社が西崎の側についたのは、彼が同社に莫大な借金をしていたからにせよ、松本零士の側に立って、彼を支持してくれる人が皆無だったのも痛かったし、松本氏としてはショックでもあり、裁判的には不利だと感じたことだろう。
いっしょに仕事をした仲間は、西崎氏にも辟易していただろうが、かといって松本氏との共同作業を好んでいたというわけでもなく、何かしらの不満を抱えてはいたわけだ。
スタジオぬえなんかは、そういう不満表明組の一つとして確実視されるが、それ以外の不満組が誰なのかは、当時は見通しがつかなかった。
だけど今にして思えば、演出の石黒昇なんかは、それにあてはまるんじゃないだろうか。
というわけで、『超時空要塞マクロス』(初放映1982年10月3日~1983年6月26日)は、演出が石黒昇、設定とデザインがスタジオぬえということで、松本零士抜きの、ヤマト雪辱戦的色合いが濃かったんではないだろうか?
しかしこの「マクロス」もまた、誰が著作権者なのかを巡って、2001年から2005年にかけて民事訴訟が行われている。
まずは製作会社のタツノコプロが、広告代理店のビックウエストと企画のスタジオぬえを相手取り、著作権はタツノコプロにあると主張して訴訟を起こした。
経済的責任(制作費の支出)を担ったことが評価されて、映画の著作物としての権利は、タツノコプロが所有すると認められた。
また本作のキャラクターデザインとメカニックデザインを巡る裁判も起きている。
今度はビックウエストとスタジオぬえが共同して、タツノコプロを訴えるという攻守が逆転した裁判となり、こちらはタツノコプロが敗訴し、キャラクターデザインとメカニックデザインは、ビックウエストとスタジオぬえの共有であるとの判決が出た。
さらにタツノコプロは、『超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-』『マクロス7』『マクロスプラス』『マクロス ダイナマイト7』『マクロス ゼロ』などについて、同社の関与のないまま類似名称の作品が制作・販売されているとして、バンダイビジュアルやビックウエストを相手取り、名称の使用差止めと賠償を求める訴訟を起こしたが、申し立ては却下された。
協同で作品を作る時、 誰もが自分あってこそと考える。
だけど作品の権利を主張すると、思い通りにいかないことが必ず出てくる。
自分の権利にしたくても、そうなるべきでないものは、必ず何かしらの要因が働いて、そうならなくなるものなんだなと言う話のために、ブログを4回も使ってしまいましたとさ。
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