時代の風

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時代の風:阪神・淡路大震災15年=防衛大学校長・五百旗頭真

 ◇生死分けたご近所の力--五百旗頭(いおきべ)真

 つい昨日のことのようでもあり、はるか昔のことのようにも思える。15年という歳月はそういうものだろうか。

 変わることなく一定のリズムで進んでいたはずの時間が、その瞬間、切断された。針の先ほどの偶然で隣の人が死に、自分は何故か生きている。6434人の同朋(どうぼう)を失った後、よろめくように別の時が動き始めた。

 神戸地震(阪神・淡路大震災)を体験した者の一人として、若干の観察をお伝えしたいと思う。次なる大災害の際の参考になれば幸いである。

 まず地震はどういうものか。普通の地震は、ガタゴト揺れ始め、やがて大きく本揺れとなる。大変だ、はいつくばり机の下にも潜らなきゃ、と思っていると、揺れは下火になり、去って行く。震度5までの、震源の遠い地震である。直下型の震度7の地震は違う。いきなりガーンと家ごと撥(は)ね上げられる。神戸地震は午前5時46分、目を醒(さ)ましたが、一瞬、何が起こったのか分からない。飛行機がわが家に墜落したのか、山崩れに襲われたのか。次の瞬間、猛烈な横揺れ。地震だ! だが知るところの普通の地震ではない。大地の魔神が、わが家を両腕にかかえて引き裂こうとしている。家がひし形に歪(ゆが)み、室内に家具が飛び交う。潰(つぶ)すまで止(や)めない。殺しに来ている。何故だ。何故、この家族を皆殺しにするのか。

 2、3分は続いた実感であったが、実は20秒だったという。信じられない。自衛隊の伊丹駐屯地(兵庫県)の記録を見ると、「うちわのように大きく揺れた」と表現されていた。少し離れるとそうなる。

 さらに南海プレートが動く遠い大地震になると、大揺れが二つの悲惨を伴う。大津波と長周波の揺れである。神戸の新しい高層マンションに住んでいた友人は、上層階の大揺れに部屋の端から端まで振り回され続けたという。幸い神戸の高層ビルは折れることはなかった。しかし遠い南方発の長周波が大都市の高層ビルの揺れの周期と共鳴した場合、大惨事が危惧(きぐ)される。

 高速道路が横倒しになり、新幹線の高架が崩落した神戸地震が、もし活動時間に起こっていたら、犠牲は数倍になっていたろう。神戸の場合、99%の人がその時、屋内におり、戸外での犠牲者が皆無に近かったのである。厚生省(現厚生労働省)の1年後の調査では、77%が家屋倒壊による圧死、9%が焼死、8%が家具による死である。

 そうであれば、生死を分けたのは8割方、住居の強度であったといえる。大地震という壮大な社会実験は、驚くほどに鮮明な結果を出した。震度7地帯において、木造家屋のほとんどが全半壊であり、犠牲者の多くがそこで生じた。鉄筋コンクリートのビルは概して無事であるが、新しい耐震基準を満たしていないビルには傾いたり座屈したり、総員退去命令が出たりするものもあった。他方、壊れなかったのが、プレハブ、2×4(ツーバイフォー)など軽い建築であった。壁が組み合わされたキューブのように壊れにくいという。私自身、地震中、殺されると感じたが、家は崩壊せず、夜が明けると隣の社長さんの豪邸が崩壊してなくなっていた。その時は理由が分からなかったが、豪邸は木造伝統家屋であり、私の家は2×4だったのである。

 木造住宅に住む場合も、死を免れる方法が三つあると思う。第一に、補強工事をしておけば、たとえ全半壊しても、抵抗しながらゆっくり傾き倒れるので、即死を免れる。第二に、2階のベッドで眠ることである。家が潰れる場合も1階がななめに壊れ、2階がその上に着陸する。ベッドで寝ていれば家具からも守られる(私の家族4人はこの理由で無事だった)。第三は、家具を凶器化しないよう固定することである。応接間の南東にあったピアノが北東の角に飛んでいた。直下型地震の撥ねあげる力を甘く見てはいけない。鋼鉄の電車も空中に上がり、線路を傷つけることなく脱線した。家具の固定はキーポイントといえよう。

 何の備えもなく奇襲攻撃を受け、その瞬間になくて困ったものが三つあった。懐中電灯、スリッパ、トランジスタラジオである。一息つけば、水と食料、トイレが重大な欠乏と意識されるようになる。

 たとえ倒壊した家屋のがれきに生き埋めになっても、よき近所に恵まれれば救われることが多い。河田恵昭・関西大学教授の推計によれば、家が壊れ埋もれた人は16万4000人。そのうち79%に当たる12万9000人が自力で脱出した。3万5000人が埋もれ出られない。が、77%が家族や近所の人に救出された。家族とコミュニティーがどれほど大切か。警察・消防・自衛隊に残りの23%が掘り起こされたが、それを待っていれば生存救出の比率は低下する。神戸地震以後、政府と公的機関の対処も進み、自衛隊の迅速出動態勢はめざましいが、それでも9割以上が自助・共助によらざるを得ない。震災オーラル・ヒストリーをこの15年行ってきたが、ある市長が、生存救出の比率はお祭りのある地区とそうでない地区ではっきり分かれると語られた。現代人は、もう一度21世紀にコミュニティーづくりに取り組まねばならないのではなかろうか。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2010年1月17日 東京朝刊

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