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トーク21

2月14日

この子と出会えて幸せ!

元マラソン選手・タレント 松野明美さん
松野 母としてまず自身が成長を

ヤング・ミセス中央委員長 井田和枝さん
井田 子育て支える家族と周囲の絆


 人生は、うららかな春の日ばかりではない。雪の日も、嵐の日もある――。元マラソン選手でタレントの松野明美さんは、はちきれんばかりの明るさがトレードマークだが、自らの出産と子育てで、人知れず苦労を重ねていた。今回の「トーク21」は、そんな松野さんと、ヤング・ミセス中央委員長の井田和枝さんとの語らい。育児や、母としての生き方をめぐり、二人の心が深く共鳴し合いました。

命に代わる宝はない
 井田 このほど出版された松野さんの『いちばんじゃなくて、いいんだね。』(アスコム)は、感動で、涙無くして読めませんでした。マラソン選手時代の陰の努力も初めて知りました。
 松野 現役時代は、ひたすら勝負にこだわり、1番以外なら2番でもビリと同じと、思っていたほどです。体が小さい(身長148センチ)から人の2倍練習し、それでも勝てなければ3倍、4倍と。まさに“練習の虫”でした。
 井田 それほどまでの厳しい練習があったからこそ、オリンピックにも出場できたんですね。
 松野 引退後、各地のマラソン大会にゲスト参加しても、いつも“ぶっちぎり”で1位に。参加者からは「一緒に走りたかったのに」と言われてしまって(笑い)。そんな私の生き方を考え直すきっかけが、出産でした。
 井田 生命尊厳を説く仏法の教えに、「命というものは一切の財の中で第一の財である」(趣意、日蓮大聖人御書全集1596ページ)という言葉があります。私自身、1歳になる長女の出産・子育てを通して、いろんなことを教えてもらいました。
 松野 陸上で鍛えた私ですから、子どもも健康で生まれると、信じて疑いませんでした。でも、次男・健太郎の妊娠8カ月目に、医師から「心臓に欠陥があるかもしれない」と言われたのです。
 井田 著書に、心内膜床欠損症とファロー四徴症とありましたね。
 松野 生後10日目に「ダウン症」と宣告され、その日から、私にとって“努力だけでは勝てないレース”が始まりました。 

深い愛情 大きな心で
 松野 出産前に羊水検査で分かることは知っていましたが、たとえ「障がいがある」と分かっても、どうすべきか迷うと思い、あえて調べなかったんです。出産後は正直に言うと、何度も“産まなければよかった”と考えてしまいました。
 井田 私は結婚3年目に念願の子どもを授かりました。夫と「どんな子が生まれてきても、私たちの子ども。しっかり育てよう」と話し合い、私も事前の羊水検査を受けませんでした。
 松野 そうした深い愛情、大きな心が大事なんですよね。その点、当時の私は、“健康で明るい”という世間のイメージが崩れることを心配し、ダウン症の次男の存在を隠そうとしました。でも、夫は真正面から現実を見据え、夫の母も「かわいい! 一生懸命、育てていくからね」と。理解ある夫と家族の存在が、どれほど励みになったかしれません。
 井田 世の中には、「障がいのある子」と分かると、育児にかかわろうとしなくなる父親や、自責の念から心の病になる母親もいると聞いています。ご家族が応援してくださった松野さんは、幸せでしたね。
 松野 本当に感謝しています。健太郎が2歳半の時、心臓の手術を受けました。懸命に生きようとするわが子の姿を見た時、“世間から隠そうとするなんて、この子に失礼じゃないか”と思えたんです。公表してみると、近所の人たちから、「健太郎君はお元気ですか?」と声を掛けられるようになり、それまで感じていた世間との壁が、私の思い込みだった気がして、心の重荷が下りました。
 井田 私は、創価学会の多くの先輩に支えられて育ちました。今も、私の娘を自分の孫のようにかわいがってくださる方が周りにいっぱいいて(笑い)。創価学会には世代を超えて励まし合う、家族のような絆があり、子育て世代の若いお母さん方も、地域の先輩からさまざまなアドバイスを受けています。

希望をもち諦めない
 井田 健太郎君は保育園に入る前、児童デイサービス事業所の「こじか園」に通っていましたね。家族だけでなく、多くの人と触れ合う機会を持てたことは、とても大きな意味があったと思います。
 松野 園のことを教えてくれた、陸上部の後輩を含め、関係者の方々に心から感謝しています。園での経験を通して、健太郎以上に私のほうが成長させてもらいました。
 井田 と言うと?
 松野 今も忘れられない、園の先生の言葉があります。それは、4歳の健太郎に対し、「教えてもしかたがないとは絶対に思わないでください」「絶対にできるようになるという希望をもって、あきらめずに教えていけば、絶対にできるようになります」と。
 井田 大人が、子どもの限界を一方的に作り出してはいけない。無限の可能性を信じてあげることが大切、ということですね。
 松野 その通り! 子どもに成長を求める前に、まず自分が成長することです。私は、決して焦らず、子どもの力を信じるようになりました。「10年かかる」と言われたトイレでの排せつも、今はできます。今春、保育園を卒業し、4月からは長男の輝仁と同じ小学校に入学します。
 井田 すごい成長ですね。おめでとうございます!
 松野 ありがとうございます。発育のスピードは健常児の半分程度ですが、母としての喜びに変わりはありません。「人生は人との競争じゃない。苦しくなったら立ち止まって、自分のペースで走ればいいんだ」ということを、私は健太郎から教わりました。
 井田 私たちの人生の師匠である池田名誉会長は、「逆境が人を不幸にするのではない。苦難が人を不幸にするのでもない。自身に敗れて、荒み、歪んだ心が、人を羨み憎む貧しき心が、人間を不幸にするのだ」と教えてくださっています。
 松野 本当にそう思います。私は、子育てで悩んできたからこそ、自身の成長があり、幸福に近づけるのだと強く実感しています。
 井田 うちの娘がもう少し大きくなったら、健太郎君と会わせていただきたい!
 松野 うれしい! ぜひもう一度、お会いしましょう。
プロフィール
 まつの・あけみ 元マラソン選手。1988年(昭和63年)、ソウル五輪の陸上女子1万メートルで日本新記録を樹立。引退後は、スポーツや子育て関連の講演、タレント活動など幅広く活躍している。障がいのある子を育てる奮闘記『いちばんじゃなくて、いいんだね。』(アスコム)が好評。松野明美公式サイトhttp://www.matsunoakemi.net

 いだ・かずえ ヤング・ミセス中央委員長。家事や育児に多忙な20〜30代の母たちへ、温かい励ましを送る。東京・目黒区で支部副婦人部長も務め、地域に友情と信頼の輪を拡大。誠実な人柄と抜群の行動力で、周囲からの人望は厚い。1女の母。東京都出身。
「子どもを笑顔にするために、まずは私たち母親が笑顔に!」――わが子と共に成長する喜びを語り合った松野さん(左)と井田さん
次男・健太郎君と一緒に走る松野さん(新刊本『いちばんじゃなくて、いいんだね。』<アスコム>より)
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