特高警察による暴力的な捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結したものと評価できる--。
戦時下最大の言論弾圧事件である「横浜事件」について、横浜地裁がその構図を明快に言い切った。事実上の無罪とし、元被告5人の遺族に刑事補償を支払う決定を出した。
決定は「警察、検察及び裁判の各機関の関係者の故意・過失は重大である」として、司法自らの責任も厳しく指摘した。遅すぎたとはいえ、自浄能力を発揮した判断だ。
神奈川県警は1942~45年、共産党再建の謀議を図ったなどとして、雑誌編集者ら約60人を治安維持法違反容疑で逮捕し、拷問で4人が獄死した。横浜地裁は45年8~9月、約30人に一律の執行猶予付き有罪判決を言い渡し、幕引きをした。
元被告と遺族らは86年に再審請求したが、当初は「訴訟記録がない」として棄却された。その後再審が始まったものの、治安維持法の廃止を理由に、有罪・無罪を判断せずに裁判を打ち切る「免訴」判決が確定していた。
だが、それでは元被告側が求めた名誉回復は図られない。
今回の決定は、特高警察の描いた「共産党再建の謀議」の構図に懐疑的な見方を示し、その捜査手法を「拷問を加え、自白させた。旧刑事訴訟法下においても、暴行・脅迫を加えた取り調べは許されない」と批判した。妥当な判断である。
申し立てた元被告側がさらに訴えたのが裁判所の責任だった。終戦の混乱の中、有罪を言い渡した判決書などが焼却されたのだ。再審請求後の司法救済が遅れた一因である。
決定は、まず当時の判決について「拙速、粗雑と言われてもやむを得ない事件処理がなされた」と批判した。判決書の焼却については「裁判所の側が、連合国との関係において不都合な事実を隠ぺいしようとする意図で廃棄した可能性が高い」と、理由にまで踏み込んで判断した。
元被告側も決定の内容を評価しており、横浜事件の司法判断は、これで区切りがつけられる見通しだ。
横浜事件は、戦前から続いた政府の言論統制がピークに達した時に起きた。決定は弾圧の実態を詳細に記し、本来それを救うべき司法が機能しなかった経緯にも触れている。
言論統制を再現させないためにも、なぜ事件が起きたのか検証は不可欠だ。歴史の清算の点からも意味のある決定ではないだろうか。
とはいえ、最初の再審請求が行われてから24年である。元被告は全員が亡くなっている。遅すぎた決定までの道のりを裁判所は改めて反省すべきだ。
毎日新聞 2010年2月6日 東京朝刊