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2010-02-17

『漢字字源辞典』の「質」の項目について。

→『日経春秋 春秋(2/1) - finalventの日記

→『日経春秋 春秋(2/1) その2 - finalventの日記

→『日経春秋 春秋(2/1) その3 - finalventの日記

finalventさんのエントリを一番初めに見たときはさほど関心をひかれたわけではないが、多少恥を晒したこともあり、「あー、これは山田先生の本も読まないといけないか」と思って購入した。

これね。↓

漢字字源辞典

漢字字源辞典

俺が恥を晒したのはここ。→『「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(2) - hΛlの女好き日記(2010-02-03)

で、俺が恥を晒したことについては、特に言い訳もない。俺が無知で勘違いしていたというだけのことだ。だから、そのことについて恨みを持ったとかそういうことはない。逆に、感謝するべきかもしれないと思っているくらいだ。


ただ、id:h_A_lさんがfinalventさんを批判するやり方が途中から気になりだしたということはある。率直に言って、呆れているところがある。

finalventさんはh_A_lさんの批判を受けて、割と早い段階で典拠として山田先生の『漢字字源辞典』を挙げられた。ということは、この件についての当否はこの本を読むまでは保留だな、と無知な俺としては思った。

この件って何だ。以下引用(太字強調は引用者による)。↓

 また白川静さんか。

 「貝」の形は貨幣の意味を表す。これに音を示すのが「斤」(ギン)。ギンがチに音変化した。元の音の意味は、「直」で「相当する」で、対価の意味。つまり、カネに相当するものが「質」。そこから実体の意味が出て、「質量」などに使われる。

 漢字は象形文字と言われるけど、言語として運用されるときは音価に意味が課せられる(筆談するわけじゃないから。象形文字であっても音価の指標になるだけ)。(ただ、白川学を弁護すれば、漢字の発生字の呪術の解明とも言える。それでも、言語として運用される漢字には関係ない。)

日経春秋 春秋(2/1) - finalventの日記

これが議論の発端で、h_A_lさんもご自身のブログで、繰り返しこの部分を指して批判していらっしゃる。で、山田先生の本を読むまでは、俺もこれの意味がよく分かっていなかったから、finalventさんの説が正しいかどうか判断できなかった。(最初は、h_A_lさんに間違いを指摘されたTwitterのポストのように理解すればいいと考えていたが、間違いを指摘されてから考えを「保留」に修正した。) *1 *2

それで、山田先生の本にはどう書かれていたかということなんだが、ちょっとここに引用するのには躊躇する気持ちがあるのを否定できない。何しろ、この議論の当事者であるfinalventさんがあえて引用されていないからだ。確かに引用すれば話が早い。なのに、なぜそれをしないのか。

これは俺の勝手な想像に過ぎないが、読書体験というものは引用などではなく、やはり実物の本を手にとって見るべきだと考えていらっしゃるのではないだろうか。実際、俺が書店で『漢字字源辞典』を手に取り、「質」の項を開いた時の衝撃というのは、かなり凄まじいものだった。さらに、この本の冒頭の「序」と「漢字研究への入門」を読む前と後では、漢字に対する印象がかなり変わってしまったのも確かだ。(というのは、もちろん俺がそもそも大した知識を持ち合わせていなかったから、ということも大いに関係しているが。)


h_A_lさんの批判の一番大きな点だが、ご本人がまとめられている。上に引用したfinalventさんの文章の強調部分について、↓

この文章の問題点がわかりやすいように書き直すと以下になります。

「質」の字は「チ」の音を持っていて、「直(チ)」の音と同じだから、「質」の意味は「直」の「相当する」の意味になる。

この文章の不可解さについて解明されなければこの議論は終わらないのです

「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(16) - hΛlの女好き日記(2010-02-14)

と指摘され、さらにその後「議論の基礎データ」として、h_A_lさんから見て、finalventさんの瑕疵と思われる点を挙げられている。一部を引用する。

まずは、id:finalvent のこのトンデモ論理の背景になってるのが以下に含まれる図式で、この図式が議論の肝の一つです。

ちなみに、山田氏は、齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)という音変化の例を挙げている。これを見る限り、「斤」=「ギン」が「チ」に変遷するとしか読めないのだが。

(日経春秋 春秋(2/1) - finalventの日記)

そして、この図式に勝手に「質」の字を絡めて、トンデモ論を展開したのが、最初に書いた元エントリの文章です。この文章は、山田氏の考察を書き記したものではなくて id:finalvent 自身の創作です。なぜなら、id:finalvent が前提にしている山田氏作の図式のどこにも「質」の字は出てこないし、以下の id:finalvent 発言によっても、「質」の字の考察は山田氏によるものではなく id:finalvent 独自の創作であることが明らかだからです。

「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(16) - hΛlの女好き日記(2010-02-14)

「以下の id:finalvent 発言」に興味のある方は、元エントリを参照してほしい(もちろん、h_A_lさんとfinalventさんの両方のエントリにあたらなくてはいけないが)。

結局のところ、h_A_lさんの批判のポイントは「(一番最初に引用したfinalventさんの文章の)主張するところに納得がいかない」、ということに加えて、

id:finalvent は自分の勝手な思い込み・解釈と著者が実際に書いたことの区別ができてない。

「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(16) - hΛlの女好き日記(2010-02-14)

と、わざわざ太字で強調しておられるように、「finalventさんのエントリ内容は山田先生の意見をそのまま受け入れたものではなく、finalventさんの創作である」ということだろう。


さて、俺がh_A_lさんの何に呆れているかなのだが、それは、これだけの批判を繰り広げてこられたh_A_lさんが、いまだに『漢字字源辞典』を読まれていないということだ。

すみませんが、引退して?一日中パソコンの前に座ってられる高齢男性と違って、一応働き盛りなもんでこのへんの対応が限界です。読まなきゃいけない中国語・英語・日本語資料30冊ほどキュー状態なんですよ(4月までに消化予定)。文字は仕事関係とネットの記事以外は読みたくない感じです。無尽蔵に時間がある学生や御隠居さんじゃあるまいし、それが普通の社会人じゃないでしょうか。まあそれでも、どうしても読みたい小説などは読むこともあるし、全く仕事の資料以外を読まないこともないんですけど、アナタの言説がそうした労力あるいは金銭を払う価値があるものかと考えるとそうは思えません。また、アナタがそこまで誠実な対応をするに相応しい人かと考えるとこれまでの経緯から考えて甚だ疑問です。なにより、自分の言葉を確認させるために、相手に労力あるいは金銭を使わせるのを当たり前とする考えはどうなのでしょう。その前にすることがあるのではないですか。まず、自分で説明責任を尽くしたら如何か。

「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(10) - hΛlの女好き日記(2010-02-10)

これは、1週間ほど前のエントリの一部(強調は引用者)だが、俺がこの文章を読んで思ったのは、「相手が提示した典拠にあたらないのであれば、判断保留にしておけばいいのに」というものだった。このエントリの時点で分量的にもかなりの批判を加えておきながら、相手の示した典拠にあたる労を厭うということも意味が分からないが、とはいえ、人それぞれの(金銭的・時間的等の)事情もあるだろうからそこを考慮したとしても、これはないだろうという感じだ。このエントリのブクマには「知的誠実さに欠けると判断せざるを得ない」とまで書いた。「根拠はこの本に書いてあるよ」と示されたのに「あなたの言うことは信用できないから、読む気にならない」というのは、俺には理解できない。

その後、

ただし、今の時点で私は件の書を読んでないので 2% ほど留保を残しておきます(笑)。そんなもんですかね。

「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(11) - hΛlの女好き日記(2010-02-11)

とも書かれているので、いずれは『漢字字源辞典』にあたるつもりがあるのだろうかと少し期待していたのだが、どうもそうでもない。

どうして、俺がh_A_lさんが『漢字字源辞典』にあたっていないと見なしているかというと、あたっていれば、少なくとも「finalventさんが山田先生の本を曲解なり思い込みなりで勝手に解釈して珍説を創作した」などということは言えないからだ。なぜ言えないかというと、基本的にfinalventさんの書かれたことは山田先生の本にあることそのままだからだ。

さて、というわけで、finalventさんがあえて引用しなかった意図を踏みにじるかもしれないという危惧はあるが、俺としてはこれ以上見ていられないので、以下に『漢字字源辞典』の「質」の項から引用する。(一部の表記法(丸囲み文字など)を変更し、一部のフリガナを省略した以外は原文ママを心がけた。)

】 チ・シツ(漢) シチ(呉) (引用者注:原書にはここに「金文」と「篆文」の字体が示してある)

[字形]「貨幣」の意味を表す「貝(フリガナ:はい)」と、音を表す「斦(フリガナ:ぎん)」とからなる形声字。

[字音]チ。シツ。「斦」(柄の曲がった斧の二個の形)がこの音を表す。「斦」の音の表す意味は、「直(フリガナ:ち)」(相当する)である。「ギン」の音が「チ」に変わった。齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)

[字義]貨幣に相当するもの、すなわち、抵当に出した物、「しちぐさ」の意。

(延長)ひいて、「物を抵当にして金を借りること」の意味になった。また、しちぐさは金を借りる根本であるから、「もと」(本)という意味がでてきた。

(意味)〔貨幣に相当する物〕(1)しち。しちぐさ。しちにおく(質屋・言質) (2)ひとじち(質子・人質) (3)もの。形のあるもの。実体。(質量・物質) (4)何かの成分となるもの(動物質・蛋白質) (5)もと。なかみ。内容(本質・品質) (6)たち。もちまえ。生まれつき。きじ(気質・素質) (7)じみ。かざりげがない(質素・質実) (8)ただす。問いただす。(質問・質疑)

(参考)「貭」は、質の省略字。台湾や香港に行くと、よく「當」(当)という看板を見かける。質屋のことである。

(『漢字字源辞典』(山田勝美・進藤英幸/角川学芸出版/1995年)188pより)

本当は、凡例についての補足が必要なのだが、ちょっと疲れてきたので、割愛する。それこそ原書を参照してほしい。

この引用から分かるように、山田先生は「質」の字を会意字ではなく、形声字としている。なぜそうしたかということは、原書の冒頭の「漢字研究への入門」にその考え方が少し触れられているが、引用しない。ものすごく簡単に言うと、山田先生は漢字全体に占める形声字の割合を、この本以前のそれよりもかなり多く見積もっている、ということだ。興味がある人は是非読んでみてほしい。

また、音の変化(転化)の例として、finalventさんが示した例と全く同じ例が、「質」の項の中に載っている。俺は、これは「ギン」という音が「チ」に変化しうる例を示したものと解釈したが、ここから、音符としての「斦」と「斤」を山田先生が区別しているか同一視しているか、ま、自ずと明らかと思う。少なくとも、まったく無関係な例をfinalventさんが引っ張ってきて珍説の補強に使った、ということではない。

そして、何よりも「「斦」の音の表す意味は、「直(フリガナ:ち)」(相当する)である」と明記されている。

というか、初めに引いたfinalventさんの文章と、『漢字字源辞典』の内容を比較すれば、「finalventさんが山田先生の本を曲解なり思い込みなりで勝手に解釈して珍説を創作した」という批判が全く当たらないのは明白だ。

という訳で、「「質」の字は「チ」の音を持っていて、「直(チ)」の音と同じだから、「質」の意味は「直」の「相当する」の意味になる」というのは不可解だというなら、山田先生の説そのものがおかしい、ということになる。だから、批判の対象をfinalventさんに限定することは無理。

ちなみに、山田先生が「「斦」の音の表す意味は、「直(フリガナ:ち)」(相当する)である」とした理由は、俺には分からない。そこまではこの本には書かれていない。なぜなら、これは専門家に向けた書かれた本ではないからだ。だから、これ以上知りたいと思ったら、さらに専門的な本なり資料にあたるしかない。それこそ、時間と労力とひょっとしたら金銭をかけて。

ま、「こんなのトンデモじゃねーか」と切り捨てるのもありかもしれないが。


俺としては、山田先生の説が全て正しいと判断したわけではない(『漢字字源辞典』を全て読んだわけでもない)が、結構魅力的に感じている。まだまだ、これから読み込んでみたいと思っているし、余裕があれば他の説との比較もしてみたい。白川静先生の説を否定するつもりもないし、というか、否定できるほどその説を知らない。

俺は自分のことを「無知」と規定しているので、自分にとって未知の知識や知見に触れた時は謙虚でありたいと思っているし、逆にそれに飛びついて丸呑みにすることに対しては慎重でありたいとも思う。その意味では、h_A_lさんが最初にfinalventさんの文章に対して「それ、おかしいんじゃないの」と考えたことも尊重したいと思う。ただ、「finalventさんはトンデモ(インチキくさい?)」という先入観からおかしな方向に批判が向いていった気はする。

あと、俺のこのエントリを読んでしまった人の、『漢字字源辞典』を初めて開いた時の衝撃というか感動を殺いでしまったとしたら、ちょっと申し訳ないとも思う。

*1言語学云々の話は全然理解できなかったし、特に興味もないのでほとんど読み飛ばしていた。なので、その辺の話はお二人のどちらが正しいかとか判断しようもない。

*2:ただ、お二人の議論が全体的にすれ違っているな、議論の体をなしていないな、という印象は持っていた。その辺は俺が、finalventさんのブログを結構長い間継続的に読んでいることもあり、多少贔屓目があるということはあるかもしれない。それは否定しない。

halhal 2010/02/17 15:37 私が『漢字字源辞典』にあたらないことについては以下を参照してください。

h> さて、内容に一言添えておくと、件のエントリですが、これが私だけに向
h> けられたものでない以上、論理の飛躍や文意の不明さは、あれを目にする
h> 全ての人に関わってくる問題なわけで、それゆえに「論理的飛躍の穴埋め
h> をして読者の理解を助ける数行の引用を拒む理由は何もない」、「説明す
h> る義務は この言を公開した id:finalvent にある」と書いたんだけど、
h> 論理的思考力に難があり、なおかつ、虚言癖(ポゴ・レリーチ)の兆候が見
h> られ、対人コミュニケーションに根源的な問題を抱えてると想像される人
h> は、目の前の議論のヒートアップに連られて、公開文書の公正性確保といっ
h> たより高次の問題にまで考えが至らなかったんでしょうね。

元エントリと全く関係のない「革」の字について質問しようとでもいうなら、それこそお門違いでしょうが、元の文章について”誰が読んでも意味不明な箇所”がある以上、”全読者”に負担を負わせず、できるだけ誠意を持って応えるのは文章を公開した著者の責務ではないでしょうか。そもそも、id:finalvent は手元に『漢字字源辞典』があるはずなのですよ? どちらに引用の義務があるかは明白ではありませんか。ここで著者である id:finalvent が引用や説明を拒否するのは「へそ曲がり」、「逃げ」ととられても仕方ありませんよ、「普通の感性」で見れば。判断保留云々も同じ理由で不合理です。

そして、 id:23mm がそういった「非常識な拒絶」を続ける id:finalvent になんの疑問を持たないで、読者サイドの私を批判するのにも、なにか奇妙なものを感じます。「爺の分身か?」と書いたのもそのためなんですが。ちょっと普通の読者の感性と違うようですね。こうして読んでいても第二finalventの書き込みを読んでるような気さえします(笑)

さて措き、

> この引用から分かるように、山田先生は「質」の字を会意字ではなく、形
> 声字としている。なぜそうしたかということは

ああ、このへんは知ってるからいいです。加藤常賢と共著の『角川 字源辞典』には、元々形声字であるが、その後意味の入れ替りが発生して仮借になった漢字が多いとあったと記憶してます。

で、引用のオリジナルはこれですか。うーん、id:finalvent の引用の仕方がまず間違ってますね。
私は id:finalvent の書いた内容から「質」の字を図式に絡めたのは id:finalvent 自身だと思ってたのですが、これを見ると、id:finalvent は山田氏の著書の「質」の字の項目から、内容をそのままコピーしたようですね。それを「山田勝美氏の説によれば」と書かないで、己が説として書き込んでるのがまず不誠実(=ズルイ)ですし、誤解の元になってると思います。id:23mm はこの点、全く id:finalvent を批判しないんですね。ご本人じゃないですよね(笑)

さて、その山田氏の著書からのコピーですが、これもコピーでありながら微妙に違ってるのですよね。山田氏が「「斦」の音の表す意味は「直ち」」と書いてるところを id:finalvent は「これに音を示すのが「斤」(ギン)。」と書いている。その点を指摘したときに以下の答が返ってきました。
F> 音符については斦と書くべきだったが、「近」「新」なども同系で「斤」
F> が充てられるので略した。山田氏も結果的に両者を同一視しているので、
F> そう了解。
これじゃ、山田氏が斦の字を著書に出してたのかどうかさえわからない。id:finalvent が最初に「山田氏の著書からの引用」と断った上で、省略せずに一字一句そのまま書いてれば、読者にももっと意味の通じる文章になってたはずですよ。私は今の今まで山田氏は著書に斦の字を用いてないものと思ってましたよ。

> また、音の変化(転化)の例として、finalventさんが示した例と全く同じ例が、
> 「質」の項の中に載っている。
ああ、あの図式が「質」の項目の中にあるという情報も id:finalvent は「隠し」てたんですよね。あたかも自分の説のように書くために、他人の著作からつぎはぎで引用しないで、最初から「山田氏の著書によれば」と断わって、省略せず一字一句書いてれば、妙な誤解は生じなかったし、それを最初に怠ったのなら、あとから、「実は」ということで、この引用をそのまま書けばよかったんです。id:finalvent は最初のエントリの内容がそのまま山田氏の著書からのコピーだから、引用を躊躇ってたんでしょうね。なぜなら、引用を示せば「完パクリ」だということが露呈されるわけですから。メンツ保持のために、情報開示を拒んだことで、かえって余計にかかなくてもいい恥をかくことになったとは皮肉です。

> ただ、「finalventさんはトンデモ(インチキくさい?)」という先入観から
> おかしな方向に批判が向いていった気はする。
先入観はたしかにあります(笑)。でもそう思ってるのは私だけじゃないようです。しかも、私の場合は、id:finalvent についてけっこうな分量の検証記事がありますから先入観というよりも観察による客観的な判断といったほうがいいかもしれません。なにより「ポゴ・レリーチ」という架空のピアニスト名を出して、クラシック音楽通でございとやる人をマトモに信用する人なんていませんよ。「東トルキスタン」の意味の間違い、ピアノ譜をろくに見たこともないくせに「これはピアノ譜」と言ったことといい、この人は基本的に「知ったかぶり」をする人であるということを、口にこそ出さないものの見てる人は見てますよ。サイレント・マジョリティってそういうものです。
向学心が衰えないのはいいことですが、どこまでが事実であり、どこからが自分の推論であるのか、どこまでが他人の見解であり、どこからが自分の見解であるのか…等、もっと自覚的に考える習慣を持ってないとこの先もずっと同じことを繰り返すでしょうね。

> その辺は俺が、finalventさんのブログを結構長い間継続的に読んでいる
> こともあり、多少贔屓目があるということはあるかもしれない。それは否
> 定しない。
というよりも、id:finalvent 自身だと思ってますが(笑) それとも、あまりにも傾倒しすぎて同化しちゃったのでしょうか。

まあ「第三者」は口を挟まないで、弁明したいことがあれば本人がするべきだと思いますけどね。話が混乱するだけです。

nijuusannmirinijuusannmiri 2010/02/17 18:44 >halさん
コメントありがとうございます。

まず、最初に書いときますけど、俺はこのエントリを書いたことを激しく後悔しています。出来れば全部まとめて削除してしまいたいくらい。あまりにも、徒労感が酷いからです。まー、一度上げてしまったのは取り返しがつかないし、こうしてコメントもいただいたので消しませんが。

次に、俺とhalさんの見解の相違について書きますが、「引用の義務」などそもそも誰にもないと俺は考えます。halさんは「根拠を示せ」とおっしゃり、finalventさんは「この本に書いてあるよ」とおっしゃった。応答としてはそれでも十分であり、著作物を引用までするかどうかは本人次第であって、「引用の義務」などというのを持ち出すのはそれこそ詭弁のように感じられます。halさんは「アナタの言説がそうした労力あるいは金銭を払う価値があるものかと考えるとそうは思えません」とお書きになられていますが、引用を求められる側もそのように思う可能性をお考えになられませんか? 「どうせ通じないから、引用の労力をかける必要はないな」とか。酷い言い方ですが、正直言って俺はそういう風に考え始めていますよ。
「元の文章について”誰が読んでも意味不明な箇所”がある以上、”全読者”に負担を負わせず、できるだけ誠意を持って応えるのは文章を公開した著者の責務ではないでしょうか」というのは、halさんのお考えではそうかもしれませんが、果たして「責務」とまで言えるようなものでしょうか。
逆に、halさんの側に「参照の義務」があるかと言えば、もちろんそんなものもないわけです。ただ、このエントリにも書いたように、参照しないのであれば「相手の主張に対する当否の判断を保留すればいいのに」と俺は考えますが。それが誠実な態度だろうと。もちろんこれも、「義務」なんてものではありませんが。(ああ、そもそもfinalventさんを「誠実な対応」をとるに価しない相手だと見なしていたんでしたっけ。)
俺自身はこれが「普通の感性」と思います。でも、これは見解の相違ということでいいでしょう。

それから、「id:23mm がそういった「非常識な拒絶」を続ける id:finalvent になんの疑問を持たない」ということですが、これは全く違いますね。疑問持ちまくりですよ。俺は『漢字字源辞典』を読んだので、「これを引用したら話は終わりだな」と思ってました。このエントリももっと早目に書くつもりで、というか、書きかけていたんですが、途中で面倒になって一度投げ出していたんです。第三者が口を挟むようなことはやめた方がいいよなということも、言われるまでもなく思ってましたから。
でも、横から見ている俺が我慢できなくなってしまって、つい、このエントリを上げたわけです。繰り返しますが、今は後悔しています。

それから「ああ、このへんは知ってるからいいです」とのことですが、そう思われるのはご自由ですが、そうやって原典にあたらないで済まそうとする態度に俺は呆れているのですけど。「知ってる」という内容が『漢字字源辞典』の内容と同じだといいですね。(このコメントの内容だけでは、同じかどうか俺には判断できません。)

また、「「山田勝美氏の説によれば」と書かないで、己が説として書き込んでるのがまず不誠実(=ズルイ)ですし、誤解の元になってると思います」というのは、「誤解の元」ということは分かりますが、典拠を示した後でもそれは当てはまりますか? 「引用の仕方が間違ってます」って、引用ではなく、山田先生の説をfinalventさんなりに噛み砕いた結果の文章ですよ?
「これじゃ、山田氏が斦の字を著書に出してたのかどうかさえわからない」とか「私は今の今まで山田氏は著書に斦の字を用いてないものと思ってましたよ」というのも、原典に当たっていれば、しなくて済んだ(もしくは修正できた)誤解でしたね。あるいは判断を保留にしておけば、少なくとも俺みたいな人間にとやかく言われることもなかったわけです。
ただ、「全くid:finalventを批判しない」と言われたので書きますが、俺はfinalventさんの説明に不親切なところがあると思ってますよ。この件に限らず。でも、それに対し「もっと丁寧に説明しろ」というのも俺の価値観に照らして傲慢な態度に思えるので、あんまり言いませんが。逆にどうしても不明な点が気になれば、コメント欄なりで尋ねることもありますが、なるべく「こういう理解で合ってますかね」というような形で尋ねたいですね。相手に質問に答える「労力」を払わせるわけですから。

さらに、「ああ、あの図式が「質」の項目の中にあるという情報も id:finalvent は「隠し」てたんですよね」とか「最初のエントリの内容がそのまま山田氏の著書からのコピーだから、引用を躊躇ってたんでしょうね。なぜなら、引用を示せば「完パクリ」だということが露呈されるわけですから」というのは、ほとんど意味不明ですよ。「原典を参照してほしい」ということを繰り返し書かれているのに、「隠し」とか「完パクリ」とかって…。ご自分のお書きになられていることを理解されてますか? 早く原典を参照して、「finalventはこんな重要な事実を隠していた!」とか「実はあのエントリは山田勝美の著作物のパクリだった!(しかも、その著作物は当該エントリに示されている!)」というエントリをお書きになられればよかったですね。
しかし、原典に当たらずに「他人の説を思い込みでねじまげ珍説を創作した」という批判をしていたのに、今度は「隠し」と「パクリ」ですか。なんというか、言葉を失います。
「余計にかかなくてもいい恥をかくことになった」のはどちらなんでしょうかね。

あー、「この人は基本的に「知ったかぶり」をする人であるということを、口にこそ出さないものの見てる人は見てますよ」というのは、俺は「そんなことはない」と言い切れない程度には「無知」なので、その可能性は否定しませんよ。ただ、そうであっても、俺は自分にとって有用な、あるいは興味を引かれる話題にだけ反応してるのであって、興味がない、当否を判断できないことは全て判断保留にしてますから。別にそれでいいんじゃないですかね。もちろん、halさんがなお批判されたいなら、そうすればいいだけです。そうした批判から建設的な議論が生まれる可能性はあるでしょうし、俺にとっても得るものがあるかもしれません。だけど、今回は残念でしたね、と。

「どこまでが事実であり、どこからが自分の推論であるのか、どこまでが他人の見解であり、どこからが自分の見解であるのか…等、もっと自覚的に考える習慣を持ってないとこの先もずっと同じことを繰り返すでしょうね」というのも、そうした指摘がきちんとできるように、是非相手が示した典拠にあたるくらいのことはしていただきたいと思います。強要ではありません。

「というよりも、id:finalvent 自身だと思ってますが(笑) それとも、あまりにも傾倒しすぎて同化しちゃったのでしょうか」は、まー、いいや、どうでも。俺とfinalventさんのことを知っている人はこういうことを言われないと思いますけど。

「まあ「第三者」は口を挟まないで、弁明したいことがあれば本人がするべきだと思いますけどね。話が混乱するだけです」というのは、全くその通りで、こんな徒労感を味わうのなら、やめておけば良かったと痛切に感じてます。

nijuusannmirinijuusannmiri 2010/02/17 19:26 あ、慌てて付け加えますが、俺はfinalventさんとhalさんのやり取りがなければ、山田先生の本に出会わなかった可能性が高いです。
その意味では、halさんは、俺に新しい知見に出会うきっかけを与えてくれた恩人の一人です。その点は非常に感謝しています。本当です。

halhal 2010/02/17 22:48 うーん。もう少し人の文章をよく読んで、それなりに批判していただきたいものです。以下5点ですが、

(1)
> finalventさんは「この本に書いてあるよ」とおっしゃった。応答として
> はそれでも十分であり、著作物を引用までするかどうかは本人次第であっ
> て、「引用の義務」などというのを持ち出すのはそれこそ詭弁のように感
> じられます。

(2)
> halさんは「アナタの言説がそうした労力あるいは金銭を払う価値がある
> ものかと考えるとそうは思えません」とお書きになられていますが、引用
> を求められる側もそのように思う可能性をお考えになられませんか? 「ど
> うせ通じないから、引用の労力をかける必要はないな」とか。酷い言い方
> ですが、正直言って俺はそういう風に考え始めていますよ。

(3)
> 「これじゃ、山田氏が斦の字を著書に出してたのかどうかさえわからない」
> とか「私は今の今まで山田氏は著書に斦の字を用いてないものと思ってま
> したよ」というのも、原典に当たっていれば、しなくて済んだ(もしくは
> 修正できた)誤解でしたね。あるいは判断を保留にしておけば、少なくと
> も俺みたいな人間にとやかく言われることもなかったわけです。


(4)
> 「原典を参照してほしい」ということを繰り返し書かれているのに、「隠
> し」とか「完パクリ」とかって…。ご自分のお書きになられていることを
> 理解されてますか? 早く原典を参照して、「finalventはこんな重要な事
> 実を隠していた!」とか「実はあのエントリは山田勝美の著作物のパクリ
> だった!(しかも、その著作物は当該エントリに示されている!)」というエ
> ントリをお書きになられればよかったですね。

(5)
> そうした指摘がきちんとできるように、是非相手が示した典拠にあたるく
> らいのことはしていただきたいと思います。強要ではありません。


最初に書いた私自身の引用でそれについてのお応えはしています。再掲。

h> さて、内容に一言添えておくと、件のエントリですが、これが私だけに向
h> けられたものでない以上、論理の飛躍や文意の不明さは、あれを目にする
h> 全ての人に関わってくる問題なわけで、それゆえに「論理的飛躍の穴埋め
h> をして読者の理解を助ける数行の引用を拒む理由は何もない」、「説明す
h> る義務は この言を公開した id:finalvent にある」と書いたんだけど、
h> 論理的思考力に難があり、なおかつ、虚言癖(ポゴ・レリーチ)の兆候が見
h> られ、対人コミュニケーションに根源的な問題を抱えてると想像される人
h> は、目の前の議論のヒートアップに連られて、公開文書の公正性確保といっ
h> たより高次の問題にまで考えが至らなかったんでしょうね。

つまり、あそこに公開されてる文章は私だけのために書かれたものではないのですよ。id:nijuusannmiri にはそこのところをよく考えてほしい。もちろん、私が他の読者のことなどを考えるのは本来大きなお世話なのですが、でも、アレが私だけでなく公に向かって公開されてる文書である以上(インターネットってそういうもんですよね)、論理的な飛躍を指摘され意味不明とされる点があるなら、著者が修整を施すなり、注釈を加えるなりして、「不特定多数の読者」の便宜を図るべきでしょう。しかも、何度も書きますが、著者である id:finalvent 自身のすぐ手元に引用元の書籍があるのですよ?

n> そうやって原典にあたらないで済まそうとする態度に俺は呆れているのですけど。

著者が一緒だから同じだと思いますよ。違うというなら指摘すればいいのでは? 原典教の信者でもない限り、そんなところで「原典」は必要ないと思いますが。見知らぬ人に対して何様かと思います。

n> また、「「山田勝美氏の説によれば」と書かないで、己が説として書き込
n> んでるのがまず不誠実(=ズルイ)ですし、誤解の元になってると思います」
n> というのは、「誤解の元」ということは分かりますが、典拠を示した後で
n> もそれは当てはまりますか?

いやまず最初の時点での話です。あれを読んだら誰でも、id:finalvent が自説を述べてると思うでしょう。他人の考えたことをさも自分の考えたことのように書くのを「ズルイ」というんですよ。それが、id:finalventクオリティなのでしょうけど。これについては後述。

そして、典拠を示したと言いますが、山田勝美氏の著書から、どこやらを取ってきたらしいということはわかりますが、どこからどこまでが山田氏の著作からのコピーなのかはあのやりとりの中でさえ明らかにはなってませんよ。明らかにするためには、id:nijuusannmiri が書いたたったの数行を引用するとともに、「ここから全てコピーいたしました」とid:finalvent が「白状」することでよかったんですが、それをやりたくなかったから、小出しに出してたんでしょうね。id:finalvent の人物評価についてはまとめて後述を参照してください。

n> 「引用の仕方が間違ってます」って、引用ではなく、山田先生の説を
n> finalventさんなりに噛み砕いた結果の文章ですよ?

「若」についてさえ間違った知識で誤ったことを書く人にこういうことに立ち入る資格はないと思うのですが。私ならそんなさしでがましいことはしませんけど。一応説明しますね。

山田氏>>>>
「質」
チ。シツ。「斦」(柄の曲がった斧の二個の形)がこの音を表す。「斦」の音の表す意味は、「直(フリガナ:ち)」(相当する)である。「ギン」の音が「チ」に変わった。齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)
<<<<

id:finalvent>>>>
「貝」の形は貨幣の意味を表す。これに音を示すのが「斤」(ギン)。ギンがチに音変化した。元の音の意味は、「直」で「相当する」
>>>>

これは「噛み砕いて」る表現じゃないですから。二つの情報それぞれに何があって何がないか考えてください。

【山田氏の記述】
(Y1)山田氏の説である
(Y2)「質」の字についての言及であることがわかる
(Y3)斦(ギン)が音符になっている
(Y4)斦=直 の意味が「相当する」で等値である。なぜなら「斦ギン⇒チ」
 に音が変化したから。さらにその根拠はということで図式が書かれている。

id:finalvent の元エントリ】
(F1)id:finalvent のオリジナル説として公開(引用元が書かれてないので)
(F2)「質」の字について言及していることはわかる
(F3)音符が「斤」となっている(のちに訂正)
(F4)「斤(ギン)⇒チ」に音が変化  ※オリジナルの文脈は「斦ギン⇒チ」
(F5)ギンの音の元の意味は「直」(相当する)なので、「質」の意味は「相当する」
  これは音符「斦」の元の意味が「直」というのが山田氏の記述。
  この点についての訂正は最後までされなかった。
  また、山田氏が「質」の説明として図式を書いたことはここに書かれていないし、
  それも最後まで説明されなかった。

(1) (Y1)と(F1)の違いは、非常に大きいです。あとになって、id:finalvent は山田説の引用であることを明かしますが。”情報が小出し”なので、どこからどこまでが 山田氏の説で、どこからどこまでが id:finalvent の説なのか非常にわかりにくい。
(2) 【追記】以後の話になるが、山田氏の説が直接「質」の字について述べたものであったかどうかがid:finalventの書き方では不明。追記によって、山田氏作であるという図式だけが示されたが、「質」の字を id:finalvent が勝手にその図式に応用したと受けとめられても仕方ない。なぜなら、id:finalvent オリジナル説として元エントリは提示されているから。またそうした推論に対する反論もなかった。
(3) 「斦」の字が山田氏の著書の「質」の項目に載っていることが、id:finalvent のエントリでは触れられていない。これは音符の話なので重要。
(4) 最後に<strong>この違いが最も重要</strong>なのだけど、山田氏は「斦ギン⇒チ」に音変化したと書いてるが、id:finalvent は「斤ギン⇒チ」に音変化したと書いている。山田氏のような書き方がされていて、なおかつid:nijuusannmiri引用のように「シツ」の音についても触れられていれば、<strong>「質」の字に元々ある2つの音のうちの「チ」のほうの音(去声)の意味の説明</strong>なんだということがわかる人にはわかる。しかし、id:finalvent の書き方だと、「シツ」についての言及がないので<strong>「質」の字全ての意味の説明</strong>と受けとめられる。id:finalvent が今でもその違いに気がついてるか非常に疑問。「質」の音の入声の「シツ」と去声の「チ」は両方とも中古音で zhi と書けるが、四声が入声か去声かで<strong>発音も意味も違ってくる</strong>(通説)。id:finalvent はそのへんの知識が欠けているように見受けられる。私がそのことを書いたとき、「自説」だと書いてたから。入声の「シツ」と去声の「チ」の違いを認識して、「質」の字の「チ」の音の意味の説明だということを明確にするように書くなら、

id:finalvent>>>>
「貝」の形は貨幣の意味を表す。これに音を示すのが「斤」(ギン)。ギンがチに音変化した。元の音の意味は、「直」で「相当する」
>>>>

という書き方にはならない。

山田氏>>>>
「質」
チ。<strong>シツ</strong>。「斦」(柄の曲がった斧の二個の形)がこの音を表す。「斦」の音の表す意味は、「直(フリガナ:ち)」(相当する)である。「ギン」の音が「チ」に変わった。齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)
<<<<

この書き方なら、「質」の音である「シツ」と「チ」のうち「チ」と発音する場合の意味についての説明だという理解ができる。山田氏の(意味)の欄には「ただす」など入声の「シツ」の意味も書かれているが、(字音)と(字義)の説明(=id:finalventの元エントリに相当)では去声の「チ」に関するものだけ書かれている。「シツ」の音については触れられてないので、その意味については言及されていないのだろう。

入声・去声についての知識があって「チ」の説明が入声「シツ」と去声「チ」の二つの音のうちの去声「チ」の説明であるという筋が見通せていたら、こういう「噛み砕いた」書き方にはならなかったでしょう。知識のない人が、勝手に「噛み砕いて」書いちゃいけないということです。知らず知らずのうちに必要なデータが抜けるんだから。id:nijuusannmiri は原典原典と書くのだから、ナマの資料の重要性を認識してるんですよね。勝手に「噛み砕いて」書くことの危険性もわかってると思いますが。

n> さらに、「ああ、あの図式が「質」の項目の中にあるという情報も
n> id:finalvent は「隠し」てたんですよね」とか「最初のエントリの内容
n> がそのまま山田氏の著書からのコピーだから、引用を躊躇ってたんでしょ
n> うね。なぜなら、引用を示せば「完パクリ」だということが露呈されるわ
n> けですから」というのは、ほとんど意味不明ですよ。
n> (…)
n> 今度は「隠し」と「パクリ」ですか。なんというか、言葉を失いま
n> す。「余計にかかなくてもいい恥をかくことになった」のはどちらなんで
n> しょうかね。

いや意味不明じゃないし、「隠し」や「パクリ」と思われて仕方ないのが id:finalvent の過去の行状です。

1)知らないピアニストの名前を出して、さも聴いたことがあるように「凄い」と書いて音楽通ぶる
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20090524.html#p04
2)ピアノ譜を見たことがないために、ただの五線譜をピアノ譜だと言って、これまた通ぶる
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20090823.html#p14
3)東トルキスタンの意味を知らないのに間違った己の知識で誤った由来を堂々と講釈を垂れるように書く
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20090730.html#p08
4)be married は形容詞adjective (結婚している・結婚した結果の状態)なのに 受動態(結婚させられた)だと堂々と講釈を垂れるように書く
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20090916.html#p06
5) ソシュールの au の発音は o なので「ソシュール」でいいのに「ソーシュール」と知ったかで書く
…etc.

id:finalvent の嘘と知ったか振りを挙げたら枚挙にいとまがありません。はっきり言って、id:finalvent は<strong>最低</strong>です。嘘と知ったか振りの例を逐一挙げられて恥をかくのは id:finalvent にほかならないでしょうね。

そして、そういう人が、引用元を書かないで、さも己の説のように書き散らかしたなら、また「自分の手柄」にして大物のように見せたかったのだなと、事情を知ってる人は思いますよ。

さて、私はこれ以上この議論を続けることに気が進みません。だってヘンでしょう? 私とFの議論について、Fの代理人みたいな第三者と私が議論するって。私は削除してもらっても構わないのですが、そのへんは管理者である id:nijuusannmiri にお任せします。

※ 山田さんの著書ですが、併行して漢和辞典で通説を確認しながら読むのがベターだと思います。通説を確認しないで、異説を読むというのは、「面白ければいい」ならいいんですけどね。

nijuusannmirinijuusannmiri 2010/02/18 18:19 >halさん
コメントありがとうございます。

しかし、俺の話が通じていないらしいことに、軽く絶望感さえ覚えます。

俺のことをfinalventさんの信者か何かのようにお考えなのでしょうか。また、このエントリもfinalventさんを擁護するために書かれたとお考えなのでしょうか。もしそうだとしたら、「それは違う」とはっきり申し上げておきます。
俺が、このエントリを上げたのは、今回の漢字の件についてhalさんがなさってきたfinalventさんへの批判の中に、俺の常識に照らして、明らかにおかしい・不誠実と思われる点があり、それを指摘するためです。

以下、いただいたコメントへの応答です。

まず、「公に向かって公開されてる文書」の段についてですが、確かにブログであれTwitterであれ、web上で公開された文書には違いありません。しかし、公的機関でもなく、大手のマスコミでもなく、大手のマスコミに準ずるようなニュースサイトでもなく、Wikipediaでもなく、研究機関でもなく、企業・団体等でもない、単なる一個人が運営するブログにおいて、そこまで「説明責任」を問われなくてはならないのかと考えると、俺には疑問です。いわゆるヘイトスピーチのような言説に対しては、俺もやや厳しい見方をすることがありますが、たとえそういう場合であっても、「説明責任」とは発言した個人の裁量の範囲内で果たされるべきもので、「引用の義務」のようなものは発生しないと考えます。引用するかどうか、あるいは説明するかどうかも、個人の意思(もっと言えば親切心や気まぐれ)によって決められるものです。halさんのように「引用の義務」を果たしていないなどと非難するのは、俺から見ると奇異に思えます。
が、前に書いたように、これは見解の相違ということで結構です。

次の「原典」に関する話が一番重要なのですが、これには後で触れます。

それから、「いやまず最初の時点での話です。あれを読んだら誰でも、id:finalvent が自説を述べてると思うでしょう」というのは了解しました。そのような観点からの批判はありうるでしょうし、俺も理解できます。その後に典拠となる本を示したことで、その批判への対応は終わったと俺は考えますが、halさんがそうお考えにならないということも分かりました。それは繰り返し書いているように、「見解の相違」ということでしょう。

「「若」についてさえ間違った知識で誤ったことを書く人にこういうことに立ち入る資格はない」というのは、ええ、halさんがそのようなことをいずれ言い出すだろうということは予想がついていましたので、だから、このエントリを書くのも一度はやめたんですよ。面倒なことになるだろうな、と。「さしでがましい」ことでもありますから。
しかし、いくら俺が無知であっても、看過しえないこともたまにはある、ということです。もちろん、halさんがそれに付き合いたくないと思われるのであれば、別に構いません。

では、「原典」の話をしましょうか。
halさんは、今回いただいたコメントにおいて、山田先生の文章とfinalventさんの文章を比較して、finalventさんの落ち度を指摘されています。その指摘の内容については、ある程度理解できないこともないです。(俺には重箱の隅を突いているだけのようにも見えますが、それはどうでもいいことです。)というか、このような批判のやり方であるなら、俺もhalさんに対して「知的誠実さに欠ける」とまでは思いませんでしたけどね。
でも、これは原典とfinalventさんの文章を比較して初めてできることなんです。俺はそこを問題にしているんですよ。
いいですか。俺は「原典にあたったうえで、なおかつ批判すべき点は批判する」ということには何の問題もないと考えます。しかし、それと「原典に当たらず、自分の思い込みや誤解を元に、的外れな批判を繰り返す」こととは全然違う問題です。例えそれが、批判する相手の落ち度や不誠実さによってミスリードされた結果の、思い込みや誤解であってもです。少なくとも俺は、原典を読んだので、halさんのエントリのいくつかを読んで、失礼ですが、滑稽で痛々しいと思いましたよ。原典を見ればこんなことをせずに済んだのに、と。
さらに付け加えると、俺がここに示した引用の内容も、原典に当たらなければ、正しい引用かどうかの判断も出来ないのです。つまり、俺が悪意を持って、引用の内容を改竄や捏造している可能性すらあるわけですよ。もしそうであれば、せっかく書いていただいたhalさんの文章もまたもやゴミ屑同然に成り下がってしまいます。その場合は、当然、俺の不誠実さも批判の対象になるでしょうが、同時に、原典を確かめもせず批判を繰り返した側も(気の毒には思われるかもしれませんが)浅はかだったね、という評価を受けるかもしれません。ちなみに「引用元に当たらず何かを論ずる」ことは、研究者であれば、資質を問われかねないことですし、学生であっても教官から叱責されて当然のことですから。
底意地の悪い言い方をすれば、もっと早い段階でfinalventさんが引用をしていたとしても、それだけを元に批判するのは、してはいけないとは言いませんが、ちょっと危ないですよ、ということです。
halさんは「原典教の信者」などと揶揄されているつもりかもしれませんが、原典を軽んじることの危険性をもっと認識された方がいいかもしれませんね。
いえ、何も俺は全ての人が自分で原典に当たらなければいけない、なんて思っていませんよ。しかし、時間的・金銭的余裕がないなどの理由で当たらないのであれば、書かれたものを鵜呑みにしたり、逆に全否定したりするのではなく、心の中で「これは判断保留だな」と思えばいいのです。もちろん、その旨を文章にしてブログに載せても構いません。それが賢いやり方だと、「俺は」思います。

そして、俺がやはり呆れるしかないのは、「著者が一緒だから同じだと思いますよ」と原典に当たらないことに何も問題意識をお持ちでないらしいところです。
「少なくとも俺は」、自分が読んだこともない本の内容を類推して決め付けるようなことはしたくありません。同じ著者の同じテーマを扱ったものだったとしてもです。
「安部公房の『砂の女』と『他人の顔』を読んだから、『箱男』は読まないでも内容が分かる。それはこうに違いない」という人が居たら、普通はおかしいと思いますよ。小説を例に挙げるのはフェアではないかもしれませんが、これが、学者が書いた自身の研究に関わるテーマについての本であっても、基本的には同じことです。
時期や状況によって考えを変えたり発言内容を変えることは、研究者であってもよくあることですから。
そして、前のコメントでも、俺は「判断できない」と書きましたよね? 「違う」とも書いていない。それは俺が『角川 字源辞典』を読んでいないからです。だから、現時点で「同じ」とも「違う」とも判断できないということです。
俺がそのうち、そちらの本を読んで『漢字字源辞典』との内容の違いを吟味することもあるかもしれませんが、その結果「同じ内容である」と判断する可能性はあります。しかし、読みもしないで「同じだ」と決め付けることと、両方を見比べた結果「同じだった」と理解することは全く(価値や重み)が違うことです。そして、「実際に読んでみたけど、同じ(違う)内容だったよ」という他人の意見をそのまま受け入れることも、危なっかしいことであることには変わりありません。(ま、この辺は相手との信頼関係に関わることですが。でも、俺とhalさんは「見知らぬ人」同士ですから、それくらいの認識はあってもいいでしょう。)
なので、俺としては、自分の読んでいない本の内容を類推して結論を導くような愚かなことはしたくありませんよ、と。(もちろん、以前に指摘されたようなポカを俺もしてしまうことがありますので、自戒を込めてそう思う、ということです。)

それから、finalventさんの「過去の行状」についてですが、俺としては、それらについては、今のところ、どちらが正しいのか判断するつもりはありません。知識がないということもありますし、興味があんまりないということもあります。気が向いたら、それらについても検討するかもしれませんが。その際には、halさんのエントリも参考にするよう心掛けておきます。つまり、「判断保留」ということですから、halさんがお書きになられたことが100%正しい可能性も否定しません。
ただし、finalventさんの「過去の行状」がいくら酷いものであったとしても、今回の件についてhalさんがしていることに関する俺の感想は変わらないでしょうね。
というか、「過去の行状が酷いので、今回の件も相手が悪い」という論法を逆手に取れば、「今回の件があまりにも酷いので、過去の件も間違いだろう」と言うことも出来ますね。俺は、これはどちらも詭弁だと思いますので、そうした考え方はしませんが。
それより、「珍説を創作」と批判していた舌の根も乾かぬうちに、「隠し」だ「パクリ」だと言い出す人を、俺だけでなく、他の人がどう見るかも気にしてはいかがですか。いや、別に気にしなくても一向に構いませんが。
「そういう人が、引用元を書かないで、さも己の説のように書き散らかしたなら、また「自分の手柄」にして大物のように見せたかったのだなと、事情を知ってる人は思いますよ」というのは、当たっている可能性はありますが、「珍説を創作している」と散々批判していた方がそれをおっしゃるのはいかがなものかと、俺は思います。これも見解の相違でしょうか。

「私はこれ以上この議論を続けることに気が進みません」というのは、俺もそう思っていますので、そうしましょう。

「山田さんの著書ですが、併行して漢和辞典で通説を確認しながら読むのがベターだと思います」という点については、今後の読書の指針としては同意します。

nijuusannmirinijuusannmiri 2010/02/18 18:28 あー、気が変わったので、削除はしません。

halhal 2010/02/18 20:28 > 単なる一個人が運営するブログにおいて、そこまで「説明責任」を問われ
> なくてはならないのかと考えると、俺には疑問で

説明責任、というよりも、文意が通らないほどの論理の飛躍を指摘されて、それについて手元の書籍で補うなりする労を放棄するのなら、読者に原典読めの無理難題も言えませんね(笑) 何様ですか。それと
> しかも、何度も書きますが、著者である id:finalvent 自身のすぐ手元に
> 引用元の書籍があるのですよ?
この指摘について触れないのはわざとですか?

> しかし、いくら俺が無知であっても、看過しえないこともたまにはある、
> ということです。

常識の範囲の話ならいいんですよ。しかし、あなたが書いたのは、「引用ではなく、山田先生の説をfinalventさんなりに噛み砕いた結果の文章ですよ?」ということでしたよね。まるで、id:finalvent の心を代弁してるようで、アナタ誰ですか?と笑ってしまいましたが、それは措いて、「引用」と「噛み砕いた話」が違うという認識も失笑ものですけど、あれが「噛み砕いた話」かそれとも大切なデータが漏れてるか、あるいは筆者の意図を結果的に捻じ曲げてしまった拙い「要約」だったのかどうかの判断をアナタはできる自信があったんですか? 私はその点のあなたの「さしでがましさ」を指摘するために山田さんと id:finalvent の記述の内容の違いを書いたんですよ。

> 俺は「原典にあたったうえで、なおかつ批判すべき点は批判する」という
> ことには何の問題もないと考えます。しかし、それと「原典に当たらず、
> 自分の思い込みや誤解を元に、的外れな批判を繰り返す」こととは全然違
> う問題です。例えそれが、批判する相手の落ち度や不誠実さによってミス
> リードされた結果の、思い込みや誤解であってもです。少なくとも俺は、
> 原典を読んだので、halさんのエントリのいくつかを読んで、失礼ですが、
> 滑稽で痛々しいと思いましたよ。原典を見ればこんなことをせずに済んだ
> のに、と。

すみません。これはどの部分のことを書いてるのでしょうか?
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
・「原典に当たらず、自分の思い込みや誤解を元に、的外れな批判を繰り返す」
・「halさんのエントリのいくつかを読んで、失礼ですが、滑稽で痛々しい」

具体的に例を挙げてもらえますか?


> さらに付け加えると、俺がここに示した引用の内容も、原典に当たらなけ
> れば、正しい引用かどうかの判断も出来ないのです。

まあ、たしかにそうですが、ここは状況的に id:nijuusannmiri を信用します(^^)

> 研究者であれば、資質を問われかねないことですし、学生であっても教官
> から叱責されて当然のことですから。
> ……
> halさんは「原典教の信者」などと揶揄されているつもりかもしれません
> が、原典を軽んじることの危険性をもっと認識された方がいいかもしれま
> せんね。

こう書くと id:finalvent 信奉者のあなたには不快かもしれませんけど、どこの馬の骨かわからない虚言ブロガーを相手にするのと自分の生活がかかってることでは、対応は一緒にできませんよ。普通の人はブログの筆者の手元に原典があるのなら、よっぽど興味を惹かれでもしない限り、一々同じものを購入したり、図書館で借りたりしないで、筆者への質問で済ますでしょう。学術論文を書いてるんじゃなくてブログを読み書きしてるのですからね。その程度のアバウトさ、脱力感で書くのが個人ブログではないのですか?とあなたの書き込みを見ても思うのですが。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
> 確かにブログであれTwitterであれ、web上で公開された文書には違いあり
> ません。しかし、公的機関でもなく、大手のマスコミでもなく、大手のマ
> スコミに準ずるようなニュースサイトでもなく、Wikipediaでもなく、研
> 究機関でもなく、企業・団体等でもない、単なる一個人が運営するブログ
> において、そこまで「説明責任」を問われなくてはならないのかと考える
> と、俺には疑問です。

> 底意地の悪い言い方をすれば、もっと早い段階でfinalventさんが引用を
> していたとしても、それだけを元に批判するのは、してはいけないとは言
> いませんが、ちょっと危ないですよ、ということです。

これこそ重箱の隅のような気がしますがねぇ。

> そして、俺がやはり呆れるしかないのは、「著者が一緒だから同じだと
> 思いますよ」と原典に当たらないことに何も問題意識をお持ちでないら
> しいところです。「少なくとも俺は」、自分が読んだこともない本の内
> 容を類推して決め付けるようなことはしたくありません。同じ著者の同じ
> テーマを扱ったものだったとしてもです。

いや大げさすぎですよ。なんか重箱の隅だなぁ(笑) 研究者同士の話じゃなくて、余興でやってるブログの話なんだから、同じ著者の同じ問題意識の箇所について読んだことがあったら、それで代用して十分でしょう。なにも決めつけてるわけじゃないのだし、もし違ってたらそこでまた指摘すればいいんじゃないですか。なにか一々言うことが大げさで、針小棒大な気がするんですが。で、そのさい、「嘘つくかもしれませんよ」と言われるかもしれまんが(笑)、そのときはそのときで仕方ないですね。その程度の話題なのですから。と書くとまた不快に思われるかもしれませんが、ブログって余興ですよね? それとも生活かけて、あるいは全身全霊込めてやってるんですか? いいかげんでいいと言ってるんじゃないですが、代用できるものがあれば、それを手軽に利用すればいいし、ある程度の信頼で回ってくのなら、それにのっかってやってけばいい。そういうアバウトさと手軽さのレベル感でブログなど書いてるんじゃないですかねぇ。学術論文を書いてるわけじゃないですよね?

> そして、前のコメントでも、俺は「判断できない」と書きましたよね?
> 「違う」とも書いていない。それは俺が『角川 字源辞典』を読んでいな
> いからです。だから、現時点で「同じ」とも「違う」とも判断できないと
> いうことです。

うーん、なんか言いがかりをつけられて、重箱の隅をつつかれてばっかりいるような。あなた最初にこう書きましたよね。

> この引用から分かるように、山田先生は「質」の字を会意字ではなく、形
> 声字としている。なぜそうしたかということは原書の冒頭の「漢字研究へ
> の入門」にその考え方が少し触れられているが、引用しない。ものすごく
> 簡単に言うと、山田先生は漢字全体に占める形声字の割合を、この本以前
> のそれよりもかなり多く見積もっている、ということだ。

それに対して、私が同じ著者はこれこれと書いてるので同じでしょう、と書いたわけですよね。あなたは自分の言いたいことがわかってるのだから、私の言葉が同じであるか、あるいは違うところがあるか、それを言えばいいだけなのでは? あなたが比較すべきなのは『角川 字源辞典』じゃなくて私の理解でしょ? なにか筋がヘンですね。

> それから、finalventさんの「過去の行状」についてですが、俺としては、
> それらについては、今のところ、どちらが正しいのか判断するつもりはあ
> りません。

おやおや。ピアニストの名前をタイプミスしたか、知ったかぶりをして書き間違えたかの違いぐらいわかるでしょう。英語の話だのフランス語の話だのは、あなたにはわからないのかもしれませんが、誤変換か知らないピアニストを知ったかぶりで書いた「書き間違い」かは小学生でもわかると思いますけどね。

> 興味があんまりないということもあります。

あれー? それは議論の放棄ですよ。なぜ、引用元を書かないで我が説のように書いたのかというのを評価するさい、id:finalvent の人間性評価というのは大きな影響を及ぼすのですから、そこをシャットアウトされてしまってはマズイですよ。こういうところが id:finalvent 信者か本人じゃないの?と思うところなんですが(笑)。

> というか、「過去の行状が酷いので、今回の件も相手が悪い」という論法
> を逆手に取れば、「今回の件があまりにも酷いので、過去の件も間違いだ
> ろう」と言うことも出来ますね。俺は、これはどちらも詭弁だと思います
> ので、そうした考え方はしませんが。

ちょっと極論ぽい言い方になってますが、詭弁じゃないですよ、それでいいんですよ。否定するのが詭弁でしょうね。ますます id:finalvent ぽい(笑)

●「過去の行状が酷いので、今回の件も相手が悪い」
そうじゃないです。「過去に自分を大きく見せるために嘘をついたので、今回の引用で引用元を書かなかったのも、それを自分の説と見せかけて自分を大きく見せるために隠したのだろう」という類推はオーケーなんじゃないですか?

●「今回の件があまりにも酷いので、過去の件も間違いだろう」
「今回の件があまりにも酷いので、過去の件も間違いかもしれない」のほうがいいですね。今回の件は怪しいぞと思い、過去の件を一つ一つ洗ってみる。そこで、不合理な点を確認できたら、そういうことなのでしょう。普通の疑問だし、普通にやることだと思いますよ。

> それより、「珍説を創作」と批判していた舌の根も乾かぬうちに、「隠し」
> だ「パクリ」だと言い出す人を、俺だけでなく、他の人がどう見るかも気
> にしてはいかがですか。いや、別に気にしなくても一向に構いませんが。

・「珍説を創作」の意見は変わりませんが何か? あなたの引用を見てますます、やっぱり思いましたが。(嘘を書いたとか言われるのかな汗。) その点について議論するのにやぶさかではないですよ。
・あなたは原典を読んで、本当に id:finalvent の引用と理解が正確だと思ってるのですか? と「若」他についての知識を持ち合わせないで私を批判するようなコメントを書いた人にきくのは無駄なのかもしれませんけど。
・「隠し」であり「パクリ」だというのは、その通りでしょう。引用元を隠してたのですから。この点について、アナタあまり触れませんね。なにか無理に id:finalvent を擁護されようとしてませんか? ってきくだけヤボなのかな(笑)

> 「私はこれ以上この議論を続けることに気が進みません」というのは、
> 俺もそう思っていますので、そうしましょう。
> あー、気が変わったので、削除はしません。

私も気が変わりました(^^)

nijuusannmirinijuusannmiri 2010/02/19 03:46 >halさん
コメントありがとうございます。

そうですか、気が変られたのですね。それはとても残念なことです。俺にとって。(> <)

以下、応答です。

まず、「説明責任、というよりも、文意が通らないほどの論理の飛躍を指摘されて、それについて手元の書籍で補うなりする労を放棄するのなら、読者に原典読めの無理難題も言えませんね(笑) 何様ですか」というところですが、「原典に当たってほしい」というのが無理難題ですか。その程度の認識で他者を批判なさる方なんだな、halさんは、と思うしかありません、俺としては。俺は、自分にとって未知の知見が示されている可能性を提示されたときに、鵜呑みにするのでも全否定するのでもなく、自分の目で確認するまでは判断を保留できる程度には慎重でありたいと思いますが。何度も繰り返しますが、「見解の相違」としか言いようがありませんね。
「> しかも、何度も書きますが、著者である id:finalvent 自身のすぐ手元に
> 引用元の書籍があるのですよ?
この指摘について触れないのはわざとですか?」ということですが、前のコメントではその点も含めた上で、「引用するかどうか、あるいは説明するかどうかも、個人の意思(もっと言えば親切心や気まぐれ)によって決められるものです」と書いたつもりですが、伝わりませんでしたか。それは失礼いたしました。しかし、「手元に(引用元の)書籍があれば、引用しなければならない」とお考えなんですか? もしそうなら、なかなか変わった考えをお持ちでいらっしゃるんだな、と思います。

「私はその点のあなたの「さしでがましさ」を指摘するために山田さんと id:finalvent の記述の内容の違いを書いたんですよ」については、「あぁ、そうですか。『あれが「噛み砕いた話」かそれとも大切なデータが漏れてるか、あるいは筆者の意図を結果的に捻じ曲げてしまった拙い「要約」だったのかどうかの判断』をhalさんが原典に当たってしてくだされば、俺がこんなエントリを書く必要はなかったのにな」と思いました。
俺としては、原典をfinalventさんがお書きになった程度に「噛み砕く」なり「要約する」なりするのは、ありだろうとは思いますけどね。一番最初に典拠を示さなかったことは批判の対象になりうるでしょうが。
これも見解の相違(略

「具体的に例を挙げてもらえますか?」ということですので。
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20100213.html#p10から↓
「そして、この図式に勝手に「質」の字を絡めて、トンデモ論を展開したのが、最初に書いた短い元エントリの文章です。この文章は、山田氏の考察を書き記したものではなくて id:finalvent 自身の創作です。なぜなら、山田氏が書いたというこの図式のどこにも「質」の字は出てこないし、以下の id:finalvent 発言によっても、「質」の字の考察は山田氏によるものではなく id:finalvent 独自の創作であることが明らかだからです」
「音符「斤」の音の変化を例証した「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の図式に「質」の字を絡めたのは他ならぬ id:finalvent 自身であって、山田氏はそれに関わっていないからです。山田氏が関わってないことは、下記の id:finalvent の発言により、この図式に「質」の字を絡めたのは他ならぬ id:finalvent 自身であることによって明らかになってます」
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20100214.html#p10から。↓
「山田氏は書いてないですってば。それはアナタの思い込み。何度書けばわかるのかな〜(~o~; アナタ、自分の判断だって書いてるでしょ。」
「山田氏による「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の図式から、「斤」を含む「質」もこの図式に応用できると早とちりして、ここの図式に「質」の字をあてはめて、「質」の意味は「直」の意味の「相当する」である…としたわけでしょ。しかも、「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の図式から一般則を導き出して、「質」の字に応用したんだから、”他の「チ」ついて言及”しちゃったわけだよねぇ。」
「”「質」の音指標は「斤(斦)」でその音価は「チ」”なんてことは山田氏はひとっことも書いてなくて、図式「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」を「質」の字に応用して「質チ」⇒「直チ」とし、「質」の意味が「直」の意味の「相当する」と判断したのは id:finalvent であって山田氏ではない。」
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20100214.html#p13から↓
「山田氏の議論とは? あ、ここで「原典参照」はナシだよ(笑)。”「チ」がなぜ「直」になるのか”の「山田氏の議論」を示さないと、下記引用のオリジナルエントリにおける太字部分が論理的に飛躍して、そこで何が起ったのか読者に伝わらないでしょ。それを説明する義務は この言を公開した id:finalvent にあるのだよ。説明というよりも、「チの音は「直」を意味する」と書いてる山田氏の言及箇所を単純に引用すればいいだけなんだけどね。もう一つのブログで、『字源辞典』をふんだんに引用してる(⇒「漢字は表意文字という話: 極東ブログ」) id:finalvent にしてみたら御茶の子さいさいだわな。論理的飛躍の穴埋めをして読者の理解を助ける数行の引用を拒む理由は何もないと思うが。それとも、「ポゴ・レリーチ」の虚言の人は普通の人と思考回路が違うから、論理の飛躍も読者への配慮も関係ないのかしらん。」
とりあえず、最近のエントリからピックアップしました。あ、最後のは「見解の相違」として片付けたことについてのものですから、これは省略してもよかったかな。ま、あのエントリは、まとめとしてそれ以前のエントリから引きうつしたものも多かったので、上に引いた文章が再掲されてたりしてますから、「まだ、言ってるんだね」とは思いました。
これ、なぜ滑稽だと思ったのか、理由も必要ですか。一言でいうと、原典を見れば、「図式「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」を「質」の字に応用して「質チ」⇒「直チ」とし、「質」の意味が「直」の意味の「相当する」と判断したのは id:finalvent であって山田氏ではない」という文章はまず書かないだろうからですよ。

「まあ、たしかにそうですが、ここは状況的に id:nijuusannmiri を信用します(^^)」とおっしゃっていただくのは光栄ですが、それで足元を掬われることがないようお祈り申し上げます。

「どこの馬の骨かわからない虚言ブロガーを相手にするのと自分の生活がかかってることでは、対応は一緒にできませんよ」というのは理解できます。
「普通の人はブログの筆者の手元に原典があるのなら、よっぽど興味を惹かれでもしない限り、一々同じものを購入したり、図書館で借りたりしないで、筆者への質問で済ますでしょう」も、まだ理解の範囲内です。
で、「普通の人」は、筆者への質問をして「原典を参照してください」と言われたら、その筆者を罵倒したり「あなたは信用できないので、そのために金銭や労力を使う気にならない」と言ったりするんでしょうか。それが普通なら、俺はむしろ異常でいたいですね。
俺ならば、金銭や労力を使いたくなければ、とりあえず「判断保留」にするだろう、ということを何度も繰り返し書いてきましたが、そういうことです。
「学術論文を書いてるんじゃなくてブログを読み書きしてるのですからね。その程度のアバウトさ、脱力感で書くのが個人ブログではないのですか?」ええ、全くその通りです。halさんもその程度のアバウトさで、批判を繰り返していらっしゃると理解しますがよろしいでしょうか。

「これこそ重箱の隅のような気がしますがねぇ。」そうですか。そうかもしれませんね。

「研究者同士の話じゃなくて、余興でやってるブログの話なんだから、同じ著者の同じ問題意識の箇所について読んだことがあったら、それで代用して十分でしょう」ああ、余興なんですか。分かりました。共著と単著を「同じ著者」として考えていいのかもちょっと微妙ですが、それをよしとしても、「代用して十分」かどうかは俺には判断できませんね。繰り返しになりますが、俺はそこでは慎重になりたいし、たとえ研究者でなくても慎重であるべきだと思いますが、これも見解の(略
「もし違ってたらそこでまた指摘すればいいんじゃないですか」というのは、一見妥当のようでいて、危なっかしい考え方ですよ。halさんがお書きになった「元々形声字であるが、その後意味の入れ替りが発生して仮借になった漢字が多いとあった」という文章が、『角川 字源辞典』の内容にきちんと即しているのかどうかも不明だし、前後の文脈も不明だし、この文章だけ読んで、俺が「山田先生は漢字全体に占める形声字の割合を、この本以前のそれよりもかなり多く見積もっている」というその理由として解釈した内容と同じだとか違うとか言えないんですよ。それぐらい微妙な話だし、また、無視できるほどの差異に収まっているかどうかも分からない。「違っていたら指摘」を原典に当たらずにすることは、俺の価値観に照らして、賢明とは思えません。
「それとも生活かけて、あるいは全身全霊込めてやってるんですか?」は、もちろんそんなことはありませんよ。しかし、「無知」な人間としては、慎重にならざるを得ません。
「いいかげんでいいと言ってるんじゃないですが、代用できるものがあれば、それを手軽に利用すればいいし、ある程度の信頼で回ってくのなら、それにのっかってやってけばいい。そういうアバウトさと手軽さのレベル感でブログなど書いてるんじゃないですかねぇ」ええ、それはブログの良さの一つです。そして、アバウトさと手軽さのレベルで書くならば、自ずと限界があるはずです。「俺は、その意見はおかしいと思うけれど、まー、原典に当たっていないから判断は保留しておくよ」というのはいいと思いますが、「俺は、その本に書いてあることは推測できるから、読まずに済ませるけど、あなたの書いてることはその本にも書いてないようなことをこじつけて、無理な解釈してるよ」というのは限界を超えていると思います。ま、見解(略
あ、「2%の留保」があるんでしたっけ。

「あなたが比較すべきなのは『角川 字源辞典』じゃなくて私の理解でしょ?」ということですが、halさんの理解は「元々形声字であるが、その後意味の入れ替りが発生して仮借になった漢字が多いとあった」ということだけなんですか。もし、そうだとしたら、『漢字字源辞典』にもそのような内容は含まれていると見ていいとは思いますが、その理解だけで十分と言えるかどうかは微妙です。俺には不十分とも思えますが、halさんがお読みなられて、「自分の理解で十分だった」と判断されるかどうかまでは責任を持てません。これでも、俺にとってはかなり踏み込んだ言及です。これ以上は怖くて言えません。

「おやおや。ピアニストの名前をタイプミスしたか、知ったかぶりをして書き間違えたかの違いぐらいわかるでしょう」、すいませんね、読んでないので。興味がわかなくて。
「あれー? それは議論の放棄ですよ」その通りです。
「なぜ、引用元を書かないで我が説のように書いたのか」は、「そのような観点からの批判はありうるでしょう」と前にも書きましたし、今回も「批判の対象になりうるでしょう」と既に書きましたね。
「人間性評価というのは大きな影響を及ぼすのですから、そこをシャットアウトされてしまってはマズイ」というのに対しては、俺はそういう考え方を取らないと言うことしか出来ないのですが、それではダメですか。
俺は、halさんのことを「知的誠実さに欠けると判断せざるを得ない」とブクマコメントで書きました。これは人間性評価と思われて仕方ない表現ですが、俺としては今回の漢字の件に限ったことと、今の時点では思っています。このことをもって、halさんの過去の(あるいは未来の)エントリを色眼鏡をかけて見ることはしないでおこうということです。是々非々でいい、というのが俺の基本的な考え方です。
このエントリやこのコメントのやりとりを読んだ方で、俺の意見に賛同してくれた人が居たとして、その方が今後halさんのエントリを色眼鏡をかけてみるようになったとしたら、俺は悲しいことだと思うのですが、halさんはそうお思いになりませんか。

「「過去に自分を大きく見せるために嘘をついたので、今回の引用で引用元を書かなかったのも、それを自分の説と見せかけて自分を大きく見せるために隠したのだろう」という類推はオーケーなんじゃないですか?」仮にOKだったとしても、halさんが、finalventさんが典拠を示した後に、それに当たらず思い込みを元に批判を繰り返したことには変わりありませんし、俺の感想も変わりませんよ。
「今回の件は怪しいぞと思い、過去の件を一つ一つ洗ってみる。そこで、不合理な点を確認できたら、そういうことなのでしょう」ま、そういう言い方をすればその通りでいいかもしれませんが、批判的な視点を持って文章を読むことと、思い込みをもとに相手を批判することは違いますからね。ま、余興でやる分にはどちらでも同じというお考えかもしれませんが、趣味の悪い余興だと、「俺は」思います。

「「珍説を創作」の意見は変わりませんが何か? あなたの引用を見てますます、やっぱり思いましたが」そうですか。
「その点について議論するのにやぶさかではないですよ」いや、もういいです。
「あなたは原典を読んで、本当に id:finalvent の引用と理解が正確だと思ってるのですか? と「若」他についての知識を持ち合わせないで私を批判するようなコメントを書いた人にきくのは無駄なのかもしれませんけど」原典を読む気がないとおっしゃった(現在もまだお読みでないらしい)方にそのようなことを言われるとは、このやり取りを始めるまでは思いもしませんでしたが、今はさして、驚きでもありません。引用部分だけを見て、全て理解したとお思いなんですか。あー、余興ですからね。それでいいでしょう。少なくともhalさんよりはfinalventさんの方が、『漢字字源辞典』の内容については、正確に把握してると思ってますよ、俺はね。halさんがそうお考えにならなくても、一向に構いませんが。
「「隠し」であり「パクリ」だというのは、その通りでしょう。引用元を隠してたのですから。」だからね、最初の時点(典拠が示される前の時点)で、halさんなり、他の人がそのような指摘をされたのであれば、妥当性があると思いますよ。しかし、典拠を示されてからは、そのような言い分は当てはまらない、と「俺は」思ってるし、そう言ってるわけですよ。
本を読めば簡単に分かるわけだし、finalventさんも「原典を参照してほしい」と繰り返し書かれていたのに、それをせずに「珍説を創作」と批判していた人が、俺の引用を見て急に「隠し」だ「パクリ」だと言い出す様は、重ねがさね失礼な物言いになりますが、滑稽で痛々しいです。俺の感覚では、「パクリ」をする人が、そのネタ元を明らかにして、そちらを参照してほしいなどということはありえないと思うのですが。俺の感覚が常識から外れているんでしょうか。百歩譲って、典拠を示された後でもなお「隠し」や「パクリ」がその通りだとして、それをhalさんが言うことに理があるとお考えなんでしょうか。いや、余興なんで、理があるとお考えになられてもいいと思いますよ。

最後に、俺が「気が変わった」と言ったのは、このエントリを「出来れば全部まとめて削除してしまいたい」と言ったことに対してです。消さずに残しておきますよ、ということです。
議論を続けることに気が進まないことには、変わりありません。

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