きょうのコラム「時鐘」 2010年2月21日

 100分の数秒差でメダルを逃した、という五輪選手が続出するのを見ると、何と非情な競技なのだろうと思う。そんなわずかな差を実感することは、日々の暮らしではまずない

精密な時計が、差をはじき出す。人が作ったものだから、絶対に狂わないという保証はないだろうが、「今のタイムはおかしい」と文句をいう選手やコーチはいない。計測は正しいという信頼がないと、競技はめちゃめちゃになる

水戸黄門の印ろうに似ている。劇中、ここぞという時に、ご老公一行が印ろうをかざす。相手は悪知恵にたけた代官や商人なのに、それにニセモノの疑いをかけるワルはいない。そろってその威光にひれ伏し、退治される。悪人たちも素直なのである

計測は正確であり、印ろうは断じて本物である。取り決めが守られてこそ、競技やドラマに夢中になれる。そんな当たり前のことに思い至るのは、日々の紙面にルール違反や似た話が絶えないからか

五輪の会場にも、世間の風は吹く。禁止薬物のおきては大丈夫だろうか。悲しいことに、世の中には印ろうの威光などハナにもかけぬ連中もいる。