【バウバウ(インドネシア・ブトン島)井田純】インドネシア東部の少数民族チアチア族が、文字のなかった民族語の表記にハングルを採用、昨年から小学校で授業に取り入れるなど普及を進めている。地元には、これを機に韓国との結びつきを深め、経済振興につなげる狙いもある。しかし、インドネシア政府内には「ハングルはインドネシア文化になじまない」と、突然のハングル流入を警戒する声も出ている。
「私は友達と学校に行きます」「私たちはチアチア語を勉強します」。ブトン島南部に位置するバウバウ市郊外のカルヤバル小学校。アビディン教諭が文章を白板に書くと、4年生の児童たちが大きな声で読んでいく。文字はハングルだが、言語は韓国語と全く異なるチアチア語。ラフミン君(11)は「ハングルはすぐに覚えられた。面白いから家でも勉強している」と話し、教科書に書いたハングル表記の自分の名前をうれしそうに指さす。
ハングル採用のきっかけは、05年にバウバウ市で開かれた国際会議。市によると、会議に参加した韓国の言語学者がブトン島に文字のない言語が多いことに着目。ハングル普及を目指す団体「訓民正音学会」が、文字を持たないチアチア語の表記にハングルを使用することを提案した。市が昨年、正式に採用を発表し、半年前からこの小学校でハングルによるチアチア語の授業が始まった。
アビディン教諭によると、チアチア語には、英語などで用いるラテン文字では表しにくい激音(破裂音とともに息を激しく出す子音)があるが、ハングルならそのまま表記が可能。また、ハングルにないf、v、zの発音がチアチア語にもないといった共通点があるという。
市によると、チアチア語話者はブトン島などに6万人程度とされる。市の担当者は「チアチア族の若い世代では、日常、インドネシア語を多く使う傾向が強まっていた。文字を得て、チアチア語消滅の危機が遠のいた」と話す。カルヤバル小の地区ではすでに道路名の標識にハングル表記を取り入れ、近くにある第6高校では韓国語の授業も行われている。アミルル・タミム市長は「韓国との交流が活発になることで、観光振興や韓国企業からの投資を期待している」と意気込む。
しかし、インドネシア政府の反応は必ずしも芳しくない。教育省言語センターのハンナ博士は「チアチア語とハングルの類似点、相違点に関する基本的な研究すらまだ行われていない。文字を持つことで少数言語が残ることは意義があるが、まずインドネシアの他の少数言語の文字がチアチア語に使えないか調査すべきだ」と疑問を呈する。
外務省は「極めて特異なケースで、インドネシア国民としてのアイデンティティーにもかかわる問題。インドネシアになじみのない韓国の文字が地域文化に与える影響が懸念される」と不快感を示している。
こうした声を踏まえ、在ジャカルタ韓国大使館も「『訓民正音学会』という民間団体が独自に行っていることで、政府としては関与していない」とし、「この活動が韓国の国益にかなわないようであれば適切に対処する」と話している。
昨年末にはバウバウから市長らが韓国を訪問。ソウル市との間で、ハングル普及への財政支援などをうたった文書に調印し、バウバウに韓国文化センターを建設する計画も進んでいる。だが、インドネシア政府の対応によっては事業全体が見直しを迫られる可能性もありそうだ。
毎日新聞 2010年2月20日 12時41分(最終更新 2月20日 13時05分)