ここのブログでは、芦原英幸先生の
サバキ技術や芦原先生の教えに
ついてみなさんに伝えていきます。
芦原先生から学んだ知識や人生論
もみなさんに紹介していきます。
もちろん、サバキ技術についても
いろいろ書いていきます。
どうぞ、ご期待ください!
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ここのブログでは、芦原英幸先生の
サバキ技術や芦原先生の教えに
ついてみなさんに伝えていきます。
芦原先生から学んだ知識や人生論
もみなさんに紹介していきます。
もちろん、サバキ技術についても
いろいろ書いていきます。
どうぞ、ご期待ください!
芦原先生が、まだ極真会館に
在籍していた時、多くの道場生
は、芦原先生のかっこよさに
あこがれたものだった。
当時、あの二宮城光ですら、
頭を七三分けにして芦原先生
のまねをしていたくらいだった。
芦原先生は、何をするにも自分
のスタイルを持っていたし、貧乏
生活をしていた時でも、どうすれ
ばかっこいいかを考えていた。
服の着こなしにも芦原先生なり
のこだわりがあった。
独立して、金まわりがよくなった
芦原先生は、ブランドものを持つ
というよりも、買い物に行くとその
店で一番高い奴はどれ?という
ような買い方をすることもあった
が、それはそれで芦原先生らしい
ところであった。
しかし、芦原先生にはどんな
ブランドもの服よりも
白い空手着
が一番よく似合うと思うのは
私だけではないだろう。
全身からオーラが輝いて見えた
そんな人間にいままで何度か
あったことがある。
その一人が、生前の松田優作
だった。
それは、すでに体にがんを抱え
遺作となった「ブラックレイン」を
撮影していた時であった。
その撮影現場で、松田優作は
ほかのどの俳優にもないオーラ
をまとっていた。
もう一人が、芦原英幸であった。
その男が、そこにいるだけで
まわりの空気が変化していた。
その男が動き、技を繰り出した
時、風を斬る音がした。
ケンカ十段と呼ばれた男が
そこに立っていた。
私は、人生の多くのことをこの
芦原英幸という天才から学んだ。
その凄さのどれほどをみんなに
伝えられるだろうか?
芦原について語られた本はそれ
ほど多くないだから、今新たに
その伝説を語っていきたい。